可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ブリング・ハー・バック』

映画『ブリング・ハー・バック』を鑑賞しての備忘録
2025年、オーストラリア製作。
104分。
監督は、ダニー・フィリッポウ[Danny Philippou]とマイケル・フィリッポウ[Michael Philippou]。
脚本は、ダニー・フィリッポウ[Danny Philippou]とビル・ハインツマン[Bill Hinzman]。
撮影は、アーロン・マクリスキー[Aaron McLisky]。
美術は、バネッサ・サーン[Vanessa Cerne]。
衣装は、アナ・ケイヒル[Anna Cahill]。
編集は、ジェフ・ラム[Geoff Lamb]。
音楽は、コーネル・ウィルチェック[Cornel Wilczek]。
原題は、"Bring Her Back"。

 

薄暗い洞穴で、地面に引いた白い円の中に立つ若い女性が天を仰ぐ。裸の男が現われ彼女の頭部に手を置く。手にしたヴィデオカメラで撮影しながらロシア語で何か呟き、地面に置かれた遺体を確認する。2人がかりで吊し上げた土囊袋の人物が脚をバタバタさせる。ヴィデオカメラのモニターに若い女性の顔がクローズアップされる。彼女の右目の下に痣がある。
パイパー(Sora Wong)はゴールボールを終え、バス停に1人でいる。近くでは3人の女子生徒(Asha O'Connell、Arianny Ross、Amya Mollison)がスナップチャットを話題に盛り上がっている。パイパーが3人に近付き話しかける。みんな、街に出るの? うん。3人は突然、視覚障害のある少女に話しかけられて戸惑う。友達に会うの? そうでしょ、何で? アンディ(Billy Barratt)がパイパーを見付け駆け付ける。俺を待つ約束だろ? 誰、この人? ロリコン? 俺は兄貴だから。少女たちに疑念を抱かれないようアンディが慌てて訂正する。義理だけどね。バスが到着する。アンディはパイパーを連れてその場から駐車場に向かう。振り返ると、パイパーの表情を真似して3人組が笑っていた。嫌われたよね。そんなことないさ。嫌われたって。みんな黒髪の良い娘たちさ。ファッションセンスはどうかと思うけどね。で、杖はどうしたんだ? バッグに入ってる。何でいつも聞くの? 悪かったよ。ゴールボールは? 負けた。
自宅前。アンディが自動車から外れてしまった左のサイドミラーを補修している。アンディ! パイパーが家から叫ぶ。アンディが慌てて家の中へ向かう。パイパーは手探りでキッチンへ行きナイフを取り出し、アンディに手渡す。アンディは浴室の父親に声を掛けるが応答がない。鍵のかかったドアの鍵をナイフでこじ開ける。入るよ! 流れっぱなしのシャワーのせいで浴室内には湯気が立ち籠めている。床に仰向けに倒れた父親(Stephen Phillips)が目に入った。強く打ち付けた頭部から血が流れ出ている。アンディが呆然と立ち尽くす。アンディ! 何があったの? パイパーが入って来て、父親の身体に触れ、叫ぶ。
父親の遺体が袋に収められ救急隊員によりストレッチャーで運ばれる。パイパーは警察官の事情聴取に応じている。抗癌剤治療が終わったばかりで、良くなるはずだったのに。お兄さんは助けてくれた? いいえ、中に入れてくれようとしなかったの。大丈夫、あなたは勇敢だわ。部屋の外に立つアンディに2人の声が漏れ伝わる。ストレッチャーのタイヤが引っ掛かり玄関からスムーズに外に出ないため、ガタガタと音を立てる。
児童養護施設。パイパーとアンディがウェンディ(Sally-Anne Upton)と面談する。視力は限定されているのね? 形と光が識別できる程度です。ローラは素晴らしい里親よ。きっと気に入るわ。アンディは施設に入居してもらう。私たちを引き離すの? 俺が面倒見ます。成人年齢に達すれば後見人になれるから。それは分かりますけど、パイパーには俺が傍に付いてないと。兄と一緒じゃ駄目ですか? ローラはかつて問題を抱えた子供との間で一悶着あったのよ。何なの? 別に。グレープフルーツ。小っちゃい頃に面倒を起こしたことがあってさ。8歳の頃。一緒にいられるように話を着けられませんか? 仮に彼女が承諾してくれたとして、3ヶ月間大人しくしていられる? アンディが頷く。
作業員が父親の部屋の改装をしている。ベッドの下にいるパイパーと話すためにアンディも潜り込む。上空を通過する飛行機の音がする。聞えるか、父さんが天国へ向かってる。下らない。火葬とか土葬とかじゃない、飛行機に乗るんだ。私に気を遣わなくたっていいよ。分かってるけどさ。まだパパの匂いがする。お父さんの服を持って行けば? 洗濯しちゃったから匂いはしないよ。枕は? まだ洗ってないだろ?
アンディの運転する隣でパイパーが父親の枕を抱えている。車は山の中へ入って行く。
山中に立つ住宅が見えてきた。着いた。アンディは花壇に乗り上げてしまう。修理したサイドミラーが再び外れる。目の見えないのは私だけど。うるさい。車を降りると家の中からの大音量の音楽が漏れ伝わる。ママの庭みたいな匂い。長居はしないぞ。玄関で大声で呼ぶ。入って! 開いてる! うるさくてごめんなさい! 居間に向かうとローラ(Sally Hawkins)が音楽を止めて感激してパイパーの手を取る。ようこそ新しい住まいへ。私の家はあなたたちの家よ。ローラよ、あなたはパイパーね、それで…。アンディです。そう、アンディね。写真を撮ってもいいかしら? ローラがスマホで2人と自撮りする。興奮するローラに見せられた写真には満面の笑みのローラの顔でアンディは隠れていた。ポンポンに会って。ポンポン? 犬よ。ワフッ! ローラが吼える真似をしてパイパーを驚かせる。剥製なのよ。変わり者って思われるわよね。ジャンクマンって猫もいるわ。まだ剥製じゃ無いわ。そのうち剥製にするけど。杖は? 使いたくないの。どうして? 子供扱いされるから。なるほどね。人は好き勝手言うわ。私の祖母はよく言ってもんだわ。くたばれこのクソデブが、って。よく悪態を吐いてた。アンディが床の絨毯に気付く。これはパイパーのため? 娘が目が見えなくて。彼女もここに? いいえ、亡くなったわ。ごめん。いいのよ、知らなくて当然でしょ。どうして亡くなったの? 溺れたの。

