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芸術鑑賞の備忘録

映画『12日の殺人』

映画『12日の殺人』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のフランス映画。
121分。
監督は、ドミニク・モル(Dominik Moll)。
原案は、ポーリーヌ・ゲナ(Pauline Guéna)のノンフィクション"18.3 - Une année à la PJ"。
脚本は、ジル・マルシャン(Gilles Marchand)とドミニク・モル(Dominik Moll)。
撮影は、パトリック・ギリンジェリ(Patrick Ghiringhelli)。
美術は、ミシェル・バルテレミ(Michel Barthélémy)。
衣装は、ドロテ・ジロー(Dorothée Guiraud)。
編集は、ロラン・ルーアン( Laurent Roüan)。
音楽は、オリビエ・マリゲリ(Olivier Marguerit)。
原題は、"La Nuit du 12"。

 

夜、照明に照らされたバンクをヨアン・ヴィヴェス(Bastien Bouillon)が1人自転車で疾走する。
毎年警察は800件以上の殺人事件の捜査に着手する。そのうち20%近くが未解決のままだ。この映画はそのような1件に関するものだ。
グルノーブル警察署。2016年10月12日。21時36分。刑事課のオフィスでは、退職するトゥランショー(Nicolas Jouhet)の送別のために大勢の連中が飲み物を手に集まっている。皆から挨拶を求められたトゥランショーが話し始める。愛してるよ、みんな。でも寂しくはないがね。特にうちの斑の連中はね。せっかく書き上げた調書がプログラムのエラーで飛んでしまうなんてことももうない。若い連中は定年なんてずっと先だと思ってるだろう。その通りだ。だがね、運良く定年を迎えたら、想い出になる。トゥランショーは感極まり言葉が出ないので、斑長の後任のヨアンに挨拶を求める。これは班長のパーティーでしょう、私が言うことなんてありませんよ。班長を引き継ぐと挨拶すればいい。私はトゥランショーの後を任されてすごく光栄です。一言しか述べないヨアンにそれだけかと野次が飛ぶ。トゥランショーに乾杯! ヨハンが手にしたボトルを掲げる。皆も飲み物を掲げてトゥランショーに捧げる。パスティスしか飲まないブルターニュの人間になんで班長なんか務まったのかとマルソー(Bouli Lanners)がトゥランショーを揶揄う。確かに永遠の謎だな、マルソー。ジェローム(Paul Jeanson)が額装したトゥランショーのコラージュを運んでくる。フレッド(Johann Dionnet)が角の付いたヘアバンドをトゥランショーの頭に付ける。写真を撮ろう。トゥランショー斑の連中がトゥランショーを囲む。
サンジャンドモリエンヌ。3時7分。ナニー(Pauline Serieys)の家で行われている女子会から一足早くクララ(Lula Cotton-Frapier)が帰ることになった。皆が見送りに出る。泊まっていかないの? 家に帰る。明日は休みでしょ。ウェスリー(Baptiste Perais)に会うの? 寝るの。お休み。気を付けて。クララが夜道を1人歩いて家へ向かう。クララはスマホを取り出して動画を撮る。ナニー、私はあなたが大好き。一番の親友。沢山のキスを送るわ。クララが公園の近くに差し掛かったところで目出し帽にフードを被った黒ずくめの男が現われる。クララ。誰? 男はクララに液体を浴びせかけると、ライターを取り出し火を点ける。クララは一瞬にして火に巻かれる。火達磨となったクララが走って逃げる。
ヨアンが率いる捜査班が3台の車に分乗してサンジャンドモリエンヌへ向かう。道中、新入りのボリス(Julien Frison)が夜勤を担当したせいで週末に事件が起こったとロイク(Thibaut Evrard)がビデオ通話でぼやいた。マルソーは新班長のせいかもしれないとヨアンを揶揄う。
公園に上半身が黒焦げになった若い女性の遺体があった。防護服を身につけたヨアンが確認すると、近くを黒猫が鳴いて通り過ぎた。

 

