展覧会『寺脇さやか』を鑑賞しての備忘録
Oギャラリーにて、2026年8月17日~23日。
キリスト教に登場するヨナ、聖チェチリア、聖アグネス、諸神話に登場するスフィンクスあるいはタロットカードの吊された男、また観察する(覗く)人物やゴーストなどをモティーフに、見ること・聞くことを主題とした絵画で構成される、寺脇さやかの個展。
《泉のヨナ》(1067mm×910mm)は、口まで水に浸かり、上方を眺めるヨナの頭部を、4分の3面観で表わす。眉毛、目、鼻、などは丁寧に描かれているが、ヨナの影で暗い水面、周囲の水、光輪のように放たれる光などは、粗い筆致で、黒、クリーム色、白の限られた色数と相俟って、油彩画ながらドローイングのようである。ヨナは呑み込まれていた魚から吐き出された後なのだろうか。見上げる先に神がいるのか。ヨナの周囲に放散する光が印象的である。忽然と出現するかのような頭部(顔)はオディロン・ルドン[Odilon Redon]の絵画、とりわけ《目を閉じて[Les Yeux clos]》の水平線から姿を見せる瞑目の女性に通じるものがある。
本展のキーヴィジュアルに採用されている《行き違い》(420mm×290mm)は、見上げる女性の頭像である。鉛筆やコンテなどによるドローイング作品で、ピンクが淡く配される。左右の目の大きさが違えられ、口が僅かながら歪められ、右耳のみ表わすなど、アシンメトリーが動きを生む。光輪に比定される線が僅かに配される。法悦を表わす作品と見て間違いないなかろう。
《聖チェチリアの呟き》(910mm×1167mm)は、頭部3つを暗い流体の中に表わした作品。中央の闇から頭像彫刻のような3つの顔が現われる。中央に位置する中心となる顔がチェチリアのものであろう。4分の3面観で左側を見せる。目を閉じて俯く。望まない結婚式において心の中で歌うことでやり過ごしたというエピソードを踏まえたものであろうか。頭部には植物が飾られるように配されている。殉教を表わす棕櫚であろう。チェチリアの左にはほとんど闇に沈む俯く左顔が、右側には前を見据える左顔が並ぶ。チェチリアの異時同図的表現とは捉えにくく、チェチリアを守護する天使を表わすのかもしれない。ラファエロ・サンティ[Raffaello Santi]の《聖チェチリアの法悦[Estasi di santa Cecilia]》を踏まえれば、パウロやマグダラのマリアの可能性もある。チェチリアは音楽の守護聖人とされることから、歌う女性の顔を描いたドローイング《オペラ》(420mm×296mm)と結び付けられる。
《聖アグネスの夢 1》(180mm×180mm)はアグネスの4分の3面観の左顔を画面の上よりに描いた作品。《聖アグネスの夢 2》(140mm×180mm)では仮面を被ったように目の周囲が暗く囲われたアグネスの顔を口から額までの範囲で大写しに捉えてある。微かにピンクなどが差されるが、ほぼモノクロームの作品である。とりわけ《聖アグネスの夢 1》が顔が中に浮くように表わされていることから、斬首による殉教が暗示される。
《ハングドマン》(410mm×273mm)では、右側面から捉えた眼鏡を掛けた男の顔が闇に浮かぶ。わずかに左眼も表わされ、両眼の辺りが特に明るく、クリーム色が差される。右耳の辺りに効果線のように淡い青とピンクの線が走る。音により「見える」ことを訴える作品のようである。《ハングドマン》はタロットカードのように知恵を象徴したものであろうか。尤も、《ハングドマン》よりもむしろ吊された男のイメージを喚起するのは、上下が反転した男性の顔を描いた《覗き見》(350mm×270mm)である。《ハングドマン》はタロットカードとしては逆位置であり、利己主義や群集の象徴になる。
《ゴースト 2》(333mm×333mm)や《ゴースト 3》(455mm×530mm)には、霊というよりも崩れ、溶けた肉塊のようなものが描かれる。いずれも触手のように一部が突き出し、また眼らしきものが認められる。《ゴースト 1》(270mm×350mm)は虫のようなものが描かれている。眼窩が影になった女性の頭部を描いた《苦い余韻》(285mm×270mm)では右顔が溶け崩れ、恰も作家の描くところの「ゴースト」に変容していくかのようだ。肉体と霊魂とを対立的に把握するのではなく、両者は同じもので、メタモルフォーゼだけがあることを訴えるようである。
《観察者》(530mm×455mm)にはスーツを着用した男性2人組が描かれる。顔は判然とせず、下半身はグレーの線に溶けている。ギルバート・アンド・ジョージ[Gilbert & George]ではあるまいが、寄り添う2人は息が合っているように見受けられる。「観察者」とは言いながら落ちくぼんだ眼が暗部として表わされるのみだ。眼を描かない理由は、観察者が霊であり、不可視の存在であることを訴えるためではないか。《untitled》(242mm×333mm)の黄色い光の中に穿たれた闇は、擬人化ないし受肉化されていない「観察者」であり、眼ではないか。防犯カメラの有無に拘らず、すなわち他人の目線で判断するのではなく、「お天道様が見てる」感覚、すなわち自身の倫理規範に従って行動することこそが肝要だと、作家は訴えているように思えてならない。
人物彫刻の頭部断片のような《スフィンクスの相談 1》(333mm×333mm)・《スフィンクスの相談 2》(410mm×410mm)は、断片的なイメージから考えることを鑑賞者に促している。スフィンクスとしての絵画に挑むべし。