映画『デッドマンズ・ワイヤー』を鑑賞しての備忘録
2025年、アメリカ製作。
105分。
監督は、ガス・バン・サント[Gus Van Sant]。
脚本は、オースティン・コロドニー[Austin Kolodney]。
撮影は、アルノー・ポーティエ[Arnaud Potier]。
美術は、ステファン・デシャント[Stefan Dechant]。
衣装は、ペギー・シュニツァー[Peggy Schnitzer]。
編集は、サー・クライン[Saar Klein]。
音楽は、ダニー・エルフマン[Danny Elfman]。
原題は、"Dead Man's Wire"。
1977年2月8日火曜日。インディアナポリス。トニー・キリシス(Bill Skarsgård)がハンドルを握る。WYCDに周波数を合わせたラジオからは渋い「インディアナポリスの声」が流れてくる。
…高架下を歩いていると、今日もまた仕事に向かう小綺麗な身形の秘書や草臥れたガラス清掃人が行き交うのが目に入った。身を切る風の中、足元の1枚のカードが目に留まる。裏返してみると選りに選ってジョーカーだった。良きにつけ悪しきにつけ、諸行無常。だから心配には及ばない、と言い聞かせる。ジョーカーに微笑んでみせる。どうせ全ては雪のように融けて消えるのだから。インディアナポリスの皆さん、何が聞えますか? 2月8日火曜日8時45分55秒。DJのフレッド・テンプル(Colman Domingo)です。お送りしているのはデオダート。
トニーが車を駐め、バックミラーを見て身嗜みを整える。抜き取ろうとしたキーは壊れ、指を傷める。クソッ。左脚は包帯で吊っているので、右腕で箱を取り出し抱えると、脚でドアを閉める。目の前に立ちはだかるビルを眺め、意を決して向かう。
トニーがビルの回転ドアをぎこちなく通り抜ける。受付に向かう。おはようございます。いつものバーブは? 新人? そうです。ドリーンです。受付嬢(Jordan Claire Robbins)が名乗る。お客様は? トニー・キリシス。メリディアンモーゲージのM.L.ホールと約束があるんだ。お掛けになってお待ちください。トニーが動顚した様子でカウチに腰を降ろす。ドリーンがトニーを呼ぶ。キリシス様、申し訳ありません。手違いがあったようで、M.L.ホールはフロリダに出張しております。
フロリダのホテル。M.L.ホール(Al Pacino)が妻のメイベル・ホール(Kelly Lynch)とともにプールサイドで寛いでいる。接客係(Casey Feigh)がブリトーを運んできた。違う。昨日と同じものですよ。チキン、ライス、ほうれん草です。半分に切ってしまってるじゃないか。俺はいつも三等分で食べるんだ。何より火曜は肉は食べない。正解には程遠い。
私もフロリダにいられたらって思います、厳しい寒さですもの、とドリーン。待ってくれ、メリディアン・モーゲージと面談することになってるんだ。御子息のリチャードが参りますので。リチャード・ホール(Dacre Montgomery)が現われる。父が急な出張のために不在で申し訳ない。巫山戯るな。奴は俺を避けてるんだろ。父との間にいろいろあったのは承知しているよ。ここは穏便に済ませようじゃないか。腕はどうしたんだ? 大したことはない。切り株を抜いていたらケーブルが切れて腕をかすめたんだ。それはそれは。親父の仕事場で話さないか? あんたに任せる。ミントは? 要らない。
リチャードの案内でトニーはエレベーターでメリディアン・モーゲージのフロアへ。リチャードは社員たちと笑顔で挨拶を交わしながら歩いて行く。父の執務室のドアをノックし、バーブ(Rita Hight)にトニーの来訪を伝えた。ここが職場なのか? こちらに移ったのよ。腕はどうしたの? 大したことないさ。親父の会議室を使わせてもらうよ。再会できて光栄だ、親切にしてもらったもんな。リチャードがトニーを父の部屋に招き入れる。外目が気になるからドアを閉めてもいいか? もちろん。トニーは、大学卒業時のものなど家族写真を眺める。素敵な家族だな。頼みがあるんだ、図面を拡げてくれないか。土地や父との事業計画について話したいんだろう? リチャードがテーブルの上に捲かれた紙を拡げるとショットガンの組立図が描かれていた。こちらを向け。リチャードが振り返るとトニーが銃を向けていた。ちょっと待ってくれ…。これは真剣な話だ。ショットガンをお前の首に固定するからな。仕舞ってくれ、そんなことしちゃ駄目だ。この会社は俺を酷い目に遭わせた。お前と親父が俺に何をしたか世間に知らしめてやるんだ。何が望みだ? 後ろを向け。分かったよ。ジャケットを脱げ、ネクタイも外せ。トニーはリチャードの首に針金を捲き付ける。何なんだ? 「安全装置」だよ。気絶したりよろけたり逃げようとしたりしたら脳天が吹っ飛ぶことになるぞ。トニーは針金でショットガンの銃口とリチャードの首を繋ぎ、自分の首にも掛ける。誰に見られちゃいない。引き返すなら今だ。まだ序の口さ。そのとき窓の外にガラス清掃員が現われ、トニーは動揺する。