2016年10月12日。グルノーブル警察の刑事課では、定年退職する班長のトゥランショー(Nicolas Jouhet)の慰労のため関係者が集まっていた。班長の後任にヨアン・ヴィヴェス(Bastien Bouillon)が就任した。同日深夜(13日早朝)、サンジャンドモリエンヌで若い女性の遺体が公園で発見された。検察官の指示で憲兵隊ではなくグルノーブル警察が捜査を担当することになり、ヨアン率いる捜査班が現場に向かった。遺体の上半身が焼け焦げていたが下半身に外傷は無かった。折しも被害者のパンツのポケットに入っていたスマートフォンにナニー(Pauline Serieys)から電話があり、被害者がクララ・ロワイエ(Lula Cotton-Frapier)と判明した。クララの自宅を訪ね、母親(Charline Paul)に娘さんが殺害されたと伝えると、母親は動顚した。ヨアンはロワイエ家を訪れたナニーからクララについて聴取を行う。クララは気立てが良く、惚れっぽい質だったという。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

サンジャンドモリエンヌの公園で上半身が焼け焦げた若い女性の遺体が発見された。検察官の指示で、憲兵隊ではなく、グルノーブル警察が捜査に当たることになり、定年退職したトゥランショーから班長を引き継いだばかりのヨアンの斑が現場に向かった。友人のナニーから被害者に電話があり、遺体がクララ・ロワイエと判明する。クララは惚れっぽい質で、勤め先のボーリング場の同僚ウェスリー(Baptiste Perais)と交際していた他、クライミングジムで一緒だったジュール・ルロワ(Jules Porier)など、関係していた男性の名が次々と浮上する。もっともウェスリーもジュールもクララとの情交を認めるものの恋人としては認めていなかった。
ナニーはクララとの関係のあった男性についての情報を小出しにする。それは、クララがふしだらな女と思われたくないからだった。クララは気立てが良く、男を見る目が無かった。でもそんなことはもちろん犯罪ではない。ナニーは彼女が殺された理由として、彼女が女の子だったからだとヨアンに訴えた。
女性刑事のナディア(Mouna Soualem)は、男性が犯罪を犯し、男性が捜査することの異常さをヨアンに指摘する。
マルソーは最愛の妻ナタリーとの間に子供を望んでいたができなかった。ところがナタリーが不倫してすぐに子供ができ、離婚を突き付けられたことに打ち拉がれる。たまたま捜査線上に浮かんだヴァンサン(Pierre Lottin)の同棲相手が妻と同じナタリーという名であったため、マルソーは暴走してしまう。
ヨアンは自転車が趣味で、夜のバンクを1人で失踪する。マルソーは公道を走らずバンクを周回するヨアンをハムスターみたいだと揶揄う。ヨアンがバンクを周回することは、捜査に行き詰まることを象徴する。

映画『ビニールハウス』

映画『ビニールハウス』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の韓国映画
100分。
監督・脚本・編集は、イ・ソルヒ(이솔희)。
撮影は、ヒョン・バウ(형바우)。
音楽は、キム・ヒョンド(김현도)。
原題は、"비닐하우스"。

 

