可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 田中武個展『包まれている』

展覧会『田中武展「包まれている」』を鑑賞しての備忘録
日本橋高島屋本館6階美術画廊Xにて、2021年4月14日~5月3日。

500号の作品《ベッドは我々の全生涯を包む。というのは、我々はベッドで生まれ、生活し、そこで死ぬのだから》を中心に、「十六恥漢図」シリーズ4点、「ぬりえ」シリーズ10点など、田中武の絵画19点を紹介。

会場の奥に、木材を組んで透明のビニールシートを被せた、《ベッドは我々の全生涯を包む。というのは、我々はベッドで生まれ、生活し、そこで死ぬのだから》を展示するための空間が設けられている。左・右・奥の柱を壁面近くに立て、柱の上には「梁」が天井ぎりぎりに渡されている。その構造体を透明のビニールシートが覆っている。入口側のビニールはカーテンをまとめるように左右それぞれの柱の下で結わえてあり開放されているが、床にもビニールが敷かれている。作品自体は一番奥ではなく、少し手前側に立てられた4本の柱に掛けられている。画面の中心には白いシーツのかかったベッド。ヘッドボードにもたれるように枕が置かれている。前景には草木のシルエット、後景にはホログラムのような地に黄・桃・紫のグラデーションになった雲(?)が描かれている。ヘッドボードの左手には白馬、ヘッドボードには梟や烏が留まり、蛇がベッドに入り込んでいる。枕の脇には栗鼠。ベッドの向こう側には犬が顔を覗かせ、蜻蛉が飛び交う。ベッドの端には猫が座り、亀が這う。その奥には鹿や兎、樹木(沙羅双樹?)の陰には狐も姿を見せる。ベッドの周囲に動物が集まる構図は、ベッドを釈迦に見立てた、あるいはベッドを留守模様とした涅槃図のようである。蓮の花は供養のために散らされるのであろうし(散華)、紫がかった雲(紫雲)は阿弥陀仏の来迎を表すのであろう。ところで、作家は羅漢図を換骨奪胎して、欲望をテーマとした「十六恥漢図」シリーズを制作している。本展出展の《美》、《mount》、《キラキラ》、《続》の4点をもって「完結」させているが、掉尾を飾るのはデニムのパンツを穿いた女性のマタニティ・ヌード《続》である。同作で欲望が次世代(胎児)へと引き継がれることを表した。従って、「涅槃」は煩悩が消えた悟りの境地を意味するが、ギ・ド・モーパッサンの言葉「ベッドは我々の全生涯を包む。というのは、我々はベッドで生まれ、生活し、そこで死ぬのだから」を採用した「涅槃図」に煩悩の消滅まで読み込んでは粗忽であろう。ベッドのシーツがミルク状にベッドから垂れ出しているのを見逃してはならない。言うまでもなく「ミルク」は精液のメタファーである。「逝った」とは「入滅」(=死)ではなく、逝くこと(射精)によって煩悩の焔は一時的に消えたに過ぎないのだ。それでは、木材とビニールから成る仮設の展示空間は何を表すのだろうか。ベッド(を描いた絵)のための空間であり、カーテンのような設えからは、何より寝室をイメージさせる。また、ベッドが「全生涯を包む」ものであるなら、幕が開いた劇場に見立てることもできよう。そして、透明のビニールで覆われているのは、意図するとしないとに拘わらず(SNSなどを通じて)生活が可視化されていることを示し、あるいは、監視されていること(あるいは監視可能性)だけが明らかにされることによる生権力のメタファーとなっている。

映画『ザ・スイッチ』

映画『ザ・スイッチ』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のアメリカ映画。102分。
監督は、クリストファー・ランドン(Christopher Landon)。
脚本は、マイケル・ケネディ(Michael Kennedy)とクリストファー・ランドン(Christopher Landon(。
撮影は、ローリー・ローズ(Laurie Rose)。
編集は、ベン・ボーデュアン(Ben Baudhuin)。
原題は、"Freaky"。

 

