可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ボディビルダー』

映画『ボディビルダー』を鑑賞しての備忘録
2023年、アメリカ製作。
123分。
監督・脚本は、イライジャ・バイナム[Elijah Bynum]。
撮影は、アダム・アーカポー[Adam Arkapaw]。
美術は、フレイヤ・バーデル[Freyja Bardell]。
衣装は、ベックス・クロフトン=アトキンス[Bex Crofton-Atkins]。
編集は、ジョン・オタズア[Jon Otazua]。
音楽は、ジェイソン・ヒル[Jason Hill]。
原題は、"Magazine Dreams"。

 

ボディービルダーのキリアン・マドックス(Jonathan Majors)がステージ上に立ちポーズを決める。照明は煌々とキリアンを照らすが、キリアンの他に誰の姿もない。
キリアンが自宅のガレージのシャッターを上げ、照明を点ける。鏡に向かいボディービルのポーズを取る。
今晩セヴンイレヴンで発生した連続強盗事件で2人が死亡、3人が負傷しました…。テレビでニュース番組が流れる。キリアンは祖父ウィリアム・ラティモア(Harrison Page)の体を拭く。キリアンはテレビのニュースを見ながら卵だらけの食事をとる。自室には壁中にボディビルダーのポスターが貼ってある。プロテインを摂取しながらポルノを見る。
キリアンがパトリシア・ウォルドロン(Harriet Sansom Harris)と面談する。州はセッションをセラピストとの面談を義務付けています。あなたの攻撃的な性格を懸念しているからです。他者に危害を加えないか、祖父の面倒を看ることが未だ可能なのかを確認したいのです。入院中に暴力発作を起こし看護師に大声で怒鳴り脅迫したそうですね。暴力発作のことは知らない。看護師に頭をかち割って脳味噌を飲んでやると看護師に伝えましたか? 人に触られるのが嫌なんだ。悪夢を見ますか? 偏頭痛と悪夢に悩まされるとのことですが。母親の声が聞えたり、誰かが話しかけてくることがあるそうですね。何のことか分からない。ルービン医師に自分の考えが恐ろしくなると伝えましたね? その件で話したいことはありますか? 食料品を買うのに10km運転するんだ。近くに店が無いから。そのせいで怒るのですか? ジャンクフードじゃ寿命が縮む。奴らの狙いだろう。奴らって? 
キリアンは自室で子供向けのプラスティックケースにしまったステロイド剤を取り出し注射する。
ジムでキリアンは1人イヤホンを着けて懸垂する。1回1回怒りを吐き出すように叫ぶ。トレーナーに励まされバーベルを持ち上げる利用者。キリアンは誰とも接すること無くが1人ジムを後にする。
ステーキを焼く。テレビのニュースを流しながらキリアンが父親と食事を取る。自室でボディビルダーのブラッド・ヴァンダーホーン(Mike O'Hearn)のポスターを眺めながらポーズを取る。ノートに手紙を書き付ける。
ブラッド様。キリアンです。以前にも手紙を差し上げたのですが返信がありません。山ほどファンレターが届いているので私のものは目に入っていないのでしょう。念のため電話番号を記しておきます。トレーニング、食事など何についてでも構いません。雑誌の表紙を見ました。今までで一番です。尊敬しています。あなたのポスターを貼って毎日眺めています。いつかあなたのような体を手に入れるために努力します。返信か電話をお待ちしています。あなたの一番のファン、キリアン・マドックス。
プロテインを飲みながらポルノを見る。枕元のテレビは砂嵐。ベッドでキリアンが眠りこける。
ボディビルの大会。筋肉美を誇る男女が集い、それぞれ準備を進める。キリアンがトイレの個室から出て洗面台に嘔吐する。鏡に向かって無理矢理笑顔を作る。
キリアンを含め6人がステージ上に上がる。…サイドチェスト。力を抜いて。バックラットスプレッド…。…21番と7番は入れ替わって…。審査員の指示に従ってポーズをとり、立ち位置を交替する。キリアンは隣の出場者と肘がぶつかる。睨み合う。諸君、ありがとう。会場に向かって手を挙げる出場者たち。
スーパーマーケットの食肉売り場。キリアンが隣に立つと女性が怯えたようになる。悪いね。イヤホンをしたキリアンが女性に声をかける。キリアンが店員に鶏の胸肉を1.4kg頼む。キリアンはカートを押して輝く笑顔のジェシー(Haley Bennett)のいるレジに向かう。

