映画『落下音』を鑑賞しての備忘録
2025年、ドイツ映画。
155分。
監督は、マーシャ・シリンスキ[Mascha Schilinski]。
脚本は、マーシャ・シリンスキ[Mascha Schilinski]とルイーゼ・ペーター[Louise Peter]。
撮影は、ファビアン・ガンパー[Fabian Gamper]。
美術は、コジマ・フェレンツァー[Cosima Vellenzer]。
衣装は、サブリナ・クレーマー[Sabrina Krämer]。
編集は、エベリン・ラック[Evelyn Rack]。
音楽は、ミヒャエル・フィードラー[Michael Fiedler]とアイケ・ホーゼンフェルト[Eike Hosenfeld]。
原題は、"In die Sonne schauen"。
エリカ(Lea Drinda)が両腕で松葉杖を突いて右脚だけで廊下を歩く。エリカ、豚を小屋に入れろ! 中庭で兄が怒鳴っている。エリカは左脚を折り曲げて縛っていた紐を外す。松葉杖を抱えて伯父フリッツ(Martin Rother)の寝ている部屋にそっと入る。松葉杖を壁に立て掛ける。腰を覆う下着だけを身につけた伯父の身体をしばし眺めると、毛で覆われた腹に手を伸ばし、臍に溜まった汗を指に付けて嘗める。兄は大声でエリカを呼び続けている。エリカが部屋を出て行くと、フリッツが目を開け、窓越しに中庭の様子を覗く。エリカの兄が突っ立っているエリカの右頬を平手打ちする。エリカはフリッツの部屋に向かい、不敵に微笑んでみせる。
家政婦のベルタ(Bärbel Schwarz)が表に出て行くと、ゲアティ(Helena Lüer)がドアに行って外を見張る。ゲアティに手招きされてリア(Greta Krämer)とアルマ(Hanna Heckt)がベルタの履き物を床に釘で打ち付ける。花を手にしたベルタが履き物を履くと派手に倒れる。笑いながら3人がベルタのもとに向かうと、ベルタは身動ぎ1つしない。3人が心配すると突然ベルタが起ち上がる。小悪魔ども、覚悟しろ! ベルタに追われた3人がキャーキャー言って逃げ廻る。ぐるりと家の中を廻ったところで、アルマは姉たちもベルタも他の使用人たちも見失ってしまう。1人で家の中をもう1周する。居間のドアがいつの間にか閉ざされていた。アルマが鍵穴から覗くと、母エマ(Susanne Wuest)が灯の点った蝋燭を用意し、写真立てをいくつか台の上に置いた。母は吐き気を催す。
手の水かきを鰻に噛ませる。
ベッドに横たわる兄フリッツ(Filip Schnack)がトゥルーディ(Luzia Oppermann)に世話される様子をアルマが覗き見る。兄の左脚は切断されている。トゥルーディがアルマに気付き、扉を閉める。
アルマがベッドに置かれた黒い衣装を触る。急いで、みんな集まってるわ。リアがアルマを急かす。わたしの? 万霊節用にお母さんが選んだの。
母親が居間に用意した祭壇に向かい、皆が順に祈りを捧げている。アルマが姉に尋ねる。どうやればいいの? 真似をしたらいいの。姉について祭壇の前に立つ。いくつか写真を見ていくと、自分と瓜二つの少女が椅子に坐り眠っているものに目を奪われる。自分と同じ服を着ているようだ。少女に手をかけて立つ母は顔がぼやけて2つなっている。
食卓で皆が立つ。松葉杖のフリッツが遅れてやって来ると、皆で祈りを唱える。聖なる神よ、私たちはあなたがお召しになった者たちのことを忘れません。そして、私たちもまた、いずれ御許に呼ばれることを忘れません。祈りを終え、皆が席に坐る。使用人により料理が運ばれる。皆が黙って食事をする。食器が触れ合う音、蝿の羽音だけ。母親が嘔吐く。ままがまたえずいた。みんなきこえてるのに、きこえないふり。まばたき1回はあいしてる。2回はすごくあいしてる。お母さんから1ばん多くまばたきしてもらうのはだれかきになる。ヘッダ(Anastasia Cherepakha)はいつも多くまばたきしてもらえるの。足が不自由だからよ。アルマの皿に蝿が留まる。
中庭に集まった人たちが眠るアルマの周りで主の祈りを唱えている。アルマの頬に留まった蝿が口の中に入り込む。
ドイツのアルトマルク地方にある村。
1940年代。エリカ(Lea Drinda)は左脚を切断し寝て過ごすことの多い伯父フリッツ(Martin Rother)に興味津々。少しでも暇があれば伯父の部屋を覗く。伯父の絵を描いてはプレゼントし、伯父の部屋の壁に貼らせている。自らの左脚を曲げて紐で縛り付け、松葉杖を使って歩きもする。兄が家畜の世話を頼むのも無視して殴られてもへっちゃらだ。
1910年代。アルマ(Hanna Heckt)は姉のリア(Greta Krämer)とゲアティ(Helena Lüer)とともに家政婦のベルタ(Bärbel Schwarz)の履き物を床に釘で打ち付ける悪戯をする。派手に倒れたベルタは死んだふりをして近付いた姉妹を追いかける。ところがいつの間にか皆は万霊節の準備を整えていて、アルマも喪服を着るよう急かされる。祭壇に自分と瓜二つの少女の写真が飾られていた。アルマは彼女のことが気になって仕方が無い。兄フリッツ(Filip Schnack)には左脚がない。切断するきっかとなった出来事をアルマは納屋で目撃していた。
