展覧会『堀江栞個展「わたしを数える」』を鑑賞しての備忘録
第一生命ギャラリーにて、2026年1月21日~2月10日。
国民服を思わせる草臥れた労働着の人物の立像を縦長の画面一杯に表す「後ろ手の未来」シリーズ、頭像や胸像などの「輪郭」シリーズ、花を表した「明くる日」シリーズなどの絵画で構成される、堀江栞の個展。
「後ろ手の未来」シリーズは、太平洋戦争中の男子の標準服であった国民服を思わせる、ポケットが多数ある灰色がかったカーキの服を着用した人物が正面向きに立つ姿を表す。モティーフからは工場などの並ぶ坂道に立つ作業着を着た松本竣介の自画像《立てる像》(1942)を、縦長の画面一杯に押し込まれた窮屈とも見えるイメージは棟方志功の木板画「二菩薩釈迦十大弟子」シリーズを、想起させよう。炭のような暗色は、作業着らしき衣装と相俟って、ザラついた画面に鉱物的な印象を高める。作品毎に描かれる人物は異なり、顔や髪型、履き物や持ち物だけでなく、服もポケットの数や鈕の種類、丈なども相違する。《後ろ手の未来 #2》には、右手を後ろに廻し、左手で枯れかけた向日葵を胸の辺りに持ち上げた人物が正面を見据える。《後ろ手の未来 #3》には正面を向いたままやや上方に視線を向ける人物が表される。《後ろ手の未来 #4》の人物は、中に摘めた藁が露出したクマのぬいぐるみを胸で押えるやや指が曲がった大きな手が印象的である。《後ろ手の未来 #5》には右手に数本の絵筆を持つ強い眼差しの人物が表される。《後ろ手の未来 #6》の人物は右手で少女の木偶を持ち左胸の高さに掲げる。《後ろ手の未来 #7》には上着の右のポケットにウサギのぬいぐるみを入れた、そこはかとなくレア・セドゥ[Léa Seydoux]の面影のある人物が気を付けの姿勢をとる。《後ろ手の未来 #8》には上着の左のポケットにこけしのような素朴な人形を挿した人物が描かれる。《後ろ手の未来 #9》は背表紙が取れかかった本が右手で胸に抱く人物。《後ろ手の未来 #10》はサルの人形を左手で腹の前に構える人物が表される。
縦長の画面に一杯に描かれた人物は、単一形式の服[uniform]と相俟って窮屈さが強調される。それは、同調圧力の表象である。その服は解れていたりして傷んでいる。枯れかけた花、粗末な人形などとともに困窮した状況を髣髴とさせる。戦時下の人々に思いを致さない訳にはいかない。
和装か洋装か、戦時下にふさわしい服装は何か。政府は「服装改善」委員会を設置して官民合作による「服装改善案を作成、戦時下の国民大衆に指針を示すことになった」(1938<昭和13>年8月16日)。(略)
政府は1938年11月15日、19日の両日、57名の委員による「服装改善委員会」を開催する。『東京朝日新聞は委員会の趣旨をつぎのように説明する。「服装は国民の保健、品位、活動力などに重大なる関係があり、経済上影響するところも大きいので放任すべき時にあらず、日本人ほど雑多な服装を使用して居る向もないので……服装に関する委員会を設け」た(『東京朝日新聞』1938年11月21日)。委員会では和装、洋装を問わず、女性の服装に対して批判が集中した。
(略)
以上のなかでもとくに注目すべきは最後の項目(引用者註:「中流以上の婦人の服装を改めるのは困難だ。それには大体標準を制定し普及するがよい。」)である。すでにみたように、戦時下にあっても洋装に身を包んだ上流階層の女性たちが銀座の街を闊歩していた。彼女たちの服装を簡素にするのはむずかしい。新しい国民服によって平準化する以外にない。これが委員会の基本的な考え方だった。
(略)
戦時下の女性の「作業服」としてモンペが役に立つ。「都会の婦人」も防空演習でモンペの便利さを認めた。「服装改善」委員会は、戦時服としてのモンペの持つ機能性を再評価した。
(略)
大衆消費社会を経験した日本では、戦時下といえども女性の服装を画一化することは容易ではなかった。(井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』講談社〔講談社現代新書〕/2011/p.190-194)
『111年目の中原淳一展』(2023-2024)では、中原淳一が戦時において婦人標準服のヴァリエーションを示し、防空着をお出かけの際の衣服に着回し術を提案していたことが紹介された。いかなる事態にあろうとも人生を謳歌しようという逞しさが認められる。
ところで、戦時下における平準化とは、格差の解消でもあった。「戦争は日本社会の平準化を確実に進め」、「男女間、上流階層の女性と下流階層の女性のあいだ、若い女性のあいだ、若い女性と主婦のあいだ、これらの関係における平準化が進んだ」のである(井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』講談社〔講談社現代新書〕/2011/p.199参照)。
(略)格差の是正は戦時体制下、確実に進んでいた。地主対農民、資本家対労働者男性対女性、都市対農村・漁村、これらのあいだの格差は戦争が是正する。橋本健二『「格差」の戦後史』によれば、戦時下の食糧確保のために、政府が生産者米価を引き上げたことによって、農家の収入は増加した。労働力不足は、賃金の職種間格差や企業規模格差の大幅な縮小をもたらした。男女間の賃金格差は、1936年(昭和11)年に男対女=100対31が1941年(昭和16)年に38、1942(昭和17)年以降は40となった。空襲は都市に壊滅的な被害を与えた。対する農村・漁村の被害は相対的に軽かった。
