映画『佐藤さんと佐藤さん』を鑑賞しての備忘録
2025年、日本製作。
114分。
監督は、天野千尋。
脚本は、熊谷まどかと天野千尋。
撮影は、趙聖來。
照明は、村上憲次郎。
録音は、西條博介。
音響効果は、浦川みさき。
美術は、佐藤希。
衣装は、松本紗矢子。
ヘアメイクは、杉本あゆみ。
編集は、相良直一郎。
音楽は、Ryu MatsuyamaとKoki Moriyama。
2023年。東京家庭裁判所立川支部。調停室の窓の外側に1匹の蝶が風に吹かれながら留まる。弁護士の佐藤紗千(岸井ゆきの)が新人の弁護士とともに依頼人・東海林明(中島歩)の訴えに耳を傾ける。出かける前に気付いたんです。部屋の隅に小さな虫の死骸が落ちてるって。夜帰って来てもそのまま。それどころか次の日も、その次の日もです。カラッカラに乾いた虫の死骸をずっと残す。どういうことか分かります? 掃除をね、丸4日してない。朝飯も食パン買って置いておく。惣菜だって皿に盛らずにそのまま出す。向上心がない。女としてのレヴェルが低い。
こんな離婚案件ばっかりですね。最初っから結婚しなきゃいいのに。後輩が愚痴る。そうなんだけどね…。お疲れ様です! 後輩は駐輪場に向かう紗千に挨拶して立ち去る。紗千は自らの姿を窓ガラスに映してしばし眺める。激しい音がする。自転車がドミノ倒しになった。
2008年。駐輪場で自転車を取り出そうとした大学4年生の紗千。そのとき老人が自転車にぶつかって並んでいた自転車がドミノ倒しになる。大丈夫ですか? 佐藤保(宮沢氷魚)が駆け付けて自転車を立て直す。佐藤君! 佐藤さん! 2人で自転車を並べ直す。2人は同じ自家焙煎珈琲専門店の紙袋を提げていた。僕はガラパゴスの豆をハイローストにしてもらいました。佐藤さんは? 私は本日のお買い得品。3日後の金曜日には焙煎が丁度いいですよ。もう挽いてもらっちゃったんだけど。…ああ。じゃ、佐藤君、金曜に珈琲研で。あ、ちょっと待って、中身入れ替わってる! 保が紗千を呼び止めようとして自転車はまたドミノ倒しになった。
珈琲研。豆を挽き、お湯を注ぎ、ドリップする。珈琲を抽出するように紗千と保は距離を縮めていく。
♪蝉の抜け殻。♪ソーダアイスの棒。2人が歌いながら自転車をゆっくりと並んで走らせる。♪夏の記憶はいつまで続く?
2013年。紗千と保の部屋。紗千が保の背後でしゃもじを叩き、合格を祈願する。6822、6822…。怖いから。時計が午後4時を告げる。保がラップトップで法務省のウェブサイトを開き、司法試験の合格者の受験番号を確認する。黙り込む2人。紗千は冷蔵庫に行き、仕舞っておいたケーキの「合格おめでとう」のチョコプレートを口に入れる。保が黙って珈琲を淹れる。紗千が無言で保の背中に抱きつく。
福島県の農村地帯にある保の実家。母親の法要が営まれる。僧侶の木魚に合わせ、親族一同が般若心経を唱える。末席に保と紗千の姿が坐る。法要が終わり、庭で紗千が親戚の子供たちと踊っている。その姿を家の中から祖母(田島令子)と保、それに赤ん坊を抱える弟・洋太(三浦獠太)が眺める。めんこいなあ。そうでもねえよ。兄ちゃん、向こうの家、挨拶行ったの? まだ行ってねえ。おめえ、弁護士になったらこっちさ帰ってくんだべ? なんとも言えねえ。弁護士なら東京でなくてもよかっぺ。3人が話しているところへ父親が野菜を詰めた段ボールを運んで来る。持って帰れ。風評被害とかで沢山あるんだ。多すぎだべな。よかっぺこれくれえ。ま、汚染気にする人多いから。気にしねえよ全然。食いしん坊だから喜ぶよ。
紗千の職場。今日中にはデータ送れると思います。佐藤さん、運ぶの手伝ってもらえます? デスクで電話対応を終えた紗千に、ご発注したホワイトボードの入った段ボールの山を前にした篠田麻(藤原さくら)が声をかける。2人は段ボールを積み上げた台車を押す。以外と軽くないですか? 篠田は調子に乗って台車を押しながら廊下を駆け出す。篠田さん、何やってんの! 紗千が後を追う。
仕事帰り。紗千が保が講師として勤めるシュパース学習塾の前へ。スマートフォンで連絡を入れると、保が窓辺に現われ、微笑みながら紗千に手を振る。
紗千が司法試験の独学についてネットで調べながら友人に電話して相談する。ずっと1人で勉強してるんだよ。独学はつらいよ。ロースクールとか予備校とかじゃ勉強会作る人多い。保はそういうの苦手そうだな。紗千は得意なのにね。マラソンでも伴走する人がいると違うって言うでしょ。そうだよね。
ごめん、遅くなった。炒飯を炒める紗千に帰宅した保が声をかける。美味しそうだね。あのさ、私も、勉強してみようかな、保と一緒に。えっ?
