展覧会『服部しほり展「帰れない夏休み」』を鑑賞しての備忘録
日本橋髙島屋本館6階美術画廊にて、2026年7月29日~8月3日。
滝、金魚、貝、海星、幽霊、河童など夏に相応しい涼やかなモティーフの作品に、制作中の「十牛図」のうち完成した「尋牛」、「見跡」、「見牛」、「得牛」、「牧牛」、「騎牛帰家」、「忘牛存人」、「人牛倶忘」の8図を展観する、服部しほりの個展。古典的モティーフにも現在の眼差しを向け、ユーモアを忘れない。
まずは「帰れない夏休み」という展覧会タイトルに惹かれる。パオロ・コニェッティ[Paolo Cognetti]の小説"Le otto montagne"及び同作に基づく映画に与えられた邦題『帰れない山』同様、魅力的だ。
「そうか、自転しながら公転してるんだな」
「は?」
貫一はカウンター越しに自分と都の分の酒を頼んだ。
「なあ、おみや」
彼は顔を寄せて都に囁いた。
「地球はどのくらいの速さで、自転と公転してると思う?」
「そんなの知らないよ」
「地球は秒速465メートルで自転して、その勢いのまま秒速30キロで公転してる」
都がぽかんとする。
「地球はな、ものすごい勢いで回転しながら太陽のまわりを回ってるわけだけど、ただ円を描いて回ってるんじゃなくて、こうスパイラル状に宇宙を駆け抜けてるんだ」
貫一は炒め物の皿に残っていたうずら卵を楊枝で刺し、それを顔の前でぐるぐる回した。
「太陽だってじっとしてるわけじゃなくて天の川銀河に所属する2千億個の恒星のひとつで、渦巻状に回ってる。だからおれたちはぴったり同じ軌道には一瞬も戻れない」
「さっきから何言ってんの?」
「いや、面白いなと思って。おれたちはすごいスピードで回りながらどっか宇宙の果てに向かってるんだよ」
(山本文緒『自転しながら公転する』新潮社〔新潮文庫〕/2022/p.102-103)
《十牛図 尋牛》(795mm×795mm)は、牛を求め歩く姿ではない。観山描くところのディオゲネス[Διογένης]よろしく、洞窟の中に坐る腰布を纏い房のある帽子を被った男が積み石への落水を見詰めている。フリードリヒ・ニーチェ[Friedrich Nietzsche]のツァラトゥストラ[Zarathustra]が山に籠る生活の中でふと太陽――エドヴァルド・ムンク描く《太陽[Solen]》のような――に気付きを得たように、滴る水に男は閃きを得る。帽子の房の黄色は、その象徴である。続く《十牛図 見跡》(795mm×795mm)では、男が牛糞(?)に驚き跳ね上がる。もはや禅画と言うより滑稽本の挿絵である。《十牛図 見牛》(795mm×795mm)の流れに浸る牛と楓の樹を引っこ抜かんばかりに抱えて盗み見る男とは、ティントレット[Tintoretto]の《水浴のスザンナ[Suzanne au bain]》を彷彿とさせる。《十牛図 得牛》(795mm×795mm)ではロデオのように男が牛の上で飛び上がる。その頭髪が焔のようで赤い。《十牛図 見牛》において男が紅葉の蔭にいるのは赤髪への変化の予兆であった。《十牛図 牧牛》(795mm×795mm)では一転して動から静へ。男が牛と顔を付き合わせる。半円状の大地と満月とのアナロジーは、男と牛とが心を通わせたことを象徴する。《十牛図 騎牛帰家》(795mm×795mm)では牛に曲乗りする男が、《十牛図 騎牛帰家》(795mm×795mm)では家の前で得体の知れない動物たちとともに畳む男が、それぞれ描かれる一方、《十牛図 忘牛存人》(795mm×795mm)の画面には僅かに皺が寄るだけで何も描かれない。全ては忘却の彼方となる。
ぬっと姿を表わす女の幽霊(《幽霊図》(454mm×168mm))やゆらりと泳ぐ金魚(《幽魚の灯》(273mm×160mm)・《幽魚の淵》(333mm×220mm))、滝(を前にしながら滝を見ずに鑑賞者を振り向く男)(《観瀑図》(960mm×2606mm))など、夏を飾るに相応しい涼やかな作品が並ぶ。尤も油断していると、滝から巨大な賀茂茄子が流れ落ちてくるかもしれない(《水の季節》(273mm×220mm))。火に捲かれてしまうかもしれない(《飛んで火に入る》)。山蛭(《やまびる》(193mm×197mm))のように心に吸い付いて離れることは無い鑑賞体験となるだろう。