可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『プラダを着た悪魔2』

映画『プラダを着た悪魔2』を鑑賞しての備忘録
2026年、アメリカ製作。
119分。
監督は、デビッド・フランケル[David Frankel]。
原作は、ローレン・ワイズバーガー[Lauren Weisberger]。
脚本は、アライン・ブロッシュ・マッケンナ[Aline Brosh McKenna]。
撮影は、フロリアン・バルハウス[Florian Ballhaus]。
美術は、ジェス・ゴンコール[Jess Gonchor]。
衣装は、モリー・ロジャース[Molly Rogers]。
編集は、アンドリュー・マーカス[Andrew Marcus]。
音楽は、セオドア・シャピロ[Theodore Shapiro]。
原題は、"The Devil Wears Prada 2"。

 

アンディ・サックス(Anne Hathaway)が曇った鏡を手で拭き、歯を磨く。
アンディが徒歩でマンハッタンの雑沓を抜ける。
ニューヨーク自然史博物館では「ランウェイ:春の花」の準備が進む。
ニューヨークプレスクラブの年間表彰の会場。ヴァンガード紙のテーブルのアンディの隣に記念盾を手にしたカメラマンのマック(Larry Mitchell)が戻って来る。2年連続なんて、流石ね。報道に流しとけっ、て俺たちか。…続いては、企画・調査報道部門です。ノミネート作品は、ヴァンガード紙、アンディ・サックス、「街の心、再生する力」…。候補が読み上げられる。ヴァンガード紙の面々のスマートフォンが一斉に鳴る。画面を確認した皆が表情を曇らせる。一斉送信か…。受賞者は、アンディ・サックス! プレゼンターに呼ばれ、アンディは浮かない表情のまま壇に上がり、記念盾を受け取る。有り難うございます。すみません、喜色満面ではなく沈痛な面持ちで現われてしまって。数々の栄誉に輝いて来たヴァンガード紙の面々がたった今、一斉解雇されたんです。1通のメールで。ジャーナリズムを取り巻く環境が変化していることは重々承知しているつもりですが、いざ我が身に起こると居たたまれないものですね。親会社の5億ドルの債務処理のためにお払い箱です。詰んだ!
リリー(Tracie Thoms)の部屋。全員クビなんて信じられない。あなたの写真、決まってるけどさ。みんな気の毒よ。2人目が生まれる人とか、家を買ったばかりの人とか。本当、不公平。親会社のトップは1100万ドルも貰ってるのに。大丈夫なの? リストラとか経営統合とか周りのみんなは経験してきたから。私は運がいい方。20年間馬車馬の如く国内外を駆けずり回ったのに。同僚の誰とも寝ずにね。嘘! 1人。嘘! 2人。とにかく枕営業はしなかった。うちのギャラリーで働かない? まともなステートメント書ける人が必要なの。専門でしょ。優しいわね。でも今は遠慮しておくわ。
ニューヨーク自然史博物館。「ランウェイ:春の花」が開催されようとしている。ナイジェル・キプリング(Stanley Tucci)がアマリ(Simone Ashley)に確認する。今夜記事は出ない? 1日か2日は大丈夫のようです。知らせないでおこう。今夜を台無しにしたくないからね。着飾ったセレブリティが次々と姿を現わす。観客に手を振り、カメラに向かってポーズを決め、報道陣のインタヴューに答える。ミランダ・プリーストリー(Meryl Streep)が鮮やかな赤いドレスで車から降りると、大きな裾を翻す。ナイジェルは、搾取工場を運営するブランドを『ランウェイ』誌が擁護したとの批判記事が配信されたことを確認すると、すぐに歓声を浴びるミランダの脇に。記事が出たよ。『ビジネスオブファッション』のサイトにも。確認する? 見られないわ、眼鏡を掛けてないから。とにかく、君が矢面に立たされてる。アーヴは怒り心頭だわね。しかも間が悪い。現実に向き合おう。
ミランダが帰宅する。夫のステュアート・シモンズ(Kenneth Branagh)が甲斐甲斐しく出迎える。スピードファッシュ社が労働環境について記者を騙したの。だから悪徳企業を宣伝したって袋叩きにされてる。金になるなら何でもするのさ。今じゃ敵役よ。結局、悪役が一番興味深い。ミランダのスマートフォンに着信。ステュアートは犬の散歩に出て行く。ティファニー、フェンディ、ブルガリから抗議のメールが殺到してる! エリアス=クラーク社のCEOアーヴ・ラヴィッツ(Tibor Feldman)は怒りを隠さない。広告主には連絡済みです。明日直接話し合う予定です。私が何とかしよう。時期が最悪だ。君を抜擢するところだったんだ。それがこんなことになるとは。電話が切れる。
アーヴは息子ジェイ・ラヴィッツ(B. J. Novak)がハンドルを握る車の助手席にいた。『ランウェイ』だけでなくエリアス=クラーク社まで集中砲火だ。信頼取り戻すにはどうしたらいい。そのときジェイのスマートフォンにニュースが配信され、父親に見せる。アンディが熱弁を振るっていた。…お金より大切なものなんてないからって? ジャーナリズムは変わらず重要でしょ! 
アンディが自宅でラップトップに向かっていると、『ランウェイ』の名物編集長ミランダを揶揄する動画が次々と流れてきた。スマートフォンで、『ランウェイ』炎上の動画を見ながら就寝の準備をしていると、着信があった。アンディ・サックス? アーヴ・ラヴィッツだ。今日のスピーチ、気に入ったよ。

