可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『エド・ケンパー』

映画『エド・ケンパー』を鑑賞しての備忘録
2025年、アメリカ製作。
92分。
監督は、チャド・フェリン[Chad Ferrin]。
脚本は、スティーブン・ジョンストン[Stephen Johnston]とチャド・フェリン[Chad Ferrin]。
撮影は、ジェフ・ビリングス[Jeff Billings]。
美術は、アンソニー・ピアース[Anthony Pearce]。
衣装は、ショーン・ルブラン[Shon LeBlanc]。
編集は、ジャハド・フェリフ[Jahad Ferif]。
音楽は、リチャード・バンド[Richard Band]。
原題は、"Ed Kemper"。

 

僕はアメリカ人で、僕はアメリカ人を殺した。僕は人間で、僕は人間を殺した。僕が属している社会で。
1964年8月27日。カリフォルニア州ノースフォーク。住宅で銃声が響く。そこへエドモンド・ケンパー・シニア(Jerry Irons)がピックアップトラックで帰って来る。鼻歌交じりに荷物を運ぶ。エドモンド、ちょっと手を貸してくれ。孫のエドモンド・ケンパー(Benjamin Philip)が玄関ポーチに現われる。孫は祖父に向けてライフルを向け撃つ。祖父は背後に倒れる。孫は家の中に戻る。床には刺された祖母モード・ケンパー(Cassandra Gava)が倒れている。孫は母親に電話をかける。母さん、これで満足した? 祖父さんと婆さんを殺したからね。エドモンドが電話を切る。
1969年12月18日。精神疾患受刑者収容施設アタスカデロ州立病院。精神科医のヴァナセク博士(Larry Eisenberg)が退院するエドモンド・ケンパー(Brandon Kirk)を見送る。心ここにあらずかね。上の空だ。ちょっと考え事を。人と話すときはそういう態度は控えないと不安にさせるからね。すみません。車が待ってる。伝えたことを覚えていてくれれば大丈夫。万が一不味い状況に陥った場合には電話を呉れ給え。しませんよ、いや、そういう意味では無く…。分かるよ、言いたいことは。少年としてここにやって来たが、出るときには男だな。男? そうだ。外はすっかり変わってしまっている。無理に追いつこうとするな。償いは済んでいるからね。幸運を祈る。そうそう、これまでの努力を無駄にしないためにも母親とは距離を取りなさい。
エドモンドが実家を訪れる。母親クラネル・ストランドバーグ(Susan Priver)が玄関に姿を現わした。やあ、母さん。太ったわね。食べるくらいしかすることがなくてね。心の治療は? したよ。空腹なら冷蔵庫にビールがあるわ。テレビからはニクソン大統領のヴェトナム戦争に関する演説が流れている。トイレに行きたいんだけど。向こうよ、客間の隣。寝起きは客間でね。空腹なら台所は向こう。何か作ってくれるんじゃないかなんて思わないでよ。私のバスルームは使わないでね。エドモンドは客間に入り水色の壁紙の室内を眺める。トイレに入る。母親は煙草を吸い、ビールを呑みながらテレビを見る。トイレットペーパーがないでしょ。大きいのをするしかないわね。エドモンドはトイレの鏡に向かう。この先の道程は嶮しそうだ。エドモンドがトイレを出て手をパンツで拭く。手を拭くマナーは刑務所で覚えたの? タオルがあれば良かったんだけど。廊下の突き当たりの棚にあるわよ。今晩は予定があるの。5年間の監禁生活から解放された最初の晩に特別なことなんてする理由はないからね。土曜日には予定があるものでしょ。母さんの都合に合わせて出所するべきだったね。ドアベルが鳴る。着替えの最中だと伝えて。気違い病院の話なんてしないでよ。祖父母の所にいるって言ってあるんだから。間違ってはないな。恥をかかせないでね。母親は自室に入る。エドモンドがドアを開く。サリー・ハレット(Brinke Stevens)が尋ねる。クラネルは? 着替えをしていると伝えてくれと。入っても? どうそ。サリーです。エドモンドです。知ってますよ。あなたのことは聞いてます。母親がやって来る。お会いできて良かったわ。サリーが母と連れ立って出て行く。火事なんて起こさないでよ。

