映画『終点のあの子』を鑑賞しての備忘録
2026年、日本製作。
125分。
監督・脚本は、吉田浩太。
原作は、柚木麻子の小説『終点のあの子』。
撮影は、中島唱太。
照明は、土山正人。
録音は、岸川達也。
美術は、中村哲太郎。
スタイリストは、小宮山芽以。
ヘアメイクは、岩鎌智美。
音楽は、茂野雅道。
水辺を歩きながら立花希代子(當真あみ)が奥沢朱里(中島セナ)の後ろ姿を撮影する。朱里が希代子に振り返り尋ねる。江ノ島の海、行ったことある? 江ノ島? 学校サボってよく行ってるの。そうだったんだ。急行電車の片瀬江ノ島行き。いつもの各駅停車じゃなくて。人の少ない砂浜を歩いて裸足になると砂がサラサラしてて、すごく自由な気持ちになれるんだ。
母・立花美恵子(石田ひかり)が希代子の髪を黒く染める。希代子ちゃんが言ってることは分からなくはないのよ。届け出れば黒髪でなくても構わないけど、届け出を出したって聞いたことないもの。うちの学校じゃ無理よ。
4月8日。希代子が鏡に向かって髪を梳かす。髪を後ろで纏めヘアゴムで後ろで結ぶ。
希代子が中学からの同級生・森奈津子(平澤宏々路)らと歩いて下北沢駅へ向かう。制服は中学時代と同じで、首元のリボンの色だけ緑に変わった。パルコが出来るって話もあったらしいよ。工事が終わったらマズい理由でもあるのかな。ずっと続いている駅周辺の再開発工事を話題にする。完成しないところに良さがあるんだよ。3人が驚く。突然、青いワンピースの少女(中島セナ)に恰も知り合いのように話しかけられたからだ。スペインのサグラダファミリアみたいに。パパが言ってた。何年も作っては壊すを繰り返してるの、すごい勇気と想像力じゃない? 青いワンピースの少女はそう言い置くと歩き去ってしまった。知り合い? 奈津子に尋ねられた希代子が首を振る。
小田急線の各駅停車。…怖い先生は嫌だな。女の先生の方がいいかも。田中先生とか最悪だよね。キレるポイントが分からない…。奈津子らがクラスや担任を話題にするのを希代子が黙って聞いている。
学校の掲示板で新しいクラスを確認。奈津子が3人が同じクラスになったと喜ぶ。
3人が教室に入る。見慣れた内部生と挨拶を交わす。そこへ青いワンピースの少女が現われた。燥いでいた制服姿の生徒たちが静まり返る。あのさ、この学校は、好きな服じゃダメなんだね。制服なの。辛うじて希代子が答える。だよね。青いワンピースの少女が教室を出て行く。朝会った娘だよね。奈津子が希代子に言う。おはようございます! 世界史の名村先生(野村麻純)が教師に入って来た。名村先生は高校から入学した生徒を紹介する。その中に、青いワンピースの少女、奥沢朱里がいた。
校門の前に停めた車の前で菊池恭子(南琴奈)が大学生の卓也(新原泰佑)と親密にしているのを校内から生徒たちが興味津々に見詰めている。恭子さん、すごいよね。希代子がそんな生徒たちを尻目に美術室に向かうと、青いワンピースの朱里が生徒たちと楽しげに話していた。
学校帰り、希代子が母親の経営する呉服店に立ち寄る。…この柄は江戸小紋です。カジュアルからフォーマルまでお使い頂けます…。外国人女性の接客をしていた美恵子が娘にお帰りなさいと声を掛ける。奥に向かうと、美大院生で高校のOGでもある瑠璃子さん(深川麻衣)が電話で予約を受けているところだった。リボン、緑に変わったね。電話を終えた瑠璃子さんが希代子に言う。希代子が美術部に入るのを躊躇っているのを聞いた瑠璃子さんは希代子の絵はもっとよくなるからと励ます。…そうかな? 何か手伝うことある? 希代子が瑠璃子さんに申し出る。
