可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 永井慧彦個展『フーコーメイビ』

展覧会『永井慧彦「フーコーメイビ」』を鑑賞しての備忘録
KOMAGOME1-14 casにて、2025年11月13日~24日。

山海の風景や誕生仏などをモティーフにしたブロンズ像で構成される、永井慧彦の個展。

キーヴィジュアルの《山ぎわ》は釣鐘を扁平にした形状で自立する黒に近い色味の作品である。正面のシルエットは、やや緩やかな端から90度に近い角度で頂点に向かい急角度で落ち、2合目辺りで直角に近い形で折れてなだらかになり切れる。烏帽子や《日月山水図屏風》に登場する山を想起させる。や烏帽子のような形状である。横から見ると、下部に厚みがあるため、サメの背鰭のような印象がある。底辺近くに金色に輝く部分が配されるのは沈む日の表現であろうか。無限遠とも言える太陽を山の手前に配することで、空間認識を揺さぶる。
歪んだ四方花入のような、黒色に近い四角柱状のブロンズ像は《背びれのための》と題される。極僅かに弧を描いて立ち上がり、頂部では1つの角が突き出すことで背鰭の生み出す推進力をイメージさせる。四角柱状の《背びれのための》が縦置きであるのに対し、三角柱状の《背びれ》は水平に置かれる。黒に近い三角柱は暗い水中を切り裂く魚影を思わせる。
《風景、水平線の厚み》と題された扁平な直方体状の作品は4点(#2~#5)ある。そのうち#2と#3は鈍い金色を呈する。角の取れた#2は往年のフィルムカメラオリンパス・ペン」のような形で、密集する点線が施される。#3は#2より大きく角張った形で表面を蔦のような線が覆う。水平線という本来存在し得ない線に厚みを見出すのは、《山ぎわ》=山の稜線に厚みを持たせるのと同じ発想なのだろう。海を眺めるとき、その目線の高さにまで海が立ち上がって見えるのだから、海が厚みを持ち立ち上がっていると言える。台座に置かれた「カメラ」は大地=地球に立つ人のメタファーであり、鑑賞者は対象と一体化するのである。ならば、風景とは人であり、それ以外ではあり得ない。
《水浴》は、長い右腕を高く挙げ、長い左腕の先を膝まで降ろした誕生仏を模した、鈍い金色を呈した像。無地と、灌仏会花祭りを表す花柄の2種がある。蓮華に立ち天地を示す像を中空に浮かせ、あるいは垂線から傾けて展示することで、空中を漂い、游泳する効果を与えてある。ル・コルビュジエ[Le Corbusier]が人体と黄金比から考案した建築基準寸法モデュロール[Modulor]を連想させる造でもあるが、水平線に厚みを見出すように「種族のイドラ」に囚われる衆生モデュロールに対し、釈迦は融通無碍である。
灌仏会で誕生部にかける甘茶からの連想ではなかろうが、《点茶》という作品がある。円柱や四角柱状のブロンズ像で3点(#1-#3)ある。茶器というより花器に見えるが花を活けるための空洞はない。ならば主人と客とを表すのだろうか。思い出されるのは、赤瀬川原平の「楕円の茶室」である(赤瀬川原平千利休 無言の前衛』岩波書店岩波新書〕/1990/p.108-109イラスト参照)。茶釜と(不在の)主人に見立てた石との2点から等距離の線を結んで描かれる楕円を床とする独創的な茶室の造営計画。「楕円の茶室」と《山ぎわ》の《日月山水図屏風》を媒介に、《点茶》の3点を地球、月、太陽に擬えることはできないだろうか。

 「そうか、自転しながら公転してるんだな」
 「は?」
 貫一はカウンター越しに自分と都の分の酒を頼んだ。
 「なあ、おみや」
 彼は顔を寄せて都に囁いた。
 「地球はどのくらいの速さで、自転と公転してると思う?」
 「そんなの知らないよ」
 「地球は秒速465メートルで自転して、その勢いのまま秒速30キロで公転してる」
 都がぽかんとする。
 「地球はな、ものすごい勢いで回転しながら太陽のまわりを回ってるわけだけど、ただ円を描いて回ってるんじゃなくて、こうスパイラル状に宇宙を駆け抜けてるんだ」
 貫一は炒め物の皿に残っていたうずら卵を楊枝で刺し、それを顔の前でぐるぐる回した。
 「太陽だってじっとしてるわけじゃなくて天の川銀河に所属する2千億個の恒星のひとつで、渦巻状に回ってる。だからおれたちはぴったり同じ軌道には一瞬も戻れない」
 「さっきから何言ってんの?」
 「いや、面白いなと思って。おれたちはすごいスピードで回りながらどっか宇宙の果てに向かってるんだよ」
山本文緒『自転しながら公転する』新潮社〔新潮文庫〕/2022/p.102-103)

「すごいスピードで回りながらどっか宇宙の果てに向か」うモデュロールを思い浮かべる。刹那毎に目にする景観は二度と同じであることはない。そのとき何気ない日常風景もテレンス・マリック[Terrence Malick]の映像のように立ち上がるかもしれない。