映画『世界一不運なお針子の人生最悪な1日』を鑑賞しての備忘録
2024年、アメリカ・スイス合作。
100分。
監督・編集は、フレディ・マクドナルド[Freddy Macdonald]。
脚本は、フレディ・マクドナルド[Freddy Macdonald]とフレッド・マクドナルド[Fred Macdonald]。
撮影は、セバスチャン・クリンガー[Sebastian Klinger]。
美術・衣装は、ビビアン・ラップ[Viviane Rapp]。
音楽は、ジェイコブ・ターディン[Jacob Tardien]。
原題は、"Sew Torn"。
未舗装の山道に斃れた若い女。椅子に手錠で繋がれ腹から血を流し事切れた若い女。炎に包まれた店の床に横たわる若い女。
なぜこんなことになったのか理由を話したら、貧しく孤独な私を憐れんでくれるだろうか。私の行動を正当化してくれるだろうか。孤立し窮地に追いやられていたからと共感を示すかもしれないし、単に道徳心に欠けていたと思うかもしれない。選択。選択。選択。
バーバラ・ダゲン(Eve Connolly)がベッドで目を覚ます。天井には母親(Petra Wright)と幼いバーバラの写真を刺繍した布がいくつか垂れ差下がり、それぞれから紐が垂れている。紐を引くと録音が再生される。…おはよう、起きなさい。あと5分。すぐ起きて…。バーバラが起き上がる。トイレで用を足す。天井の刺繍から垂れる紐を引く。…済んだの? 済んだ。手を洗って…。目玉焼きを作りながら音声を聞く。…お腹空いた。分かったわ。お客様がお待ちかねね…。手にしたフライパンから直接食べながら、カリビアンブルーを基調にした内装の刺繍店に降りる。…約束して、何があっても幸せになるのよ。約束する。この店を守るのよ、いい?…。閉店から開店へ入口のプレートをひっくり返す。バーバラは様々な色やサイズの糸、店の袋を段ボールに梱包していく。壁に飾られた話す肖像の額も外して仕舞う。紐を引っ張ってしまったためか箱の中から音声が流れ出す。…話す肖像はミシンで刺繍されています。録音した音声が流れるの。ここダゲンで作っています…。慌てて額を取り出し音声を止める。バーバラの目から涙が零れる。ぼんやりカウンターにいると携帯電話が鳴る。グレース・ベスラーだ。慌てて帳面を繰ると空白ばかりのカレンダーに今日午後2時の予約が入っていた。バーバラは店を慌てて店を閉め、バックドアに巨大な糸巻きの看板のあるカリビアンブルーのフィアット500に乗り込む。集落の通りからヘアピンカーヴの山道を抜け、渓谷にかかる大きな橋を渡って、グレースの家へ。遅い! グレース・ベスラー(Caroline Goodall)が窓から顔を出して叫んだ。
バーバラがグレースのウェディングドレスのボタンを縫い付ける。この調子じゃ自分の結婚式に遅れちゃうわ。亡くなった母親ならとっくに仕上げてたのにね。馬鹿げた車よね。何故あんあ車に乗ってるの? 理解出来ないわ。母親は頼りになったけどね。店を潰したり幽霊と暮らしたりはしなかったもの。覚えてるわとグレースが裁縫箱を開けると、刺繍の時間と母親の音声が流れる。バーバラが咄嗟に音声を止めようとして針をグレースの首に刺してしまう。留めようとしていたボタンが床ガラリに転がる。汚れたボタンに金を出さなきゃならないわけね。バーバラは思わず床ガラリの中にボタンを落とす。グレースは呆気に取られる。ダメよ! …店に予備がありますから、予約をキャンセルして…。他に予約なんてないでしょ! さっさとボタンを取りに戻るんだよ、この馬鹿娘が! ボタンがなきゃ鐚一文支払わないよ! バーバラが車に乗り込み、来た道を引き返す。
スイスの山間にある村。バーバラ・ダゲン(Eve Connolly)は母親(Petra Wright)から受け継いだダゲン刺繍店の経営に失敗し店を畳むつもりだった。妻へのプレゼントのために刺繍を習いに来る老人オスカー(Ron Cook)以外に来店者もなく、グレース・ベスラー(Caroline Goodall)の電話でウェディングドレスの縫い付けを頼まれていたことを思い出す。グレースは当日、メルヴィン(Werner Biermeier)との結婚式をエンゲル女史(K. Callan)の公証役場で挙げることになっていた。式に遅れると憤慨するグレースに母親と比べられ貶されたバーバラはボタンを床ガラリの中に落としてしまう。予備のボタンを取りに戻ると、山中の道路で2台のバイクが転倒し、若い男(Calum Worthy)とヘルメットを被った男(Thomas Douglas)とが深手を負って倒れ、近くに薬物と思しき粉末、手錠付きのブリーフケースが落ちていた。バーバラの脳裡に一瞬、通報するか、通り過ぎるか、それとも一か八かブリーフケースを奪うかの選択肢が浮かぶ。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
バーバラは、自死した母親の遺命で、母のダゲン刺繍店を受け継いだ。紐を引くと音声が流れる肖像刺繍で、母と幼い自分の姿とその会話を聴くことで孤独な日々を慰める。天井の肖像刺繍から垂れ下がる無数の紐はバーバラを絡め取った蜘蛛の巣のようで、バーバラが亡き母親に呪縛されていることが示される。
頼ることのできる身寄りがなく孤独な耐乏生活を送るバーバラは、違法薬物の売買のトラブルで起きた事故現場に通り掛かる。バーバラはスーツケースの金の横取りを思い付く。バーバラは直接手を下さず、刺繍糸を用いて、犯罪者同士が滅ばし合うルーブ・ゴールドバーグ・マシンを即座に仕立てる。だがそのトリックには何処か綻びがある。バーバラは綻びを繕うためにさらなるトリックを仕立てる深みに嵌まる。
バーバラは蜘蛛のように糸を張る。バーバラのゴールドバーグ・マシン的仕掛けがどのように作動するかにワクワクさせられる。糸の張るキリキリとした音は緊張感が高めると共に、バーバラの追い込まれた精神状態をも表現している。この演出が何より本作をユニークにしている。
終盤で"The Sewing Machine"――本作品の中で流れるせいもあろうが、この歌自体、精神的に追い込まれたような畳み掛ける歌い方が耳に残る――に併せ踊るバーバラが印象的である。糸で操られる人形が操られるフリをしつつ、逆に人形師を逆に操ってみせようとする、その偽装のための踊りである。