可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『mentor』

映画『mentor』を鑑賞しての備忘録
2026年、日本製作。
115分。
監督・脚本は、𠮷田恵輔。
撮影は、志田貴之。
照明は、常谷良男。
録音は、田中博信。
装飾は、吉村昌悟。
衣装は、篠塚奈美。
ヘアメイクは、有路涼子。
特殊メイクデザインは、藤原カクセイ。
編集は、下田悠。
音楽は、茂野雅道。

 

夜。住宅街にある公園。花火禁止の看板がある。小学生の上谷拓海(森優理斗)は親友の益子龍之介(菊池爽)と自身の発案で打上花火を互いに打ち合う戦争ごっこをしている。夢中で遊んでいると、公園の隣に立つ2階建てアパルトマンの1階で火の手が上がった。炎は瞬く間に広がる。時折硝子の割れる音がする。野次馬が集まる中、燃え盛る建物を呆然と見詰める拓海と龍之介。制止の声を聞かず、スーツ姿の埜本潤(綾野剛)が外階段を駆け上り、燃え盛る2階の部屋へ駆け込む。消防車が到着する。埜本は服に火が燃え移った状態で妻の埜本涼子(木南晴夏)を抱え部屋を出て来た。消防隊員が布を被せて火を消す。全身焼け爛れる埜本に対し、涼子はほとんど黒焦げている。埜本は妻の名を何度も絶叫した。
拓海と龍之介は補導され、警察署で事情聴取を受けた。花火はわざとアパートに向けたんじゃないのか? こういうことをいつもしているのか?
小学校。拓海の両親が教諭に改めて謝罪する。本当にご迷惑をおかけしました。あっちの学校でも勉強頑張るんだぞ。教諭は型通りの言葉を拓海にかけた。本当にお世話になりました。両親が頭を下げる。
両親とともに拓海が車で学校を出る。後部座席の拓海は、渡り廊下で母親に抱き締められている龍之介の姿を見詰めた。
リヴィングで拓海が鍋から直接ラーメンを啜っている。寝室から出て来た父親が息子を一瞥すると冷蔵庫から缶酎ハイを取り出して飲む。父親は缶を手にベランダに出ると手摺を乗り越えた。鈍い音が響く。悲鳴が上がる。誰かー!
海岸近くの商店の脇に立つ自動販売機に上谷拓海(末澤誠也)が缶飲料を補充する。ご苦労様。年配の店主に声を掛けられるが、拓海は軽く頭を下げるだけ。
拓海が自転車に乗って帰宅する。家の前の空地で兄妹が花火をしていた。拓海はちらりと見て玄関に入る。お帰り。拓海の母(川上麻衣子)が息子に渡された封筒の中身を確認する。自分の分、取っときなさいよ。賠償金だって払ってるのに。家にはこんなに入れる必要ないから、自分の好きなものを買いなさい。あいつら火事のこと噂で聞いて、わざと家の前で花火して、嫌がらせしてるんだ。
アーチェリー場。ホームメンテ社の益子龍之介(磯村勇斗)が後輩の坂本修斗(二村仁弥)とともに射撃を行う。コーチが龍之介にリリースの方向についてアドヴァイスし、疲れた時に腕が下がる点だけ軽く注意する。坂本、フォロースルーの時利き手が下がっちゃうんだよ、お前は!
空き缶で一杯のビニール袋を2つ提げた拓海が箱車のルーフに放り投げるが、1つが上手く乗らずに落ちてくる。おはようございます。拓海の脇をガスボンベを運ぶ男が挨拶して通り過ぎた。ふと顔を見ると酷い火傷の痕に覆われていた。拓海は呆気に取られ彼の後ろ姿を目で追う。
箱車のハンドルを握る拓海が信号待ちをしている。信号が変わっても発進しない。ボケッとしてんじゃねーよ。トラックの運転手が怒鳴りながら追越していく。火傷の男性は間違いなく埜本だった。
アーチェリーの試合。龍之介が坂本とともに参加している。龍之介の矢は的の黄色に当たる。龍之介、10点。坂本、8点。コーチが点数を告げる。
もうちょっと寄せられたら良かったですけど。大丈夫だよ。龍之介がコーチと試合を振り返りながら駐車場の車に向かう。そのとき、龍之介が名前を呼ばれた。拓海だけど。上谷拓海。龍之介が立ち止る。コーチは坂本にチャンスはあるからと慰めつつ、先に行く。拓海は今まで何してたの? 何もしてなかった。3年前まで働いてもいなかった。龍之介がアーチェリーで活躍してるのは知ってて。今日生で試合見てマジすげぇって。あのさ、こないだ埜本さんと遭遇した。あの火事で奥さんと子供を亡くした人。調べたら近くのガス会社で働いてるって分かった。謝罪した方がいいよね。えっ? それはどうだろう? でもちゃんと謝ってないでしょ、俺たち。でも向こうも今更会おうとは思わないんじゃ…。迷惑っていうか…。何にもしないわけにはいかないでしょ? 俺たちは人の人生を壊したんだよ。来週とかは? 龍之介の予定に合わせるから。…ちょっと考えさせてくれないかな? 俺の中では、あの事故終わってないんだ。それはマジで俺も一緒。
埜本がガスボンベを廻転させて丁寧に並べる。仕事を終えて会社を出る。埜本さん! …はい。声の方を振り返ると門の脇に自転車のハンドルを握って青年が立っていた。俺、上谷拓海です。えっ? 花火であの火事を起こした上谷です。……。興奮した表情で埜本が拓海に突進する。立ち竦む拓海は怯えて自転車を倒してしまう。埜本は拓海を抱き締めた。大丈夫だったか? それはもう心配したんだよ。埜本は拓海の背中を擦る。
公園のベンチ。埜本が自販機で缶コーヒーを2本買うと1本を拓海に渡した。埜本がベンチに腰を下ろす。拓海は土下座する。すいませんでした! ちょっと、ちょっと止めてよ。埜本は拓海をベンチに坐らせる。あれからずっと謝りたくて…。でも、どこにいるか分からなくて。そうか、そうか。すいません、本当は探す努力もしてないのに、適当なこと言って。でもちゃんと謝罪したかったんです。本当に申し訳ありませんでした! 子供とは言え馬鹿な遊びを、事故に繋がることくらい想像できたのに…。埜本さん、大火傷して、大事な家族まで失って。謝って済む問題じゃないことは分かってます。拓海君、有り難う。沢山俺たちのこと考えてくれて嬉しいよ。もう十分だからね。俺が入院してるとき、見舞いに来てくれただろ? 朦朧としてたけど覚えてるんだ。声かけるの凄い勇気だと思う。君も前に進んで欲しい。…俺なんかが夢を見ていいんでしょうか? 当然。拓海が嗚咽する。