立花希代子(當真あみ)は、呉服屋を営む立花美恵子(石田ひかり)の一人娘。世田谷区にある中高一貫の女子校の中等部から高等部に進学した。同じく内部生の森奈津子(平澤宏々路)らと登校中、青いワンピースの少女に突然話しかけられ驚く。彼女は同じクラスになった外部生の奥沢朱里(中島セナ)だった。芸術家肌で自由に振る舞う朱里に、絵画に関心のある内気な希代子は興味を惹かれた。希代子は朱里から購買部のメロンパンを高級メロンパンと交換して欲しいと頼まれる。朱里の父は世界各地の駅を撮ることで著名な写真家・奥澤エイジ(杉浦文紀)で家を空けることが多く、交際相手のメイコ(小西桜子)がよく高級メロンパンを差し入れしてくれるのだが、むしろ普通のメロンパンがいいと言う。希代子は奈津子らと連むのを止め、朱里と過ごすようになる。朱里はゴールデンウィークにクラスメイトと出かけたピクニックで、リーダー的存在・菊池恭子(南琴奈)の交際相手の大学生・卓也(新原泰佑)と親しくなり、恭子に目を付けられる。朱里に自宅に招かれた希代子は、朱里の絵日記を手に取り、衝撃を受ける。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
希代子は母親によりが茶色い地毛を黒く染められる。届け出をすれば特例が認められるが、届け出る者はいないと母親に諭され、従う。美術への関心は、母親が経営する呉服店で着物に馴染みがあることに素地があるのだろうが、直接的には、希代子の中高のOGで美大院生である、呉服店でアルバイトをする瑠璃子さんへの憧れがあるのではなかろうか。表現したい衝動があるという訳ではなく、普通から外れたいという欲求により美術への憧れを生じさせている。だから希代子の前に現われた、自分の思うように生きる(ように見える)、普通とは違う朱里に興味を抱く。
朱里は時折下北沢駅から片瀬江ノ島行きの急行に乗り、学校をサボって海に行く。希代子は朱里に引っ張られて片瀬江ノ島の急行に乗るが、翻意して途中下車し登校する。希代子は芸術家に対する憧れはあっても自らが芸術家になろうとは思わないのだ。
朱里は父親が著名なカメラマンであり、芸術家であることが宿命だと思い込んでいる。だからこそ、学校に行かずに級友たちの屯する各駅停車しか止まらない駅を通過すること、急行列車[express]に乗ることが表現する[express]ことに通じるのだ。だが、実のところ朱里は自分の思うように生きなければならないという強迫観念に囚われているに過ぎない。だからこそ自分と同じように振る舞うことのできない希代子に物足りなさ、不満を感じる。本来なら、他人がどのように振る舞おうが関係がないはずなのに、絵日記で希代子が意気地無しであると糾弾するのだ。普通のメロンパンが食べたいというのは、朱里の心裡に希代子のような普通の存在への憧れがあることを暗示する。
恭子は大学生の卓也と交際するのは、自分を大人に見せたいからだ。卓也はアクセサリーに過ぎない。虚勢を張っているのである。だから朱里の絵日記に自分が愛犬の写真をインスタに挙げるような平凡な主婦になると指摘されていることに動揺する。一瞬であっても虚飾が剥ぎ取られたような錯覚に陥ったのだろう。
朱里の描く海は、小田急線の車窓から捉えた海だ。学校という制約があったからこそ、海は束縛からの解放という快感を与えた。だが、ちょうど文化祭で希代子たちが踊るダンスのように、決められたことを繰り返す中で味わう楽しみもある。それは逆に朱里が得られないものだ。ガラス窓に隔てられた世界。それは手に入らないが故に憧れとなる。
森ちゃんの言うとおり、希代子はずるい。しかし、希代子的なものを誰しも抱えて生きているのではなかろうか。
担任の名村先生の世界史の授業ではフランス革命が扱われる。マリー・アントワネット[Marie Antoinette]は14歳でオーストリアからフランスに嫁ぎ、15歳で王太子妃となった。外国の学校から日本の学校へ転校してきた朱里と重なる。また、マリー・アントワネットの言葉とされた「お菓子を食べればいいじゃない[Qu'ils mangent de la brioche]」を介して、朱里をメロンパン、あんパン(悪口として登場)と菓子パンで繋ぐのも見事。
「いっそ小田急で逃げましょか」(西条八十「東京行進曲」)からの「友は別れて友と知る」(阿久悠「古城の月」)というところ。