展覧会『折笠鈴「そんな人、あなたの何も壊してくれない」』を鑑賞しての備忘録
銀座 蔦屋書店〔インフォメーションカウンター前〕にて、2025年12月27日~2026年1月16日。
折笠鈴の絵画展。
表題作《そんな人、あなたの何も壊してくれない》(728mm×515mm)は、観葉植物あるいは庭木などのある屋内ないし庭を描いた作品。白い壁と黒い天井(?)の境や淡いモスグリーンの敷地(?)の境界を思わせる直線が画面の上下に走る。「天井」の黒や「敷地」のモスグリーンの絵具はじわじわと垂れる。白い空間にはガラス戸、ドア、テーブル、観賞植物、スロープなどが素早く敢て粗略に表わされる。ドアの蔭には人物が立つようだ。黄緑や山吹色などの絵具の塊がいくつか舞い落ちるように画面に散らされる。落葉ではない。過ぎゆく時間の表象のようでも、崩れ去る世界の象徴のようでもある。目を惹くのは、画面下部で「敷地」を横切る赤い直線である。画題からすれば、防衛ラインなのかもしれない。その線の内側に留まる限りは永遠に傍観者であるしかない。
表題作に近いイメージの作品が《逆に私を選んだという証拠》(410mm×318mm)である。左下に金網フェンスのようなものがあり、その右手には木製の箪笥らしきものがあるその背後(上部)には黒い窓(?)、さらに灰色の天井(?)へと続く。ところどころ観葉植物を思わせる黄緑などが配される。窓の上部には、英題であろうか、赤い文字が記されている。
《避けのターンというか避けのターン》(450mm×530mm)は本あるいは雑誌を手にする女性の姿を描いたと思しき作品。中央の画面を挟む上下の紫色を縦に刷いた帯状の画面は黒い線ではっきりと中央の画面と区別される。主たる画面には黒い背景に書籍か雑誌(向かって左側の白い部分と、右側の3人の人物が集う(?)部分とで構成)を構える左手・右手とそのために半ば隠された女性の頭部とが白や灰色で表わされる。左手は下部の紫の帯に手首が表わされている(ように見える)。その脇に茶色で何か文字が記されているが判然としない。画面全面に灰色(白と黒)との絵具の塊が散らされる。
《まだ寝たふりをしている》(180mm×140mm) は、黒い画面に胴体と拡げた両腕をT字状に白で平板に表わし、クリーム色の絵具を盛り付け頭部とした、磔刑図的印象の作品。頭部には灰色・黒色でで蔭が、胴や腕には紫色の蔭が入れられる。仮に磔刑図であるなら画題は「復活」の暗示であろう。だが展覧会タイトルから勘案すれば、はじめの一歩を踏み出せない臆病な存在を揶揄するのかもしれない。
《名前が一緒だからっておんなじにしていいの?》(333mm×242mm)は、黄緑の画面に朱を横に刷いて縞状にした背景に、黒いテーブルのような台形が覗き、その前に僅かにピンクがかった白などで女性の立像(膝辺りまで)を表わした作品。頭部や首元辺りは青、黒、ピンク、黄緑などで顔や衣装を大雑把に描く。全面に作品の英題を書き入れてある。曖昧な肖像画は個性の喪失を表わすようだ。
《私を見てくれる?》(300mm×300mm)は女性の頭像。頭部は画面右側に寄せられ、画面下部には肩が覗く。ペールオレンジの顔には横の描線で目を、縦の線と黒い影で鼻を、横方向の朱で唇を表わすが模糊として表情は摑めない。頭髪も焦茶や茶を中心に縦方向の描線が大雑把に配されるのみである。首の辺りに黄緑の弧がいくつか描き入れられている。右側の背景は横方向に刷いた黒であるのに対し、左側の背景は罅割れ落剥しかけたような灰色である。「私」は揺らいでいる。
《誰が悪いのか決めよう》(650mm×500mm)は、青空を背に1本のヤシの木の立つ丘を描いた作品。荒々しい筆致で草が所々に映える丘があり、ヤシの木が左側に風吹かれて立つ。丘の先には木立が見えるがヤシの木ではなさそうだ。画面の上半分は横方向に青と白を刷いた空である。特徴的なのは、その空の中に描かれた矩形の画中画である。画中画には人の姿が表されているようだ。滲み垂れる空や丘の絵具、画中画にまたがり配される絵具の塊などにより表現される確かな基盤のない世界において、問題は安易に私では無い誰か他の人という仮想の敵の責任に仕立ててしまう。画題からすれば、そのような陰謀論に染まる社会を暗示する絵画に思われる。