1977年2月8日火曜日、インディアナ州インディアナポリス。トニー・キリシス(Bill Skarsgård)は、お気に入りのDJフレッド・テンプル(Colman Domingo)のラジオ番組を聴きながらローン会社メリディアン・モーゲージに向かう。トニーは所有地をショッピングセンターに開発する計画で同社のローンを組んだが、同社はショッピングセンターを他所に誘致し、なおかつトニーにローンの返済を迫った。騙されたトニーは復讐のためメリディアン・モーゲージ会長のM.L.ホール(Al Pacino)との面談に赴くが、フロリダへの出張で不在だった。トニーは代わりに応接した息子で社長のリチャード・ホール(Dacre Montgomery)を銃で脅し、彼の首にショットガンを針金で括り付け、自分とも繋いだ。リチャードが逃走しても、自分が射殺されても即座に弾丸がリチャードを貫くという「安全装置」だった。トニーは通報で駆け付けた警察官からパトカーを奪う。チャンネル12のリポーターであるリンダ・ペイジ(Myha'la)が偶然近くに居合わせ、トニーがリチャードにショットガンを固定したまま歩き、パトカーで逃走する場面を撮影できた。リチャードの運転で自宅に向かったトニーは、リチャードを自室の椅子に縛り付け、いつでも発射できるようショットガンを向かい合わせに固定する。トニーはリチャードを人質に、M.L.ホールによる謝罪とメリディアン・モーゲージ社に対する債務の免除、検察による不起訴処分を要求する。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
実際に起きた劇場型犯罪を元にしたフィクション。事件当時の映像が挿入される。
インディアナポリスのトニー・キリシスは自らの地所にショッピングセンターを開発するためメリディアン・モーゲージ社のローンを組んだが、同社はショッピングセンターを他所に開設した上、トニーに利息を含めた債務の返済を求めた。トニーは詐欺的な契約と主張し帳消しを求めるが埒が明かないためショットガンを隠し持って同社会長M.L.ホールに会おうとするが、会長は約束を反故にしてフロリダに飛んでいた。トニーは代わりに息子である社長のリチャードにショットガンを突き付け自宅に連行する。拉致する姿はテレビ局のクルーにより撮影されていた。また、トニーは「インディアナポリスの声」として知られる地元ラジオ局の名物DJフレッド・テンプルに電話し、自らの主張を訴える。フレッドはトニーの許可を取り録音した音声を番組で流す。さらにトニーはテレビ局に対し自らの声明を放送するよう要求する。
M.L.ホールは利潤追求だけを考え、人を人とも思わない、資本主義の権化のような存在である。リチャードとの面会予約を反古にするためにマイアミに逃亡する。リゾートホテルでは注文したブリトーを火曜日は肉は食わないと言って拒否する("no meat"と"no meeting"の駄洒落)。M.L.ホールにとって正当・不当は問題ではない。法の枠内なら利潤追求のために何をやっても構わないと考える(権利濫用として違法評価を受ける余地はあろうが)。だからこそトニーは、法を枉げてまでM.L.ホールの息子リチャードを人質に取り、マスメディアを使ってM.L.ホールの不当を訴えるのだ。トニーがM.L.ホールの家族に申し訳ないと溢しつつ、警察の卑怯さを繰り返し論うのが印象的だ。当然ながら、地元警察、FBI、検察、裁判所など司法当局は法規に則って動くから、トニーにとって不利で、M.L.ホールにとっては有利な結果をもたらす。
それでも、レポーターのリンダが報告するように、地元の世論は二分された。銃を突き付けて交渉を迫る罪を犯しつつも、権力を向こうに1人でローン会社(の会長)を糾弾する姿は、一定の共感を得たのだ。実際、鑑賞者もまたトニーに共感を禁じ得ないのではないか。無論、トニーもまた所有地を開発を目論んだ資本主義のプレイヤーである。この点について、コミュニティを破壊する開発に反対する草の根運動を展開し都市部の再開発について再考を迫ったジェイン・ジェイコブズ[Jane Butzner Jacobs]を参照したい。ジェイコブズは1950~1960年代に故郷であるニューヨーク、グリニッジ・ヴィレッジの再開発に異を唱えて住民運動を組織した。
アナキズムとの関係では、ジェイコブズが市場を決して否定しない点は強調しておきたい。行政の頭ごなしの開発推進に強い不信感を抱いていたジェイコブズは、都市再生にぽてはビル所有者や地主など、民間の力の活用を重視していた。ただし、民間ならどんなものでもいいわけではない。背景には、プルードン(あとでも取り上げるアナキズムの思想家ピエール=ジョゼフ・プルードン)的に言えば私的所有(propriété)、共有(communauté)、そして占有(posession)の区別にあたる考えがある。ジェイコブズの文脈では、その場所に金儲け以外の関心を持たず、そこからどれだけの利益を引き出せるかの観点からのみ投資を行う開発業者のふるまいは、私的所有の範疇に入る。業者と組んで机上の開発計画できれいな街を一から作り直して都市も住民も浄化しようとする当局の行為は、共有にあたる。これに対して、都市の活力の担い手となり、たとえば店子や賃借人の生活の失に配慮する家主は占有者である。不動産とのこのようなかかわり方は、その場所を熟知していなければ実現せず、したがって多くの場所では同時には行えない。つまり責任ある所有とは小さな保有に限られるのだ。ジェイコブズ自身は民間資金の投資のスピードと規模に着目し、このことをゆるやかなお金(占有にあたる)と怒濤のお金(私的所有にあたる)の対比として捉えている。
都市の再生はよそ者には不可能である。建てたら終わり、作ったらさようならの人たちに任せても、失敗の責任を誰も取ってはくれない。それは行政も同じである。行政担当者が継続的な責任を負うなどというのは甘い考えだ。だいたい異動ですぐ担当が替わる。したがって、都市住民による自治と自立は都市をいかすための最もよいやり方なのだ。都市は生きている。都市が部分的に私有や共有の対象になるとしても、活気や賑わいそのものは所有されえない。だからそこに住み、働き、街にやってくる人々、違った時間に街を見守る人々によって維持されなければ、都市は弱って死んでしまうのだ。(重田園江『シン・アナキズム――世直し思想家列伝』NHK出版〔NHKBOOKS〕/2025/p.48-49)