展覧会『息継ぎ「拠点、計画道路」』を鑑賞しての備忘録
KATSUYA SUSUKI GALLERYにて、2026年6月6日~21日。
アニメーションに登場するキャラクターを日常的な景観に配する絵画で構成される、息継ぎの個展。
《私たちだけの秩序》(530mm×410mm)は、鍵の受け渡しを描いた作品。机に向かって2人が並んで坐っているらしく、開かれたノートブックの上に僅かに重なるように2人の左手が置かれる。その上方には、親指と人差指とで摘まんだ鍵を落とそうとする右手と、軽く曲げて鍵を受け取ろうとする右手とが表わされる。鍵には花と家の記号が描かれた緑のキーホルダーが付く。奥の窓はブラインドが開けられ、外が暗いために手前左側の1人の人物が俯く姿が映る。クリーム色の壁にはピンか、3つの点が見える。ノートブックには何も書かれてはいない。室内にいる2人が自ら書き記すことになる。その過程で生まれる慣行が2人だけのルールとなる。鍵のやり取りは、第三者を介在させないことを表わす。外は闇である。閉じた世界には外部は無い。夜が明けるまで束の間だけ、この閉ざされた世界にユートピアが立ち上がることを夢見る。
《歌うくらいは自由に》(333mm×242mm)には、夜の浜辺で海風に当たる人物が描かれる。画面右側にやや首を傾げた人物の頭部を配し、長い黴が左方向に吹き流される。緩やかに弧を描き、あるいは渦巻く。髪に隠れて表情は窺えない。流体的な髪はアルフォンス・ミュシャ[Alphonse Mucha]の後裔と言えなくもない。その砂浜と海の向こうに山並が覗く。夜闇を表わす藍色で表わされ、人物が環境と一体となっていることが示される。とりわけ風に靡く髪は波のメタファーである。波は音そのものだ。心音合わせ繰り出されるライム、singin' on the beachフリースタイル。
《風呂上がり》(455mm×333mm)には、和室で風呂上がりに俯せに寝る半裸の人物を描く。畳の上に敷かれた円を重ね合せるデザインの敷物の上に、下着だけ身に着け、背中は濡れたまま、枕代わりのバスタオルに左頬を着けて俯せに寝る。襖が開け放たれているらしく、上半身には光が当たる一方、下半身は蔭になる。画面左下に何か転がる(あるいは浮かぶ)が詳らかではない。
《これからのこと》(1000mm×803mm)には、日が暮れようとしている中、住宅街を抜ける車道に佇む人物の後ろ姿が描かれる。Tシャツにジャージのスポーティーなスタイルの人物は左手に空のペットボトルを持ち、造成中の車道に立つ。ほとんど宵闇の中に溶けるような姿でありながら、風に吹かれる青い髪だけが浮かび上がる。真っ直ぐ延びる通りの先には青い夜の帷の下にわずかにオレンジの空が覗く。防護柵、カラーコーンの上のライト、矢印板なども視線を奥へと誘導する。電線と電信柱、シルエットの家並に浮かび上がる窓明かり。夜の街並を捉えた小林清親の系譜に連なる。人物は顔は左に向ける。ペットボトルの回収ボックスに気付いたのかもしれない。このまま敷かれたレールを歩んでいいものか悩み、目移りする場面を描いた作品とも解し得る。
《この世の全てとひとつになる方法 Ⅱ》(190mm×410mm)は、横になる人物を山並に見立てた作品。画面下端に左側を下にして横たわる人物を濃紺のシルエットで表わす。その上方は薄暗い水色で覆われ、並び飛ぶ鳥が小さな点として表わされ、白い小さな上弦の月が空高く浮かぶ。人物の右半身が尾根に、肩や腰が山頂に見える。
《ペース》(803mm×606mm)には、夜の街を覆う夜空に長い髪の人物が揺蕩う姿が表わされる。高い建物のない郊外の住宅地の車道沿いには山吹色やオレンジ色の街灯が並ぶ。街灯と光の表現だけに着目すれば、熊谷守一的とも言える。夜空に、自らの身体よりも長い茶色の髪を靡かせて藍色の人物が浮かび上がる。作家の作品に描かれる人物はアニメーションキャラクターのように描かれるが、他の作品が現実世界に落とし込まれているのに対し、本作では明らかに宙を舞う。その現実からの遊離が、天井に設置された作品をベッドに寝転がり鑑賞するという展示手法により、メタ的に表現される。
《悪くない気分》(606mm×455mm)は、夜、雨に打たれた人物が自転車と擦れ違いに横断歩道を渡る姿を描いた作品。リュックサックを背負う人物は雨に打たれて雫を垂らしている。青信号が蛍光色の黄緑の光を顔や右肩に、そして濡れた横断歩道に浴びせかけている。俄雨に見舞われたのだろう。背後を歩く人物は傘を畳んで歩いている。周囲には防護柵で囲われた道路しか見えない。藍色の夜の世界に融け込む人物は、雨に打たれて清新な気分を味わっていることが、明るい黄緑の蛍光色により表現されている。
《彼方がそこに在ること》(273mm×220mm)は、緑の髪の人物の左耳を中心に頭部の一部を画面に大きく表わした作品。画面中央上部に俯いた人物の左耳が配される。垂れかかる髪が顔にかかる。わずかに左目が覗く。後ろ髪と首筋越しに背後に曇り空の下に拡がる農地(?)が見える。奥にはビニルハウスだろうか、白い構造物も見える。全面に褐色と白の細かな点が打たれているのが眼を惹く。農地からの砂埃が舞うのだろうか。眼よりも耳の感覚を訴える作品。《混乱》(297mm×214mm)では東アジアからオーストラリアにかけての地図上の中国と日本列島に位置する2つの颱風を眼として人物の顔を表わしている。作家には卑近な世界をスケールを違えて捉えようとする姿勢が見られる。秒速466メートルでの地球の自転を考えれば、立ち止ることは決して不動を意味しない。彼方もまた彼方ではなく、すぐ傍に在ると解し得る。
《続き》(530mm×410mm)には、暗い室内でシーツに包まり腰を降ろす人物が描かれる。カーテンが揺れる。開け放たれた窓から入り込んだのだろう、タンポポの綿毛が舞う。自らの内部に沈潜する。その内部には宇宙の拡がりがある。室内と屋外、ミクロコスモスとマクロコスモスとは接続し、照応している。