展覧会『樋口実優個展「veil」』を鑑賞しての備忘録
日本橋N11ギャラリーにて、2026年6月20日~7月5日。
樋口実優の絵画展。
表題作《veil》(803mm×652mm)は、朱の画面の中央に方形の暗部を配した作品。上端などに黄緑を覗かせつつ模糊とした朱色が広がる。内側に向かって暗くなり、画面と相似に近い暗部が中央に現われる。黒く見えるが、青や紫などを重ねて得られた闇と思しい。アンリ・マティス[Henri Matisse]は《コリウールのフランス窓[Porte-fenêtre à Collioure]》で窓を冥界への入口のように描き出しているが、作家もまた日常に潜む亀裂、深淵に感応している。"vail"というより"void"であり"vacuum"であり、鑑賞者はその穿たれた穴へと吸い込まれる。
《2026.05.17》(803mm×652mm)では朱の画面の上から藍、青、紫の暗い部分が下へ向かい垂れ籠める。世界が闇に覆われていく。
《Untitled》(1167mm×910mm)は筆跡を残して厚塗りした暗紫色の画面にナイフを用いて下地の黄緑により略画的に人の顔を表わす。ジャン・フォートリエ[Jean Fautrier]の《人質の頭部[Tête d'otage]》などを連想させる。ピンクや紫で囲いを表わし中を埋めるイメージ《drawing①》もまたフォートリエがしばしば描いたモティーフに通じる。中園孔二の言葉が参考になろう。
絵を描くっていうのは自分のなかで、外縁をつくるみたいな、印象で、その、たくさんつくることにすごく意味があるんですけど、僕のなかでは。1個できたら、まぁちょっとこっち、なんていうんですかね、あの、まぁ形があらわれると思うんですけど。中側はわからないし見えないもの、触れないから、外縁を作って、あらわして。景色っていうのは、たぶんすごい誤解があって、おんなじ景色ってふうに言ってると思うんですけど。景色……表面は、これなんです。絵とか。立体だったら立体の表面だし。それは明らかにバラバラなんです。青とか緑とか。人が描かれているとか。抽象っぽいとか。まぁ、その、外縁を作って、中のことを景色っていうふうに言ってるだけで、景色は1個っていうふうに感じています。(江尻潔・土方明司企画・監修『顕神の夢―幻視の表現者』顕神の夢展実行委員会/2023/p.268)
《見えたり隠れたり》(1167mm×910mm)は全面を筆跡を残しマゼンタで覆った作品。下に行くほど暗い色味の部分が増える。左上には2つの点により小さな人物の顔が現われる。作家にとって顔は不意に現われる。シミュラクラ現象として説明される通り、顔は遍在する。《2026.05.17》(910mm×727mm)では山吹色の画面の右上に居られた3本の線により顔が現われる。目は藍、口は紫で描き分けられている。
《Untitled》(1167mm×910mm)の白を刷いた画面には、上端に草地の断面、左端に樹木ないし崖、下段に人物の胸像が茶色い絵具でドローイングのように描かれる。上端の地面はなだらかで短い草が生える。右側には1本の草が長い蔓をC字状に伸す。左端には判然としないがほぼ垂直に木の幹ないし崖が描かれる。画面下側の左側には人物の頭と肩とが枝や草と同じ様な線で略画的に表わされる。画面上段右側から、量感のある白い絵具による線が2本、大胆に描き足される。(実見したことはないが)霊魂が彷徨い込んできたようだ。視点を異にする3つのバラバラのモティーフが、この自在に浮遊する「霊魂」によって繋ぎ合わされる。空白は息(=spire)が吹き込まれる(=in)べく存在していたのである。
《2026.05.28》(910mm×727mm)の青い画面には上から白い線が下に、あるいは横に向かって降りてくる。稲光のようである。作家は雷に打たれる。作家は依代であり、空白である。故にspiritsが宿る(=inspired)のである。