2023年。東京家庭裁判所立川支部。37歳の弁護士・佐藤紗千(岸井ゆきの)は新人の弁護士とともに東海林明(中島歩)の離婚問題を担当する。最初っから結婚なんかしなきゃいいと愚痴る新人の言葉に紗千は自らの来し方が思い出された。2008年、大学4年生の紗千は珈琲研究会で一緒だった佐藤保(宮沢氷魚)と交際を始める。保は塾講師をしつつ予備試験ルートで司法試験合格を目指していた。2013年、独学する保を支えようと紗千が一念発起して司法試験の勉強を始め、2016年、紗千が先に合格を果たしてしまう。保は家事をこなしながら受験勉強を継続。紗千は司法修習中に妊娠が発覚、結婚しても苗字は変わらないと式を挙げず入籍する。紗千は2回試験の後に出産、地元の法律事務所でイソ弁となる。保は塾講師の仕事、家事、赤ん坊の福の世話をしながら司法試験に挑戦し続けるが合格に到らない。
(冒頭以外の内容についても言及する)
紗千は、50年連れ添った妻から離婚を突き付けられた菅井(ベンガル)を担当する。若い女性の弁護士である紗千に対し、菅井はいきなり、お宅、赤ん坊いるんだってなと切り出す。母親にほったらかしにされた子供が可哀想だと。菅井は、一言目には俺が食わせてやってる、すぐにかっとなって意見を聞かないという、相手方の主張通りの人物だった。実は、菅井と妻との関係は、紗千と保との関係とパラレルなのだ。
紗千は、かつて職場で一緒だった友人・篠田麻の離婚相談を受ける。夫・長谷川某(田村健太郎)の浮気が原因だった。「長谷川さんの奥さん」、「美紀ちゃんママ」と呼ばれるようになった麻は旧姓で職場復帰して経済的に自立を果たす。自分の足で立ってみて、麻は今すぐ離婚しなくていいかなとの感を抱くに到る。麻は紗千に指摘する。保は窓の隙間に閉じ込められてる虫みたいな気分で苦しいに違いない。紗千は鈍感なのだと。紗千は仮に離婚しても佐藤のままでいられるために、気付きを得られないのだと。
おそらくは法学部出身で司法試験の勉強を重ねてきた保は、法学未修者の紗千に3年で先を越されてしまったことにプライドを傷つけられている。かつては、犯罪の実行行為と結果との因果関係について相当因果関係説より危険の現実化説の方が論証しやすいなどと説明していたのだ。
紗千だけが珈琲研究会の仲間の結婚式に参加し、引き出物を保の分もあると持ち帰る。みんなで焙煎機を贈ったんだと言われ、保は聞いてないし支払ってないというと、紗千が建て替えたという。払うというが8000円と言われ、バイト代が出たらと言わざる得ない。そして「トイレットペーパーないよ」事件へ。後には、福が保育園で別の園児を怪我させてしまったときの対応。保は経緯を知りたいと保育士に頼む。後から駆け付けた紗千は相手方の連絡先を知らせて謝りたいと告げる。経緯が大事だという保つにみんな時間がないんだからと言い放つ紗千。無職のお前は時間があるから細かいことに拘るんだと言わんばかりだ。極めつきは司法試験願書の提出のいざこざで路上で騒ぎを起こし、交番で警察官(吉岡睦雄)に事情聴取を受ける場面では、職業を問われた保が無職と答えるのに対し、紗千が弁護士と答えると、逮捕されたわけじゃないからねと諭す。ところが紗千に弁護士バッジを見せられる。なるほど、なるほどと警察官は保と紗千を見比べる。格差が露骨に可視化される。保にとって針のむしろ以外の何物でもなかろう。
保が学者の書いた法律書(いわゆる「基本書」)を中心に勉強しているのに対し、紗千が(初学者だというのもあろうが)受験参考書を中心に読みこんでいるというのも2人の性格の違いを反映して芸が細かい。