展覧会『人々を援け寄り添う神と仏―道釈人物画の世界―』
大倉集古館にて、2025年11月22日~2026年1月18日。
七福神(恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天)や三星(福星・禄星・寿星)、鍾馗や関羽、達磨や寒山拾得、普賢菩薩や文殊菩薩といった道釈人物画を展観。ユニークな作品が集まり、道釈人物画に対する関心を駆り立てられる好企画。
島野春彰《七福神図》[1-1]には、弁財天が立って拡げる仙山(黄山?)の掛軸を恵比寿や大黒天らが取り囲み眺める場面が表わされる。大きな袋を背に後ろ姿を見せる布袋は山のようだと気付くと、被った頭巾により三角形のようなシルエットの寿老人も山に見えて来る。七福神自身が黄山を模す趣向であろう。
小泉斐の三幅対《七福神図》[1-2]は洲浜と会場の岩に七福神と目出度いもの尽くし。左の画面には上方に富士が聳え、下端に洲浜の布袋や毘沙門天が蓑亀や白鹿とともに表わされる。中央の画面には会場に奇岩が聳え、弁財天が童女2人とともに坐る。国学者は弁財天を宗像三女神に比したことの反映という。浜辺には寿老人らがいる。右側には岩壁がそそり立ち松が幹と枝を覗かせる。鯛を手にした恵比寿が大黒と言葉を交わす。
渡辺崋山《福禄寿図》[1-7]は、左下に鹿、中央上に蝙蝠、右下に松の枝を配した作品。鹿は音読み「ロク」で禄星に、蝙蝠は蝠の音読みが「フク」で福星に、松の枝は松樹で樹の音読み「ジュ」に寿星に、それぞれ結び付けられる。鹿の背、翼を拡げた蝙蝠、松の枝が"M"ないし"W"状の線を共通して持つ。
中村芳中《寿老人図扇面》[1-8]は坐る鹿に寄り掛かる寿老人をたらし込みを用いて表わした扇型の絵画。寿老人が赤い団扇で顔を隠している姿が印象的である。
《大黒天画賛》[1-16]は岡熊嶽の原画を浮田重善が線ではなく「南無阿弥陀仏」の文字で表わした作品。
作者不詳《蛭子図》[1-20]に鯛を持つ恵比寿が描かれているのは、イザナキとイザナミとの不具の子ヒルコが葦船に入れられ流された先で恵比寿となったとの伝承があるからという。
木村斯光《大黒天図》(1924)[1-21]は古代中国の衣装を纏った男が大きな袋を背負い地面を引き摺り歩く姿を表す。黒いブーツを履き、靴の上には一部緑が着彩されている。サンタクロースのイメージに近い。明治初年にクリスマスが日本に伝わり、1900年には絵本「さんたくろう」が発刊されたという。クリスマスが定着した背景には、12月25日が「大正天皇祭」とされたことも一因らしい。
張月樵《関羽と周倉図》[1-24]は赤い椅子にどっしりと坐る赤ら顔の関羽とその背後に立つ周倉とを描く。関羽は火の属性を持ち南方を守ることから赤がシンボルカラーであり、財富の象徴へと繋がった。本作ではくっきー!を想起させる屈強な野性味のある周倉の顔にインパクトがある。
白隠慧鶴《鍾馗図》[1-29]は横向きの立ち姿の鍾馗。鍾馗の図像は勝機に通じると武家の子息の成長を願う端午の節句に飾られた。太い筆で描かれた衣装とともに、ぎょろりとした大きな目玉が印象深い。
仙厓義梵《鍾馗図》[1-30]の鍾馗は、右足を上げて右手で剣を振るうが、左手で捕まえた鬼や目の前の鬼ではなく明後日の方向を向き、戯画的でコミカルな印象。いたずらっ子のような鬼たちに仙厓の思いが偲ばれる。近藤勝信《鍾馗蜘蛛之糸見立図》[1-28]に3匹の鬼たちに垂らされる蜘蛛の糸にも同様の思想が流れいるようだ。
呉春の《朱描鍾馗図》[1-31]は赤い像。所謂「疱瘡絵」である。
山崎女龍《見立普賢菩薩図》[2-3]は謡曲『江口』に基づく。白象に乗る実は普賢菩薩である遊女・江口の君とその傍らに立つ西行法師とを表わす。三味線を抱え書を手にする江口の君の顔は理知的である。白象と江口の君とがぐっと体を曲げて西行を振り返ることで劇的な瞬間とする。
狩野探信《文殊菩薩図》[2-4]は唐獅子の上で書を眺める同時を描く。稚児・寵童を表わしているらしい。《鳥獣戯画》なども男色相手の稚児を楽しませるために描かれた可能性がある。近年はジェンダーに関する展示も増え、2021年には「美男におわす」展も開催された。男色の歴史に関する大規模な展示が行われる日も近かろう。
王一亭《達磨面壁図》[2-6]は断崖の上で坐禅を組む達磨の図。縦に長い画面によって達磨が到達の難しい険しい崖上が示される。室戸台風の被災地支援のために描かれた作品。
英一蝶《布袋図》[2-10]は袋の中に収まる布袋を描く。目を瞑り眠っているようだ。僅かに手を覗かせている点も愛らしい。
松花堂昭乗《布袋各様図巻》[2-11]は布袋の様子を様々に描き出した絵巻。袋も布袋の顔もゆったりとした丸みで表わされる。
月僊《雲中十六羅漢図》[2-21]は、一見すると8人の羅漢しか見えないが、よく見ると煙の中に別の8人の羅漢がいる。
鸞山《寒山拾得図》[1-28]は、巻物を高く掲げる寒山と箒にもたれ掛る拾得とを背中合わせに描く。寒山は後ろ姿で、拾得に隠れてしうまうために背伸びさせたらしい。
鈴木其一《牧童図》[2-32]は十牛図のうち第4図「得牛」を表わした作品。河岸で左に向かう牛を牧童が必死に右側に連れて行こうと綱を引っ張る。ぴんと張った綱、逆立つ牧童の頭髪、足を踏ん張る牛が長閑な川辺の光景とは対照的に緊迫した雰囲気を生む。