 

1964年8月27日。カリフォルニア州ノースフォーク。エドモンド・ケンパー(Benjamin Philip)は祖母モード・ケンパー(Cassandra Gava)と祖父エドモンド・ケンパー・シニア(Jerry Irons)を射殺し、アタスカデロ州立病院に強制入院となった。1969年12月18日。エドモンド・ケンパー(Brandon Kirk)が5年間の入院治療を終えて退院。その際、精神科医のヴァナセク博士(Larry Eisenberg)から母親とは距離を保つよう助言される。幼いエドモンド・ケンパー(McKenna Ferry)は、母親クラネル・ケンパー(Susan Priver)から度々精神的・身体的虐待を受けていたからだ。しかしエドモンドは、自身の入院中に三度目の結婚と離婚によりストランドバーグ姓となっていた母親の家に向かう。エドモンドはカリフォルニア州高速道路局に勤務し、カリフォルニア大学サンタクルーズ校に事務職として勤務する母親の送迎も行った。母親との生活はエドモンドの神経をすり減らす。1972年5月5日。カリフォルニア州サンタクルーズでエドモンドはヒッチハイクしていた大学生メアリー・アン・ペスチェ(Katie Silverman)とアニタ・ルチェッサ(Isabelle Morgan)を車に乗せた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

1970年代初頭に8人の女性を殺害し遺体を損壊し凌辱したエドモンド・ケンパーを描く。犯行については生々しさを避ける配慮はされているものの見る者を選ぶ。
エドモンドが15歳のときに祖父母を射殺した場面が冒頭に描かれる。犯人が母親に電話して満足したかと訴える。そこから5年間入院して治療を受けた精神病院を退院する場面へと飛び、担当医から母親に近付かないよう釘を刺される。それでも犯人は母親クラネルのもとに真っ直ぐ帰る。母親は5年ぶりに帰った息子に嫌みを言い続け、土曜だから友人との先約があると出て行く。以降も母親の息子に対する辛辣な口吻が止むことはない。それでもエドモンドは母親の許を離れない。母親に対する憎悪は執着と表裏一体である。巨漢のエドモンドが下着だけで室内を歩き廻る姿に彼の幼い精神が表わされる。その背景には少年時代のエドモンドが受けた母親からの虐待があった。エドモンドが幻視する悪魔(Joe Castro)は彼の内に満ちていく破壊衝動を象徴する(「悪魔」に頼るのは短絡的であるように思われるが、本人の表白に基づくのだろうか?)。クラネルもまた、息子による祖父母殺害に加え、3度の結婚と離婚や友人サリーとの関係(同性愛が暗示される)で不満を抱え、ビールと煙草が手放せない。彼女は自らの不幸をエドモンドに帰責することで慰めを得、息子を突き放すことができないのだ。このような母子関係がエドモンドを猟奇的な犯行へと導く。
エドモンドは西部劇を好んで視聴する。部屋の壁面には映画ポスターが並ぶ。とりわけ「デューク」ことジョン・ウェイン(Christopher Erk)が母子にとって理想の男だ。フィクションの英雄をモデルに、彼我の落差を埋め合わせること無理だと母親は息子を蔑み続ける。その不可能性は、反転して全能感に対する強い冀求を生み出すことになる。
冒頭、エドモンドの向かった母親の家のリヴィングではニクソン大統領のテレビ演説が流れる。後にエドモンドと就職先の高速道路局の同僚との会話では、エドモンドがアジア人を人間扱いしていないことが描かれる(クラネルはヒッピーが戦場で死ぬことを望むのを差別的だとエドモンドは指摘するが、まさに同じ穴の狢である)。それはエドモンドが人間扱いされていないとの思いを抱いてきたことの裏返しだろう。エドモンドは遺体を凌辱し、切り刻む。人間を物とする。生きた人間とは関わらない。否、関わることができないのだ。人間が物となるのは戦地だ。エドモンドたちの背後にはヴェトナム戦争がある。カリフォルニアとヴェトナムとは「地続き」なのだ。戦地との「地続き」は今、この瞬間も変わらない。人間を殺害することは正当化されない。それこそ1970年代に発生した猟奇的殺人事件を今描くことの意義であると監督は訴えるのだ。