可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『死ねばいいのに』

映画『死ねばいいのに』を鑑賞しての備忘録
2026年、日本製作。
95分。
監督・編集は、金井純一。
原作は、京極夏彦の小説『死ねばいいのに』。
脚本は、喜安浩平。
撮影監督は、清村俊幸。
照明は、土山正人。
録音は、高島良太。
整音は、西條博介。
美術は、津留啓亮。
衣装は、松本紗矢子。
ヘアメイクは、内城千栄子。
音楽は、D flat。

 

逢魔が時の草原を渡来映子(奈緒)が訪れる。
私は幸せ。幸せ? このままずーっと幸せでいたい。…なら、死ねばいいのに…。死ねばいいのに? …そっか、そうだね。
渡来が丘の斜面を下っていく。
ビルの屋上。手摺に背を持たせたまま動かないワンピース姿の女性(伊東蒼)。首筋には痣がある。
嘘でしょ? 聞いてない。何で教えてくれてくれなかったの? 知らないなんて思わなかったから。社内は派遣社員・鹿島亜佐美の死についての噂話で持ちきり。目立たないように振る舞う山崎寛之(前原滉)の耳にも嫌でも噂は入ってくる。
開店準備中の店に捜査員が現われ、鹿島亜佐美といつ会ったか尋ねられた佐久間雄也(草川拓弥)は会ってないですと答える。
集合住宅。鹿島亜佐美の301号室を刑事が訪れていた。篠宮佳織(髙橋ひかる)は脇を通り抜けて部屋に入ろうとして捜査員に呼び止められた。302号室の篠宮佳織さんですよね? 少しお話しを…。
鹿島尚子(田畑智子)が畳敷きの居間で缶酎ハイを呑んでいる。住宅の前に刑事がやって来て、鹿島尚子を呼ぶ。
警察署。会議室のホワイトボードには、派遣社員殺人・死体遺棄事件の捜査情報が集約されている。亜佐美の派遣先の上司・山崎寛之、隣人で高校時代の部活の先輩に当たる公務員・篠宮佳織。交際相手で暴力団構成員・佐久間雄也。
山崎さんですよね? 階段を降りて来たスーツ姿の山崎に待ち構えていた度来が声をかける。えっ? 金髪のショートカットを撫で付け額を出したボーイッシュな女性はウインドジャケットにデニムのパンツという場違いな身形で山崎は戸惑う。山崎さんの部署で、鹿島亜佐美が働いてましたよね? どちらの方? お友達? 知り合いです。亜佐美のこと、聞かせてもらいたいんです。2人は近くのテーブル席に差し向かいに坐る。まずは身元を明かして下さい。渡来映子、無職。後、何だろう…? いいよ。お友達? 友達じゃないです。山崎は頻りに鳴るスマートフォンを無視する。死にましたよね、亜佐美、3週間前に。えっ、何? 亜佐美、死にましたよね? 亜佐美が死んでどうですか? そりゃ死んだのはショックでしたけど…。で? はっ? でっ? ショックだった、それだけですか? 毎日会ってたんですよね? いやいや、…えっ? あの、いや、あのね、悲しいですよ、いい娘だったし。どこが? どんな風にいい娘だったんですか? 普通なところ。みんな私が私がって、ハラスメントだなんだかんだって、我が儘ばかり。あの娘はそうじゃなかった。従順だったってことですか? 君もね、就職してみたら分かりますよ、管理職の大変さが。従順な娘が好きなんですか? 別に好き嫌いで仕事しませんよ。でも、ヤってますよね、亜佐美と。ヤっちゃってますよね、何回も。私、見たんですよ、メール。ベタですよね、業務連絡に暗号潜ませるって。そういうこと? 金ならないよ。住宅ローンに教育費で消えるから。消したんで、メール。残ってたら絶対警察にマークされてましたよ。感謝して下さいよ。何なんだ、君は! だから言ってるじゃないですか、亜佐美のことが知りたいって。良い思いしてたんですよね、奥さんいるのに。亜佐美が死んで手間が省けて丁度いいやって。メールには好きだとか可愛いとか書いてましたけど、ショックだったとかで片付くもんなんですか?