 

パイパー(Sora Wong)は形と明るさが分かる程度の視覚障害者。できることは何でも自分でやりたい。しかし、亡き母の再婚相手フィル(Stephen Phillips)の連れ子であるアンディ(Billy Barratt)は義妹を心配してあれこれと世話を焼く。それがちょっと鬱陶しい。抗癌剤治療を止めたフィルが浴室で倒れ、帰らぬ人となった。児童相談員のウェンディ(Sally-Anne Upton)はパイパーを里子に出す一方、10年前に問題行動を起こしたアンディを施設に預けることにした。アンディは成人したらパイパーの後見人になるから、3ヶ月間だけパイパーとともに居候させて欲しいとウェンディに里親への仲介を頼む。2人を受け容れたローラ(Sally Hawkins)は、亡き娘キャシー(Mischa Heywood)が視覚障害者であったため、パイパーを迎えられたことに歓喜する。他方でアンディに対してはつれない態度を取る。ローラには、キャシーのプールでの溺死をきかけに緘黙症になった息子のオリバー(Jonah Wren Phillips)がいるが、何故か2人とは別行動を取らされていた。

(以下では、冒頭以外の内容について言及する。)

里子に出された少女とその義兄が里親の陰謀により危機に曝される。
視覚障害のあるパイパーの不用意に見えてしまう行動、ローラの裏表のある態度、オリバーの何をしでかすか分からない不穏さ、そして強調された音が相俟って、終始緊張感が持続する。
ローラは自宅のプールで娘のキャシーを失った。悲嘆の余り、娘の墓から離れることができなかった。ローラは娘の再生を冀い悪魔主義に傾倒してしまう。再生の儀式のヴィデオテープを参考に、キャシーの復活の日を迎えるための準備を着々と進めていた。オルフェウスの冥府降りやイザナギの黄泉訪問といった神話が伝える通り、死者の復活・再生はタブーである。娘に対する盲目の愛、悪魔に対する盲信。ローラは娘の蘇り以外が見えなくなっている。
パイパーは母の前夫との娘であり、アンディは母の再婚相手の息子である。それぞれの母・父の再婚により義理の兄妹となったが、2人の間には血縁関係はない。パイパーには視覚障害があるが故にそれだけ義妹に対する心配が募る。アンディが世話を焼いてくれることに愛情を感じながらも、自分でできることは自分でやりたいパイパーは兄に対して不躾な態度を取ってしまう。2人が恰も仲違いしているかのような言葉を交わし態度を取るのは、「兄妹」という建前を崩さないためであり、その実、相思相愛なのである。
アンディは幼い頃、フィルから愛情を取り戻そうと学校で問題行動を起こすが、却って父親に嫌われる。アンディはフィルから虐待されていた。浴室で倒れたフィルを発見した際、アンディが呆然と立ち尽くしていたのは、父親に対する葛藤のためであった。車の故障(サイドミラーが外れる)は眼に見えるが、心の傷は眼には見えづらい。ウェンディからアンディの生い立ち・素行を知らされていたローラは、児童相談所でソーシャルワーカーをしていた経験(ウェンディに信頼される所以)を活かし、アンディをパイパーから引き離そうと画策する。パイパーを利用したキャシー復活の障害となるからだ。
ローラはパイパーにママと呼んでもいいのよと声を掛けるが、パイパーはひょっとしたら(あるかも)、とだけ答える。ローラにとっては失意の瞬間であった。これは伏線である。後にパイパーからママと呼ばれることで、ローラは大いに動揺することになるだろう。
何より強調された音は、そして時折挟まれるぼんやりとした映像は、不完全ながらも鑑賞者をパイパーの感覚に寄り添わせる。
痛みを感じさせるシーンは、いかに視覚が影響するかを体感させるものである。冒頭に登場する、地面に白線で描いた円から始まり、時折白い線ないし円が登場するのも、勝手に引かれた線のもたらす境界の効果を訴えるものだ。それは法など社会的システムの恣意性を浮かび上がらせる。画一的な成人年齢、後見制度といった仕組みが、また家族法による姻族(義理の兄妹)という境界が、パイパーとアンディとを引き離してしまう。