 

アンディ〔アンドレア〕・サックス(Anne Hathaway)はヴァンガード紙の報道記者として勤続20年。ニューヨークプレスクラブの年間表彰で企画・調査報道部門優秀賞にノミネートされ、同僚たちと授賞式に出席していた。突然、ヴァンガード紙の面々に解雇通知が送信される。最優秀賞に選ばれたアンディはスピーチで悲憤しながらジャーナリズムの重要性を訴えた。ニューヨーク自然史博物館でファッション誌『ランウェイ』が企画する恒例のガラが開催され、同誌の名物編集長ミランダ・プリーストリー(Meryl Streep)は艶やかな赤いドレスで登場。間もなくミランダの右腕ナイジェル・キプリング(Stanley Tucci)から『ランウェイ』誌の醜聞記事が配信されたと耳打ちされた。ミランダは既に手を打っていたが、彼女をグローバル統括責任者に抜擢しようとしていた、『ランウェイ』の親会社エリアス=クラーク社を率いるアーヴ・ラヴィッツ(Tibor Feldman)は憤る。後継者である息子ジェイ・ラヴィッツ(B. J. Novak)から報道の重要性を訴えるアンディのスピーチを見せられたアーヴは、『ランウェイ』の信頼回復のため特集部責任者にアンディを抜擢する。アンディが20年ぶりに見えるとミランダは人事を知らされておらず、アンディのことも覚えていないという。ミランダはすぐさま内線1本で前任者を解雇すると、ナイジェルとアンディを伴い、謝罪行脚の手始めにディオールへ向かう。先方の責任者は、かつてミランダの第一秘書を務めたエミリー・チャールトン(Emily Blunt)だった。エミリーから3頁の広告と新旗艦店の特集に5頁を要求されるとミランダはアンディの予想に反して丸呑みにした。アンディが苦言を呈すると、ミランダは広告主あっての『ランウェイ』であって、CEOの気紛れに付き合わされるのはご免だと、アンディを置き去りにナイジェルとともに車で去った。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

