展覧会『都築まゆ美個展「Familiar Stranger」』を鑑賞しての備忘録
銀座 蔦屋書店〔アートウォール〕にて、2026年3月14日~4月3日。
アメリカ合衆国の郊外と思しい住宅街を舞台にどこか空虚で僅かに現実感を欠いた生活を切り取った絵画で構成される、都築まゆ美の個展。いずれの作品も下地に塗られた明るいピンクが隠し味として効いている。
《At the Portrait Studio》(1167mm×910mm)は、撮影スタジオで湖水の背景布を前に並ぶ家族を描いた作品。森に囲まれた湖水の背景幕がフローリングに垂らされ、母親がの一番年下の娘と一緒に椅子に腰掛け、その背後に父親が立つ。母親の左側には高さを調整できる椅子に長男が1人で座り、妹の右側で次男が木馬に跨がる。母親はピンクのロングコート、父親はオレンジのスーツにピンクのシャツ、息子2人はお揃いのオレンジのセーターにパンツ、娘は水色のセーターにショートパンツと、衣装の色味で家族の一体感が演出されるとともに、森の緑と湖水の青緑色に映える。ところが家族の視線はバラバラで、正面(のカメラ)を向くのは幼い娘だけである。その気付きが恰も映画『トゥルーマン・ショー[The Truman Show]』における照明の落下の如く、湖水の景観の書割としての性格が前景化し、家族の一体感も虚偽であるとの疑念が頭を擡げるに到るのである。併せて展示される家族の靴だけを描いた《Shoes》(380mm×455mm)において、撮影で履いている靴と異なっている―娘の靴が黒い革靴ではなく白い靴――のも意味深である。
8点の同じサイズの作品(530mm×455mm)が2段で展示されている。2段の一方にだけ人物が配される。《Hollow》(530mm×455mm)には、くすんだ青い壁の夫婦の寝室の寝台に2つのピンクの枕と緑にピンク花柄の掛け布団だけが描かれる。恰も荒天の海に攫われる2艘の船のようである。《Grandma》(530mm×455mm)には水色の服に真珠のネックレスをした老女を手前右側に大きく表わし、背後の朱のカウチに坐る女性―恐らくは老女の実の娘か義理の娘―をややぼやかして描いてある。老女が「娘」に対して背を向け、娘のいない右側に視線を送り、またカウチの背凭れにより「娘」との間が仕切られることで、娘との間の壁や心理的距離が強調される。《Hollow》と《Grandma》とを掛け合わせると、夫婦と嫁姑の問題が浮上する。《Lump》(530mm×455mm)には居間の花柄の水色のカウチで眠る女性の姿が描かれる。赤地に水玉のコートを着た女性は緑のハンドバッグを脇に眠りこける。外出先から疲れて帰り腰を降ろすや否や眠ってしまったのだろう。暗い部屋で、カウチを照らす光は玄関か廊下か、別の部屋の灯りが射し込んでいる。窓辺に置かれたテーブルランプは暗い戸外を背に温かな光を放つ。女性の身体にほぼ対応する画面右上から左下への対角線と、テーブルランプとカウチの明るい背もたれの作る線との交点上の、女性の胸元で、ブローチであろうか、何かが光輝く。その光は彼女の寝顔に鑑賞者の視線を誘導する。《Dresser》(530mm×455mm)寝室に置かれた鏡台を描く。紫色の絨毯の拡がりが主の不在を、また、鏡台の脇の開け放たれた扉の向こうの部屋のオレンジの壁が対称的に水色の壁の寝室の寒々しさを、それぞれ浮かび上がらせる。《Lump》と《Dresser》とで、夫の不在が暗示される。《Teatime》(530mm×455mm)にはハートマークの壁紙の部屋の壁際にある、草色の小さな円卓と揃いの2脚の椅子にセットされたティーポットと2客のカップ、それに少女の人形とクマのぬいぐるみとが描かれる。しょうじょの人形とクマとは壁に凭せかけてあり、外光を受けて壁に影ができる。椅子は引かれておらず、茶は注がれていない。ティータイムに誰が姿を表わすのだろうか。《Parfait》(530mm×455mm)はダイナーの隅の席でイチゴパフェを前に1人で坐る女性の姿を斜め後ろから捉えた作品。右手の窓から射す光が女性の向かいのソファの背凭れを照らし、蔭となる女性の姿と対照的な不在を明るみにする。パフェは完璧[parfait]を含意するのは皮肉である。《Teatime》と《Parfait》とは不在を描く作品である。《Pale Hour》(530mm×455mm)は明るみ始めた空の下、まだ街灯の点る薄暗い道を走り去る車のテールランプが輝く場面を描き出す。《Window 1》(530mm×455mm)には、黄色い壁の家の窓辺に立ち窓外をそっと覗く少女が描かれる。内開きの窓が開かれ、タッセルで纏められたカーテンとテーブルランプとの間に水色のワンピースの少女が半身を覗かせる。黄色い壁の明るさとは対照的に少女の佇む室内は暗い。窓枠、窓、ランプ、カーテンなどが彼女を暗い空間に閉じ込められていることを強調する。《Pale Hour》と《Window 1》とで、少女が家族(あるいは恋人)から引き離されていることが窺える。
《Home, Unknown》(455mm×652mm)は郊外の住宅街を走る水色のビートルを表わす。夕景か、くすんだ赤味がかった町はややぼやけ、夢か現かといった印象である。記憶の中の故郷の景観の在り方を、象徴的に表現した作品であろう。視覚は光学的なイメージそのものではない。見知っていると思っているものこそ見えていないものなのだ。ジークムント・フロイト[Sigmund Freud]に言わせれば不気味なもの[Das Unheimliche]とは、「かつて親しかったもの、昔なじみのもの」であり、この言葉(umheimlich)の前綴unは抑圧の刻印である」(フロイト〔高橋義孝〕「不気味なもの」『フロイト著作集3』人文書院/1969/p.350)。"heim"とは"home"であり、"Home"は知られざる(unknown)ものとして常に目の前にある。