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芸術鑑賞の備忘録

映画『新凱旋門物語』

映画『新凱旋門物語』を鑑賞しての備忘録
2025年、フランス・デンマーク合作。
106分。
監督・脚本は、ステファン・ドゥムースティエ[Stéphane Demoustier]。
原作は、ロランス・コセ[Laurence Cossé]の小説『新凱旋門物語 ラ・グランダルシュ[La Grande Arche]』。
撮影は、ダヴィド・シャンビユ[David Chambille]。
美術は、キャトリーヌ・コム[Catherine Cosme]。
衣装は、カミーユ・ラビノー[Camille Rabineau]。
編集は、ダミアン・マエストラッジ[Damien Maestraggi]。
音楽は、オリビエ・マリゲリ[Olivier Marguerit]。
原題は、"L'Inconnu de la Grande Arche"。

 

大統領フランソワ・ミッテラン(Michel Fau)が側近たちとともに記念建造物「テト=デファンス」の設計競技に勝利した建築模型の前に現われる。立方体をしていた。どう思う。素晴らしいです。気に入ってもらい何よりだ。高過ぎることはないか? 全く問題ありません。思い切った選択ではありますが。誰が設計したのですか? シュビロンなら分かる。当選者を発表する栄誉は大統領にあります。ジャン=ルイ・シュビロン(Xavier Dolan)が封筒を大統領に手渡す。審査員に感謝の意を述べ、開封し、大統領が勝者の名前を読み上げる。ジョアン・オットー・ヴォン・スプレケルセン。聞いたことの無い名前に会場がざわつく。大統領がシュビロンに説明を求める。ジョアン・オットー・ヴォン・スプレケルセン。1929年、デンマーク生まれ。個人で応募しています。…以上です。電話で祝意を伝えたい。住所しか分かりません。大使館に確認すれば分かるだろう。シュビロンが大使館に電話するが、彼の名を知らなかった。
デンマーク、ヒレレズの湖沼。ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン(Claes Bang)は妻のリヴ・フォン・スプレッケルセン(Sidse Babett Knudsen)とともにボートで釣りに出ていた。立方体に切り出した魚の肉を釣り針に付けていると、湖岸からスーツの男に名前を叫ばれる。ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンさんですか? 「テト=デファンス」の設計競技、勝利しました! 大統領がお会いしたいとのことです! シュビロンはようやく大統領の使者の役目を果たした。フランス語で叫ばれたため咄嗟には事態が飲み込めないスプレッケルセンは妻にパリのコンペで勝ったのよと言われ、キューブかと納得する。
シュビロンとともにスプレッケルセン夫妻が記者会見に臨む。スプレッケルセン氏はフランス語を解しますので直接質問されて構いません。女性記者が尋ねる。あなたは何をなさってる方ですか?  ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン。デンマーク人、53歳です。コペンハーゲンで建築を教えています。私にとって建築は情熱です。パリのコンペは刺激的でした。男性記者が質問する。デザインの着想は何から? パリには偉大な建造物が多くあります。エッフェル塔、凱旋門、ポンピドゥーセンターなどです。パリの形象ではありませんがパリを象徴しています。パリに新しい形を見出したい。パリにはキューブがありません。この建物の目的は? まだ十分には決まってはいません。人類の出会いの場とは申し上げられます。53歳で脚光を浴びるのは珍しいのでは? 年齢はただの数字です。これまでにどのような作品を手掛けられましたか? 自宅と4つの教会です。笑い声とともに拍手が起こる。

 

1983年5月。デンマーク王立美術院の建築学教授ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン(Claes Bang)は、フランス大統領フランソワ・ミッテラン(Michel Fau)の実施した「テト=デファンス」設計競技に応募したキューブの作品で勝利した。キューブ建設のために、妻リヴ・フォン・スプレッケルセン(Sidse Babett Knudsen)を伴い、拠点をパリに移す。スプレッケルセンは、個人的に信任を得たミッテランを後ろ盾に理想の実現に邁進する。革命200周年記念式典に間に合わせるべく着工を急ぎ、国内施工業者との契約を進める監理担当者ジャン=ルイ・シュビロン(Xavier Dolan)は、空港建設で知られるポール・アンドリュー(Swann Arlaud)をチームに合流させる。スプレッケルセンは自らが単独の設計者であることを前提に、施工者としてアンドリューを受け容れる。しかし、純粋なキューブを追求するスプレッケルセンは、ガラス壁面を巡りアンドリューと衝突する。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

スプレッケルセンは、コンペに勝利した設計者として、自らのキューブ実現に邁進する。監理に当たるシュビロンは、革命200周年式典までの竣工のため着工を急ぐとともに、パリの記念碑的建造物の設計に契約通り国内業者を優先しようとする。芸術家肌のミッテラン大統領と馬が合うスプレッケルセンは、施主である大統領を後ろ盾に自らの主張を通す。シュビロンは、コンペに出品した建築家アンドリューを関与させることで、スプレッケルセンの手綱を握ろうとする。平滑なガラス壁面を作る計画は、アンドリューに不可能だと否定されるが、イオ・ミン・ペイ(Jiang Hong Chen)の手法で実現を図る。法規の壁にぶつかりガラス壁面で妥協を強いられたスプレッケルセンは、アンドリューに不審を抱き、妻リヴを監視役として残して、主要な仕上げ材となる大理石を求めにイタリアへ向かう。ミケランジェロも用いたカッラーラ産の大理石の美しさに大統領もお墨付きを与えるが、経費は莫大なものにならざるを得ない。シュビロンは頭を悩ませる。

冒頭、妻リヴとともに湖で釣りをするスプレッケルセンのもとに足を運んだシュビロンにより朗報がもたらされる。妻との仲睦まじさを伝えるとともに、立方体に切った魚の肉の釣り餌がキューブでコンペに勝ったことを象徴するシーンである。のみならず、大勢の人々の集まるエリゼ宮の室内から夫婦以外誰の姿もないデンマークの湖へと切り替わることで、牧歌的に建築を追求するスプレッケルセンが政争に巻き込まれることを暗示する。
リヴは軍師のように夫に適格な助言を行う。設計料の契約についても言い値をシュビロンに呑ませる。そんな妻をスプレッケルセンは愛する。象徴的なのは、大理石生産者(Alessandro Bressanello)を訪れた際、彼の娘(Ilaria Cabras)に飲みに誘われてもスプレッケルセンはにべも無い対応をする場面である。しかしながら、キューブの理想が政治力により崩されていく中猜疑心を強めたスプレッケルセンは、妻さえも信用できなくなる。妻を愛しているという甘えないし思い上がりによりスプレッケルセンはリヴを離反させてしまうのだ。ようやくスプレッケルセンは、キューブというプラトン立体、イデア論的な理想に囚われて現実から遊離していたことに気が付くのである。建築家は故郷に帰ることを選ぶだろう。かのプラトンが正六面体=キューブに大地を割り当てていたことは示唆的である。