11日、水曜日の夜。ジニー(Kelly Lamor Wilson)の邸宅の前で2組のカップルが薪の焔を囲んでいる。エヴァン(Mitchell Hoog)が声を落として語る。奴はこの町を徘徊してる。幽霊みたいに人目に触れないで。思うがままに殺すんだ、毎年ね。ブリスフィールドの殺人鬼だよ、1977年から人々を怖がらせてる、ずっと今までね。どうせ老いぼれのシリアル・キラーだろ。アイザック(Nicholas Stargel)が茶々を入れる。フツーの白人が持ってるサディズムがヤバいんだって、歳は関係ない、とジニー。殺人鬼が90年代に子供を殺して、20年前、姿を消したってこと以外、都市伝説でしょ、とジニーはエヴァンに確かめるように言う。プロム帰りの子を殺すんじゃ無かった? とサンドラ(Emily Holder)。プロムじゃくて学祭。ブリスフィールドの殺人鬼は学祭シーズンのたんびに出てくるの。未成年者をアルコールとセックスから遠ざけるためよ。今年は如何なる悲劇が生まれるのであろうか。声色を変えて皆を笑わせたアイザックが突然、恋人のサンドラを押して怖がらせる。何してんの! 飲み物を服にこぼしてしまったサンドラはお冠。ソーダを取りに館の中へ。エヴァンがアイザックにサンドラを追うよう目配せする。アイザックが建物へ向かうと、エヴァンはジニーとキスを始める。アイザックは陳列ケースの中の頭蓋骨や骨董品に目を奪われる。何なんだ? ジェニーのお父さんってコレクターなのよ。「ラ・ドーラ」だって。アイザックはネーム・プレートが付いたケース入りの古い短刀を発見する。手伝う気はあるの? 飲み物を用意しているサンドラがアイザックに不満を言う。それを手伝う気はないかな。アイザックは建物を探索する。マスクが陳列されている棚の前を通ると、階段室のドアがある。螺旋階段を降りると、大理石の彫刻などが置かれた地下室で、アイザックはモンラッシェのワインを見つける。ラベルを読んでいると、物音が。思わずワインを落として割ってしまう。サンドラ、驚かすなよ。このワイン、高そうだな。おい、降りてきて片付ける手伝ってくれてもいいじゃないか。仮面を被った男(Vince Vaughn)がアイザックの頭を引きずり上げ、仰向けになったアイザックの口にワインのボトルを打ち込む、喉が変形するまで押し入れると、割れた瓶を首に刺す。サンドラがトイレに入っていると、ドアをノックする音がする。ちょっと待って。すると続けざまにノックする音がする。急かしても無駄よ。その後気配が無くなったのを不審に思ったサンドラがドアに近づくと、突然ドアを蹴破って仮面の男が入ってくる。悲鳴を上げるサンドラ。男は、腰を抜かし後ずさるサンドラの頭を摑むと便器に押しつけると、蓋を叩きつけて殺害する。ガレージではジニーが車のボンネットに上半身を寝かせ、エヴァンに後ろから腰を使わせていた。自分が逝くと、エヴァンを押しのける。待ってよ、俺はどうすりゃいいんだ。なかなか逝かないでしょ。私のアレは24時間営業のドライヴスルーじゃないの。あと3分もあればさ、さすがに気遣いがないんじゃ。男って気遣いがあるもんね。テニスコートを横切っていると、突然照明が点く。ジニーが振り返ってエヴァンを見ると、仮面の男がテニスラケットを折って、エヴァンの側頭部の両側から刺した。血を流し、崩れ落ちるエヴァン。悲鳴を上げ、逃げ出すジニー。建物に逃げ込むが、男は玄関を蹴破って侵入する。男は壁に飾られていた槍を投げつけるが、外れて壁に突き刺さる。ジニーはクローゼットの隠し扉の中に逃げ込んで男を遣り過ごす。男が去ったのを確認してクローゼットから出たジニーは、車の音で両親が戻ったことを知る。両親の元へ逃げ込もうとしたところ、男が現れ、ジニーを摑むと、壁に刺さった槍に突き刺す。男は声に導かれるように短剣「ラ・ドーラ」を発見する。車を停めてあったのを見た? ジニーの母(Jennifer Pierce Mathus)の問いかけに、いや、と答えるジニーの父(Dustin Lewis)。2人が玄関を開けると、待っていたのは壁に磔となった娘の遺体だった。
12日、木曜日の朝。時計のアラームを止めて、ミリー・ケスラー(Kathryn Newton)がベッドから起き上がる。居間に降りると、母コーラル(Katie Finneran)が朝食の準備をしている。あなたの好きなバナナ・パンケーキよ。皿を運んだコーラルは、テーブルにボストン大学の出願書類があるのに気が付き顔を曇らせる。姉シャーリーン(Dana Drori)は警察の制服に身を包んで姿を現す。明日は、アヌス劇場で『ウィキッド』ね。コーラルがミリーに確認する。アニスでしょ。学園祭なのに母娘で観劇するつもり? だって娘を危険から守らなきゃ。シャーリーンの電話に着信があり、緊急事態だと食事もそこそこに席を立つ。シャーリーンは皿を片付ける際、ゴミ箱にワインの空き瓶があることに気が付く。

