可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『エレノアってグレイト。』

映画『エレノアってグレイト。』を鑑賞しての備忘録
2025年、アメリカ製作。
98分。
監督は、スカーレット・ヨハンソン[Scarlett Johansson]。
脚本は、トリー・ケイメン[Tory Kamen]。
撮影は、エレーヌ・ルバール[Hélène Louvart]。
美術は、ハッピー・マッシー[Happy Massee]。
衣装は、トム・ブロッカー[Tom Broecker]。
編集は、ハリー・ジャージアン[Harry Jierjian]。
音楽は、ダスティン・オハローラン[Dustin O'Halloran]。
原題は、"Eleanor the Great"。

 

朝5時45分。エレノア・モーゲンスタイン(June Squibb)が目を覚ます。ベシー、起きて。寝坊しちゃった。ベシー・スターン(Rita Zohar)がゆっくりと身体を起こす。疲れてるみたいね。おかげさまで。2人は笑う。壁の絵を話題にする。フラミンゴはラビの肖像を見てる。でもラビの方は見てないの。2人は朝食を用意する。エレヴェーターが修理中だって知ってた? 私は4回も閉じ込められたのよ。ボタンを押して助けてって言ったけど。音沙汰無し。今度また閉じ込められたら訴えてやるわ。修理が済めばちゃんと乗れるようになるわよ。朝食を終えた2人は薬を飲む。彼女を見かけたら突然金髪になってたの。いい人見付けて結婚なんてね。何時恋に落ちるなんて分からないものよ。2人は運動着に着替える。あの店の鶏肉は世界一美味しいわ。家を出る。いつもの散歩コースをゆっくりと歩く。調子よさそうね。あなたもね。夕食は? 鶏肉でしょ。2人はベンチに腰を降ろし海を眺めながらて軽く身体を伸す。
スーパーマーケット。ベシーがピクルスの棚を眺める。すいません、クロイセンのコーシャーは? 売り切れたんでしょ。若い店員(Cole Tristan Murphy)は棚出しを続ける。倉庫にあるんじゃないかしら? いくらでも並んでるでしょ。ピクルスなんてどれでも
変わらないよ。何ですって! エレノアがベシーに加勢し、店員の名札を確認する。チャーリー、素敵な名前ね。働いてどのくらい? さあ、数週間ってとこかな? 昨日が納品日。16年間金曜日には通ってるの。16までは数えられるわよね。行き方を教えてあげるから倉庫に行くのよ。私の友人が必要なピクルスが必ず見付かるわ、いいわね? 精肉部門でベーコンをスライスしてもらう。店員(Cole Ragsdale)が商品を差し出す。お二人さんは笑うことなんてあるの? 笑顔ならヒトラーに奪われたわ。同じく。やれやれ。居合わせたアイヴァン(Stephen C. Bradbury)が嘆く。何か言いたいことでも? ブロンクス出身だろう、エレノア。だとしてもホロコーストを悲しんでいけない理由なんてないわよ、ねえ、ベッシー。勿論、良いことよ。経験したかどうかで天と地との開きがあるってことさ。あなただっていなかったでしょ。私は体験したなんて一言も言ってない。そのとき、ベシーが苦しそうにしゃがみ込む。
スターン医療センター。ベッドに横になるベシーと付添いのエレノアに看護師(TJ Lee)が説明する。回診が長引いていますが1時間以内には先生に見てらえるはずです。ご存じないの精神内科の「スターン病棟」。こちらがそのベッシー・スターンよ。すみません、すぐに医師をお呼びします。アイスキャンディーも2本お願いね。ベシーがエレノアを眺める。いいじゃない、ありふれた苗字だからバレやしないわ。止めなさいよ。十分魅力的なんだから、なんで噓を吐く必要があるの? 完全にデタラメって訳じゃないんだし、だいたいあなたの身分を偽ってるだけでしょ。じゃあ私も魅力的ってことね。あら、ロジャーが帰って来たわ。エレノアがスマートフォンでロジャー・デイヴィス(Chiwetel Ejiofor)の報道番組「ニューヨークの風景」を見せる。悲しそうには見えないわね。悲しんでるわ。気丈に振る舞ってるだけ。ハンサムね。ちょっとやつれてるわ。ハリーが亡くなったとき、あなたがどれだけ痩せてしまったか。あれが私の最盛期ね。彼の奥さんはユダヤ人なのよ。あなたから聞いたわ。奥さんは気の毒だったわね。誰にでも起こり得ることよ。誰もが100歳までって訳にはいかないもの。止めてよ、あなたなら大丈夫。
エレノアが砂浜でベンチに1人で坐る。いつもベッシーが坐っていた隣を見詰める。