 

キリアン・マドックス(Jonathan Majors)はスーパーマーケットで働きながら要介護者のヴェトナム帰還兵の祖父ウィリアム・ラティモア(Harrison Page)の世話をする傍ら、プロのボディビルダーを目指して1人でトレーニングに励む。2016年に出場した大会で審査員に三角筋が小さいと指摘されて以来、三角筋の増強には一際力を入れている。ボディービル界のスターであるブラッド・ヴァンダーホーン(Mike O'Hearn)のポスターや映像を眺めて意識を高め、のみならず、一番のファンと称して手紙を送り、ブラッドからの返信を待ち望んでいる。スーパーの同僚であるジェシー(Haley Bennett)に惚れているが、買い物してレジに並び挨拶を交わすことくらいしかできない。ポルノで自らを慰めるばかりだ。キリアンは他人に体を触れられることを極度に恐れ、病院で看護師に怒声を浴びせ威嚇したため、パトリシア・ウォルドロン(Harriet Sansom Harris)のセラピーを受けていた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

キリアンの姿は暗い自宅、自室、ガレージを始め闇の中に表わされる。キリアンは照明に浮かび上がるときも周囲は暗い。ジムの廊下を1人歩く後ろ姿が象徴するようにキリアンの孤独が強く印象づけられる。
プロのボディービルダーとして雑誌の表紙を飾り、人々から認知されたいという強い欲求がある。そのために苦しいトレーニングに耐えている。
キリアンは両親を亡くしており――その経緯自体がキリアンに大きな影を落としている――、祖父の介護の必要から時間や行動を制約されている。そのために着ける職種も限られているのだろう。祖父はヴェトナム帰還兵であり、そのことが未だ何者でもないキリアンにとって唯一の誇りである。その祖父を蔑ろにするようなことは何があっても許せない。普段は温厚な――そのように努めている――キリアンは孤独による鬱屈から怒りを一気に爆発させてしまう。キリアンの常軌を逸した行動によって、余計に周囲の者を寄せ付けなくなってしまう。
典型的なのは、折角こぎつけたジェシーとの会食で、キリアンは自分のことばかり捲し立てて雰囲気を壊し、ジェシーを怯えさせ逃げられてしまう場面だ。トイレに立ったジェシーは食事が並んでも戻ってこない。店員(Andrea Figliomeni)からお連れ様は家族の急用で10分ほど前に帰られましたと告げられると、キリアンはそうだった、そう言っていたと取り繕う。無論、何も取り繕えていない。それでもその虚飾を構築せずにはキリアンは耐えられないのだ。
セラピストのパトリシアは何とかキリアンの心を開かせようとするが、キリアンは常に心を閉ざしてしまう。恐らくパトリシアの熱意は伝わっている。だが自分に目を掛けてくれる人だからこそ、余計に自分をよく見せたいと思ってしまう。よく見せなければ消え去られてしまうのではないかと恐怖するのだ。ここには両親が消えてしまったトラウマが大きく作用している。性交渉の相手(Taylour Paige)の前で下着を脱げないのも象徴的だ。三角筋のような筋肉と異なり男性器はトレーニングで増強できない部位である。キリアンは虚勢を張れないのである。
キリアンが陥る負のスパイラル。絶望するキリアンに降ろされた蜘蛛の糸。吉兆からの更なる展開にも呻らされる。
辛くても作る笑顔。ボディービルというモティーフはキリアンの状況のメタファーとして見事に機能している。
SNSに絡め取られた世界で承認欲求に囚われた個人の姿のデフォルメ――増強された姿――がキリアンである。キリアンは他人ではない。