アンディが歯を磨きながら曇った鏡を拭き、顔を映すところから始まる。マンハッタンを闊歩するアンディの姿を、『ランウェイ』誌のガラの準備が着々と進められるニューヨーク自然史博物館の映像を交えながら描き出す。劇伴は、Dua Lipaのアルバム"Radical Optimism"のオープニングを飾る"End of an Era"。アンディが人生の節目を迎えることを暗示するとともに作品に対する期待感を醸成する。
アンディは優れた記事により表彰される晴れの舞台を、メール1本の解雇通知で台無しにされる。他方、ミランダもエリアス=クラーク社での昇進が見込まれる中、華やかなガラを堪能しようとした矢先に、『ランウェイ』誌が搾取工場を経営するファストファッシュ社を支えていると糾弾する記事が配信されネット上で集中砲火を受ける。アンディが古巣の『ランウェイ』誌に特集記事担当として抜擢されたことからかつての上司と20年ぶりの再会を果たすことになる。
この20年の間には、ナイジェルが嘆く通り、撮影予算は削られ、雑誌は紙から空気になった。配信される記事は閲覧数により即時に評価される。ジャーナリストのアンディは中身のある記事をアップすることに傾注するが、ミランダは読まれなければ価値がないという。だが、アンディの記事は刺さる人には刺さる。ミランダが望みながら叶わなかったサシャ(Lucy Liu)のインタヴューが可能になったのもアンディの記事が好評価を得ていたからであった。

(以下では、全篇について言及する。)

ファッションウィークのためにミラノを訪れたミランダは、IT長者のベンジー・バーンズ(Justin Theroux)から、世界が理解を超えた速さで変化し、ポンペイを襲った火砕流のように全てはAIに呑み込まれてしまうと指摘される。ミランダは特に反論することもなく立ち去る。

 それ〔引用者註:一般的にファッションが自己の本質から真っ先に切り離されるべきものと認識されている理由〕はファッションが、軽薄であるどころか、死と虚無を予感させるからである。この死と虚無から目をそらせたいがために、人はファッションを軽薄なものとして遠ざけたいのである。
 (略)
 ファッションとは徹底した深みの不在である。というよりも、深みの拒否としての表面である。そこには内‐外、上‐下、表‐深といった区別はない。(略)
 ファッションは、現在のものを過去のものたらしめる。ファッションは、新しさを生み出すことで、何かに終焉をもたらす。流行は過去からきっぱりと区別される分水嶺に立ち、生き生きとした強烈な現在性の感覚を与える。しかし、つい先ほどまで流行していたものがまたたくまに古びたものへと追い落とされ、みるみる輝きを失う。人びとはこの新旧の交代を目の当たりにして、そこに生と死の素早い交代を感じる。ファッションは死と終末を予感させる。ファッションはあまりに軽薄なやり方で重厚な生の事実を示す。
 ファッションは、変化のための変化を志向することによって、不変不朽の価値や目的に疑いをかける。ファッションは進歩せず、ただ変化する。それは方向性も進歩もない変化である。それはダーウィンの言う「進化」である。ある人たちが信じたいと思っている不変の目的、さらには世界の意味を、純粋な変化という概念によって台無しにする。「それは古いよ」というファッションの常套句は、新しいものが登場した、新しい時代へと変わったというそれだけの理由で、以前のものを軽々と否定する。ファッションは、新しさという価値だけによって、すでに存在しているもの全体に「古いもの」という烙印を押し、突然の死をもたらす。あたかもファッションは、「我が子を食らうサトゥルヌス」のように、時間そのもののようである。ファッションは時間そのものであるかのように既存のものを乗り越え、外部に出ようとする。意味も目的もなく外へ出ようとする。ファッションとは本質的に逸脱である。外部へと逸脱することで、ファッションは、じつに無邪気に世界全体を否定する。世界がファッションのように理由なく次々に変わってしまわないという保証はどこにもないからである。その遊戯性によって、ファッションは私たちの価値や目的が、さらには世界そのものが無根拠であることを理解させる。(河野哲也『境界の現象学 始原の海から流体の存在論へ』筑摩書房〔筑摩選書〕/2014/p.35-38)

