可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 安亜沙展個展(2025)

展覧会『安亜沙展』を鑑賞しての備忘録
Oギャラリーにて、2025年12月22日~28日。

自己や人間をいかに認識するかについて、人間の似姿である人形を主たるモティーフに鏡像やゴーレムなどを含め考察する、安亜沙の個展。

《W_cut》は、頭部、両腕、両脚のないボディ(洋裁用トルソー)の胸と腹に貼られた2枚の写真。いずれの写真も縁飾り付きの円形の鏡にV字のオブジェを立て掛け、オブジェが鏡像とともにWを形作るイメージで、上はカラー、下はモノクロである。写真同様、2枚は鏡像よろしく写し(コピー)であり、なおかつ鏡像の左右反転像という異質性をカラーとモノクロームとの差異で代替するのであろう。《W_action》は、《W_cut》の黄味(色味)し上下に台紙に貼り合せ、2枚の写真の間に「A]、「C」、「ション」と切り離した文字を貼り付けた作品。
ドールハウス》は、直径40、50cmの縁飾りのある円形の鏡に高さ70cmほどの木製の三脚を立て、布製の人形を糸で逆さ吊りにした作品。鏡面には人形の立像が現われる。《人形制作 1》には、《ドールハウス》の人形のようなシンプルな人の形の中に、入れ籠に人の姿が表される。鼠蹊部にジッパー、頚の部分に水平に線が入れられ、両端に円形のモティーフが描かれる。人形の周囲を植物やハートマークなどが飾る。《人形制作 2》に表されるのは、お祓いで用いられる紙製の人形(ひとがた)に近い。頚には布を被せて括ったようなギザギザがあり、てるてる坊主を連想させる。
《ゴーレム》は横たわる泥人形を描いた油彩作品。ヘブライ語で真理を意味し、泥人形ゴーレムに命を与える"emeth"の字を記した上で、"e"を消去し、死を表す"meth"に変じさせゴーレムを土に還す。故に泥人形は横たわる。
オルフェウスの首》は灰色の背景に割れたワイングラスを描き、オルフェウス[Orpheus]のイメージを貼り付けた油彩画。オルフェウスは妻を連れ戻そうと冥府に向かう。死者の国と生者の国とは鏡像関係に立つことから、いわば鏡の国と言えよう。
《赤ワイン》は、植物文様の絨毯のイメージに異なる花々が1ヵ所に咲く植物図譜のイメージを重ね、さらに花とその周囲に心臓、肺、肝臓、胃、腸のモノクロームのイメージを貼り付けた作品。引用される植物画には一所に異種の花々が咲くが自然にはあり得ず、様々な場所から切り離された花を取り合わせたものである。切り離し(分析)と結び合わせ(総合)という近代科学の基本的な技術を象徴する。自然を機械と見る眼差しは人間(の身体)にも向け向けられる。臓器など身体部位を解析し、統合すれば、人造人間の夢が叶う。それを実際に実現したのが、メアリー・シェリー[Mary Shelley]の小説『フランケンシュタイン[Frankenstein]』に登場する、ヴィクター・フランケンシュタインである。
《解剖不能》と《分析不能》は、皮剝や身体イメージの断片、文献からの引用を始め、作家の創作メモやスケッチで構成される。

人は自らの顔を直接(肉眼で)見ることが叶わない、自らのイメージを把握するためには鏡を始め映(写)したものを用いる他無い。"V"、すなわち生命[仏語vie]は、映像ないし写像のVとセットで存在すると言え、それが"W[double-v]"である。人形[double]の存在は人間にとって不可避なのである。ところが『フランケンシュタイン』においてヴィクター・フランケンシュタインで自ら制作した「人間」――作中では「怪物[Monster]」と言い表される。"W"≒人間が反転した"M"≒怪物――に脅かされるように、人類は思考をアウトソーシングしたAIという自らの似姿[double]に脅威と受け止める。すなわち人間"V"の生命[vie]は人形"V"との競争[英語vie]へと転じてしまったのである。

 人工知能について騒がれる昨今であるが、それと同時に人間の固有性を皆が躍起になって議論している。その表向きの理由は「自分達の仕事が奪われるかもしれないから」というものだが、本音は人間の存在を揺るがされているからだろう。我々の存在を強固にするためにあった人形が、我々を凌駕してきたのである。左様に我々を脅かす人工知能ではあるが、人間の固有性を更新する転機になるかもしれない。人間と人形の弁証法
(本展ステートメントより)

作家は、人間を理解しようと努め、近代科学の常套手段である解剖(分析)により遂行する。それがイメージの切断である。恰もヴィクター・フランケンシュタインが自ら生命を創造すべく生命の謎を解き明かそうと死体を切り刻んだようにである。だが作家は、ヴィクターのようには、近代科学の万能性を信じない。人は自らの顔を直接を見ることが叶わないという、人間の限られた認識能力に対する諦観があるからである。故に「解剖不能」ないし「分析不能」と宣言するのである。

 しかし私としてはこの人形との半永久なる戦争をご免こうむりたい。私は人間と人形の相互関係を破壊して一方的な関係にしてしまう。つまりあらゆる存在は幻想だということにさせていただきたい。
「そこで私はより良い方法を提唱する。それはこの世は人形の夢だという説」
(本展ステートメントより)

作家は、ルイス・キャロル[Lewis Carroll]の『鏡の国のアリス[Through the Looking-Glass, and What Alice Found There])を援用する。鏡の中で出会う想像上の怪物ユニコーンとの出会いのエピソードから、ユニコーンが実在するときアリスは想像上の存在へと反転するとの理路を採用するのである。宙吊りにしたのは人形ではない。人形によって宙吊りにされたのだ。だから《ドールハウス》の鏡を覗き込む「私」は鏡の中で宙吊りにされる。逆さ吊りの人間を人形が見ている。世界は人形の見る夢へと反転する。