可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『黴の花』

映画『黴の花』を鑑賞しての備忘録
2023年、韓国製作。
104分。
監督は、シム・ヘジョン[심혜정]。
原作は、ハ・ソンラン[하성란]の小説"곰팡이 꽃"。
脚本は、シム・ヘジョン[심혜정]とイ・スジン[이수진]。
撮影は、キム・ジリョン[김지룡]。
照明は、キム・インホ[김인호]。
衣装は、ユ・ジナ[유지나]。
編集は、チョン・ジンヒ[정진희]。
音楽は、キム・インヨン[김인영 ]。
原題は、"너를 줍다"。

 

夜。集合住宅のゴミ集積所。暗がりの中で黒尽くめのハン・ジス(김재경)がゴミを漁る。ジスは3つゴミ袋を提げて部屋に向かう。
浴室。浴槽の中でゴミ袋を開けようとする。固く結ばれていたために開いた拍子に散乱する。タイル張りの床に半透明のシートを敷き、インスタントラーメンなどのパッケージ、レシート、ゴム手袋などを整然と並べ、写真に収める。
食材宅配会社。ジスがPCに向かい黙々と作業する。後輩のハリ(서윤지)が疲れた表情で愚痴る。イライラする。どうしたの、大丈夫? 先輩、見てもらえます? ハリは鍋の背景画像を選びかね、攻めた壁紙を選んでいた。私ならこれかな。現実離れしたものだと返品されるから。やってみて。2枚目は小道具を添えて。商品のサイズが分かるから。ハリは分かったとジェスチャーする。
自宅から最寄りのスーパーマーケット。ジスと同じ棟の住人である少女(최효은)が生理用品の棚の前に佇んでいる。おにぎり、チョコレート牛乳、カップ麵、祖母の手料理。初潮を迎えたところで、父親は出張。ジスは少女をプロファイリングすると、彼女の隣に立つ。小さいものと大きいものとがあるの。夜眠るためのものが一番大きい。ウルトラというのは一番薄いタイプ。私は羽根つきのものがいい。独り言のように呟いたジスが羽根つきのナプキンを手にすると立ち去る。
ジスが買い物袋を提げて近くの公園を抜ける。女性の住人と擦れ違う。オムツ、離乳食、解熱シロップ。8ヶ月の子供を抱えて働く母親。睡眠不足。ジスは彼女のプロフィールを思い浮かべる。集合住宅の駐車場まで戻って来る。スーツの男性が歩いている。コッケチャンポン、焼酎、降圧剤。一人暮らしで、健康状態が悪化しつつある。行き交う住人を見るたび、ジスの脳裡に彼ら、彼女らのデータが思い浮かぶ。
エレベーターの乗る。ドアが閉まったところで、再び回避して、男性(현우)が乗り込んできた。彼は7階に上がろうとして既にボタンが押されているのに気付く。誰? 新しい住人? ジスの脳内データベースに彼の情報は無かった。彼はエレベーターを降りると、705号室に入った。704号室のジスの隣だった。
暗い仕事部屋。ホワイトボードにはゴミを撮影した写真が貼られ、棚には部屋ごとにまとめた住民の情報のファイルが並ぶ。ジスはデスクトップのPCに向かい、ゴミのデータベースを更新する。ゴム手袋のイメージに情報を追加していると、705号室でドアが解錠される音が響いた。ドアがドンドンと叩かれ、女性(김률하)が泣きながら叫んでいる。カン・ウジェ! 何で私にこんな仕打ち? 私、ユン・セラよ!
隣室の痴話喧嘩にジスはフラッシュバックを経験する。ある日、内線に出ると、管理人(허성우)で、704号室のハン・ジスさんかと確認され、集合住宅の集会室に呼び出された。テーブルの上にハン・ジスの出したゴミを拡げられ、理事会の会長(허태경)と2人の副会長(김선혜、권지수)から、こんな捨て方見たことないと非難された。管理人からも次に同じ事をしたら特別料金を徴収すると警告を受けた。防犯カメラの死角だからって、わざとやったの? 私たちが後始末することになるのよ。ガラスの破片は傷つけようして? 女性の理事たちは責任追及の手を緩めない。珈琲豆の滓もこんな出し方をして。無神経なのね。若い人は環境問題を訴えるくせに生活環境の基本ルールは守らないのよ。流石に管理人が今日のろことはそれくらいにしてと止めに入ったが、ゴミの出し方には人間性が出るのよと、女性たちは怒りが収まらない。ジスは部屋で持ち帰ったゴミを眺める。
何の前触れもなく突然私の愛情は彼に捨てられてしまった。心の準備ができていなかった私には対処できないほどの痛手だった。

