可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 横手太紀個展『to make today lovely, too』・『to make today lonely, too』

展覧会『横手太紀「to make today lovely, too」』を鑑賞しての備忘録
parcelにて、2026年6月27日~7月26日。

ウサギのような毛足の長い動物のぬいぐるみ、床でウネウネと動くバッグ、テーブルの上で浮遊し回転するコンクリート片、内部で小蠅の映像を流す住宅模型、メタリックな表情の壺などで構成される、横手太紀の個展。同じ建物にあるCON_を会場とする『to make today lonely, too』と同時開催。

「Nameless Choco」シリーズ(各350mm×300mm×150mm)は、毛足の長い動物のぬいぐるみ。兎のように長い耳、金色の目、黒い鼻を持つ。焦茶色の毛の10体と、茶色に白が混じる毛の10体が、それぞれ壁面に取り付けた台に壁に凭せ掛けて坐らせてある。尻尾が出ているものとの出ていないものがある。一番の違いは目の形で、丸に近いものと不定形のものとがあり、左右でも違えられている。
「Wriggling Bag」シリーズは、床に置かれたトートバッグやリュックサックなどがウネウネと動く作品である。《Wriggling Bag(old)》(340mm×470mm×230mm)は、傷みの激しい焦茶色のボストンバッグで破れ目から毛が食み出す。《Wriggling Bag(Green dragon)》(480mm×320mm×330mm)はモスグリーンのナップザックに黄緑の恐竜のマスコットが付いている。《Wriggling Bag(Purple stars)》(440mm×390mm×250mm)は紫の生地に星がプリントされたボストンバッグ。中に閉じ込められた生き物が藻搔いているようである。《Wriggling Bag(Moff)》(340mm×470mm×230mm)だけは長い毛に全面が覆われており、それ自体が生き物のようである。
《an unending day(house of flies)》は黒い切妻屋根を載せたレモン色の壁の住宅の模型で、窓越しに中を覗き込むと、小蠅の映像が映し出されている。仮令、光陰矢の如し[Time flies]であっても、蠅[flies]が屋内に監禁されている以上、1日が終わる(飛ぶように過ぎる)ことはない。
《all we imagine as stars(Shii, Oii, Nyan, Ten, Onni)》は、木製の卓の楕円の天板から浮遊した5つのコンクリート片が回転する作品。楕円は惑星の軌道に通じ、地球の表面から数cm浮いたオブジェと天体とを軽やかに繋いで見せる。惑星の1つである地球もまた自転しながら公転し、その地表に立つ鑑賞者もまた同じく回転する。

「そうか、自転しながら公転してるんだな」
「は?」
 貫一はカウンター越しに自分と都の分の鮭を頼んだ。
「なあ、おみや」
 彼は顔を寄せて都に囁いた。
「地球はどのくらいの速さで、自転と公転してると思う?」
「そんなの知らないよ」
「地球は秒速465メートルで自転して、その勢いのまま秒速30キロで公転してる」
 都がぽかんとする。
「地球はな、ものすごい勢いで回転しながら太陽のまわりを回ってるわけだけど、ただ円を描いて回ってるだけじゃなくて、こうスパイラル状に宇宙を駆け抜けてるんだ」
 貫一は炒め物の皿に残っていたうずら卵を楊枝で刺し、それを顔の前でぐるぐる回した。
「太陽だってじっとしてるわけじゃなくて天の川銀河に所属する2千億個の恒星のひとつで、渦巻き状に回ってる。だからおれたちはぴったり同じ軌道には一瞬も戻れない」(山本文緒『自転しながら公転する』新潮社〔新潮文庫〕/2022/p.102-103)

「tsubo」シリーズ12点は真鍮のような金属的な光沢を持つ焼き物である。概して頸が長く、胴が張っているが、それぞれ大きさや形が異なる。大小の壺は入れ籠の関係をイメージさせる。また、成型は轆轤によることから、壺は回転運動の産物と言える。
《Bite Senkichi(壁)》(320mm×260mm×26mm)は、飼い犬によって囓られた壁を撮影した写真で、白い額縁に収められてる。その額にもまた犬の噛み跡がある。入れ籠の関係が成り立っている。