未明の農地に鳥の鳴き声が響き渡る。1棟の黒いビニールハウス。その中には家具が置かれ、住まいとして使われていた。ムンジョン(김서형)がビニールハウス内のベッドで起き上がり、自らの顔を右の手で叩く。1回、2回、3回。ムンジョンはタオルで髪を拭いた。
少年院。ムンジョンが息子のジョンウ(김건)と面会するために訪れた。広い部屋の隅に置かれた机に母子が向かい合って坐る。週に1回電話できるのに、何故電話をくれないの? ずっと待ってるのに。ジョンウは答えず首の辺りを搔く。あと1ヵ月でしょ? 帰ったら美味しいもの食べて、学校に行く準備をしましょう。帰るってどこに? 叔父さん喜ばないよね? 僕と一緒に暮らしたくないでしょ? ここを出たら叔父さんの家で暮らしたいけどさ。お金を貯めて一緒に暮らせる部屋を探してるわ。母さん、僕と一緒に住めるの? 父さんのこと思い出すだろ? 父さんに似てるからさ。ムンジョンは返す言葉に詰まる。
面会を終えたムンジョンが職員に先導されて廊下を歩く。ムンジョンが立ち止まり自分の顔を自ら叩き始める。
ムンジョンはホームヘルパーとして、視覚障碍者のテガン(양재성)の家で働いている。認知症のテガンの妻ファオク(신연숙)を風呂に入れ、身体を洗ってやる。奥様は本当に綺麗ね。停留所の前に咲いている花、何でしたっけ? ファオクはムンジョンを睨み付け、唾を吐く。ムンジョンは顔を拭う。ツツジじゃなくて、サツキでしたっけ。天気がいいときに花を見に行きましょう。停留所の前の花は本当に綺麗ですから。このアバズレが。全部言ってやるからな、息子に。ファオクがぶつぶつと呟く。
ムンジョンはテガンの書斎にお茶を持っていく。入りますよ。どうぞ。テガンはスマートフォンの読み上げ機能を使って小説を聞いていた。梅茶です。ありがとう。目の見えないテガンのためにマグカップの把手を指先に近づけてやる。奥様はお風呂の後にお休みになりました。家内は何かやらかしませんでしたか? あなたに面倒を起こしたんじゃないかと。奥様は面倒など起こしていません。今日もお疲れ様でした。本をお読みになりたいのなら、私が読みましょうか? これが読んでくれるよ。テガンはスマートフォンを示す。
ムンジョンが書斎でテガンに本を読み聞かせている間、ファオクは居間の箪笥から手鏡を取り出して、自分の顔を覗いていた。
病院の1室。ムンジョンが母チュンア(원미원)の見舞いに訪れる。ムンジョンは自分の爪を切っていた。同じ病室に見舞いに来ていた女性がベッドの母親に語りかける。長生きしてよ。このままずっと生き続けるの。私は1人じゃ耐えられないわ。
精神的な問題を抱えた人たちが経験を語ることで恢復を目指す集い。ホールに円形に並べた椅子に参加者が坐り、スンナム(안소요)が母を亡くした経験を涙ながらに語っている。母さん、何故こんなことしたの? 母さん、何故私を置き去りに? 全ては終ったことだから、母さんを許すことにしたの。スンナムの話が終ると、司会者(황정민)が皆に語りかける。皆さん、私達は心を押さえつける重しを取るためにここにいます。ムンナムさん、全てを吐き出して気分は良くなりましたか? 気持ちが楽になりました。ムンナムじゃなくて、スンナムです。約束しました、もう死のうとしないって。長い袖を捲り上げると、スンナムの手首にはいくつもの切り傷があった。私が愛されてたった分かったから。素晴らしいわ。問題を見付けるだけはなくて解決策まで。スンナムさんに拍手。今日は新たな参加者がいます。イ・ムンジョンさんです。他の方と同じように簡単な自己紹介をしてから悩み事などをお話し下さい。ムンジョンが立ち上がる。初めまして、イ・ムンジョンです。今日は初めて来ました。お辞儀したムンジョンが着席する。私は病院に通っていましたがお金がかかるので、ここを紹介されました。無料ですよね? 歓迎しますよ。司会者が大笑いして言う。ここに来たからにはしっかり直しましょう。ここに来る目標は完治ですよ、完治! 私、知らなかったんです、自分のやっていることが自傷行為だって。

 

ムンジョン(김서형)は農地に立つ1棟の黒いビニールハウスを改葬して1人で暮らしていた。母チュンア(원미원)は老健施設に入っている。息子ジョンウ(김건)は少年院に入所中で、1月ほどで戻って来る。それまでにお金を工面して住まいを手に入れなければならない。視覚障碍者のテガン(양재성)の家でホームヘルパーとして働き、彼の認知症の妻ファオク(신연숙)の面倒を見ている。ムンジョンに殺されると妄想するファオクに悪態を吐かれ反抗されるが、ムンジョンは只管耐えている。親切なテガンの心遣いがムンジョンの心の支えだ。だがテガンは長年の友人であり医師のヒソク(정종준)から初期の認知症との診断を受け、強い不安を抱く。自分の顔を殴る自傷癖のあるムンジョンは節約のために治療会に参加することにする。そこで知り合ったスンナム(안소요)という若い女性は社会福祉士から性的虐待を受けていた。ムンジョンは困ったときはビニールハウスに逃げ込むように言う。ある日、テガンがヒソクと外出し、ファオクを風呂に入れていたムンジョンは、妄想に囚われたファオクに襲われる。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

