展覧会 野田幸希個展『ハポイーニ』を鑑賞しての備忘録
ARTDYNEにて、2026年1月17日~2月1日。
アクリルと油絵具、クレパス、あるいは水彩絵具により描かれる、水辺など境界をモティーフとした作品で構成される、野田幸希の個展。
キーヴィジュアルの《無題》(1620mm×1303mm)は雨の中、白い標識とも樹木ともとれそうな何かに寄り掛かる人物を描いた作品。昼日中の雨らしくベージュの空間に雨が真上からザーザー降り込める。標識とも樹木とも得体の知れない支柱のある楕円系の物体が中央に立つ。まともに雨を避けることができるようにも見えないが、襟のある白い半袖のシャツにデニムのパンツ、赤い靴という出立の人物がその支柱に寄り掛かる。彼の前には大きな水溜まり(?)が拡がり、どす黒い水面には白い物体が映り込む。中央に集まる白い柱、人物、水溜まり以外にはなく、ベージュの空間は茫漠としてどこまでも拡がるようだ。水溜まりはそこに穿たれた穴であり、深淵である。生に掴み所はないが、唯一死だけは確実である。
《無題》(917mm×910mm)は川であろうか、一面に墨色の水面が拡がり、一部に草叢が見える。あちらこちらにゴミが浮く中、腰まで浸かる人、浮き輪で浮かぶ人などの姿がある。洪水の景観とも捉えられる。それは海面が上昇した世界のメタファーでもあり得る。
《無題》(442mm×347mm)は藍色の空からどす黒い雨が降る。画面中央の灰青の岸辺には佇む人物と草叢に腰を降ろした人物とが白く浮かび上がる。二人の対岸に当たる画面下段には暗い橙色の草叢が拡がり、人物が足を投げ出し坐る。その人物の目の前には遙かに小さな人物が倒れている。黒い雨は核兵器の使用を、対岸は死後の世界を暗示する。どちらの世界ももはや地獄であることに変わりはない。
《無題》(910mm×727mm)は腰を降ろす女性の姿を表したクレパスによる作品。画面の上半分は木製パネルが生地を露出させ、その木目が川面のように見える。下半分には明暗の2種の灰色で塗り潰され、小さな樹木や草叢とともに2種の灰色とはまた異なる灰色で小さな人物の人影が多数蠢いている様子が表される。明るい黄色い髪の女性は画面の中断に坐す。上半身は透明で木目をそのまま露出する。腕や脚は黒く表される。頭部からの黒い吹き出しには白骨化した人物が横たわるイメージが見える。俯きにやける女性は足元の小人たちを見ながら想像を膨らませる。足先は鳥のそれのようで、国立西洋美術館所蔵のダフィット・テニールス(子)[David Teniers de Jonge]の《聖アントニウスの誘惑[De Verleiding van St. Antonius]》に見える誘惑者を想起させる。
小人は複数の作人に登場する。《市場 1》(475mm×347mm)では、欠けたり切られたりしたナスやパッションフルーツなどが転がる中、シルエットで表された人物が6人ほどいて、ものをやり取りしたり、座り込んだり、倒れたりしている。蟻などの小さな昆虫を擬人化し、あるいは蟻を眺める人間の視点をメタ的に人間を捉える視点へと変換しているようだ。
《無題》(1030mm×728mm)には、青く暗い入道雲(?)を背に、水辺の白地に黒の斑の幹に青緑の葉が付いた低木が立ち並ぶ中、黄色い短パンの人物が黒いシルエットの女性と何か白い物をやり取りしている様を表す。2人が立つのは水辺のようで地平線の先が青い。岸辺は此岸と彼岸との境界であり、人物は死者とやり取りする生者と思しい。
《無題》(728mm×525mm)には、雨の降る中、涸れた草原か麦畑かの中空に投げ飛ばされた人物の身体が中空に浮かぶ。灰色の空からしとしと降る雨をナイフで刻む。枯れ草のようなものが拡がる上空に背を丸めた半裸の人物が跳ね上げられている。地平線近くに青い道路標識のようなものが見えるが、車に撥ねられたのだろうか。あるいは昇天する姿を表したものかもしれない。
此岸と彼岸との境界となる水辺が頻繁に登場する。死を想起させるモティーフも目立つ。《こんにちは》(292mm×386mm)は2枚の紙、緑の網をずらして重ねた上に砂浜に打ち上げられたイルカと傍らに立つカモメとを描いた水彩画である。黒いイルカは死を、白いカモメは生のメタファーであろう。海に浮かぶブイが生死の間である浜辺の性格を強調する。漂着物は、死であり、生でもある。境界は再生の場であることを、珍しく着けられたタイトルが語っている。