可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 衣真一郎個展『石室』

展覧会『衣真一郎「石室」』を鑑賞しての備忘録

墳丘のある風景を鳥瞰し、俯瞰し、あるいは水平に望み、または墳丘を記号化して画面に散らすなど、墳丘や普及に関連するモティーフを描く衣真一郎の個展。横穴式石室や副葬品を描いた絵画を壁に飾るとともに丸石を床に敷き詰め、石室のインスタレーションとした部屋、近作を並べた部屋、旧作を並べた部屋の3つの空間で構成される。

丸石を床に敷き詰めた展示室では、横穴式石室の石積みの壁などをを描いた《石室》(727mm910mm)を正面奥の壁面に、前方後円墳の鍵穴状の形態、古墳の配置図、石室の入口と、金属製の装飾具や土器など副葬品のイメージをGUIのように配した《古墳と石室》(333mm×455mm)を左壁面に、青い画面に木で頸の長い水瓶を描いた《水瓶》(273mm×220mm)を右壁面に、茶色い画面に灰色の土器の高坏を描いた《須恵器》(273mm×220mm)を入口脇の壁に、それぞれ飾られている。《石室》に描かれた石壁の構造の重厚感と、《古墳と石室》における記号的モティーフの配置の軽やかさがとりわけ対照的である。
2つ目の展示室の冒頭を飾るのは、石室入口を描いた《石室》(242mm×333mm)。方形の石を組んだ壁と、横長の天井石とで挟まれた羨門が青い闇となって開いている。石の周囲は草生す。続いて、石壁の脇に傾斜して堆積した土とを描いた《土と石室》(410mm×318mm)、森を背に草原を前に草生した墳丘が佇む姿を水平方向から表わした《古墳のある風景》が並ぶ。さらに展示室の奥には、農地の中に横たわる木々に覆われた前方後円墳を鳥瞰した《古墳のなる風景》(1167mm×910mm)が控える。展示室の奥に進むに従って、鑑賞者が墳丘からも地面からも離れていくかのように作品が配されている。
旧作を展観する3つ目の展示室では、水平方向から眺めた前方後円墳に、企業ロゴを配したグレーのシッピングモール(?)と、自然とも街中とも判断の付かない場所を行き交う人たちを描いた場面が上下に並列される。墳丘に並ぶ埴輪や土器が周囲に拡散していく。古墳とショッピングモールとはランドマークとして機能を同じくする。人々はどちらにも等しくアクセスすることができる。
ところで、墳丘を水平方向に臨む絵の上空に、星を散らしたスバルの企業ロゴを配した《横たわる風景》(257mm×338mm)のように、作家はイメージを連想に基づいて配置する。その作品の隣には、板の木目を活かしつつ、緑、青、茶、灰色などの絵具を部分的に荒々しく塗りたくった、半ば抽象的なイメージ《Stones》が置かれる。古墳の考古学的な時間から、石の形成される地質学的な時間へ。古墳に企業ロゴやショッピングモールといったイメージはアナクロニズムではなく、現在という時間を捉えようとした結果、現われた風景ではなかろうか。

檜垣立哉は、中井久夫を木村敏と対照することで論じる「木村敏と中井久夫―臨床とイントラ・フェストゥム」(檜垣立哉『日本近代思想論 技術・科学・生命』青土社/2022/p.163-182)において、統合失調症に対する親和性をアンテ・フェストゥム(祭りの前=先取り)、微分回路として、過去の集積としての積分回路と対比する中井の論は、木村の枠組みに則っていると指摘する。その上で木村との差異として「臨床」を挙げる。「臨床」の現われの1つは、『家族の深淵』における、異質な家庭に飛び込むことになる往診であり、もう1つは『治療文化論』における、狂気に対する古代からの様々な記号性を帯びた地政学的風景の影響である。