息子ジョンウとの生活を取り戻すために、ホームヘルパーとして献身的に働くムンジョンを襲った悲劇を描く。途中から悪夢のルーブ・ゴールドバーグ・マシンとなり、一気呵成に終局へ。
黒いビニールハウスは、外から中を見ることができない。密室である。作品自体がブラックボックスとも言える。はっきりと説明されない部分が敢て多く残され、鑑賞者の想像に委ねられている。1つは、ジョンウがどのような罪を犯したのかである。例えば父親を殺害したといったような想像をすることになる。また、ムンジョンの夫(ジョンウの父)は亡くなっているようであるが、彼が何をしでかしたかについても不明である。少なくとも家族に暴力を振っていたことは想像されるが、犯罪に手を染めていたかどうかは分明で無い。少なくともムンジョン、ジョンウは彼と「似ている」らしく、そのことがジョンウが母親との生活に二の足を踏む原因となっている。
ジョンウに対する愛情が、ムンジョンを狂わせる。ムンジョンが通報しようとしていたところにジョンウから連絡が入る。待ち焦がれていた息子からの電話だった。しかもジョンウはムンジョンと暮らしたいという。ムンジョンは少年院から戻って来る息子を最優先に行動することになる。
認知症のファオクがムンジョンに殺されると妄想するのは、ムンジョンに対する激しく嫉妬するためであることが示される。手鏡で自らの姿を見たり、ムンジョンの胸元を覗き見るシーンである。
テガンはファオクを触った感じが異なると、妻を別人だと認識するが、彼の触覚の正確性に疑義があることは、友人との集まりで明らかにされる。
主演の김서형を始めキャストが素晴らしく、心に焼き付く作品である。

展覧会 桑原理早個展

展覧会『桑原理早展』を鑑賞しての備忘録
ギャラリーなつかにて、2024年3月9日~16日。

様々なポーズの女性の身体を組み合わせた絵画で構成される、桑原理早の個展。

《姿見》(910mm×652mm)には身体を捻った姿の女性を中心に、頭を抱えて蹲る女性など数人の女性の身体が、木炭に加え、念紙によるオレンジ、緑、茶の線で複雑に重ねられており、下絵のようにも見える。複数の身体(場面)が重ねられているという点では異時同図的であり、複数の時間を1枚の画面の中に落とし込んでいる。
《閃く傷》(1303mm×1940mm)は薄墨を刷いた画面に女性の身体のイメージが重ねられている。紙を破り継いであるのは料紙装飾を想起させるが、破り継ぎあるいは重ね継ぎが女性の身体を描いた紙について行われていることからハンス・ベルメール(Hans Bellmer)の人形に通じるものが見て取れる。
出展作品中最大のサイズの《無尽蔵》(1455mm×3360mm)はF80号3枚を横に連ねた画面。右の画面に左手を首に回して横になる女性が描かれる。中央の画面には身体を前傾させた女性、左肘を曲げ右腕を上げたセーラー服の女性、腰を浮かして床に倒れ込んだ女性が、恰も前転の場面をコマ撮りするように配されている。左の画面には蹲り、あるいは俯せになった4人の女性たちの身体が積み重ねるように描かれている。右から左へと身体の数が増えていく。中央に回転運動を挿入していることからも、女性の身体で渦巻く流れを表現しているものと解される。横山大観の絵巻《生々流転》における滔滔と流れる水が、作家の作品では女性の身体として表わされているのだ。水=生命は循環するがゆえに無尽蔵なのである。《姿見》や《閃く傷》などの積層に対し、水平方向の運動を表現して好対照をなす。

展覧会 平山昌尚個展『ART SHOW 2』

展覧会『隙間 12.0 平山昌尚「ART SHOW 2」』を鑑賞しての備忘録
隙間にて、2024年3月9日~17日。

灰色の画面に青い絵具で"ART"と"→"とを描いた案内板のような作品を会場に巡らせた、平山昌尚の個展。

床も壁も柱も天井もコンクリートが剥き出しの会場の入口近くの壁には、青い絵具で画面上半分に"ART"、下半分に"→"を描き、その周囲を灰色で塗り潰した紙が貼ってある。指示通りに右方向に歩いて行くと、また壁に同じ様な"ART"と"→"を描いた紙が貼ってあり、右方向に歩くと、三度同じ様な作品が掲げられている。会場の壁と柱には全部で10枚の同様の作品が展示され、順に作品を追っていくと、入口近くの作品に導かれることになる。文字通り、堂々巡りである。
作品は、"ART"のシニフィアンである。作家は"ART"がイデアであり、それ自体を人が知覚することはできないと考えるのだろう。コンクリートが剥き出しとなった会場は、洞窟に比せられる。その中を徘徊する鑑賞者は"ART"の影だけを追っているのだ。シニフィアンとしての作品によってイデアとしての"ART"を想起すべく只管努めることを作家は求めるのである。同時に、作品は、イデアとしての"ART"を想起する作家の実践そのものとして存在する。そして、堂々巡りとなるインスタレーションは、個々の"ART"の探究の集積としての、美術の歴史自体を表現したものとも解される。