展覧会『第11回菊池ビエンナーレ 陶芸の現在』を鑑賞しての備忘録
菊池寛実記念 智美術館にて、2025年12月13日~2026年3月22日。
陶芸振興を目的として2004年度より隔年で開催されている陶芸の公募展「菊池ビエンナーレ」。第11回は、応募総数452点から入選作46点を展観。
中根楽《境界の思考》(大賞受賞作)は岩のような荒々しい器から輝きが放たれる、坩堝のような作品。境界が生み出される以前の混沌。言葉が世界を立ちきる前の世界。原始スープのメタファーとも解されよう。
マルタ・アルマダ《Cartography》は、湯飲み、器、筺、調味料入れ、電球、コードなどをイメージさせる形を役に立たないオブジェのように組み合わせた8点のオブジェから成る。磁土の肌を残しつつ、赤、黄、青といった着彩が印象的で、ジョアン・ミロ[Joan Miró]の絵画を立体化したようにも見えるかもしれない。得体の知れ無さで言えば、ポップなヒエロニムス・ボス[Hieronymus Bosch]の《快楽の園[Tuin der lusten]》とも評し得よう。中央のオブジェはディエゴ・ベラスケス[Diego Velázquez]の《ラス・メニーナス[Las Meninas]の侍女だ。
宇佐美朱理《Noah》は両端が半円となった底面を持つ筺。奥行きの狭さに対して高さがあり壁のような印象。下側3分の2は白、黄土色、灰色、緑褐色などが絡み、上部3分の1は朱である。タイトル通り、ノアの方舟がモティーフである。大洪水が終わったことを告げる、朝焼けの表現と見た。
青木岳文《Vesse》は、下部から上部の口縁に向けて支えとなる円環を挿みつつ、イッチンによる細かな線により造型した白磁の器。主題はエミール・ガレ[Émile Gallé]の《ヒトヨダケ[Les Coprins]》に通じようが、軽やかさと儚さに凜としたしなやかさが加わる。
井上智映子《Musang》は、大小の鱈子のような形の上に球体を載せた、鏡餅風の作品。同心円的な形態を取る鏡餅の場合どこの彷徨から見ても安定感があるが、本作品は眺める向きによりアンバランスにも見える。その不安定さが却ってバランスを取り安定しようとする変化を内在させる。灰白色に灰色、灰褐色と静謐な色を呈しながら、所々に見られる罅割れもまた、静と動との同時存在を感じさせる。無常を意味する"무상"(但し、英語表記)を冠したのも納得である。モティーフは墓石であるという。確かに五輪塔的でもある。3つのパーツはハングルが基づく天、地、人の三才の理の象徴とも解される。
齋藤まゆ《開花》は白磁の壺。4つの花弁となって外に開く口縁が開花の印象を形作る。胴部に穿たれた倒立したハートマーク状の開口部は花弁の反転としてあり、軽やかさを加える。器の内外には格子や点などを活かした抽象的なデザインを複雑に組み合わせた花ないし蕊のようなイメージが表わされている。開花のエネルギーの発露、その複雑な生命原理を明らかにするが、磨かれた白磁の器の静けさを妨げることは決してない。
徳竹ヒデミ《森の胎動》は3つの壺(脚)の上に展開する色鮮やかな白菜のようなオブジェの対作品。緑、紫、オレンジなど複数の色がキャベツ、レタス、白菜のように拡がる葉を彩る。
星野友幸《練継器 ピンクグレージュ》は、胴がわずかに膨らんだ円筒形の器。淡い水色とピンクのパステルカラーの上下に釉薬が一定間隔で垂れて溜まり、長く延びた音符の連続によるリズムを生み出す。垂れる長さが異なることで音階が加わる。器面の微細な貫入が音を奏で続ける。
ヘルミー・ブルグマン[Helmie Brugman]《David XVIII》(優秀賞受賞作)は、右手首や左腕が欠損し、左脚に補助具を取り付けた少年の陶彫。クリーム色の素焼きだが、顔の左半分にだけ白い釉薬が掛けられ、仮面を被るようである。同じオランダの作家マーク・マンダース[Mark Manders]の静謐な世界に通じるものがある。ミケランジェロ・ブオナローティ[Michelangelo Buonarroti]《ダヴィデ像[David]》に着想しながらゴリアテを倒すには幼く弱々しい印象。というのも無垢を通じたアイデンティティ、さらにはイデアの探究に狙いがあるからという。欠損と補助具はサイボーグ的とも言え、(とりわけベルナール・スティグレール[Bernard Stiegler]流の)一般器官学[organologie générale]を連想させる。
若月バウマンルミ《Dialogue》[45]は紐作りによる壺の大・中・小の3点組。細い紐を積み上げ歪んだ形に成型された壺は灰白色から灰色のグラデーションを成す。穿たれた口は笑う口に見え、捩れた器体は腹を捩り笑う人物に見える。細い紐の集積による波形は笑い声=音(波)となって伝わり、共鳴する。
ユリエル・カスピ[Uriel Caspi]《Posthuman》[17]は《ヴィレンドルフのヴィーナス[Venus von Willendorf]》など先史時代のヴィーナスを想起させる、半ば抽象化されたトルソのようなオブジェである。腹部が膨らみ、頭部や臀部には窄まった部分を持つ。原始的な素朴さや力強さと現代的なスタイリッシュさとが融合する。黒いものと黄色いものとが組になる。中東の考古遺物に倣い、木材を組んだ芯に紐を巻き付け粘土を被せ焼成されている。中身を掻き出す作業では内臓摘出や出産の感覚を味わったという。
小枝真人《染付金魚鉢》[26]は、胴に対し口縁が窄まった盥状の白磁の器に染付で出目金を3匹表わす。上から金魚鉢を覗く感覚を得る。清廉な白に藍色が涼やかだ。
高橋朋子《五金彩器 游ぐ月》[34]は円筒形の器。月光を表現する金銀の5種ほどの波線を繰り返したものを、位置をずらした5列で器面を覆っている。ウィーン分離派の装飾を連想させる。