可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『共鳴―椿絵コレクション×現在の作家たち』

展覧会『UNPEL GALLERY開廊5周年記念展 共鳴―椿絵コレクション×現在の作家たち』を鑑賞しての備忘録
UNPEL GALLERYにて、2025年11月29日~12月24日。

作家が「あいおいニッセイ同和損保 椿絵コレクション」から剪定した1点とそれに着想して制作した絵画とを併せて展観する企画。

竹久夢二《舞妓》は咲き誇る椿の着物を纏う舞妓の立ち姿を左斜め後ろから描いた作品。垂らした帯に隠れされて椿の赤い花は7輪ほどが縦に連なり、赤い襟から赤い裾へと視線を誘導する。すると右足が前に出ていて、彼女は歩を進めていることが分かる。通り過ぎた彼女が振り返ったのだ。宮下舞香《凛》は和服の女性の立ち姿を描く。夢二の左向きの舞妓に対し、右向きで左足を前に出す。椿の柄が裾に配された着物は周囲に融けていくように暈かされている。対照的に白い横顔はシャープで、凜とした雰囲気を醸し出す。彼女は椿を1輪、右耳近くの髪に挿すが、彼女の着物に見える種の椿ではなく、夢二の舞妓の着物の椿である。屏風の虎ではない――虎は画面外に出て来はしない――が絵画の椿を取り出してみせたかのようだ。
堀文子《椿の図》は椿を華やかに挿した籐(?)の編み籠を描いた作品。6輪の斑入りの椿が互いに向きを違えて開く。朱の花や開ききっていない花、蕾なども配される。籠の周囲には散った椿が落ちている。凝った細工の籠も地味ながら華やかな椿に負けていない。竹内唯可《うつろう》は幹から左に向かって伸びる枝に付いた斑入りの椿を表した作品。切り花に対して樹状で咲く花、屋内に対して屋外、縦方向に対して横方向など、同じ斑入りの椿をモティーフにしつつ対照的な構成が試みられている。《椿の図》の咲き誇る花と落ちた花弁とに、「花の色はうつりにけりな」を読み込んだのであろう。横方向は時の流れ、うつろいの可視化と言えよう。
堅山南風《古代壺と花》は水鳥が描かれた耳付きの壺に活けられた椿を描いた作品。壺の脇には「生きる化石」オウムガイの貝殻が添えられている。古代壺やオウムガイを頭蓋骨の代替として、その椿との取り合わせは、メメント・モリ[Memento mori]のヴァニタスに通じよう。北川由希恵《散り集う》は道端に落ちて溜まった椿の花を描く。上下に配された縁石らしき石ないし木は箱のイメージを形作る。落ちた椿の花は伝世品である古代壺に重ねているのだろう。変色し朽ちゆく花の姿は九相図的でもある。やはり《古代壺と花》にメメント・モリを読み取ったのであろう。
香月泰男《白椿》は黄土色の画面の上部を黒く塗り潰し、下部に1輪の白い椿を配した作品。亀川果野《なぞりいのる頃》は香月に倣う黄土色の画面を用意し、その上半分に椿の枝葉を黒で表した作品。咲き誇る椿を全て切り落としてしまったのだ。香月の《白椿》一輪だけに仕立てるために。すなわち「利休の朝顔」である。土田翔《Segment》は簀の子のように7枚の短冊を並べた画面に白い椿を表した作品。香月の1輪の白椿の隔離に代えて、断片化した世界を表す。切り分けられた世界とは、2進法で表されるデジタル化された世界の謂でもある。黒と白とは0と1とのメタファーだ。だがその画面は凸凹として、なおかつ金箔が置かれる。アナログの連続した世界へと繋ぎ合わせる意志が明白である。川端もくは《杉並区松庵一丁目》は住宅街にある白椿の樹を描いた作品。電柱は見えないが、電信を支えるワイヤー(の黄色いカヴァー)とともに多数の白い花を咲かせた椿の樹が画面一杯に配される。路面には椿の花が落ち、樹の周囲は香月の作品を倣って闇に融かす。香月の下段の白椿から上段の闇へという構造を、近隣の民家の椿をモティーフに足元から世界へと視野を拡げている。道路を川、ワイヤーのカヴァーを稲妻、稲妻の先の渦を龍と見立て、横山大観の《生々流転》のアナロジーを見出すことも不可能ではない。
前田青邨《椿》は高台のある青磁の壺に活けた椿の花を画面中央に余白を広くとって表した作品。中嶋純花《花は落ちても》は花瓶に活けた白い椿と傍らに落ちた椿とを描く。白、朱、青、緑、茶などのパッチワークのようなデザインの壺に5輪ほど椿が活けられている。その傍らに1輪の椿が落ちている。壺の置かれているのは15輪の白い椿が5段に組まれた壁である。現在を成り立たせる過去の厚みを表現することで、青邨の余白を時間的拡がりに変換している。
村上華岳《椿花図》はたらし込みにより画面一杯に椿の花と葉とを表した作品。花弁が重なる八重の花が印象的である。勝又優《庭より―椿―》は、華岳の横長の画面に対して縦長の画面を採用し、やはり八重咲きの椿を画面一杯に表す。但し鬱蒼としたイメージを避け軽やかに演出している。
熊谷守一《春の日》は緑の画面に、5輪の椿を配した作品。潰れた円の花弁と、四角と楕円との雄蕊により抽象化された椿である。伊藤歩生《うららかな日》はタイトルに反して暗い画面に椿の樹を表した作品。右上に向かってやや彎曲して伸びる幹に付いた花と葉とを胡粉で盛り上げた輪郭線を用いてレリーフのような印象を生む。画面中央附近、2輪の椿の花の間に青空が覗く。うららかな陽射しを遮る鬱蒼とした椿の樹の旺盛な生命力をこそ表すのである。
尾形乾山《色絵椿四方向付》は葉を表すと思しい緑の中に数輪の大きな白い椿の花を配した四方向付。見込みだけでなく周囲にも同様の図柄がデザインされている。秋葉麻由子《散椿夢想図》は、角を取った方形の画面により四方向付の見込みの形を写し、大小11輪の白い椿の花とともに角張った人物の姿を配する。花の周囲には微かに波が立つような表現が施され、画面を水面としている。乾山の向付に池に散った椿を見出した作家は、白い椿とともに水に揺蕩っているのだ。