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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 近藤祐生個展『臨界の建築』

展覧会『近藤祐生展「臨界の建築」』を鑑賞しての備忘録
ギャラリイKにて、2026年6月29日~7月4日。

コンクリート壁の断片を床や壁に配し展示空間に廃墟を起ち上げるインスタレーション《残骸》、戦災による廃墟を捉えた写真《痕跡》、木炭によるドローイング《記憶》で構成される、近藤祐生の個展。

コンクリート建造物の部材(表面にコンクリート塗布することで模した立体物)が欠け、落ちている。平板なのものは壁面であり、重なり合うのは基礎や梁であろうか。壁面にもコンクリート部材の残欠が並ぶ。梁ないし柱のような細長いものは床に倒れかかるように壁面から浮かされている。《残骸》と題されたインスタレーションである。展示空間を廃墟としている。
壁面の一角には戦災による廃墟を捉えた写真群《痕跡》が掲げられている。焦土に建造物が崩れ落ちた姿を晒す。

建築と廃墟と言えば、磯崎新である。

 磯崎新が生涯に亘って追求したのは、完成した作品がその生成プロセスの切断面でしかないような、来たるべき「見えない建築」だった。柱状のメガストラクチャーと古代ギリシア神殿の崩れた石柱とがモンタージュされた「孵化過程」の図版はイメージはよく知られているだろう。そのテクストは「未来都市は廃墟そのものである」と宣言している。(略)他方で磯崎はシルクスクリーンをはじめとするさまざまな技法により、現実に建てたれた建物と計画案のいずれについても、その原型をなす形態・空間のイメージを定着させることに熱心だった。建築や都市はそのとき、未来・現在・過去それぞれの時間が衝突して放たれた閃光のようなイメージ=観念として、「見えない建築」を一瞬垣間見させるのである。実現した建築物もまた、この「見えない建築」を幻視――ないし空間体験として幻触――させるための装置だったと言えるかも知れぬ。(略)
 その原イメージおよびリアリズム両者の根幹にあるのは、地上の建築物が逃れられない重力とそれに拮抗する構造の力がせめぎ合うダイナミズムの感覚だった。(略)その感覚は磯崎が丹下健三を師とする契機となった建造途中の広島ピースセンターや、重源が指揮して造らせた東大寺南大門との出会いに由来する。いずれも大地にすっくと立ち上げられた、こうした建造物の「理不尽」で「無理な」架構こそが若き磯崎新に衝撃を与え、「建築」なるものの力を実感させたのである((略))。(略)
 丹下の広島も重源の奈良も、それぞれの建物建造時には焦土だった。磯崎の重力感覚にとって重要な背景は、彼もまた〈建築〉と対になる焦土を故郷・大分で経験していたことである。磯崎とっての〈建築〉は敗戦の日の一瞬の空虚を象徴する青空のイメージと表裏一体をなしている。(田中純「見えない建築へ――追悼 磯崎新」田中純『磯崎新論』講談社/2024/p.636-637)

磯崎新が提示したのは「完成した作品がその生成プロセスの切断面でしかないような、来たるべき『見えない建築』」である。「見えない」のは不可視であるからではなく、混沌から秩序、秩序から混沌へという変転を不断に繰り返すことを織り込み済みだからである。廃墟もまた生成プロセスの一断面なのだ。

 均衡をつくり出すのは、この宇宙自身にそなわっている基本的なベクトル(方向性をもった力)だ。クォークから原子、原子から分子、分子からDNA連鎖、単細胞から多細胞生物、生物から意識、意識から共同体の文化、民俗文化から世界文明へと、複雑さを増し相転移(氷が水に、水が水蒸気に一挙にその在り方を変えるような)を重ねながら、より高いレベルを段階的に生み出してゆく力。1匹の単細胞生物、1個の煉瓦はそれ事態はほとんど安定しているが、群として見ればほとんど無秩序のカオスである。それが集まってより大きな多細胞生物体、ひとつの建築物となればその機能はより複雑に高レベルになるが、より不安定に壊れ易くなる。この宇宙で複雑なものほど不安定で、その出現は稀な偶然、ほとんど恩寵の賜物だ。
 廃墟はそんなこの宇宙の微妙な〝相転移のドラマ〟に深くかかわっている。(略)
 つまり秩序とカオスの中間形態、というよりカオスへの還元過程の一時期の状態である。そこで秩序とカオスの双方が触れ合って見える場所である。壊れかけた建築物の高度の秩序形態が、より低い単純な建築物の中から作り出された自己形成力が感じられると同時に、いま廃物の散乱が一面の塵というカオスに帰りつつあるその恐るべき荒廃力も、いつか新たなより複雑な秩序ある形態を産み出すであろう、ということ――日常の都市や田園では通常見えないことが、ありありと見える貴重な場所である。(略)
 廃墟が無常感の感傷に浸る場所では決してない、と先に私が書いたことの意味はそういうことである。鉱物の残骸物も、死んだ不動の、固定しきった存在のあり方を示すのではない。この宇宙のどんな小さなものにも、絶対の終局つまり死というものはない。死とはあるレベルでの秩序の弛緩ないし崩壊であって(何より意識という最高度に複雑精妙な機能の)、よりカオス的レベルに戻った構成要素たち(水、炭素、燐酸、カルシウムなど)は直ちにあの宇宙の方向性ある力に巻きこまれて動き始める。再びより複雑でより不安定な構成物を形づくるために。
 (略)
 かつてのより安定した在り方の記憶を深く留めながら、光背の威厳と美をいましばし虚無の只中に現出しているほとんど聖なる廃墟。懐かしく畏るべきもの。妖しく意識の最深部を魅惑してやまない不安なもの。その精妙に絡み合った陰影。
 それはまさしく私たち自身の姿ではあるまいか。(日野啓三「廃墟」谷川渥編『廃墟大全』中央公論新社〔中公文庫〕/2003/p.274-276)

会場から事務所へ通じる通路の壁面には木炭によるドローイング《記憶》が掲げられている。地下空間を漂う人影。それはオルフェウスの冥府降り(あるいはイザナギの黄泉訪問)である。それは磯崎新がつくばセンタービルに設けた、「雨水も視線も、ただ地中に吸いこまれていくだけ」の「水落」を有するフォーラムを連想させる。「建築はやがて全部消えるけれど、庭園は残」るとの磯崎の主張(田中純『磯崎新論』講談社/2024/p.298-318参照)を踏まえれば、作家は鑑賞者に冥府降りをさせたのである。黄泉=死=混沌を示すことで、直截には表現されていない(=不可視の)、地上=生=秩序としての建築を提示するのである。「臨界」とは、鑑賞者が冥府下りを終える、黄泉比良坂であった。故に《残骸》は、地下の庭、言わばサンクンガーデンであり、その構造は建築と異なり永続する。