 (略)「サイクリック宇宙論」とその理論によると、われわれの宇宙のような空間領域は、膨張期を経て収縮期に入るというサイクルを果てしなく繰り返す。ビッグバンの膨張は、それに先立つ州酒器からの反跳躍なのだ。(略)しかしトルマンは、熱力学第二法則のせいで、その目論見はうまくいかないことに気がついた。この法則によれば、サイクルが繰り返されるにつれて、エントロピーは着実に増大する。だとすれば、われわれの宇宙のような空間領域は、有限回のサイクルしか経ていないはずで、結局、宇宙には始まりがなければならないことになるのだ。スタインハートとイジャスは、自分たちの新しいサイクリック理論なら、その問題を克服できると主張した。ふたりは、それぞれのサイクルで、与えられた空間領域は収縮する分よりはるかに大きく膨張することを示した。その場合、空間のエントロピーは、熱力学第二法則に従って、サイクルを経るにつれ増大するが、空間の一部(われわれが今住んでいる観測可能な宇宙を生じさせた領域など)では、トルマンの狙いを挫いたエントロピーの蓄積は、もはや問題ではない。空間の膨張はあらゆる物質と放射を薄める。そしてそれに続く収縮は、重力を利用して、新しいサイクルが始まるのにちょうど良い高品質のエネルギーを空間に充填する。そして各サイクルに要する時間は、暗黒エネルギーの値で決まる。(略)
 (略)螺旋の一巻きが、宇宙論的な一サイクルを表す。さらに、そのサイクルは未来ばかでなく過去にも果てしなく続いているかもしれないから、どちらの向きにも無限に拡張された構造をイメージする必要があるだろう。われわれが知る宇宙は、その宇宙論的な螺旋の一巻きの、さらにその一部になるだろう。(ブライアン・グリーン〔青木薫〕『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』講談社/2021/p.488-489)

作家は、回転や繰り返しの動作を通じ、生命と宇宙とを繋いで提示している。

展覧会『横手太紀「to make today lonely, too」』を鑑賞しての備忘録
CON_にて、2026年6月27日~7月26日。
瓦礫の上で浮遊し回転する瓦礫片、壁に投映されるタイヤに轢かれる壁際に咲く花の映像、窓に投映される窓外に落下する何かの映像、薄汚れたカーテン、物音が聞えて来るす収納家具などで構成される、横手太紀の個展。同じ建物にあるparcelを会場とする『to make today lovely, too』と同時開催。

「Floating Rubble(when the cat's away, the mice will play)」シリーズは、コンクリートの瓦礫の上で、瓦礫の小片が浮遊・回転するシリーズである。瓦礫はエントロピーの蓄積のメタファーであり、瓦礫の一部である瓦礫片は収縮を、その浮遊・回転は、エネルギーの充填を象徴する。「サイクリック宇宙論」における、膨張期を経て収縮期に入るというサイクルの表現と解釈することが可能である。
《an unending day(run over flower)》は、コンクリート片に仕込まれたプロジェクターにより壁に投影された、壁際の花がタイヤによって轢かれる映像作品である。押しつぶされる花は死の象徴である。同時にループにより花は再び咲く。生死のサイクルを表現する。なおかつタイヤにより回転運動が表わされている。
《unquiet boxes》は、大きさの異なるシンプルな白い収納家具3点(450mm×450mm×1800mm、800mm×700mm×500mm、300mm×300mm×300mm)が展示空間の柱を取り巻くように床に置かれ、それぞれから鈍い音など騒音が響いてくる。箱の中に何かが閉じ込められているような不穏さがある。その不穏さは、何による音かが明らかにされないことで増幅される。
《an unending day(something outside th window)》は、会場の窓硝子に投映される、窓外に何かが落下する映像を投映した作品。落下するのは一瞬であり、しかも磨りガラスのためにはっきりとした像を結ばない。何が起きているかは判然としないが、落下は地面との衝突という結果を予期させ、胸騒ぎを起こさせる。薄汚れたカーテン《Wriggling Curtain》よりほとんど閉ざされていることも不安を駆り立てるのに一役買っている。

敢て閉鎖的な環境の中に見えない、分からない事態を生じさせることで、作家は反語的に生きることへの冀求を表現する。一見、終わりのない繰り返しに見える生は、「ぴったり同じ軌道には一瞬も戻れない」以上、実は再演では有り得ない。作家は「繰り返し」を繰り返し提示することにより、むしろ繰り返すことの不可能性を訴えるのだ。全ては新しい。