 

ブリスフィールドヴァリー高校の冴えない女子生徒ミリー・ケスラー(Kathryn Newton)は、殺人鬼(Vince Vaughn)に襲われた際、兇器に用いられた短剣「ラ・ドーラ」の不思議な力によって、殺人鬼と精神が入れ替わってしまう。
Vince VaughnとKathryn Newtonとが精神の入れ替わりの前後(中年男性の殺人鬼と内気な女子高校生)をそれぞれがうまく演じ分け、ファンタスティックな設定を見応えのあるものにしている。
1年前の父親の死によって、ケスラー家の3人はそれぞれ問題を抱えている。コーラルはアルコールに依存するようになり、シャーリーンは仕事にのみ生きるようになり、ミリーは内向的になった。父親の死を残された家族がいかに乗り越えるかを、殺人鬼を描くホラー映画の体裁で描いている。
『ハッピー・デス・デイ』(2017)と続編『ハッピー・デス・デイ 2U』(2019)を手がけたChristopher Landonは、本作においても、家族の死の克服という「ドラマ」と「コメディタッチ」によって、ホラー映画の裾野を広げるのに成功している。
原題は"Freaky"。「フリーキー」とせず、「ザ・スイッチ」とした邦題は、キャラクターの精神の入れ替わり(役割の交換)を強調するだけでなく、父親の死を乗り越えようとする家族の気持ちの「切り替え」もイメージさせて、良い。

映画『AVA エヴァ』

映画『AVA エヴァ』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のアメリカ映画。97分。
監督は、テイト・テイラー(Tate Taylor)。
脚本は、マシュー・ニュートン(Matthew Newton)。
撮影は、スティーブン・ゴールドブラット(Stephen Goldblatt)。
編集は、ザック・ステーンバーグ(Zach Staenberg)。
原題は、"Ava"。

 