 

雑居ビルの屋上で派遣社員・鹿島亜佐美(伊東蒼)の絞殺遺体が発見された。警察の事情聴取のために溜まった仕事に忙殺されていた山崎寛之(前原滉)の前に、亜佐美の知り合いを名乗る渡来映子(奈緒)が突然現われた。亜佐美について知りたいと言う渡来は妻子ある山崎が亜佐美と頻繁に密会していたことを把握していた。亜佐美とは真剣に付き合っていたから辛くて苦しいと吐露する山崎は、だったら死ねばいいのにと渡来に吐き捨てられる。亜佐美の隣の部屋で暮らす区役所勤務の篠宮佳織(髙橋ひかる)の家を渡来が訪ねて来た。SNSで亜佐美を中傷している事実を渡来に突き付けられた篠宮は、交際相手を高校の部活の後輩でもある亜佐美に寝取られたからだと反論する。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

アルバイトを辞めた夜、街で偶々亜佐美が男(浅野竣哉)にしつこく絡まれている場面に出会した。傘で殴り付けて男を追い払った渡来は、亜佐美に御礼として喫茶店に誘われた。亜佐美は身の上を一方的に語る。その場限りと思われたが、2週間後に連絡が入ると渡来は亜佐美と会うことを躊躇わなかった。亜佐美は喫茶店が臨時休業だと知ると渡来を自宅に招き、さらにお気に入りの場所だという雑居ビルの屋上に連れて行った。特段何という事も無い景色を美しいと愛で、幸せだと言う。上司に玩具にされ、先輩に苛められ、交際相手に暴力を振るわれている亜佐美のどこが幸せなのか、渡来には理解できない。
否、ありふれた今、ここで亜佐美が幸せを感じるのは、剰りに不幸であるが故に幸福を感じる基準が低すぎるのではないのか。幸せを持続させたいと真に願うなら、むしろ命を絶つことで不幸に舞い戻らないことが選択肢になるだろうか。
何をもって幸福とするのか。幸福が相対的であるなら第三者が不幸と考える最中にある者の生活=生命に介入することはできない。
亜佐美は、彼女のラップトップのデスクトップの背景に設定している、夜の草原である。亜佐美の関係者たちは渡来によって亜佐美=夜の草原という「お白州」に引っ立てられ、渡来に尋問される。映画はここで、異空間としての夜の草原を日常と地続きとして描く。だが渡来は奉行でも代官でもなく、裁きを下すわけでは無い。亜佐美の関係者たちは亜佐美の死の責任から逃れようとあれこれ言い募るうち、自らの真の姿を曝け出してしまう。亜佐美=夜の草原は浄玻璃鏡なのだ、なおかつ、亜佐美=夜の草原という穴、虚空は、山崎、篠宮、佐久間らの鬱憤の捌け口であったことが浮かび上がる。

(以下では、全篇に言及する。)

佐久間は亜佐美と4年交際している。亜佐美は母親から借金の形に暴力団員に差し出され、佐久間が兄貴分から譲り受けていた。佐久間は亜佐美に対して所有権を有すると主張する。亜佐美は物として扱われている。同様に、山崎にとってはペットであり、篠宮にとってはサンドバッグである。すなわち、亜佐美は絞殺される前から死んでいたとも言える。亜佐美は自分語りばかりのエゴイストたちにより物=「死体」であったのだ。
エゴイズムを描く作品と言えば、芥川龍之介の「羅生門」である。職を失い、行く当ての無い下人が、飢え死にするか盗人になるかという選択に迫られる中、夜を明かす場所を求めて羅生門の楼上に忍び込む。遺棄された死体が並ぶ中、遺体の髪を毟り取る老婆を目にすると悪を憎む心が俄に高まり、下人は老婆を引っ捕まえて詰問する。

「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしょうと思うたのじゃ」
 下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、又前の憎悪が、冷な侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
「成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、その位な事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。(略)わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今又、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ」
 老婆は、大体こんな意味の事を云った。
 下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
「きっと、そうか」
 老婆の話が完ると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ」
 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。(芥川龍之介『羅生門・鼻』新潮社〔新潮文庫〕/1968/p.15-16)

「仕方がなくする事じゃわいの」を言い訳にしてエゴイストたちが闇に落ちていく。そして、無職の渡来は、「行き所がなくて、途方にくれていた」下人の境遇にむしろ近しい。だが、渡来は他の面々とは明らかに異なる。
渡来は亜佐美に対し、死ねばいいのにと唆す。このありふれた時間が幸福になってしまうくらいの不幸の最中にあるなら、不幸を終わりにするべきだと願う。死んでいる状態(夜=死)を殺すことで、亜佐美の再生(朝見)を図ったのだ。
だって一番死ねばいいのは私じゃないですか――渡来は自らの行為が殺人罪に該当すると認識している。死刑に値すると考えている。自己弁護に終始するエゴイストではない渡来は、むしろ、亜佐美のために自らを差し出したのだ。慧眼の国選弁護人・五條陸(平原テツ)は渡来の真意を見抜いている。だからこう告げる、死んでしまったら、もうその人を知ることはできない。一番分かっているのは君じゃないか、と。だから渡来は、「羅生門」の下人とは異なり、「黒洞々たる夜」から抜け出すことができるだろう。渡来の眼からこぼれ落ちる涙がその証左である。