映画『きれっぱしの愛』を鑑賞しての備忘録
2025年、アイスランド・デンマーク・スウェーデン・フランス合作。
109分。
監督・脚本・撮影は、フリーヌル・パルマソン[Hlynur Pálmason]。
美術は、フロスティ・フリズリクソン[Frosti Fridriksson]。
衣装は、ニーナ・グロンルンド[Nina Grønlund]。
編集は、ユリウス・クレブス・ダムスボ[Julius Krebs Damsbo]。
音楽は、ハリー・ハント[Harry Hunt]。
原題は、"Ástin sem eftir er"。
港に立つ空っぽになった倉庫。解体が始まり、油圧ショベルにより屋根が剝がされる。
アンナ(Saga Garðarsdóttir)が車を駐めて、アトリエとして使っていた建物が解体される作業を眺めていた。助手席には愛犬のパンダが控えている。窓を叩かれ、作業員に車の移動を促される。もう行くわよ。作業員に再び窓を叩かれる。分かってるわ!
倉庫の屋根が釣り上げられ、少しずつ移動される。
サンルーム。アンナが父パルミ(Ingvar Sigurdsson)、母イリス(Katla M.Þorgeirsdóttir)、弟アグスト(Kristinn Guðmundsson)、娘のイダ(Ída Mekkín Hlynsdóttir)、双子の息子グリムール(Grímur Hlynsson)とソルギス(Þorgils Hlynsson)と食事をしているところに、別れた夫のマグヌス(Sverrir Guðnason)が現われる。お邪魔だったかな? 全然。何の匂いだ? パンダが糞の上を転がってたんだ。よく平気でいられるな。
アンナが木立の中の鶏小屋に野菜の端材を入れた盥を持っていく。パンダがお供する。
アンナがサンルームのテーブルの片付けをする。
ガレージのバスケットゴールでマグヌスが3人の子供たちと2対2でバスケットボールをする。パンダが興奮して吼える。
台所。アンナが洗い物をしているとソルギスがおやすみを言いに来た。パパには? 言った。グルムールは牛乳を飲んで濃くて美味しくないと文句を言う。アンナはグリムールにグラスを下げさせる。ソルギスがラジオを聞いていいかと言うので許可する。グリムールも部屋に下がる。
ラジオから物語が聞えて来る。…小さな島に小さな白い家があります。他にも建物がありますが、その家はぽつんと佇んでいます。その家には1人の老女が住んでいて…。
雨の中、マグヌスが車で出ていく。
マグヌスが誰もいない漁船に乗り込む。マグヌスが船内の明かりを点ける。階段を降り、厨房で冷蔵庫からビールを取り出し、自分の船室に向かう。テーブルにビールを置き、上着を脱ぐと、椅子に腰掛ける。ビールを飲む。思わず溜息が漏れる。
アンナが盥に水を張り、パンダを洗う。洗い終えるとパンダは床やカウチに背中を擦りつける。さっぱりした? パンダが自分の前肢を舐める。
カウチでアンナがパンダとともに横になる。
双子の1人が海に臨む丘でスコップを使い、穴を掘っている。
漁船が漁に出る。甲板に黄色いヘルメットを装着したマグヌスがいる。スピーカーから音楽が流されると、黄色いヘルメットの乗組員たちがトロール網を降ろす作業を開始する。網が引き上げられ、海中に投じられる。船内の壁に、裸体女性が網を持つ写真のカレンダーが掛けられている。胸の谷間に溺れたいと落書きされている。
アンナがアグストとパンダとともに倉庫にやって来る。2人でシャッターを持ち上げ、アグストに棒で固定させる。トイレは? 生まれてこの方、アトリエにトイレなんてあったことはないわ。流しはあるじゃないか。水道管と繋がってないの。冬は? ヒーターがあるわ。倉庫として使えよ。屋外で制作すりゃいい。ここじゃ何も出来ない。バケツで用を足したりしないわ。当たり前だ。さっさと荷物を置いて、出て行こう。
港では倉庫の解体作業が進捗して、油圧ショベルが瓦礫を撤去している。
双子が海を臨む丘に棒を立てた。
アンナがパルミとともに、草原で屋外制作に用いる場所を仕切るため柵を立てている。考えるまでも無い。私には余裕がないわ。問題は金じゃない。イダが楽しめるかだ。その通りね。一部は俺が出すし、イダも出すさ。残りはマグヌスに出させるさ。マグヌスと話さないと。俺が話す。金の問題じゃない。決心するかどうかだ。今買わなきゃ明日には手に入らないかもしれない。じゃあ、電話して。電話するよ。今すぐ。今かける。…マグヌス、元気か? パルミだ。…漁に出てるのか? 調子はどうだ? 良かった。…イダが馬を見付けたんだ。9歳の牝馬だ。マリンって名前だ。婆さんと同じで不細工だが。イダを繋ぎ止めたい。じゃないと街に出ちまうだろう。…娘は売れない芸術家だろ。だから漁師のお前が気前よく出してくれるさって。…娘は中指を立ててる。愛してるってことだろ。
