可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 大竹利絵子個展『とりと』

展覧会『平櫛田中賞受賞記念 大竹利絵子展「とりと」』を鑑賞しての備忘録
高島屋本館6階美術画廊にて、2026年1月9日~19日。

第31回平櫛田中賞受賞を記念して行われる、人物や鳥獣をモティーフに孤独を主題とする木彫作品で構成される、大竹利絵子の個展。

《涙》(2200mm×683mm×705mm)は、楠の一木に彫り出した、毛糸の帽子を被った少年の立像。5頭身でややずんぐりした印象の少年がぼんやりと佇む。眼を引くのは胸から突き出た円筒形である。少年の心を衝いた何かが象徴されている。涙は顔に入った縦の罅に見ることも不可能ではないが恐らく作家は涙を直接には表現していない。台座の年輪に落ちた涙が作る水溜まりの波紋を見出しているのである。《Call》(1490mm×475mm×574mm)は脚榻(?)に坐る少年の姿を楠から彫り出した作品。二段の脚榻の座面代わりの上段に右足の踵をかけ、両手左右の膝を抱えるようにして坐る。やや俯いた少年の右肩の背後に球体が浮かんでいる。エスキースと思われるエッチング《Call》(360mm×290mm)では少年の像の周囲にタコらしき軟体動物やヒトデのような棘皮動物の身体を持つキャラクターが浮遊する。異界からの呼び声が少年の背中の球体に重ねられているのであろうか。具象的な人物像に形而上的概念を象徴する幾何学図形をぶつける衝撃は、飽くまでも像が一木から不可分一体に彫り出されていることで受け止められる。
《その人》(1715mm×675mm×965mm)は、坐るお下げの少女の膝に犬が載っている姿を楠の一木に表す。やや口を開き歯を見せる少女は正面を見据えている。彼女の膝の上に坐る犬は左に向かって坐る。犬は少女とともにいながら同じものを眼差してはいない。空間を共有していても気持ちは1つではない。両者のズレが浮かび上がる作品である。《こびと》(300mm×290mm×200mm)は2人掛けのカウチの右側に三角帽子を被り坐る少女を表わした楠の木彫。三角帽子が象徴するパーティーの団欒とカウチの空席とが、少女の孤独を増幅させ伝える。クロスを掛けた卓に両手を乗せる樟の女性像《かたこと》(1289mm×605mm×607mm)は、卓の脚を表わしながら女性の下半身を表わさない。恰も奇術師が女性の身体を切断させ空中浮遊させたかのよう。鑑賞者が対座することで空席が埋まるのか不思議と《こびと》のように孤独を感じさせないのもイリュージョンか。
表題作《とりと》(220mm×125mm×117mm)は、鳥とその背にぴったりと身を寄せる症状所とを表わした樟の彫刻。鳥と少女とはほぼ同じ大きさで一体性が強調される。なおかつ《涙》、《Call》、《その人》に比して規模が小さいことで、会場では作品の表わす親密さが高められるとともに、翻って、その親密さが他の作品の孤独さを浮かび上がらせた。銅版画(ドライポイント)の《とりの時》(350mm×290mm)では鳥の身体に人間の頭部と脚を持つ女性が隅に置かれた椅子に向かう後ろ姿を表わした作品である。椅子は家や故郷のメタファーとして帰巣本能を表わすようである。因みに銅版画(ドライポイント)の《親しきものたち》(310mm×150mm)ではほっかむりした人物の首元に入り込んだ犬が顔を出し、人物が口髭を生やしたように見える作品。こちらは愛嬌ある一体化である。
《とりとり》(1600mm×160mm×175mm)は桂による裸体女性の立像。腿に手を着ける腕がひょろりとして頼りなさが、一木による高い台座の隅に立てられることで強調される。類例作品《とりとり》(1600mm×155mm×165mm)では両足が着いているのに対し、右足の踵を僅かに持ち上げられることで動きが生まれる。
渡り鳥のように帰って来る。本能的周期性。それは天体の運動にも繋がる。太陽が沈んでも再び昇ってくるように、円環としての宇宙では空白は位置的なものであり、姿を消す者もいずれ帰って来る。空白はいずれ埋められる。「と、り、と…」は永劫回帰の作品世界を象徴する言葉であった。