可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 吉田ゆう個展『始まりから終わりまで。』

展覧会『吉田ゆう「始まりから終わりまで。」』を鑑賞しての備忘録
gallery N 神田社宅にて、2026年3月14日~28日。

魚類のサメになるためのリサーチを続ける、吉田ゆうの経過報告作品展。

作家のサメになりたいという願望は突飛なようで、極めて実際的な課題に通じている。地球温暖化により水没してしまう世界への対策である。既に30年前、全ての陸地が水没して久しい2500年の地球を舞台とした映画『ウォーターワールド[Waterworld]』では、主人公は水かきを持つミュータントであった。『不都合な真実[An Inconvenient Truth]』(2006)を訴えたアメリカ合衆国で、環境問題を科学者の欺瞞だと無視する裸の王様が君臨してしまったのは皮肉としか言いようがない。もとい、レオナルド・ダ・ヴィンチ[Leonardo da Vinci]が鳥を研究して飛翔技術を獲得しようとしたように、作家は、サメを研究して水没する世界を自在に游泳しようとする。その研究はウォーターワールドとなった未来の人々の福音となる可能性を孕んでいる。

原始的な魚は、軟骨しか作れなかったが、進化の過程で、軟骨に加えて骨を有する魚が現われた。前者がサメなどの軟骨魚類、後者がマグロやタイなどの硬骨魚類であり、硬骨魚類から陸生脊椎動物が進化したため人類は軟骨と骨の両方を持っている。これが従前の通説であった。ところが2020年、4億1000万年前の地層からサメより原始的な魚である板皮類の頭部の化石が発見され、血管が張り巡らされた骨格の内部構造が確認された。この化石の調査者は、板皮類のような原始的な魚は骨と軟骨とを両方持っていたが、骨を作るのを止めたのがサメなどの軟骨魚類だとの考えを提示した。この新説によれば、骨と軟骨とを持つ人類は軟骨魚類よりも古い魚の特徴を引き継いでいることになる。既に2014年には、ゾウキンザメというサメとは別グループに属する軟骨魚類のDNAに骨の形成に関わる遺伝子の存在が確認されており、骨の起源が軟骨魚類より以前に遡る可能性がある(佐藤圭一・冨田武照『寝てもサメても 深層サメ学』産業編集センター/2021/p.35-37参照)。従来の通説では人間がサメよりも進化していることになるが、新説ではサメが骨を捨て去ったとも考えられることになる。
サメには1mmにも満たない小さい鱗「楯鱗」が体表を覆う。皮膚の表面を守りつつ身体の動きを妨げない。鱗の表面の溝は游泳時の抵抗を軽減する「リブレット効果」を生む。もっとも、サメの鱗の形態は菱餅(トラフザメ)、棘(フジクジラ)、十字架(ネコザメ)など多様であり、抵抗低減をもってサメの鱗の機能のすべてが説明できる訳ではない(佐藤圭一・冨田武照『寝てもサメても 深層サメ学』産業編集センター/2021/p.95-97参照)。作家は、《sagami》(210mm×297mm)や《tora》(700mm×500mm)でサガミザメやトラザメの楯鱗の拡大写真を示す。ウィリアム・モリス[William Morris]の壁紙に喩えるのはナンセンスであろうか。種々の楯鱗の陶板によるモデル《楯鱗 Plat-1~3》(105mm×100mm)もあり、その陶板から型取りしたラテックスを組み合わせた《楯鱗タペストリー》(1260mm×600mm)で楯鱗による皮膚のプロトタイプを提示する。こちらは「タペストリー」とある通り、藍染めの織物のようである(陶板もタペストリーも楯鱗の形態の写しであり、楯鱗が青いのではない)。
キーヴィジュアルに見られる、小石の転がる海岸に打ち上げられた白い物体には、小さな魚と卵黄との姿が表わされている。サメの受精卵を運ぶ揺り籠と言える卵殻である。サメの繁殖方法は卵生、胎生、卵胎生とヴァリエーションに富むが、胎生であっても卵殻は作られるため、繁殖方法の差異は胎内での生育期間の差異とも言える。サメの胚は卵殻の中で卵黄から栄養を摂取して成長するのである(佐藤圭一・冨田武照『寝てもサメても 深層サメ学』産業編集センター/2021/p.116-121参照)。サメの卵殻は、サメになろうと探究を続ける作家の作品のメタファーと言えよう。なぜなら作品は一種の投瓶通信であり、未来へ向かって流されるアイデアの揺り籠と言えるからである。
《Factory 1》(297mm×420mm)や《Factory 2》(297mm×420mm)は、魚粉・魚油など水産廃棄物からの資源化・リサイクルを行う工場で、粉砕されるサメをサイアノタイプを用いて表現した作品である。「日光写真」であるサイアノタイプは、生物が生命維持のために循環させる太陽エネルギーのメタファーであることから、水産資源のリサイクルの表現に採用されたのであろう。
卵殻の中での誕生から水揚げされたサメの解体まで、タイトル通り、サメの「始まりから終わりまで。」を扱う展覧会である。