エヴァ・フォークナー(Jessica Chastain)がパリ郊外の道で車を走らせている。運転しながら濃いめの口紅を塗り、バックミラーを見て身だしなみを整える。向かうのはル・ブルジェ空港。ピーター・ハミルトン(Ioan Gruffudd)を出迎え、後部座席に案内し、水を勧める。シュペール! ピーターが英語訛りのフランス語で応じる。オンヴァ、ディレクトモン、オパレドコングレ? アブソリュモン! エヴァの車が出るのに併せて、1台のオートバイが発進する。君はアメリカの人かな? アーカンソーです。南部か。名前は? ブランディです。バッグから取り出した小さなボトルを開けて呷るピーター。朝からひどい目に遭ってね。それはお気の毒。会議で散々いびられてね。幸福かどうかは最期に分かるって言われますね。エヴァを見初めたピーターは、知らない者同士、本音で語ろうと口説き始める。それでいつもうまくやっているの? いいわ、建前はなしで。車を停めて後部座席に移って飲みたい気分。後は流れ次第かしら。人気の無い空き地に車を停め、エヴァは後部座席に移る。飲まないのか? 気分だって言ったの。飲んだら1人は刑務所、1人は集中治療室ってことになるでしょ。オートバイで尾行していたカミーユ(Diana Silvers)が離れた位置から車内を盗聴している。正面から顔を見てみたかったの。ピーターがエヴァに顔を寄せる。ちょっと待って。訊きたいことがあるの。あなたが何者なのか。何をしているかって? いつかは知らないけど、何かをしたのは分かるわ。何の話だ? エヴァはピーターに銃を向ける。幸福かどうかは最期に分かるって。そのためにはあなたが何をしたのか知らないと。おどけた調子で遣り過ごそうとするピーターが電話を取り出すと、エヴァは電話を持っていた手を撃ち抜く。止めてくれ! こうなった理由を考えて。私の質問に対する答えは? 何もしてない。ただ企業に融資しているだけだ。私の質問に対する答えを持っていないのね。分かるさ、理由だろ。いいえ、あねたは知らないのよ。金ならやる。ピーターはエヴァの隙を窺って襲いかかろうとしてエヴァの銃弾に斃れる。車を降りたエヴァは電話で任務の完了を報告する。話しぶりからエヴァを気遣う相手に、問題ないと、ウィッグが合わなかったことだけ報告する。

 

刺客のエヴァ・フォークナー(Jessica Chastain)が、暗殺対象者から事情を聞き出そうとしていることが組織から問題視され、命を狙われることになった。
かつて父親の不倫を咎めエヴァは、ドラッグを手に入れるために不倫をでっち上げて強請られたと父親から虚偽の事実で糾弾され、なおかつ母親(Geena Davis)にも味方になってもらえなかったことから、アルコール依存症となった過去がある。それをきっかけに家族との関係が壊れたが、父親の死をきっかけに8年ぶりに家族との再会を果たす。暗殺者の格闘シーンが見せ場のアクション映画であるとともに、家族に関するトラウマを抱えた主人公が、家族との関係を修復しようとするドラマ映画でもある。