ベンジーはクロード・モネ[Claude Monet]やグスタフ・クリムト[Gustav Klimt]の絵画を買う(情報通のナイジェルの発言により判明)。ベンジーが手に入れる理由は名画として定評があり資産価値が認められる点にある。トレーダーは時間と情報の波に呑み込まれようとしながら波に乗る。ミヒャエル・エンデ[Michael Ende]の『モモ[Momo oder Die seltsame Geschichte von den Zeit-Dieben und von dem Kind, das den Menschen die gestohlene Zeit zurückbrachte]』に登場する灰色の男に等しい。対して、ファッション界に長年君臨してきた「恐竜」ミランダは隕石が降ってくることも、火砕流に呑み込まれることも分かっている。世界そのものが無根拠であることを承知しているのだ。だから彼女の言動は常に逸脱する(編集会議におけるニュージャージー州の薬物中毒治療センター云々等の発言も印象的)。ミランダは即座に死に往くファッションに生きる。死を繰り返しながら、時代の変化と相俟って、変わらず生き延びているように見えるに過ぎない。ただ変化の波に乗っているだけのベンジーには真似出来ない芸当である。結果、IT長者は生きた金を使えず、死んだものばかりを摑む。

ミランダがベンジとの話を終えて向かうのは美しいアーケードの商店街、ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世である。ヴァルター・ベンヤミン[Walter Benjamin]の『パサージュ論[Das Passagen-Werk]』を想起しないわけにはいかない。そして、ベンヤミンと言えば、アウラである。

 このように、芸術と芸術経験における瞬間的なものに、つまり〈現象の消滅という現象〉に潜むアウラをベンヤミンが見ていたことを、アドルノは見逃さない。芸術において概念の手に捉えこまれないもの、それこそ、シュルレアリスムに代表される瞬間の爆発の経験である、とアドルノは言う。
 芸術作品においては瞬間が超越していく。客観化は芸術作品を瞬間へと変じせしめる。〈静止状態の弁証法〉というベンヤミンの定式を思い起こして欲しい。……芸術作品が芸術作品になるのは、自己自身のイメージ内容の破壊を通じてなのである。それゆえにこそ芸術は爆発と深く通じ合っているのである。……アレゴリーだけが芸術作品なのではなく、アレゴリーの破局的充実もそうなのである。最近の芸術作品だけが与えるショックこそは現象の爆発なのである。ショックにおいて、かつては[芸術作品の]自明のアプリオリであった現象は、破局によって解体する。そしてこの破局を通じて現象の本質がはじめて完全に掘り起こされるのだ。……美的超越が気化することもなおまた美的なのだ。……ベンヤミンは後光をなくしてしまった男についてのボードレールの寓話を解釈しているが、彼が描いているのはアウラの終焉ではなく、アウラそのものなのだ。
 啓蒙とは、啓蒙が覆いを取ってつかみ取ろうとする当のものが消えてしまう、という意識でもかならずあった。
消滅と破壊の瞬間のアウラ、現象が消えるという現象の輝き、それがアウラであろう。消えるものにこそアウラがあるという、発想である。ベンヤミンはその先取りをボードレールにある「ショックにおけるアウラの解体」に見たが、アドルノはまさにその解体のアウラに着目する。(三島憲一『ベンヤミン 破壊・収集・記憶』講談社〔講談社学術文庫〕/2010/p.483-484)

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂で、レオナルド・ダ・ヴィンチ[Leonardo da Vinci]の壁画《最後の晩餐[L'Ultima Cena]》を前にしたミランダは、アンディに自らの解釈を伝える。「最後の晩餐」は画題として珍しいものではないが、レオナルドはイエスに光輪が描かなかった。何故か。人間は完璧では有り得ず、過ちを犯すものであり、互いに欺き、裏切り、失望させる運命にあるからであろうと。ミランダの哲学をアンディが受け取り、大団円へと到る重要な場面である。同時に、後光の消失という「消滅と破壊の瞬間のアウラ」が訴えられているシーンでもある。

アンディが古巣に帰って来られたのはナイジェルの機転だったことが明かされる。ナイジェルは同時にアンディを心の清らかな秘蔵っ子と認識していたからこそだと打ち明ける。アンディにとって何よりのご褒美だろう。
登場人物は様々なファッションに身を包み登場するが、ミラノで駆けずり回るミランダ、アンディ、アマリを映し出すシークエンスでは、画面が切り替わる度に衣装が替わり、まさにランウェイのよう。
建築家のピーター(Patrick Brammall)は古い建築物を再生させるだけではないのだ。