映画『しあわせな選択』を鑑賞しての備忘録
2025年、韓国製作。
139分。
監督は、パク・チャヌク[박찬욱]。
原作は、ドナルド・ウェストレイク[Donald Westlake]の小説『斧[The Ax]』。
脚本は、パク・チャヌク[박찬욱]、イ・ギョンミ[박찬욱]、ドン・マッケラー[Don McKellar]、イ・ジャヘ[이자혜]。
撮影は、キム・ウヒョン[김우형]。
美術は、リュ・ソンヒ[류성희]。
衣装は、チョ・サンギョン[조상경]。
編集は、キム・サンボム[김상범]。
音楽は、チョ・ヨンウク[조영욱]。
原題は、"어쩔수가없다"。
ユ・マンス(이병헌)が自宅の広い庭の一角で汗を流しながらウナギを焼いている。秋よ、来い。息子のユ・シウォン(김우승)が坐るテーブルに妻のイ・ミリ(손예진)が食器をセットする。気に入られてるのね、鰻を贈ってくるなんて。そうじゃない、扱き使うつもりなんだ。鰻で精がつくってアメリカ人も知ってるのね。よりによって妻の誕生日にね。子どもが聞いてるわ。妻に小突かれてマンスが倒れる。鰻が必要だ。リウォン、パパが鰻焼いてくれたわ! マンスは2階のテラスに上がり、チェロを弾くユ・リウォン[최소율]に食事だと告げ、チェロを脇に置き、娘を抱き抱える。ミリが息子のいるテーブルに鰻を運ぶ。蛇? 蛇は美味しくないわ。パパの会社がご褒美に呉れたのよ。お祝いでもないのに。牛肉の方がいいな。ミリはプレゼントに気付く。箱を開けるとダンスのための靴だった。高かったでしょ! ミリは感激して早速履く。上手に踊れそう。靴をプレゼントしたら駄目って言うでしょ。何で? 靴を履いて逃げられちゃうからよ。パパは自身があるのね。ミリが夫に抱きつく。時間があるときに練習しなきゃ。ミリがマンスとともにしばし踊る。食卓に着き、マンスは妻のグラスに酒を注ぎ、自分のグラスにはコーラを注ぐ。マンスは食卓を離れ、ミリ、シウォン、リウォンを招き抱き締める。3分だけ、1分でいい。今の俺の気分が分かるか? 全て叶えた。
テヤン製紙の工場。多数の機械が並び、壁の高い位置に「立ち止り、考え、行動しろ!」とのスローガンが掲げられている。マンスがスタッフたちに声を掛けて廻り、自ら打音検査を行う。
屋外の資材置き場。作業車の音が響く中、マンスが組合員3人を相手に経営陣に対する演説の練習をする。あなたたちは私が人生の25年を捧げたテヤン製紙を買収した。すぐさま生産ライン20%削減のための解雇者リストを要求してきた。私に技術を教えてくれたベテラン工員や工場で育ってきた若い工員ら、純朴な労働者たちに銃を突き付けろと言うのか? 私には無理だ。銃は敵に向けられるものだからだ。アメリカでは解雇を斧で切ると表現するとか。韓国では首を斬ると言う。組合を解散すれば終身雇用を保証する。麗しい伝統は古靴ではない…。騒音の中で声を張り上げているためにマンスは喉が痛む。お前らが煙草を吸うから外でやる羽目になった。他人事なのに、よくやるよ。お前らが首を斬られたら誰と働くというんだ?
工場の視察から引き上げるアメリカ人役員にマンスらが駆け寄る。マンスが帯同の通訳(조한결)に頼み訴えを通訳させる。Sorry, no other choice. 役員たちは何も聞かずに車に乗り込み走り去ってしまった。工場長(김정팔)がマンスに尋ねる。まさか、鰻を贈られてないだろうな? ……。
朝、自宅の前。家族が車の前で上の空のマンスを見ている。あなた? …何だ? 話があるって。忘れてた。職場に行くでしょ? …そうだ。マンスがリウォンのチェロを車に積み込む。気を付けてな。マンスとミリが息子と娘をそれぞれ車に乗せて家を出る。
職業訓練の講習会。25年も扱き使われたんだ! 思わず叫ぶマンスに講師(유인혜)が深呼吸するように言う。私は。私は。良い人間です。良い人間です。講師が車座の参加者に復唱させる。失業は。失業は。自分の選択じゃない。自分の選択じゃない。愛する家族は。愛する家族は。再就職を支えてくれる。再就職を支えてくれる。皆が頭を軽く叩きながら講師の言葉を繰り返す。
マンスが講習会の休憩中にテニスクラブにいるミリにヴィデオ通話で失業を打ち明けた。眠れなかったでしょ。泣いてるの? 子どもがいた私にプロポーズする勇気があったでしょ? 私はあなたとの人生に踏み切ったの。あなたにもできるわ。ミリは務めて明るく振る舞ってみせるが通話を切ると崩れ落ちるように坐り込む。マンスは講習会で自己暗示にかける。私は大黒柱だ! 生まれ変わる! 3ヶ月後には再就職! 最高の気分だ!