 

静岡県の海沿いの町。上谷拓海(末澤誠也)は3年前に始めた飲料の自動販売機のルートドライヴァーの仕事に出る以外は、母(川上麻衣子)と2人暮らしの家に引き籠もっていた。ある日の仕事中、顔全面に火傷の痕が残る埜本潤(綾野剛)を見かけ、激しく動揺する。15年前、小学生の上谷拓海(森優理斗)は親友の同級生・益子龍之介(菊池爽)と公園で打ち上げ花火の打ち合いをして隣接のアパルトマンを全焼させた。埜本は妊娠中の妻・埜本涼子(木南晴夏)を救おうと燃え盛る部屋に飛び込んだが救出は叶わず、自らも全身火傷で生死を彷徨った。一念発起した拓海は益子龍之介(磯村勇斗)に会いにアーチェリーの大会に赴く。龍之介はホームメンテ社所属のアーチェリー選手で坂本修斗(二村仁弥)とともにオリンピック出場を目指していた。拓海は来週埜本に一緒に会って謝罪したいと提案するが、龍之介は代表選考を控えた時期だから競技に集中したいと首を縦に振らない。あらゆることを覚悟して1人埜本に謝罪に向かった拓海は、意外にも恕されて過去に囚われず自分の将来を考えるようにと励まされた。埜本の寛大さに心を打たれた拓海は何でもしますと訴える。すると埜本は、もう賠償金は振り込まなくていいと言う。埜本に心酔した拓海は誘われると2つ返事で飲みに行き、その言葉を有り難くメモする。引き籠もっていた息子が突然毎晩出歩くようになって驚く母親に、変化を懼れるのは努力する意志が無いからだと言い放つ。