展覧会 柘植萌華個展『ドロップ』

展覧会『柘植萌華「ドロップ」』を鑑賞しての備忘録
Bambinart Galleryにて、2021年4月3日~18日。

柘植萌華の絵画13点を紹介する企画。

《知らん顔》は河岸の草地に立つ蝋燭を描く。草地の先には川が流れ、対岸にはコンクリートの堤防や階段、東屋などが見え、その奥にはビル群がぼうっと姿をのぞかせている。画面中央に立つ蝋燭の下からは濃い影が延びるが、影は黒では無く濃い緑色で表されている。夏ではない。灰色を基調にまとめられた対岸の風景が霞むことから春であろう。濃い影は日が高いことを示す。白昼。それにも拘わらず、蝋燭の焔がはっきりと描かれている。昼行灯ならぬ昼蝋燭にならぬよう、蝋燭の炎が鑑賞者を焚き付ける。作品を読み解けと。
《風景#8》は、植木の葉がのぞく塀の前に立つ電柱を画面中央に捉えた作品。電柱の側面や塀のタイルは青空を映しているのか、青みがかっている。目を引くのは電柱に取り付けられた、折り曲げられた黄色や緑の輪っかだ。電柱から浮いているのか、影が電柱の表面に映っている。ドア・ノッカーのように輪っかを手にして電柱を叩くよう誘うようだ。誰を呼び出すのか。
《風景#5》は暗い空間の中で明るく浮かび上がるクリーム色の聖母像(?)。目を閉じ、わずかに口を開く(drop (open))。赤紫やオレンジで描かれた影が表情が作っている。星の輝きを表すような形が赤と緑とで首元に描き込まれ(闇の奥に反射している)、涙(tear"drop")か光か、いずれによせ画面を引き締める効果を生んでいる。
《そこから歩いていった》は三方を塀で囲まれた砂場(あるいは池)があり、茶色の猫を腕で前に抱えた人物が画面手前に向かって歩いて行く作品。人物の俯く顔に呼応するようなぐったりした猫。人物の身につける長袖のTシャツ(?)の明るい白は、周囲の明るい地面と溶け合っている。画面に対して塀(の下端)や砂場(?)が斜めに描かれていることが画面中央にほぼ垂直に描かれた人物によって強調され、動きが生まれている。人物の背後の影もやや右にズレて表され、恰も人物の動きを表す効果線のように働いている。そのことに気が付くと、ぐったりしているはずの猫が、実は人物の左手前への動きを促す重りのような役割を果たしていることが分かる。
《朝食》には、ヨーロッパの偉人の肖像画が2枚掛かった壁の前のテーブルにミルクボウル、水のペットボト、グラス、ニンニク(?)、ティッシュペーパーの箱が置かれている。肖像画やテーブルの焦げ茶、壁面のタイル(あるいは壁紙)の茶やオレンジによって画面が統一され、ペットボトルのキャップ青が差し色として機能している。テーブルが狭く、「朝食(breakfast)」をタイトルに冠しながら、2枚の肖像画が画面に占める割合が大きい。食事は肖像画の人物への捧げ物なのかもしれない。彼らは長い時間を隔て、断食(fast)を破る(break)ことになる。
《無題#2》は、橋梁か高架の下、あるいはトンネルの内部の壁面を描いている。画面下部には歩道があることを示すようにオレンジと白のラバーポールが1本立っていて、作品のアクセントになっている。左から強い光が斜めに射し込み、白い壁面に描かれたタグが浮かび上がる。射し込む光は二叉に別れていて、タグを照らさない方には、重力源を異にする、人の脚を表すような影が映り込んでいる。この空間は、マウリッツ・エッシャーの《相対性》のような世界への入り口へと通じているのかもしれない。
《無題#9》は、柵や建物や青空を映した球体を中央に配した作品。鏡面の球体であろうか。もっとも、周囲には鏡面が取り込むべき風景は存在せず、鼠色の空間が広がる中、分散した光のスペクトラムが5つほど浮いている。「球体」の内部が現実の世界であり、球体の周囲に広がるのが「現実界」であろう。外部は虚構であり、灰色の流動体で表される空無が広がるばかりである。スペクトラムが表すのは、外部への期待感の残像だ。
《風景#20》は清冽な流れの上に差し出された両手の上に載せられた小さな円形の鏡を描いている。そこには鼻と口が映っている。作者により描かれた作品を見る(=解釈する)ことは、結局は鑑賞者の姿を映し出すことになる。作者はメッセージを送っ(drop a line)ていたのだ。一筆(a line)ではなく限りない筆触(millions of lines)によって。

展覧会 鈴木志歩個展『わすれもの』

展覧会『鈴木志歩展「わすれもの」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY b.TOKYOにて、2021年4月12日~17日。