社会的な格差の是正が進むかぎり、大衆は東条〔引用者註:英機内閣(1941-1944)〕を支持する。東条も「大衆は自分の味方なり」と胸を張った。戦時下、大衆は東条の主導する社会的な格差の是正に期待した。(井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』講談社〔講談社現代新書〕/2011/p.226-227)
芸術家には「炭鉱のカナリア」としての性格がある。タモリは2022年に「新しい戦前になるんじゃないですかね」と警鐘を鳴らした。軍靴の音を招き寄せてしまう心の裡には、格差が拡がる社会における懼れ、平準化への希求があるのではないか。もっとも、実際には戦争では「鉄砲玉は不平等に当たる」のである(井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』講談社〔講談社現代新書〕/2011/p.228参照)。
芸術家たちも格差解消に関心を寄せる。美術家の森村泰昌は、《立てる像》の松本竣介が長期的な展望に立ち、ヒューマニティーの観点から格差是正を企図していたことを紹介している。
「生きてゐる画家」で松本竣介が問題にしているのは、『みづゑ』1月号の座談会。ここでは当時における芸術家のいわゆる社会貢献が論議されています。軍人たちは、国家の非常時にあって芸術家もまた社会に奉仕すべきではないかと主張しています。これにたいし座談会に参加していた美術評論家たちはなんら反論しなかった。竣介はこの評論家たちの主張性のあまりのなさに落胆し、「生きてゐる画家」を書くことを決意する。
松本竣介の論点はおよそつぎのふたつです。ひとつは、明治以降の日本の洋画家は「フランスの出店のようなものだ」という軍人たちへの反論です。(略)
もうひとつは、芸術家もまたみえるかたちでお国のために貢献すべきであるという要求に対する反論、あるいは修正案です。非常事態における芸術家の社会貢献とはなにか。(略)
以上ふたつの問いへの松本竣介の見解をひとことでいうなら、竣介のつぎの言葉に集約されるのではないでしょうか。
百年単位で作り上げる「普遍妥当性」(『人間風景』所収「生きてゐる画家」松本竣介より)
(略)
普遍妥当性とはヒューマニティであるという。世界中のみんなひとしくたいせいな価値をもっている。だから日本人と西洋人とのあいだの優劣を論じたりするのは意味がない。
この差別意識の撤廃を、竣介は〝ヒューマニティ〟と名づけています。西洋的とか日本的とか、そういう〝どこそこの〟というのではなく、万人にひとしくうけとめられる感動、すなわち普遍妥当性にもとづく芸術表現がもとめられるべきである。ですから「フランスの出店」というのは、竣介には心外な批判なんです。(略)
(略)
洋の東西を対立概念としてとらえない。両者の差異をこえた「混淆された新世界像」をめざしたい。日本的なものを否定するのではないが、これに固執していては普遍妥当性はえられないのだとしたうえで、竣介はこう結論づけています。
高度国防国家に於ける私達の働きは、世界的普遍性のある新日本の理念完成であると信じてゐるのであるが、この座談会によれば、私達に国家百年の計のために筆を執れといふのか、それとも単一に目睫のことに筆を執れといふのかゞ明らかでなく、考へやうにつてはどつちでも一つではないかといふやうにも受取られ、これは可成重大である(同書より)
(略)『みづゑ』1月号の座談会では、「目前のことに筆を取れ」ということになっているが、それはいかながものかと反論し、竣介はこうむすびます。
だが若しこゝに10年20年間の空白が生じたなら、それは遂に我国のものではなkなるであらう。実に芸術の1つの花を咲かせるためには幾百年といふ訓練と、習熟の細々とした水路を絶対に断つことを許されないからである。(同書より)
芸術にとってもっとも重要な目標が「普遍妥当性」であるとすれば、それは「幾百年という訓練と、習熟の細々とした水路」を断つことなう持続させることによってでしか達成されない。ところが戦争はこの文化の「水路」をいつも簡単に断ちきってしまう。
竣介はこうして長々とある意味複雑に論じているわけですが、結局のところ、「戦争はいやだな」といいたいのです。どの国であれ地域であれ、戦争は芸術も文化も衰退させ、あるばあいには破壊してしまいます。「幾百年という訓練と、習熟の細々とした水路」が断たれてしまうことが、お国のためになるとはとうてい思えないというのが、松本竣介にとっての〝社会貢献〟のビジョンだったのだと思います。(森村泰昌『生き延びるために芸術は必要か』光文社〔光文社新書〕/2024/p.150-154)
翻って、「後ろ手の未来」シリーズに描かれる人物を見てみれば、どこの国の人か断定できない。「混淆された新世界像」の表象を認めることができる。グリーバリゼーションの世界において、様々なルーツを持つ人を見た目で判断することなどどだい無理な話なのだ。普遍妥当性、ヒューマニティを見据えて活動する作家がここにも1人、確かに立っている。
因みに、本展会場は、占領軍に接収され、連合国軍最高司令官総司令部として使用された歴史を有する建物である。焦土において立てる建物であった。