アイスランドの南東部にあるヴァトナヨークトル。アンナ(Saga Garðarsdóttir)は鉄板の錆を利用して絵画を制作する無名の芸術家。17歳のときに同い年のマグヌス(Sverrir Guðnason)との間に娘イダ(Ída Mekkín Hlynsdóttir)が生まれ、その後、双子の息子グリムール(Grímur Hlynsson)とソルギス(Þorgils Hlynsson)にも恵まれた。アンナはマグヌスと別れたが、漁師のマグヌスは陸に戻る度にアンナや子供たちに会いに来る。アンナはマグヌスを泊めないようにはしているが、マグヌスは復縁を期待している。父パルミ(Ingvar Sigurdsson)の提案で、イダを田舎に引き留めるべく牝馬のマリンを買い与えることになったが、先立つもののないアンナは父とマグヌスの世話になることになった。アンナは経済的自立を目指すべく画商のマルティン(Anders Mossling)と連絡を取り、解体されることになった港湾倉庫から農家の納屋に移転したアトリエに招く。
(以下では、全篇について言及する。)
トロール船に乗るマグヌスは20年連れ添ったアンナと別れたが、陸に上がる度にアンナと子供たちの暮らす家に顔を出す。ピクニックにも同行する。子供たちの遊び相手を務めるだけでなく、躾も行おうとする。だがアンナに復縁を迫っても断られる。何故か。
17の時からアンナと暮らしてきたマグヌスは行く当てがなく、やむを得ずトロール船の狭い船室で過ごす。恰も誰もいない海に一人浮かんでいるように、孤独である。故にマグヌスは孤独な時間を埋めたい。マグヌスがアンナの家を訪れるのは、アンナのためでも、子供のためでもない。何より自らの孤独を解消し、剰え性的欲求を処理したいからだ(なお、アンナから相談を受ける、街に暮らすダニエル(Halldór Laxness Halldórsson)の方がより露骨に性的捌け口を求めていることが描かれる)。だがマグヌスはアンナや子供たちに愛情を注いでいると自分勝手に思い込んでいるため、愛情が報われないと鬱屈するのである。愛情を注げばそれに比例して愛されるとは、努力は必ず報われるとほざく者以上に愚かである。努力も愛情も、ロールプレンイグゲームの経験値と同じではない。一定程度溜めればレヴェルが上がるなどいうことはない。報われないかもしれないが、報われることに賭けるからこそ、尊いのだ。その実、マグヌスは自分のことしか考えられず、相手の気持ちを斟酌しないエゴイストであり、言わば暴力的な怪物――マグヌスは雄鶏を襲い、また、視聴するモノクローム映画には、水着の美女を襲う怪物が登場する――に過ぎない。それがマグヌスがかつてアンナとの夫婦関係を維持できず、今また復活させることもできない理由である。だからマグヌスの同僚は、家族を恰も温室栽培の農作物のように全てを与えよと忠告するのであろう。アンナはマグヌスの身勝手さが許せないのである。
マグヌスは鶏小屋で長年飼育されていた雄鶏のビビを殺す。ビビはマグヌスの似姿であり、マグヌスにとっては自らを殺したつもりである。だがマグヌスの「自殺」は孤独を託つマグヌスの再演であって、自己憐憫の表現に過ぎない。だからマグヌスはかつてのマグヌスを殺すことができず、故に再生もできない。そんな父親にイダがショックを受けるのは当然である。
アンナは、戸外に置いた画布に切り出した鉄板を渦や波の形に並べ、錆によるイメージを作る。海の形象であり、時間=生命の痕跡である。それは日光写真に比せられる。マグヌスがアンナのスカート中で見上げる女陰が太陽に変じるように、アンナ=太陽の生んだ子供=作品である。
アンナの作品以上に象徴的なのが、海を臨む丘に立てられる矢の的である。双子の少年たちは穴を掘り、棒を立て、そこに人形を吊す。人形には徐々に改変が加えられ、騎士となる。鎧兜により性別は秘匿される。否、男性でも、女性でもあり得るものとなる。双子が倒すべき父親であり――なおかつアイデンティティの問題から、お互いでもある――、イダにとっては母親となる。そして、マグヌスの前にはアンナとして現われる。マグヌスが与える水を「騎士」=アンナは飲むことが出来ない。