 

アイオワ出身のエレノア・モーゲンスタイン(June Squibb)とポーランド出身のベシー・スターン(Rita Zohar)とはブロンクスでの現役時代からの友人。余生を過ごすためそれぞれ夫婦でフロリダへ。お互い夫を亡くしてからは11年に渡って共同生活を送ってきた。ベシーを亡くした失意のエレノアは94歳。老人ホームへの入居を拒む母エレノアを娘のリサ(Jessica Hecht)がマンハッタンへの自宅に招き、一人暮らしで出て行った息子マックス(Will Price)の部屋を宛がう。知り合いもおらず暇を持て余すベシーは、レストラン経営で多忙のリサに促されユダヤ教徒の集会所に顔を出す。ヴェラ(Lauren Klein)に勘違いされホロコーストの生存者の会合に出ることに。持ち前のサーヴィス精神からベシーの話と断らずホロコーストを物語る。偶々取材に訪れていたニューヨーク大学でジャーナリズムを専攻するニナ・デイヴィス(Erin Kellyman)がエレノアにインタヴューを申し込む。

(以下では、全篇に言及する。)

エレノア・モーゲンスタインが亡き友ベシー・スターンのホロコーストの体験をひょんなことから自らの経験であるかのように語ってしまったがために起こる騒動を描くコメディ。鑑賞者を選ばない佳作。
シナゴーグでの礼拝でレベッカ(Mila Falkof)のバト・ミツバ(女子の成人式)に居合わせたエレノアは、新任ラビのコーエン師(Stephen Singer)に自らのバト・ミツバを求め、式典での朗読箇所として『創世記』の「ヤコブとエサウの物語」を割り当てられる。ヤコブは兄エサウから調子の特権を譲られるが、年老い目の悪くなった父イサクはエサウに祝福を与えようとする。母リベカの機転でヤコブは山羊の皮で毛深いエサウになりすまし、兄に先んじて祝福を受けるという筋だ。エレノアはヤコブは兄になりすましたことによる代償を払わないのかと尋ねる。コーエン師はこの物語の主題が欺くことではないし、欺くことは状況に応じては必ずしも悪いことではないないのかもしれないと示唆する。「ヤコブとエサウの物語」(の解釈)は、無論、エレノアが(結果的に)ベシーになりすましてしまったこととパラレルである。
ベシーはポーランドでの凄惨な体験を秘匿した生きてきたが、自分が兄について語らなければ兄はいないことになってしまうと最晩年になってエレノアにポーランドでの体験を打ち明けた。ホロコーストを経て神を信じられなくなっていたベシーは、いつしか神が自らを救ったのは、エレノアと人生を分かち合うためと思うに到っていた。ベシーの物語の唯一の聞き手であるエレノアが語ることがなければ、ベシーと彼女の兄の体験は永遠に失われてしまっていただろう。
エレノアが生活を共にしてきたベシーを失った悲しみは、エレノアにベシーを憑依させた。エレノアはベシーをこの世に召喚し、一心同体となったのだ。
ニナ・デイヴィスもまた母を失ったが、ボーディングスクールの友人にも大学の友人にも悲しみの深さを理解してもらえず、父ロジャーには話を聞いてもらえないと打ち拉がれていた。ニナはエレノアの悲愴な体験談を聞いて心を動かされ、エレノアの物語を広く伝えようと懸命になるが、実はエレノアではなくベシーの体験であったと知って騙されたと衝撃を受ける。
エレノアは嘘を知って憤慨するニナに叫ぶ。嘘じゃない。ただ私の物語ではなかっただけだと。エレノアはベシーに続いて、歳の離れた友人をも失い、娘の薦めた施設に入所することを受け容れる。

最初にユダヤ教徒の集会所を訪れた際、エレノアは歌唱クラブで講師(Beth Goodrich)の"I'm Still Here"を聞く。その歌詞がエレノアの心境と重なる。

エレノアとニナは、フィリップとドリス的関係(映画『最強のふたり[Intouchables]』(2011))を築く。
嘘をテーマにした作品の中から、映画『ビッグ・フィッシュ[Big Fish]』(2003)を薦めたい。
ホロコーストを描いた作品も数多あるが、ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件を扱った映画『サラの鍵[Elle s'appelait Sarah]』(2010)を。