(以下では、全篇に言及する。)

埜本から拓海との交流を聞いた、「スナック・グッピー」を経営する義妹・生田麻衣子(酒井若菜)は、過去を水に流すことは姉・涼子のことを忘れることになると憤慨する。だが埜本は敢て涼子の存在を否定していた。火事を起こしたのが年端のいかぬ小学生だったからでもあるが、何より2つ年上の涼子は笑顔を絶やさない怖いほど前向きな女性で、彼女の喪失は埜本にはとても受け容れられるものではなかったからだ。過去を振り返れば、涼子の笑顔が見える。だからこそ埜本は涼子の存在を封印したのだ。むしろ埜本は狂気と言えるほどの前向きさにより涼子と一体化――完全に一体化すれば、対象は消え去ってしまう――し、未来に生きる道を選んだ。だが埜本と拓海・龍之介との関係を根底から覆す事実が明るみなり、埜本の構築した思考の枠組みは崩壊する。涼子の輝く笑顔が折に触れて埜本の前に現われるようになる。
埜本が未来に生きるなら、過去に生きるのが拓海である。10年以上引き籠もり、3年前から人と極力関わらずに作業できるルートドライヴァーの仕事をしている。重大な罪を犯した人間に生きる資格はないと自ら幸福を味わうことを断ってきた。思い切って埜本に謝罪したところ、予想外に恕された。拓海は謝罪にアイデンティティを見出す。それは自らを罰する意味で引き籠もってきた日々の価値を些かも減じないどころか、謝罪に説得力を与えるものとなった。だからこそ埜本に頼んでアパルトマンの住人に対する謝罪行脚を続けることにする。変化を受け容れないのは努力したくない言い訳だと母に言い放つが、その実、拓海は何ら変化していない。過去=罪というアイデンティティに執着し続ける。ある事実の発覚後はなおさらそうである。小学生のときに石を飛ばすパチンコを拓海に褒められたことをきっかけに龍之介がアーチェリーの道へ進んだなどといったアイデアマンとしての原体験(=過去)が拓海を突き動かし続けるだろう。
埜本が未来、拓海が過去なら、当然、龍之介は現在である。過去に押しつぶされないために、龍之介は現在の1点に集中する。龍之介がアーチェリーで成功するのは、プレッシャーを受け容れることで極限まで的を絞り込むためだ。過去の圧力から解放されれば、同じ様な集中力は手に入らなくなってしまうだろう。

「スナック・グッピー」の莉里(百瀬あのん)が埜本のデュエットする曲として選ぶのは「ふたりの愛ランド」。「灼けてるおまえ」「忘れてみないか」「きっと生まれかわれる」「燃えて燃えて」。埜本と涼子の関係と乗り越えとが暗示される(?)。

𠮷田恵輔作品の上映ではあまり見られないような出立の(?)うら若き女性が客席に見られた。映画『チルド』(2026)を彷彿とさせる引き攣った笑い顔も見せた末澤誠也がアイドルグループのメンバーだからのようだ。アイドルを起用することの意義が分かる。『神は見返りを求める』(2022)などから――いきなり『ミッシング』(2024)は重すぎると思うのは老婆心か――𠮷田恵輔の作品を鑑賞して頂きたい。

因みに、Christopher Nolan監督の映画『オデュッセイア[The Odyssey]』(2026)にも登場するメントルがmentorの語源である。

映画『バイオハザード』(2026)

映画『バイオハザード』を鑑賞しての備忘録
2026年、アメリカ製作。
94分。
監督は、ザック・クレッガー[Zach Cregger]。
脚本は、ザック・クレッガー[Zach Cregger]とシェイ・ハッテン[Shay Hatten]。
撮影は、ダリウス・ウォルスキー[Dariusz Wolski]。
美術は、トム・ハモック[Tom Hammock]。
衣装は、キャロライン・ファーラー[Caroline Fahrer]。
編集は、ジョー・マーフィー[Joe Murphy]。
音楽は、ヘイズホラデイ[Hays Holladay]とライアン・ホラデイ[Ryan Holladay]。
原題は、"Resident Evil"。

 

