展覧会『第40回大学日本画展 金沢美術工芸大学日本画専攻修了生展「make my day」』を鑑賞しての備忘録
UNPEL GALLERYにて、2026年1月31日~2月15日。
金沢美術工芸大学日本画専攻修了生である川﨑千尋、坂井亜也子、矢野宏実の三人展。
【矢野宏実】
《心地よいせせらぎ》(1620mm×2273mm)は浅瀬に転がる石の姿を表わした作品。画面右下から左上への対角線の右側に陽の当たる部分、左側に影となる部分を配し、片身替に構成している。さらに陽の当たる部分のうち、右の水面は水色を、左の水はオレンジを呈する。明暗のコントラストに、夕闇の迫る時間帯の移ろいを重ねる。動的な印象を生み出す。
《ほがらに揺らる》(1120mm×1620mm)は、城の堀の水面を石垣や屋根付の橋とともに描いた作品。上段右手に石垣が覗き、上段中央から左に向かい木製の橋と橋脚が見える。堀の水面には石垣とその植栽、橋脚と橋が映り込む。屋根が架かるのが珍しい橋は高松城の鞘橋であろうか。クロード・モネ[Claude Monet]がエプト川左岸のポプラ並木を惹かれたように、作家は橋脚や石垣の刻むリズムを捉える。白鳥の形をした6艘の足漕ぎボートの連なりを描いた《ぼうとまつ》(220mm×333mm)(ボート待つ)からも、モティーフの連続が生み出すリズムへの関心は疑いない。また、樹木の姿を蓮池に映る影とともに描き出した《鏡池》(273mm×410mm)から作家の水面に対する執着も明らかだ。確かに水鏡は絵画の似姿であるが、作家の主題は明鏡止水にはないだろう。むしろ《ほがらに揺らる》のように波立つ水面が象徴する無常をこそ提示しようとするのだ。
「そうか、自転しながら公転してるんだな」
「は?」
貫一はカウンター越しに自分と都の分の酒を頼んだ。
「なあ、おみや」
彼は顔を寄せて都に囁いた。
「地球はどのくらいの速さで、自転と公転してると思う?」
「そんなの知らないよ」
「地球は秒速465メートルで自転して、その勢いのまま秒速30キロで公転してる」
都がぽかんとする。
「地球はな、ものすごい勢いで回転しながら太陽のまわりを回ってるわけだけど、ただ円を描いて回ってるんじゃなくて、こうスパイラル状に宇宙を駆け抜けてるんだ」
貫一は炒め物の皿に残っていたうずら卵を楊枝で刺し、それを顔の前でぐるぐる回した。
「太陽だってじっとしてるわけじゃなくて天の川銀河に所属する2千億個の恒星のひとつで、渦巻状に回ってる。だからおれたちはぴったり同じ軌道には一瞬も戻れない」
「さっきから何言ってんの?」
「いや、面白いなと思って。おれたちはすごいスピードで回りながらどっか宇宙の果てに向かってるんだよ」
(山本文緒『自転しながら公転する』新潮社〔新潮文庫〕/2022/p.102-103)
世界が決して静止することがないように、絵画も静止してはならない。だからこそ絵画にリズムを導入するのだ。
【川﨑千尋】
《花の宴》(1620mm×1620mm)は、水辺に立つ桜樹の枝垂れる枝に満開の桜を表わす。左側に桜樹の幹が立つが霞が立ち地面は判然としない。無数の花を付けた枝がその右側に枝垂れるのは、桜樹が川端や堀端など水辺に立つからだろう。尤も漠とした空間により地面同様水面も見えない。梅に無地の金箔と表現は異なるが、下村観山の《弱法師》、とりわけその左隻に通じる広漠たる世界を暗示する。他方、桜花は1輪1輪形が分かるよう明快で実寸よりかなり大きめに表わされる。枝垂れる枝に付く薄紅色の花に対し、上方には赤味が強く、なおかつ黄緑の葉とともに八重の花が見える。二種の桜花の競演である。《しだれ図》(454mm×158mm)や《桜花図》(410mm×318mm)は本作の習作であろう。
《露ながら折りてかざさむ菊の花》(1818mm×2273mm)は、モノクロームの画面に、黄、山吹、橙、白、赤、紫などの大輪の菊を表わした作品。墨を刷いた背景は明暗により川を挟んで手前の此岸と奥の彼岸とを表わすようだ。菊花は真っ直ぐに伸ばした茎の先に種々の華やかな大輪を開く。亡霊のような人物が出現し、右手で白菊の花に触れ、左手で山吹色の花の茎を折ろうとする。「老いせぬ秋の久しかるべく」を下の句とする和歌を冠した作品は、錬丹術を暗示する。人物は菊慈童であった。橋本平八《花園に遊ぶ天女》に通じる、この世ならぬ者の雰囲気が濃厚である。不老不死はその実、生ではなく、生の陰画としての死にも等しいと、メメント・モリ[memento mori]こそ主題に据えるのだろう。
【坂井亜也子】
《余香》(1900mm×1800mm)は無花果の樹を描いた作品。画面の上段には青々とした葉が繁る。緑青と白味をたものとで葉の表裏を表わし、葉脈は白いものと金のものの2種が混在する。熟した実や青い実が所々に見える。太い枝こそ中段右手に見えるが、幹は見切れて見えない。下段は、観山《弱法師》左隻よろしく地面がは描かれず、その茫漠とした空間に1本の枝が伸びる。その1枝に付く葉は焦茶、茶、赤茶、鶯色などで描き分けられ、変化を表わす。無常が主題である。
《日月譜》(970mm×1940mm)は、赤いポットに活けられた牡丹の前後に丸々とした吉川茄子と筍、その隣に3つの桃の実と玉蜀黍、葉と2つ実の付いた無花果の枝、白く大ぶりな伯爵南瓜と橙色の甘栗南瓜、染付の花瓶に挿した竜胆、柘榴などヴァラエティに富んだ蔬菜と花卉とを描いた作品。蟻の行列のような溢した珈琲豆により視線を誘導する。のみならず、牡丹の上に舞う紋白蝶、伯爵南瓜に昇る蟷螂、甘栗南瓜の脇から姿を現す百足、竜胆の脇にぶら下がる女郎蜘蛛なども見える。割れた柘榴など、ヴァニタスとして無常をテーマにしていることが疑いないが、若冲の《菜蟲譜》の向こうを張る愛嬌ある図譜には、むしろカルペ・ディエム[Carpe diem]のメッセージをこそ読み取るべきだろう。