 

ハン・ジス(김재경)は食材宅配会社で商品開発から商品の受注管理、顧客対応まで幅広く業務を担当し、社長(이재인)や後輩ハリ(서윤지)など社員からの信頼は篤い。過干渉気味の母親(조윤희)からは地味な服ばかり着回すなどと非難されるが、何とかやり過ごす。ジスは出版社に勤め作家のチャン・ドンホ(황상경)と交際していたが、ドンホが職場で社長(강말금)と情交を結んでいたことが分かり退職した。ドンホに纏わる物を一掃した際に出したゴミが分別できておらず管理人(허성우)や理事会の会長(허태경)らに咎められた。ゴミの出し方で人間性が分かると言われたジスは、密かにゴミを回収して住人をプロファイリングし、住人のデータベースを構築していた。ジスの部屋の隣に若い建築家カン・ウジェ(현우)が越して来て、交際相手だったユン・セラ(김률하)が押しかけて来る。ジスはウジェのプロファイリングを開始する。

(以下では、全篇に言及する。)

社長の部屋でごみ箱が倒れ使用済みのコンドームが散乱したのが、ドンホと社長との肉体関係の発覚だった。ドンホが交際相手のジスをどのように考えていたのかは詳らかではない。社長と関係を持ったのは自著の出版に利するという打算があったからのようではあるが、ジスとの関係を修復しようとした様子も描かれない。ジスは自らがドンホにとって性慾の捌け口に過ぎないと捉えてしまったのかもしれない。使用済みのコンドームに自らを重ねたのではなかろうか。後のゴミへの過剰な執着は、ジスが自らをゴミと捉えている節がある。
ジスは住人データベースの情報を脳内に記憶している。多感な時期を迎えた母親不在の少女を見かけると、彼女にアドヴァイスを与える。ゴミを攻撃材料とするのではなく、ケアのための資料として活用する。だが自分についてやたら詳しいジスを少女は不信に思う。情報の非対称性による支配・被支配の関係によりジスはパターナリスティックな関与しかできない。過干渉の母親の支配を受けてきたジスは、いつしか自らが母親の似姿と化していたのである。
ウジェとの関係でも、ジスはゴミから一方的にウジェについて知悉している。ジスがウジェの部屋を訪れるばかりで、ウジェを自宅に招かないことも、支配・被支配の関係を象徴する。無論、対等な関係を築くことはできない。従って、ジスの秘密が曝かれることはジスのウジェとの関係の破綻に繋がることになるが、他方、対等な関係構築の端緒ともなりうるのである。
ジスがウジェを知り、ウジェの好みに合わせようとするのに対し、対照的なのがウジェの交際相手(だった)セラである。セラは自分の思いを積極的にウジェにぶつけていく。ウジェはそんなセラにうんざりしてしまう。
ジスはゴミの山から適当な資料を抽出し、住民データベースの構築に余念が無い。混沌から秩序を組み上げる才能を有する。思えば、かつての交際相手ドンホは作家、現在の憧れの隣人ウジェは建築家(しかもシュノーケリングが趣味のウジェが海を博物館――分類学のメタファー――と捉えている)と、ジスの関心が(混沌から)秩序を打ち立てることにあることは筋が通っている。作家に対する不信から建築家による信頼関係の普請への転換。