ユ・マンス(이병헌)は高校卒業とともにテヤン製紙に入社し勤続25年。大卒のシングルマザーのイ・ミリ(손예진)を口説き落とし結婚。通信教育課程で化学の学位を取得、安全管理を学び、2019年には業界表彰を受けた。努力の甲斐あって経済的な安定を得、念願だった9歳まで住んでいた家を買い戻すこともできた。築50年の生家をリノヴェーションし、納屋を趣味の盆栽のための温室にした。ミリの連れ子のユ・シウォン(김우승)との関係はまずます。娘のユ・リウォン[최소율]は軽度自閉スペクトラム症だがチェロの演奏に秀で、犬のシトゥとリトゥを愛して止まない。テヤン製紙を買収したアメリカ系企業の送り込んだ役員により、生産ラインの2割削減が断行される。組合活動に熱心でリストラ候補者のリストを提出しなかったマンスも解雇対象となってしまった。先に転職した後輩チェ・ナムグ(남진복)の伝でパピルス製紙の面接に漕ぎ着けるが失敗。ミリはマンスの再就職を励ましつつ、自らはテニススクールやダンス教室を止め節約に努めるとともに、歯科医師(유연석)の下で歯科衛生士として働く。家具などを売り払い、シトゥとリトゥを父(오광록)・母(이용녀)に預けるが、退職金を切り崩しても生活が立ちゆかなくなる。已むなくミリは自宅売却の手続を進めると、不動産会社の社員(유연)が内見に伴ったのは、シウォンの友人イ・ドンホ(임태풍)の父親イ・ウォンノ(김형묵)・母親(우정원)だった。思い入れのある自宅の売却を避けたいマンスは日本との取引で業績を伸ばすムン特種製紙に飛び込みトイレで待ち伏せして工場長(유연수)に直談判するが相手にされない。その際、ラインマネージャーのチェ・ソンチュル(박희순)から近くのバーで一杯引っ掛けて帰りなさいと紙幣を渡された。
(以下では、全篇に言及する。)
テヤン製紙勤続25年のユ・マンスは新経営陣によるリストラに応じず解雇される。業界表彰もされたマンスは製紙業に拘りが強く何としても製紙工場で働きたい。だが製紙業界はどこもリストラが進み、求職希望者は犇めいている。
テヤン製紙のアメリカ人役員がリストラ撤回を求めるマンスに対して"Sorry, no other choice."とだけ言い残して立ち去る。本当に他に選択肢が無かったのか。リストラを敢行する役員に対するブーメランとなる。
尤も、懸命にやっていればいるほど、つまずいた際にやり方を変えられない。変化できない。他に選択肢が無かったのかは、やはり製紙業内だけで再就職を図るマンス自身に向けられている。同じくリストラされた有能な製紙工員ク・ボムモ(이성민)にその妻イ・アラ(염혜란)が愛する夫に対する悔しさから言い放つ、失業が問題なんじゃない、失業にどう対処するかだ、という言葉によって鮮やかに示される。
軽度の障害のある娘リウォンは言葉を鸚鵡返しにする。再就職支援の講師は言葉を復唱させる。マンスはアラの言葉をボムモに告げる。こだまでしょうか。
いいえ、自分の声の反響です。自らは放った言葉はブーメランとなって自らに帰って来る皮肉。
純朴な労働者たちに銃を突き付けろと言うのか? 私には無理だ。そう言っていたマンスがいつしか純朴な労働者たちに銃を向けるようになる。アメリカ人役員が振るう斧を結果的にマンスもまた振るっているのだ。工員たちの首を斬ってしまうのである。お前らが首を斬られたら誰と働くというんだ? 機械とだった。
樹木を伐採する補償のように植物に愛着を示すマンス。植物を育てるための温室は遺体処理場と化すだろう。
リウォンの言葉により、ミリとシウォンはマンス犯行を知悉していることが明らかにされる。Sorry, no other choice. 壁がなり痺れるチェロ。すぐに忘れてしまうだろう。
ボムモの家の梨の木の葉に虫が付いてしまっている。間男の存在を暗示する。
ベトナム帰還兵の祖父のエピソード。戦場の狂気が日常に忍び込む。マンスは銃を(3Dプリンタを利用して制作した?)モデルガンにすり替える。模造品もまたこだま的である。
リウォンが演奏を聴かせない理由とは何だったのか。絵による楽譜も謎めいている。リウォンを演じる최소율がやたら可愛い。
ミリの色仕掛けには簡単に籠絡されてしまうが、ミリが下着を外すシーンは合わせ鏡になっている。そこにも反響の映像的表現が見られる。
靴にも重要な役割が担わされている。
コンドームメーカーのオカモトは世界的に(少なくとも韓国では)著名らしい。
本作に関心のある向きには、이병헌主演の映画『コンクリート・ユートピア[콘크리트 유토피아]』(2023)をお薦めしたい。劇中で이병헌が熱唱する윤수일の"아파트"は本作でマンスが1人佇むオートメーション化された工場にも相応しいかもしれない。♪誰もいない[아무도 없는] ♪誰もいない[아무도 없는] ♪寂しいあなたのアパルトマン[쓸쓸한 너의 아파트]。