医療配達員のブライアン・ホドゥカビッチ(Austin Abrams)が交際相手のミシェル(Sara Paxton)と通話しながらセントジョージ病院にやって来る。…念のためにさ、あと何回か試したらどう? 分かるけどさ、間違うこともあるだろ? パニクったら嫌だろ? あ、着いたから。20分で帰るからさ、それから話そう。待合室には多くの人がいて、頭から血を流す人の姿も。受付でIDを示し、病棟へ進む。通り掛かる医師にB7をどこに届けたらいいかと尋ねるが、相手にされない。病室を覗くと怪我の治療場面を見てショックを受ける。埒が明かないと自棄になるブライアンが大声を上げる。B7だ! 腎臓だか肝臓だか頼んだ人は? 重要なんだろ! すると手術着を着た医師(James Beaumont)が駆け付ける。おい、1時間前に到着してるはずだろ! 何で遅れたんだ? 書面上の手続ミスがあったからさ。医師はバッグをひったくると立ち去る。おい、受け取りのサインをくれよ!
ブライアンが受付に行き、女性スタッフ(Jo Martin)にサインを頼む。受取のサインはできないわ。私が受け取った訳じゃないから。それはそうだけど、医師が立ち去ってしまったからさ。その医師にサインを貰いなさい。臓器移植してる手術室でサインを貰えって言うんですか? 手術が終わるまで待つしかない。移植手術が終わるのを待つって? 何時間待てばいいんだ? 誰のサインでもいいんだ。じゃあ、自分でサインしなさいよ。話しても無駄だと悟ったブラインアンは受付を立ち去る。IDで確認した彼女の氏名アンドレア・ヴァスケスとサインする。そのとき、ブライアンがマリア・ストロークス医師(Emily Piggford)から1件頼めないかと声を掛けられた。もう家に帰るよ。配達区域外だから報酬倍に弾むけど。それならやりますよ。
ストローク医師からブライアンが緑色のバッグ渡される。超特急Aで。超特急Aね。どこまで? ラクーンシティ総合病院。遠いな。ちょっと、丁寧に扱ってよ、ピザの配達じゃないの。あなた、雪道の装備は? チェーンがないとか四駆じゃないなら別の人を手配するわ。もちろん、大丈夫ですよ!
ブライアンがミシェルと通話しながら暗い雪道をチェーン無しの車で走行する。凍った路面にハンドルを取られ、ブライアンが思わず畜生と声を出す。何? あ、独り言だよ。答えてよ。考えてるところ。…君の身体なんだから、君が決めることだよ。それが僕の答え。答えになってない。雪山で電波が途切れがちになる。…傷ついたわ、帰って来て面と向かって話そうともしれくれないのね。仕事なんだ。ピザの配達じゃない、超特急Aの重要な配達なんだ。少年の心臓か、母親の脳か、命を運んでるんだ。…私、しばらくケイティの所で厄介になるわ。出て行かないでくれよ。子供が欲しくないって言ってるんじゃない。よく考えないと。変化が怖いものだとは限らないけど、今の僕ら凄く上手くいってるだろ? 通話が途切れ、電話に気を取られる。森の中から雪道に現われた女性(Andrea Miltner)に気付き急ブレーキをかけるが手遅れで衝突した。動揺したブライアンは息を整えてから車を降りる。テールランプに照らされた雪道の轍を辿る。スマートフォンのライトで女性が倒れた跡を照らすと血溜まりはあるが、女性の姿は無かった。足跡が森の中に続いているのに気付く。ブライアンは足跡を追って森に入っていく。硬直した女性が倒れていた。ブライアンは彼女を抱え車の助手席に運び込む。病院に連れて行くから。助手席のシートベルトを装着し、車を発進させた。

 