2020年代。レンカ(Laeni Geiseler)の一家は、母クリスタ(Luise Heyer)の母アンゲリカが住んでいた古い農家に引っ越す。ハンネス(Lucas Prisor)が仕事で家を空ける日中は、クリスタとともに改装に励む。ベッドもなく、マットレスに寝ているが、ガランとした家は妹ネリー(Zoë Baier)との格好の遊び場になった。近所に住む大人びた少女カヤ(Ninel Geiger)が一家の前に現われる。
1980年代。アンゲリカ(Lena Urzendowsky)は笑い方を知らない母イルム(Claudia Geisler-Bading)と純朴な農夫である父アルバート(Andreas Anke)と暮らしている。母の弟ウーヴェ(Konstantin Lindhorst)から眼鏡を買い与えられるなど親切にされるのには、女らしくなったきた彼女の身体にあった。イルムの息子ライナー(Florian Geißelmann)からも強く眼差しを注がれるようになっていた。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
農村の1つの屋敷を舞台に4つの時代がそれぞれ断片化され飛び飛びに繋げられる。眼差しの主体も、時折挿まれる独白の主体も入れ替わる。変わらないのは建物であり、附近を流れる川である。
左脚の欠損した伯父フリッツに対するエリカの執着は、エリカが自ら左脚を縛り松葉杖を用いて歩くことで示される。エリカのフリッツ化は叶えられないフリッツとの性行為の代替行為である(臍に溜まった汗を嘗める行為により強調される)。エリカは兄から労働力と看做され暴力により服従を強いられている。家畜を飼養する中庭を囲む家はエリカの牢獄でもあるのだ。エリカにとって性的欲求を充たすことがフラストレーションの発散となるが、その捌け口は伯父の他に存在しない。冒頭にエリカのエピソードを置いたのは、閉鎖環境における女性の性が主要テーマであることを示すためであろう。1910年代篇に登場する家政婦のベルタやトゥルーディは性慾処理も担わされていたことが示される。因みに、作品の舞台はイングランドで時代は100年ほど遡るが、映画『ターナー、光に愛を求めて[Mr. Turner]』(2014)では40年来の家政婦ハンナ・ダンビーが主人であるターナーの性慾の捌け口として利用されていたことがことが描かれる。
中庭を囲むように立つ農家が牢獄なら、水浴に訪れる附近を流れる川は拘束からの解放、すなわち自由の象徴である。但し、現世からの解放とは即ち死である。
1980年代篇のイルムは川に纏わるトラウマがあり、笑うべき時に笑わず、笑うべきでない時に笑う原因となっている。川に纏わるトラウマは戦争に起因する。戦争の影響が作品の底を流れ続けている。
アルマは、7歳で亡くなった姉アルマの存在とその名を引き継いでいることを、万霊節で目にした写真について尋ねたことから知る。アルマは写真に映る亡き姉アルマの姿を再現してみる。死の淵は恐怖の対象であるとともに抗い難い魅力を放つ。アルマは未だ思春期を迎えていないが、死の疑似体験は忘我であり、エクスタシーに通じる。アルマの亡きアルマへの同化は、エリカのフリッツとの同化に等しい。
アルマが姉たちと家政婦ベルタに悪戯を仕掛け、キャアキャア騒ぐうち気付くと自分だけが取り残されているという描写は、何事かに夢中になると周囲が見えず切り替えができない子供の有り様を見事に描く。隙間や鍵穴から覗く視線、あるいは自分の洋服や靴を見詰める下向きの画角なども子供の眼差しの再現である。そして、アルマが皆とはまるで異なる方を向き、そのアルマの眼差しを捉え返すカメラは、アルマが囚われる死者からの視線である。
1980年代篇のアンゲリカは、叔父ウーヴェに眼鏡を買ってもらったことを母親に報告する際、近付くと見えなくなる盲点と、網膜像の脳内における処理に言及する(因みに、現代篇のネリーは川の中での逆立ちが得意技)。対象に近付くと見えなくなる盲点は、死を暗示する。ところで上映されるのはオリジナルではなく国際版らしく、英題"Sound of Falling"がタイトルとして表示される。邦題はその和訳「落下音」である。作中で落下は死や災いとして登場する。だが決定的な音が聞えることはなく、無音となる。視覚的な盲点を音声に変換して表現するのである。頻繁に重ねられる轟音との対照により、鑑賞者は無音にこそ死を強く意識させられることになる。本来倒立している網膜像が脳内で倒立ないし反転されているという事実は、最重要主題である。原題は"In die Sonne schauen[太陽を見詰める]"である。太陽は光であり、神である。(GACKTの将来像よろしく)眩しすぎて見えない。神の御許とは死である。すなわち(他人の死は見えても)自分の死が不可視であることが暗示されるのだ。それでも1910年代篇のアルマは例外的に自己の死を同名の姉によりシミュレートする。死の淵を覗き込み、死を捉えようとする企てが"In die Sonne schauen"であり、反転して生を摑む試みとなる。