奈良盆地が、東を限る山々と接するところを、春日山の西嶺から三輪山まで行けば右には水田、左には丘陵、古墳、社寺、段々畑をみる。このように国中平野のまさに東縁を走る国鉄桜井線の線路の東の小集落「三昧田」がミキ〔引用者註:中山ミキ。天理教の創始者。中井は、出口ナオ、北村サオと並び、精神病的事例と捉える〕の誕生の地である……東を見れば二百数十メートルの竜王山脈が間近である……それでもミキの生家の近くに立って秋の午後に東を望めば、次第に高まり行く斜面は棚田を畑地に変えつつ、稜線に向かいはいのぼる……西に目を巡らせば景観は一変する。古代の条里制の痕跡は二万五千分の一図にも見るごとく今も驚くほど存在する(同右〔引用者註:中井久夫『治療文化論』〕、四八‐四九頁)
しかし、みはるかす四周の山々の麓には数多の神々が住み、古墳が築かれ、都がいとなまれ、仏閣が造られた。バリ島の宇宙が中央にそびえるアグン火山を中心とし、ソレとの関係によって自らを定位するとすれば、大和に住む人々は四周の山々に依って定位をおこなう。(同右〔引用者註:中井久夫『治療文化論』〕同右、五一頁)
(略)
一見するとこれらは、先にのべたように、木村の記述には欠損した、まさに臨床的な位相を記したものとおもわれるかもしれない。私の論旨もそうである。だがこれもまたそう単純に割り切れるものではない。
 というのも、家族と患者という「あいだ」、そして盆地と古代の記号性の集積という環境との「あいだ」とは、木村とヴェクトルが違うとはいえ、水平に無限の広がりをもつテーマだからである。医師と家族の緊張関係という記述hあ、一歩間違えれば薄っぺら場治療マニュアルになりかねない。また奈良盆地と狂気の関係性というのも、もちろん統計学的調査がありうるとはいえ、単純で明確な結論がだせるものでもないだろう。だが中井の文章は、表面的で明晰な「臨床」というよりも、まさに「深淵」と形容されるその得体の知れなさに触れるところに核心がある。
 (略)
 木村にとって、イントラフェストゥム論はきわめて中枢的なものである。元来は、精神の病の分類において、分裂症をアンテ・フェストゥム(祭の前)である先取り的狂気(微分回路のなかで先駆的な読み)として、鬱病をポスト・フェストゥム(祭の後)である責罪感として描きだすなかで、いわば未来志向と過去志向の2つの病の「あいだ」として、木村はてんかんの具体例に仮託しつつイントラ・フェストゥム(祭りの中)という位相をとりだしていた。(略)
 時間とは、現在に依拠しないかぎり、それが「何か」をのべることはできないものである。西田〔引用者補記:幾多郎〕の「永遠の今」という言葉も、垂直の絶対無の方向に掘り下げた無限が、この今という有限性よって一面では支えられるという、絶対矛盾としかない事態の矛盾的表現なのである。
 木村もまたイントラ・フェストゥムを、アンテ・フェストゥムやポスト・フェストゥムやポスト・フェストゥムと同列の一時制としておくことはしない。(略)木村の探求のなかで、垂直性への掘り下げを徹底化するならば、必然的にイントラ・フェストゥムこそがすべての時間制を包むものとなり、これを無視して個々の病を語ることはできなくなるからである。それは現在という狂乱であり、有限のなかの無限である。だがこの狂気のなかでしか、われわれの今はないし、未来や過去にかかわる病について語ることもできない。(檜垣立哉『日本近代思想論 技術・科学・生命』青土社/2022/p.173-178)

中井は、極端な先取りの「微分世界」と極端な回顧の「積分世界」とをメタとして、それらを支える「褻」という日常的世界を設定し、その対極に、木村のイントラフェストゥムに相当する「メタ私」を置いているという。

 もちろん木村とて、イントラ・フェストゥムが噴き出す世界が日常世界だと論じているわけではない。ただ彼にとって、イントラ・フェストゥムの場面を、どこまでも掘り下げることが「臨床」なのであり、そこで「絶対矛盾的自己同一」的な、自が他である世界の極限が垣間みえることはけっして譲らない。それに対して中井は、そのようなメタ世界の豊饒さ、芸術的価値に多くの意義をみいだしつつも、日常性こそへと回帰してく。(略)
 中井的な臨床の視線が向かうものが、先にのべた家族や土地性、歴史性という水平性であるかぎり、それ自身はまさに「深淵」という絶対的な無限遠点を抱えながらも(それに震撼しつつも)、とはいえそうした臨床にとって、やはり「ウェーバー=フェヒナー的世界」〔引用者註:イントラフェストゥム=メタ私に対置される、日常的世界としての「褻」〕の平衡に帰着することが何よりも大事であったのかもしれない。それは木村の臨床がどこか途方もない底に降りていくことによってカテドラル的な建築物を構築することに対し、トリックスターとして彷徨う者にとっての、ある種の逆接的な宿命であったのかもしれない。(檜垣立哉『日本近代思想論 技術・科学・生命』青土社/2022/p.173-178)

石室を掲げた本展において作家の描くのは横穴式石室であって、竪穴式石室でないことに着目しよう。横穴石室が水平的であり、竪穴式石室が垂直的であることは言うまでもない。故に作家は、木村敏ではなく、中井久夫の思想に近しいと言えるのではなかろうか。

 (略)木村の場合では、あくまでも究極的には患者と木村とが同じ狂気の深淵に降り下り、まさしく患者が木村自身に「映る」(木村が患者に自身をみる)場面が想定されるのに対し、中井の場合は、集団、雰囲気、場所、気候、地勢がほとんど一種の見者(ヴォワイヤン)の視覚によるような仕方で、描き出され、また患者を支えるさまざまな組織(家族・地縁血縁・習俗)からの風圧が読み解かれている(略)。(檜垣立哉『日本近代思想論 技術・科学・生命』青土社/2022/p.175-176)

迂遠になったが、作家の描く一見素朴な風景は、アルチュール・ランボー[Arthur Rimbaud]のような見者[Voyant]の眼差しと捉えることが可能である。