医療配達員のブライアン・ホドゥカビッチ(Austin Abrams)は業務中、恋人ミシェル(Sara Paxton)から妊娠検査薬で陽性だったと電話で告げられる。現状に満足するブライアンは父親になる決心が着かない。当日最後の配達先セントジョージ病院に着いたブライアンは帰ってから話すと電話を切る。1時間遅れの配達に外科医(James Beaumont)は臓器をひったくるや手術室に籠る。受付の女性(Jo Martin)に受取のサインは医師にもらえと取り付く島がない。ブライアンは彼女の氏名を代書して帰ろうとする。そこにマリア・ストロークス医師(Emily Piggford)から配達地域外のラクーンシティ総合病院への緊急配達に倍額を提示され、雪道の装備がないにも拘わらず引き受ける。山越えの凍結した路面を不安定に走行するブライアンは、ミシェルとの通話中に飛び出して来た女性(Andrea Miltner)を轢いてしまう。何故か女性はしばらく自力で森を歩いた後に動けなくなっていた。彼女を助手席に乗せたブライアンは、不安定な走行を見咎めた巡査(Johnno Wilson)によって停止させられる。事情を知った巡査は医療配達・怪我人搬送後の取調を条件に病院までの移動を許可する。ブライアンは蘇生措置を知らないと訴え、怪我人を巡査に委ねる。再びラクーンシティ総合病院へ向かうが、目の前を走るパトカーがスリップし、雪原に転がりひっくり返ってしまった。

(以下では、冒頭以外の内容について言及する。)

ブライアンはミシェルの妊娠発覚に動揺している。帰宅したら彼女と今後について真剣に話し合わなければならない。考えがまとまらないブライアンは高額報酬の緊急配送を引き受けて問題を先送りしてしまう。気が進まないことを後回しにしてしまうことは誰にでも経験があることではないか。配達の受取のサインをもらおうとしたり、事故を起こせば被害女性を救出する。何より、緊急配送の仕事を完遂しようとする。ブライアンは無論英雄ではないが決して悪人でもない。極めて人間的な等身大の市民である。そんなブライアンだからこそ鑑賞者は自己を投影してしまう。次々に襲いかかる――半ば自ら招いているのだが――災難にブライアンと一体化して直面させられるのである。
配送中のミシェルとの通話でブライアンは、自分は命を運ぶ仕事をしているんだと言い放つ。まさに、妊娠したミシェルこそ命を運ぶ仕事をしているにも拘らず。まさにブライアンは妊娠したミシェルと同じ役割を担っている(そもそも"delivery"には「配達」だけでなく「出産(分娩)」の意味がある)。雪道の不安定な走行など、妊婦が日常的な行動が制約されることのメタファーである。
ブライアンは民家を訪れた後、トンネルで玉突き事故を起こした車両の中、母親に襲われて怯え隠れている少女(Isla McRae)に出会う。彼女を救えなかったことをブライアンは悔やむが、それこそブライアンが父親に成ることができない伏線である。ラストシーンは子供を失う(父親に成れない)ことの象徴である。

"fuck"や"shit"を初め単語だけの科白が多い。文脈に応じたメタメッセージを落とし込んだ日本語字幕は見事である。

Zach Cregger監督の映画『WEAPONS/ウェポンズ[Weapons]』(2025)は、「ハーメルンの笛吹き男」の伝承を彷彿とさせるが、その背景に疫病を見るなら、ゾンビ映画の本作との連関を認めることができるかもしれない。

展覧会 山崎豊三個展『物思い』

展覧会『山崎豊三展「物思い」』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー川船にて、2026年10月5日~17日。

