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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 佐藤T個展『赤い空の果て』

展覧会『佐藤T個展「赤い空の果て」』を鑑賞しての備忘録
みうらじろうギャラリーにて、2026年1月31日~2月15日。

女性の肖像を描く、佐藤Tの個展。

表題作《赤い空の果て》(530mm×420mm)は、夕空の下、裸木の前の椅子に坐る女性を描いた作品。画面横幅の4分の1ほどの直径の幹が右側にわずかに彎曲して立つ。中途から弧を描く枝が伸びる。半分ほどの直径のサイズの幹が隣に立ち斜めに伸び、枝分かれする。すっかり葉を落とした細い枝が葉脈のように夕空を覆う。落ち葉が敷き詰められた地面に薄汚れた水色の椅子がある。黄緑のTシャツにグレーのボアジャケットを羽織り、黒いカーゴパンツを穿いたショートカットの女性が、肘掛けに右肘を突き頰杖を突いてゆったり坐る。僅かに右に傾いた姿勢と、斜めに突き出した幹のために、椅子が傾いているような印象を受ける。人差指を頬骨に中指が唇に触れる。何か考え事をしているようだ。その視線は鑑賞者に真っ直ぐ向けられる。夕陽と樹木を背にしながら、女性の姿は影になってはいない。背景は書割である。だから赤い空には果てがある。背景は舞台装置であり、絵画は映画である。
《空が終わる場所》(297mm×210mm)は、夕映えを背に、瓦礫の上に腰を降ろす女性を描く。取り壊された塀に用いられていたと思しいコンクリートブロックが草地の中に散乱し、白と青のフリースジャケットにデニムのパンツ、赤いスニーカーという出立のショートカットの女性が坐っている。地平線(地面)が斜めに傾き、やや暗い赤い背景に敢て濃淡があることが、瓦礫と相俟って不穏な雰囲気を醸す。サンセット[sunset]は舞台装置として[on set]あり、やはり空には果てがある。絵画は映画だ。

《道を失くす木々》(210mm×148mm)では、赤い水彩絵具で現した夕空が黒いシルエットとなった枝により覆い尽くされる中、モノクロームで腰を降ろす女性の姿を表わす。《迷いの森》(297mm×210mm)は薄紫の空を背にやはり黒い枝が覆い尽くす中、何かから身を守るように、左手を頭部に、右手を胸に、構える女性がモノクロームで描かれる。黒い枝は、世界を蝕むものの浸蝕を象徴する。

《little doll》(297mm×210mm)は少女の人形を腹に抱え込むワンピース姿の女性を闇の中に表わす、墨と鉛筆によるモノクロームの作品。両手を腹の前で軽く組み、左手から少女の人形の頭部が覗く。女性は心持ち左に傾いだ姿勢で僅かに上目遣いで正面を見詰める。人形は作家の分身であり、なべて自画像としてある作家の絵画の象徴でもある。ならば人形は画中画と言える。画中画の作品としては、花を手に坐る女性の隣に黒猫の絵を配した《また会う日まで》(400mm×400mm)があるが、喪服を連想させる黒ずくめの女性は黒猫のアナロジーである。壁の影が画中画により隠されるマグリット的効果も心憎い。
《little doll Ⅱ》(210mm×297mm)は横たわるワンピース姿の女性が右手に置いた少女の人形を左手で支える姿を表わした墨と鉛筆による作品。頭部を画面左下に腰が画面右上に来るように、上下が顛倒した形で配される。《連れてって》(297mm×210mm)においても女性を上下を顛倒に表わし、黒い長い髪が三角形に拡がる。矩形の画面における天地という約束事を前提に、配置で世界を揺るがせて見せる。斜めに伸びる枝のシルエットを背景に目を瞑り背を反らし頭を後ろに倒す女性を描く《さまよう枝先》(140mm×90mm)など多くの作品に類例があるが、何より表題作《赤い空の果て》で効果的である。絵画が映画であるなら、言わばカメラワークを駆使しているのである。