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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 ユアサエボシ個展『でいかい』

展覧会『ユアサエボシ「でいかい」』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー小柳にて、2025年12月20日~2026年3月7日。

福沢一郎絵画研究所に学び、エルンストの《百頭女》に感化されコラージュを制作した云々というプロフィールを持つ架空の画家ユアサヱボシ(1924−1987)に成り切り制作した、戦争に纏わる絵画を展観する、ユアサエボシの個展。

《健康第一》(1455mm×1455mm)は所々に湖のある連山を背景にスーツ姿の男性が上半身を曲げて運動する姿を表した作品。くすんだパルテルカラーの水色、紫、緑、オレンジなどの連峰の狭間に湖が点在する。その上からスーツ姿の男性が大きく上半身を横倒しにし、あるいは後ろに反らし、さらに逆側に曲げる姿を線と点線とで異時同図に表わす。健全さの追求は全体主義的な発想に、体操は軍事教練に通じる。朗らかな表情は、画面下段に描き入れられた首を吊るための輪にしたロープの連続により、健康のためなら死ねる類の愚かさを男性に浮かび上がらせる。

《汚された美》(1167mm×727)には泥に溢れる庭に置かれた人体模型が表わされる。建物に接続する白壁には円形に刳り抜かれた入口があり園林のようだ。円形の入口脇に立つ人体模型は女性像で右半身の皮膚を剥いで筋肉などが示される。傍らにはパイプが突き出し、緑色の汚水を庭に流し込んでいる。庭の先には水辺が拡がり、その奥には置くには住居が見え、伽藍らしきシルエットが望まれる。表向きには公害問題の諷刺でありつつ、日中戦争南京事件を暗に示している作品とも解される。

本展のキーヴィジュアル《少年》(1620mm×2273mm)は草花の蔓延る河岸に佇む特攻兵姿の陶彫を描いた作品。ゴーグルを上げ顔を見せる少年の顔は僅かに歪み苦悶を感じさせる。カーキの服の上から紫の腹巻き着ける。左手には刀が握られる。黒いブーツの先は草に隠れて見えない。少年の周囲を薄が煙のように戦ぐ。茶色く濁った河には飛行機の残骸が浮かぶ。対岸には爆撃を受け廃墟と化した街がシルエットとなっている。全てを夕空が包む。

《皇帝》(410mm×273mm)は勲章に飾られた軍服姿でガスマスクを被る天皇の胸像。日本の漫画のイメージで表わされる。《似非元帥》(530mm×455mm)は煌びやかな勲章で飾られた元帥服を着用した人物をアメリカンコミックスのテイストで描いた胸像。顔の上側を巨大な蝶が飾り、眼状紋が隠された眼の代わりを果たす。贋物の眼が似非の由来か。歯を見せて笑うのも不敵だ。
《三つの首》(530mm×333mm)は、黒い布を敷いた台に制帽を被ったマッカーサーの頭部を模した陶彫を3つ重ねたイメージ。正面向きの上に右に傾いで目元まで埋まったもの、2つ目に右頬を半ば重ねたものが崩れかけた塔のように配される。台に敷かれた黒い布は焦土と化した日本であるという。厚木に降り立つバターン号のアニメーションとしては余りにも不安定であり、むしろ占領政策の変転を暗示するのかもしれない。
《解体のシナリオ》(1940mm×1303mm)は、階段の手前に立つ血管を示した人体の左手に掴もうと手を伸ばす猿を描いた作品。動脈・静脈と心臓を赤・青で表わした人物には目鼻口耳なども描き入れられ、マッカーサーの制帽を被っている。その左手を傍らの猿が掴もうと右手を伸ばす。4段の低い段差の階段は台座に支えられた柱が連続する建物へと続く。不自然に連続する柱が途切れる部分には扉ではなく仕切りの建具が嵌められており、封鎖されているように見える。さらに柱や仕切りの前には絡まった白い紐が浮かぶ。形而上絵画を思わせるが、ジョルジョ・デ・キリコ[Giorgio de Chirico]の作品に見られる長い影とは逆に、血管図の人物の影は極端に短い。GHQによる占領ないし日米関係を揶揄した作品であることは疑いない。
《狂王》(910mm×727mm)と《灼かれた街》(910mm×727mm)はカエルの解剖図の一部を拡大して描いたものという。前者には脊椎など、後者には肺や肝臓などが描かれる。画題からは見立てを促すようだが、判然としない。血管を表わした人物を描く《解体のシナリオ》との連関は認められる。

「でいかい」は泥塊と泥海とを表わす。特攻隊の少年兵を表わす《少年》と占領された日本の《解体のシナリオ》からは、大日本帝国という泥船が浮かび上がる。ところで、国産み神話は渾沌とした地が掻き混ぜられることで始まる。キリスト教では人が土から作られる。ならば泥海から泥塊を掬い上げることは再生の象徴である。歴史に学ぶことを作品は訴えるのだ。