紙粘土をパン生地のように捏ねて蜜蝋を塗った塑像「物思い」シリーズと、草叢を彷徨う人を描いた墨絵とで構成される山崎豊三の個展。

黒い床に白い直方体の台座が設置され、1台ずつに紙粘土を捏ねて丸めた塑像が1つずつ設置さられている。1mほどの高さの8台には、両手に収まるほどの大きさで、パン生地ないし蕎麦生地のように捏ねて丸めた白い塑像《物思い》が載る。球状に近いもからやや扁平に潰れたものまで、歪んで凹凸していて、皺や溝、罅もある。表面には蜜蝋が塗布されているらしい。白い台座に置かれることで、僅かな陰影を伴った形だけが浮き上がる。白い台座に載る姿はお供えの餠のようだ。作品は依代なのだろう。50cmほどの高さの低い台に載る紙粘土の白い塑像は捏ねた力を視覚化するように凹まされ、指の跡が残され、《草いきれ》と題されている。《もの思い》へ向けた神霊の下降に対し、草叢の生気の上昇が対照される。
壁面には墨絵が飾られる。《道行》(900mm×600mm)には、周囲を埋め尽くす柔毛のような先端の丸い突起物の中を男女が寄り添い分け入る後ろ姿が表わされる。「柔毛」が草であることは、同様の形が登場する他の作品の題名に「クサムラ」とあることから分かる。《カワワタリ クサムラノコミチ》(910mm×600mm)では、浅瀬の中、柔毛のような草を掻き分けて進む女性の姿が描かれる。俯いた女性は手を使って草を掻き分けつつ進む。《クサムラノコミチ》(910mm×600mm)では一面の草叢の道なき道の中にゆらりと現われる人物がぼんやりと表わされる。それに近い構図の《クサムラノコミチ》(455mm×305mm)では、遠くに山が連なる姿まで含めた引きの構図で描かれている。《クサムラノコミチ》(910mm×450mm)では、どこまでも続きそうな草に覆われた斜面を女性が登る姿が描かれる。いずれの作品においても一面に拡がる草が柔毛のように表わされるのが印象的である。「クサムラノコミチ」は「道行」であり、三途の「カワワタリ」である。土に還ることを、大地による消化に見立てるため、草を柔毛として表わしたのではないか。翻って、大地に生育した稲から収穫された米により作られた餅(《物思い》)に霊魂が降りることで、再生を果たすことになる。
墨絵《月》(900mm×450mm)は、磯に寄せる白波と黒雲に覆われた空とを描いたように見える。月の姿は描かれていない。それでも磯や波、雲が見分けられるのは、月明かりのお蔭である。作家は、表わせることを通じ、表わすことのできないことを示そうとしている。

 〔引用者補記:ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの〕『論理哲学論考』が感動的なのは、「語りえぬもの」を語ろうとすることがナンセンスであると看破する一方で、「語りえぬもの」が存在し、それが僕たちにとって切実な問題であることは比定していない部分にある。
6・522 だがもちろん言い表しえぬものは存在する。それは示される。それは神秘である。
6・53 語りうること以外は何も語らぬこと。自然科学の命題以外は――それゆえ哲学とは関係のないこと以外は――何も語らぬこと。そして誰か形而上学的なことを語ろうとするを語ろうとするひとがいれば、そのたびに、あたなはその命題のこれこれの記号にいかなる意味も与えていないと指摘する。これが、本来の正しい哲学の方法にほかならない。この方法はそのひとを満足させないだろう。――彼は哲学を教えられている気がしないだろう。――しかし、これこそが、唯一厳格に正しい方法なのである。(同書〔引用者註:ヴィトゲンシュタイン著、野矢刺茂樹訳、『論理哲学論考』〕、148-9頁)
 この「示される」ことが重要なのだ。私達たちは語りえることを語ることならできる。語りえるものすべてを語り、それでも語ることのできない「神秘」に、「語りえるもの」は存在している。形而上学について僕たちができることは、語ることではなく、示すことだ。(小川哲「岩波文庫の倒し方4 哲学を破壊すること」『図書』第943号(2926年10月)p.45)

展覧会『Tranquility 静謐』

展覧会『Tranquility 静謐』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー小柳にて、2026年9月26日~10月24日。

ヘレン・ファン・ミーネ[Hellen van Meene]による少女の肖像写真、熊谷亜莉沙によるマリア像の油彩画、中澤安奈による風を表わす木彫、小林照によるスタンプによるイメージで構成されるグループ展。可視化される静謐により不可視の存在の感知を促す。

中澤安奈の《Remove the Veils 暁にまみえて》(1070mm×520mm×600mm)は、女性のワンピースの衣装の裾が風に流され膨らむ様を表わした樟の彫刻。左斜め後方から風を受けていて、作品の左手前に立つと、風による衣装の膨らみが際立って見える。ワンピースの布は決して薄手に表現されてはいない。むしろ樟の重量感を感じさせる。それでも衣装だけで身体が表わされていないこと、円柱状の台座に据えた支柱で宙空に展示されていることと相俟って、不思議と軽やかさが生まれ、不可視の風を現じさせる。背後の壁面には、椨の木で翻るカーテンを洗わした彫刻《その日、風の吹くころ》(840mm×860mm×295mm)が掛けられている。やはりカーテンの生地は薄手には表現されていない。重量感がある。その厚手のカーテンは風によって右手前に呷られているため、《Remove the Veils 暁にまみえて》へ不在の窓から風を送り出すことになる。身体に閉じ込められ重力により大地に縛られる存在の、自由への冀求が表現される。