鈴木志歩の絵画14点を展示。

《あちらとこちらでご挨拶》は、やや横長の画面。上部3分の1は水彩絵具が滲んだような紫色、下部3分の2はやや白味がかったエメラルドグリーン。画面右上、上下の境界線を跨ぐ位置に角がとれた正方形が2つ。小さい方の朱と、その4倍ほどの赤紫。左下には緑色の方眼が描き込まれた白っぽい緑の三峯をもつ食パン一本の形。タイトルからは、子供連れの女性(小さな朱と紫)と男性(緑の食パン)が挨拶を交わしていると解することもできそうだ(ギャラリーに入って最初に目に入る作品として相応しい?)。だが、紫と緑の対置からすれば、「あちらとこちら」とは色相環の相対する位置のことと考えるのが素直だろう。補色をいかに組み合わせて魅せるかを画面で実験しているのだ。画面上部の水彩のようなにじみ、画面中央の地塗りの色の重ねられる色による見え方、画面下部の描線を消すような塗り方など、筆の使い方もヴァリエーションに富む。なお、朱と紫の組みあわせの部分は、マーク・ロスコの絵画を思わせるものがある。それに対置されるのは、葉蘭(和食の飾り付け)と捉えれば、アメリカと日本、太平洋の両岸でご挨拶と相成る次第。
《見つめる富士》は、クリーム色の画面の最下部に、湖水を表すものか、ややくすんだ青が帯状に塗られている。画面中央には、その「水面」と接しないように、2×2行列の丸括弧を茶色い線で描いたようなものが描かれ、その上には5つの山を並べた形の布が貼られている。富士を、樽形のビールジョッキに注いだビールのように表している。確かに、三峯となだらかな三角形で表せば容易に富士を表すことはできるだろう。だが、作家は、国内最高峰の峰を「王冠」として表し、なおかつそれを支える柱を垂直に近づけることで高さを誇張した。
《寄り添う》は、クリーム色で地塗りを施した画面の下3分の1を緑の水彩絵具を掃いたように表し、画面全体に長さが不揃いの6本の焦げ茶色の線を配した作品。水気を感じさせる緑に池を見ると、焦げ茶色の線は木立に見える。捻くれた見方をすれば、フローラルフォームに6本の枝を挿すフラワーアレンジメントも見られようか。だが、最高峰の富士のデフォルマシオンを見せつけられた後ならば、やはりトップクラスの人気を誇る等伯《松林図屏風》の抽象化を見るであろう。画面に対し樹木(線)をどのように配するか。そのバランスを楽しむ作品である。
《June》は、画面上部に白とクリームとで塗り込められた楕円が配され、そこから下に液体が滴ったような線が3本伸びている。低い位置に停滞する雨雲であろう。背景はクリーム色の地塗りの部分の他、紺、エメラルドグリーン、ピンクの矩形が配されている。画面左手の低い位置に並ぶ紺やエメラルドグリーンの矩形、そしてエメラドグリーンの矩形の上のピンクの矩形には、ピンクや黄色などの線が重ねられており、水や緑へと降り注ぐ雨滴のイメージを表しているようだ。右手の大きな紺色の面やその上のピンクの面には、色とりどりの線は描き込まれず、無機質な印象を与える。ビルなどの建造物を表すのだろうか。地を表す(?)矩形部分が左下から右上へと上がる階段状に配され、クリーム色の地塗りによる天(?)と工芸的な「片身替わり」を構成している。地上へと触手を伸ばすクラゲのようにも見える「雨雲」が、天と地とを繫ぐ役割を果たす。
《どちらさま》は、赤紫色のテーブルに置かれた青い壺に活けられた植物を見ている人物を描く。画面の左右の端にはカーテンを表すような波状の形が描き込まれている。背景は光を分散させるかのように淡い紺、赤、黄の組み合わせで描かれ、同様に人物も黄や赤の組みあわせで、恰も輝くように表されている。発光するような人物は、背景に溶け込まされて、3つの点で表された目と口、そしてテーブルに載せられた曲げた右手によって、壺に視線を誘導する役回りとされている。タイトルの「どちらさま」とは、分散によりスペクトルとなった光に投げかけられた言葉であろうか。
《その先に見えるもの》は、山並を低い位置に描き、空を広く表した作品。濃紺の山塊の奥に白っぽい青で山影が表され、さらにその先にもうっすらとした影が見える。空はベージュを中心に表されているが、筆跡が作る微細な影が表情となり、見応えがある。
「わすれもの」は忘れたことに気が付くまで認識されない。作家は、人々が世界を眺めるときに認識されていないもの(=「わすれもの」)を掬い取って呈示しようとしている。例えば、《かくれんぼしよう》において、存在が隠されることなく、画面に大きく表されている。そのとき、人はかくれんぼしているとの認識を持ち得ない。作者は、その認識を持ち得ない状況を産み出すことで、かくれんぼしているのである。作者は「わすれもの」を忘れることがないのである。