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芸術鑑賞の備忘録

映画『アダムの原罪』

映画『アダムの原罪』を鑑賞しての備忘録
2025年、ベルギー・フランス合作。
79分。
監督・脚本は、ローラ・ワンデル[Laura Wandel]。
撮影は、フレデリック・ノワロム[Frédéric Noirhomme]。
衣装は、カディージャ・ゼッガイ[Khadija Zeggaï]。
編集は、ニコラ・ランプル[Nicolas Rumpl]。
原題は、"L'Intérêt d'Adam"。

 

ベルギーのブリュッセルに所在する総合病院の小児病棟。看護師長のルシー(Léa Drucker)がアダム(Jules Delsart)の病室に入ると、青少年福祉局の児童福祉司(Claire Bodson)がアダムの母親レベッカ(Anamaria Vartolomei)に判事の決定を伝えていた。…説明した通り、アダムが心配です。あなたなしでは食事を取ろうとしません。経管栄養を止めたら、衰弱していきます。医師の要求で、裁判所は食事のために1日2回の面会を許可します。次の査定までの10日間です。質問は? 滞在できる時間は? 今日はまだ30分あります。食事の時間は11時から12時、17時半から18時半です。食事時間の間にここにいられるの? 小児病棟に留まることはできません。この子は1人じゃいられないわ。うなされるって。困難な状況にあることは理解しますが、1つずつ段階を踏みましょう。分かったかな、アダム? ママは食事の時に来るからね。上手くいけば、一緒にいられるわ。ママといっしょにねられる? ご飯の時だけよ。あなたが食事を取れるかどうか次第。また来週。ルシーは経管栄養の管を抜くため、レベッカにアダムをベッドに寝かせてもらう。痛くないから、頭を真っ直ぐ、じっとしててね。覚えてる、息を吸って吐くの。不快だけど痛くはないわ。ルシーがアダムの鼻からチューブを抜き取る。終わったわ。

 

ベルギー。ブリュッセルにある総合病院の小児病棟には問題を抱えた家庭の子供たちが引っ切り無しにやって来て、常に満床状態。穏和な病棟医長ナイム(Alex Descas)の下、ルシー(Léa Drucker)は看護師長として医師・看護師・インターンたちとともに激務をこなす。4歳児のアダム(Jules Delsart)は措置入院で経管栄養を受けていた。栄養失調による成長障害を理由に青少年福祉局がシングルマザーのレベッカ(Anamaria Vartolomei)の親権停止を裁判所に申し立てたためだ。アダムは母親の不在に激しく動揺したため、経管栄養を停止し、母親の付添いによる通常食に切り替えることになった。児童福祉司(Claire Bodson)は次の査定までの10日間、1日2回各1時間のみ病室に滞在して食事の介助を認める決定が裁判所に下されたとレベッカに告げる。レベッカは目を離した隙に用意された食事を身体に良くないと言ってごみ箱に廃棄し、持ち込んだ流動食を息子に与えていた。ルシーは母子が少しでも長く一緒にいられるよう、再度食事をアダムのために用意してレベッカに食べさせるよう言い含める。小児科医のダニエル(Laurent Capelluto)はルシーの独断を非難し、レベッカを退室させないなら警備によって排除すると警告する。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

原題""L'Intérêt d'Adam"の通り、アダムにとっての利益が問われる。
レベッカはアダムを栄養失調に追いやっていた。恐らくは骨折で病院に駆け込んだ際に発覚したのであろう。レベッカの養育の結果、痩せ細ってしまったアダムが提示されるのみで、その経緯は描かれない。他方、病院の用意した食事を廃棄し、自分の用意した食べ物だけを食べるように息子に言い含めるレベッカが問題を抱えていることは描かれる。そのため、ダニエルがレベッカの異常な行動を危険視し、裁判所の判断に従わないレベッカを病棟から警備の力を借りて強制的に排除することが真っ当な判断だと肯定されやすくなる。それに対しルシーは1人病室に隔離されたアダムが母親がいない不安に苛まれているのを目にしている。レベッカと一緒にいられることがアダムの幸せに資するとの判断から、レベッカに便宜を図る。

 (略)〈何が正義にかなうか〉という問いに主導される「正義の倫理」によれば、道徳の問題は諸権利の競合から生じるものとされ、形式的。抽象的な思考でもって諸権利の優先順位を定めることで解決が図られる。またこの倫理の基底には、事故をわくまで他者から「分離」した存在、「自律」の主体として捉える人間観が横たわっている。これとは対照的に「ケアの倫理」――すなわち「すべての人が他人から応えてもらえ、受け入れられ、取り残されたり傷つけられる者は誰ひとり存在しないという理想像――では、〈他者のニーズにどのように応答すべきか〉という問いかけが何よりも重要視され、道徳上のジレンマは複数の責任が衝突するところに成立する。したがって「ケアの倫理」の場合、目の前のジレンマに対処するためには、「文脈=情況」を踏まえた物語り的な(contexual and narrative)思考様式に頼らざるを得ない。そしてこの倫理を支える人間観によると、自己は他者との「相互依存性」やネットワークの中に居場所を有することになる。川本隆史「『もうひとつの声で』を読みほぐす」キャロル・ギリガン〔川本隆史・山辺恵理子・米典子〕『もうひとつの声で――心理学の理論とケアの倫理』風行社/2022/p.409)

ダニエルの対応は「正義の倫理」に基づく。ダニエルは医師であり、病院の秩序の維持に努める。法規に基づく厳格な遵守を求める。それに対し、ルシーは「ケアの倫理」に基づく。ルシーは看護師であり、アダムやレベッカのニーズにどのように応答すべきかに腐心する。
本作のポイントは、レベッカに非があるように描かれる点である。レベッカはアダムを骨折しやすい身体にしてしまった責任があり、なおかつ病院食を食べないようアダムに言い含め、勝手に病院食を廃棄し、自分が用意した流動食を与える。裁判所の許可時間を過ぎても病室に残り、果てはシャワールームに立て籠もる。後には、アダムを抱えて逃走さえする。レベッカの常軌を逸する振る舞いは、ダニエルの警備員による排除の判断を正当と評価させるのである。
アダムの父アンドレイ(Timur Magomedgadzhiev)はセルマ(Charlotte De Bruyne)と再婚して赤ん坊がいる。長時間労働で疲弊しアダムやレベッカを支援することが全くできない。翻って、レベッカは、1人でアダムを養育しなければならなかった。アンドレイの射精責任は問われることなく、母親の自己責任であると。レベッカは必死に養育しただろう。その辺りの事情が描かれることはない。描かれるのはアダムの成長に問題が生じたという結果である。
本作は敢てレベッカの困窮した事情を描かない。青少年福祉局や裁判所の判断で動く病院に対してレベッカが頑なな態度を取るのは、これまで捨て置かれたにも拘わらず、急に母子関係に割り込んできて無理矢理子供を取り上げる行政・司法に対する不信のためである。自らもシングルマザーのルシーはそのことが見えている。レベッカに無能な母親と烙印を押し、アダムと引き離す措置が理想的な解決とは思えないのである。
看護師長のIDカードが不調でキーを解除できず病棟の出入りに支障を来すのは、病院・青少年福祉局・裁判所というシステムの融通の利かなさ、冷淡さを暗示する。

邦題が「原罪」を採用した理由がよく分からない。

レベッカ役のAnamaria Vartolomeiが目を惹く。主演作『あのこと[L'Événement]』(2021)は本作にも通じるテーマである。
ルシーを演じたLéa Druckerの主演作では『ジュリアン[Jusqu'à la garde]』(2017)を薦めたい。