小林照の《dpi 07》は、黒い円を24個(4×6個)押した紙100枚(10×10枚)を並べた作品。印刷やデジタル画像の解像度を示すdpi(dots per inch)に倣い1インチ(254mm)に1つの点=「1dpi」の考え方を元に円形の版木で円を連ねている。制作地で採取し自製した炭インクは淡く、イメージの下段に向かいにつれてほとんど見えなくなっていく。工業印刷やデジタルイメージとは異なり人の手による反復行為は均一でないことを露悪的に示すようでもある。最下段の紙には、円と円との間に生まれる隙間が星の輝きのような形となって現われる。現存最古の印刷物である百万塔陀羅尼同様、反復は呪術行為であり、祈りであることが示される。《dpi 05》は》は、黒い円を24個(4×6個)押した紙16枚(4×4枚)を並べた作品。《dpi 07》と比べ濃い黒いインクが、薄い部分はあるものの、全面を埋め尽くしている。両者は構図(横位置・縦位置)と明暗とによって対照され、光と影との表裏一体を示す。

熊谷亜莉沙の《she》(700mm×600mm)は闇の中にマリア像を表わす油彩画。ヴェールを被った頭部をやや右に傾げ、胸の前で両手を合わせ、手首に花綱がかかる。口元と肱の位置でイメージは切断され、目鼻は窺えない。合掌した手、その影、マリアが被るヴェールが山型の相似をなす。それは矢のように視線を誘導する。十分に見る事の叶わない顔により、不可視の存在を想起するよう作家は促している。描くのではなく、示す。ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインよろしく、語り得ないものについては、沈黙しなければならない。

 〔引用者補記:ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの〕『論理哲学論考』が感動的なのは、「語りえぬもの」を語ろうとすることがナンセンスであると看破する一方で、「語りえぬもの」が存在し、それが僕たちにとって切実な問題であることは比定していない部分にある。
6・522 だがもちろん言い表しえぬものは存在する。それは示される。それは神秘である。
6・53 語りうること以外は何も語らぬこと。自然科学の命題以外は――それゆえ哲学とは関係のないこと以外は――何も語らぬこと。そして誰か形而上学的なことを語ろうとするを語ろうとするひとがいれば、そのたびに、あたなはその命題のこれこれの記号にいかなる意味も与えていないと指摘する。これが、本来の正しい哲学の方法にほかならない。この方法はそのひとを満足させないだろう。――彼は哲学を教えられている気がしないだろう。――しかし、これこそが、唯一厳格に正しい方法なのである。(同書〔引用者註:ヴィトゲンシュタイン著、野矢刺茂樹訳、『論理哲学論考』〕、148-9頁)
 この「示される」ことが重要なのだ。私達たちは語りえることを語ることならできる。語りえるものすべてを語り、それでも語ることのできない「神秘」に、「語りえるもの」は存在している。形而上学について僕たちができることは、語ることではなく、示すことだ。(小川哲「岩波文庫の倒し方4 哲学を破壊すること」『図書』第943号(2926年10月)p.45)

ヘレン・ファン・ミーネ[Hellen van Meene]が少女を被写体とする写真はいずれも正方形の画面で無題である。1点は、方を露出した衣装の少女が倒れ込むように頭を窓台に押し当てる。眼は閉じられていない。表情こそ暗くないが歪な姿勢である。窓硝子には、陽射しを浴びる彼女の頭部(頭髪)、頸などがぼんやりと映る。別の1点は、白い壁の前に立つ少女の右側面からの胸像。青い服に美しい髪が垂れかかる少女はやや右に顔を向けるが、鑑賞者(レンズ)を眼差してはいない。どこか不安げな表情を浮かべる。3点目は藁を積んだ納屋に立つ少女を捉える。鮮やかな服が藁と質素な壁に映え、やや薄暗い納屋の中で入口から射し込む光により大胆に露出した背中が浮かび上がる。3人の少女たちはいずれも沈黙している。だがその心は落ち着いてなどいない。言葉にできない鬱屈こそ、少女たちを輝かせる源である。