展覧会『濱元祐佳「内なる怪物」』を鑑賞しての備忘録
KATSUYA SUSUKI GALLERYにて、2025年11月22日~12月7日。
ぬいぐるみをモティーフとした一見ポップな絵画で構成される、濱元祐佳の個展。描く際に自作したぬいぐるみも一部展示されている。
冒頭を飾るのは、白いレースの襟飾りのあるピンク色のドレスを身に付けたウサギが両腕に目を閉じた仔ウサギを抱える姿のぬいぐるみを描いた《Pieta》(1167mm×910mm)である。左上と右下の線を結ぶ対角線よりやや垂直気味に母ウサギの中心線、胸元に仰向けのよに描かれる仔ウサギの中心線はそれに対して直交しない中心線がくることで、仔ウサギの頭部が背後に力なく垂れ下がる様が表される。聖母マリアと降架後のキリストとを描く「ピエタ[Pietà]」を冠していることからすれば、目を瞑る仔ウサギは亡くなっているのだろう。手にして遊ぶことのできるぬいぐるみで表現しているせいもあろうが、母ウサギの左上方から見下ろす視点がユニークである。
《Rebirth》(727mm×910mm)にはフローリングに腰を突いて両脚を拡げて坐る女性のスカートの裾からウサギやクマなど7体のぬいぐるみが食み出す場面が描かれる。青のギンガムチェックの先にピンクの生地に白い小花を散らしたスカートを穿く女性の両膝と裸足の足先とを頂点にM字を作る。紫のウサギ、被り物のクマなど7体の種類やサイズの異なるぬいぐるみが裾の下から現れ出る。タイトルからも出産を模していることは明白だが、ぬいぐるみが表すものは何か。女性の衣装は白雪姫[Schneeweißchen]を連想させることから7人の小人に割り当てられた性格を象徴するのかもしれない。「内なる怪物」という不穏な展覧会タイトルからすれば、7つの大罪のメタファーとも解される。
表題作《内なる怪物》(410mm×410mm)は、黒地に白い花をプリントした壁紙のような背景に俯せになった6本の肢を持つ茶色いに黒い斑点のあるクマのぬいぐるみを描いた作品。頭は右上に向けられている。対となる作品《母なる亡霊》(410mm×410mm)では、クリーム色の生地に黒い花をプリントした背景に6本の肢を持つ薄茶色に黒い斑点を持つクマのぬいぐるみが描かれる。頭部は左上に向けられている。傍にはそれぞれの作品のモデルとなるぬいぐるみ《Monster》(100mm×340mm×320mm)・《Monster ver.2》(100mm×340mm×320mm)が置かれる。肢が多く俯せのためネコバスのぬいぐるみを彷彿とさせる。さらに沢山のクマのぬいぐるみがプリントされた布による8本肢で4つの眼を持つクマのぬいぐるみ《MOTHER》(220mm×310mm×310mm)から、クマとクモとに母親が重ねられていることが分かる。とりわけクモと母親の結び付きはルイーズ・ブルジョワ[Louise Bourgeois]の巨大なクモの彫刻《ママン[Maman]》を想起させる。「内なる怪物」とは「母なる亡霊」、すなわち母なる怪物がいつの間にか屋内に巣くうクモに仮託されているのである。
フロイト理論から母と娘の関係を読み解いた卓抜な著作が、竹村和子の『愛について』〔2002〕である。赤ん坊は性別を問わず、母と密着した依存関係にある。そこに去勢恐怖でくさびを打ちこむのが父親の役割である。だが、もともとペニスのない女児を去勢することはできない。というより、女児は母の胎内にペニスを置いてきたことで、生まれながらにして去勢されているのだ。女児は男児同様、母親を第一次的な愛着の対象とするが、男児のように父親と同一化することをつうじて、母親(のような女)を欲望の対象とすることができない。女児は母を愛してはならないだけでなく、母と同じ性(つまり自分自身の性別)に属する対象をも愛してはならない。かくして女児の愛の対象喪失は男児よりも根源的なものとなり、その喪失を忘れようと喪失の対象を体内化しようとする。それが、メランコリー、すなわち抑鬱状態である。「メランコリーは、愛した対象を忘れ去る操作である。」だから「母との愛を禁じられ、それを忘却せざるをえない」娘にとって、母のようであること、すなわち女性性とは、それ自体が「メランコリック(抑鬱的)」なのだ〔竹村2002:174-6〕。そう言われれば、「女らしさ」のアイテムである「ひかえめさ」とか「おくゆかしさ」とかは、なんとメランコリーと似ていることだろう。いいかえれば、自分の欲望を自覚することも、達成することもあらかじめ阻まれている存在が、「女というもの」なのだ。だとすれば、女であることは、なんとわりに合わないことだろうか。(上野千鶴子『女ぎらい―ニッポンのミソジニー』紀伊國屋書店/2010/p.148-149)
《Libido》(455mm×530mm)は、赤、ピンク、水色、山吹、黄緑のストライプを背景にデニムのパンツを穿いた女性の下腹部辺りを描いた作品で、ファスナーの間からクマのぬいぐるみが顔を覗かせている。欲望ないし去勢されたペニスがクマに擬えられている。「女児の愛の対象喪失は男児よりも根源的なものとなり、その喪失を忘れようと喪失の対象を体内化しようとする」。その「内なる怪物」が顔を覗かせているとも解釈できよう。