可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

舞台 iaku『The last night recipe』

舞台 iaku『The last night recipe』を鑑賞しての備忘録
座・高円寺1にて、2020年10月28日~11月1日。
作・演出は、横山拓也
出演は、橋爪未萠里、杉原公輔、緒方晋、伊藤えりこ、小松勇司 、福本伸一、竹内都子

 

良平(杉原公輔)が妻の夜莉(橋爪未萠里)と晩ご飯のメニューについて話している。ライターの夜莉は、結婚を機に晩ご飯を紹介するブログ「Last Night Recipe」を始め、毎日更新していた。良平が渋るにも拘わらず夜莉はラーメンにしようと譲らない。ネギを刻んで、そうだ、メンマの瓶がまだ冷蔵庫にあったんじゃないかな。重い腰を上げて買い出しに行きますか。良平、カバンとって。「オルフェ」には濃厚な背脂のラーメンスープも売ってるはず。良平が作るんだよ。
ブログ「Last Night Recipe」の2021年3月2日付のエントリーは「ラーメン」。一応のゴールであり、新たなスタート。一歩ずつゆっくり進んで行こう、との記事。
翌日、新型コロナウィルスのワクチンを接種して帰宅した夜莉は、体調が悪いと早々に床に就いた。深夜に夜莉の異変に気が付いた良平は、119に電話する。胸が4~5cm沈むくらい押して下さいと指示されたが、夜莉の身体がマットレスに沈み込むだけだった。救急隊員が到着。離れてください。AEDの処置が行われる。草臥れたスウェットを着替えれば良かったな。何も出来ない良平は、ストレッチャーで運ばれる夜莉に付いて救急車へ乗り込むj。処置室の外で待機するよう言われたが、間もなく医師から手遅れだったと告げられた。看護師が処置する隙を見計らって、夜莉の右手をとる。スマートフォンのロックを解除するために。夜莉の実家に電話する。午前4時。義母の晴美(竹内都子)に告げる。夜莉が死にました。
未明の電話に胸騒ぎがした晴美が電話口で聞いたのは婿の「夜莉が死にました」という言葉。病院の名前を書こうとするものの手が震えてうまく書けない。晴美は夫の雅一(福本伸一)に何とか告げる。何を言ってんだ! 私に怒鳴っても…。タクシーを呼ぼう、事故でも起こしては。タクシーの後部座席で、二人は「どうして」という言葉だけを譫言のように繰り返す。病院で良平に落ち合う。保険会社との交渉とのためにも必要だろうとのことたったので、解剖の代わりにCTを撮ることにしました。解剖? 解剖って…。
良平君、自分の親だと思って頼ってくれていいんだ。何かあったら遠慮無く言って欲しい。夜莉の関係者にはうちの住所を書いた葉書を送っておくから。連絡があったら君にも伝えよう。墓のことは考えてあるか? 私は次男だからいつか用意しなければならないとは思っていたが、まさか娘の墓が必要になるとは…。郵便局に寄るからそろそとお暇するよ。雅一の言葉にすいませんとしか答えられない良平。晴美は良平に不満だった。衝撃を受けているようには見えないし、受け答えも気があるのかないのか分からない。何より良平がもっと早く対応していれば夜莉が命を落とすことなんてなかったのではという思いが消えなかった。
夜莉がカフェで三宅綾(伊藤えりこ)と話している。カンボジアで学校を建設するプロジェクトに2年間にわたって携わって書き上げたルポルタージュで知られる、夜莉の憧れの存在であった。夜莉、最近どうなの? ぼちぼち。ぼちぼちってのは儲かってるってことでしょ。ぼちぼちです。彼氏から仕事回してもらってるんでしょ、公私混同で。早田(小松勇司)さんとは仕事とプライヴェートはしっかり分けて付き合ってます。綾さんこそ文体を使い分けてすごい数こなしてますよね、綾さんの記事だってすぐ分かりますから。あなたもライターだからでしょ、で要件は? 関西ラーメン選手権の記事の件で。あー、複雑な条件の面倒な仕事押しつけちゃったね、ごめん。それは全く構わないんですけど、「永井軒」という600円のラーメンのみの店がエントリーしてますよね、取材に行ったんです。セレクション、雑だったからね。ボロボロの店を大将(緒方晋)が息子さんと切り盛りしているんですけど、実はラーメンではなくて、息子さんの不幸な境遇が気になって仕方がなくなってしまったんです。

 

急逝したライターの夜莉(橋爪未萠里)の姿が、夫の良平(杉原公輔)らが回想する形で明らかにされていく。
夜莉が良平と食べる晩ご飯に絡めて、近所のスーパー「オルフェ」の名が何度か登場するのは、オルペウス(=オルフェ)が亡くなった妻エウリュディケーを求めて冥府に向かったギリシア神話をイメージさせるためだろう。柴田隆弘による舞台美術は、中央の窓(ないし絵画の額)を除きアーチ状の出入り口が弧状に並び、かつ中央から左右手前に向けて次第に大きくなるよう配されている。演劇的な世界を構築するジョルジョ・デ・キリコの絵画に登場する古典建築のような趣があるのは、やはり「オルフェ」をイメージさせるためだろう。もっとも、絵画の影響を挙げるなら、《The Last Supper(最後の晩餐)》(レオナルド・ダ・ヴィンチ)と解した方がこの作品にはふさわしいかもしれない(死ぬ前に食べたいものへの言及はある)。なお、中央奥の「窓」は、スマートフォンの画面(あるいは冥府)として機能している。
冒頭の夫婦の会話。晩ご飯をラーメンにするしないという、しょうもない会話。それが妻の死によって突然奪われる。しょうもないことが、その喪失によって掛け替えのないものであったことに気付かされる(雅一は娘の急死によって最後の会話が何だったか思い出せないことを嘆く)。会話は、とりわけ新型コロナウィルスでは飛沫感染の防止の観点から会話が著しく制限されることになった。パンデミックによって失われた日常を象徴するのだ。のみならず、会話は会話劇として演劇を、そしてiakuを象徴するものでもある。パンデミックに見舞われて突然演劇を奪われた演劇人の姿が重ねられている。
キャラクターの性格を一面的に表現することなく、少なくとも二面性があることが示される。彼/彼女らの持つ事情や悩みによって、基本的性格とは別の側面が炙り出されるように仕込まれているのだ。それがiakuの作品を特徴づける要素の1つであり、本作においても同様。
iakuの常連である橋爪未萠里や緒方晋の関西弁を聞くと、関西弁の素晴らしさに引きつけられざるを得ない。
雅一(福本伸一)と大将こと永井謙介(緒方晋)の掛け合いが笑える。雅一の普通な(?)言動がおかしみを誘うのが不思議。
会話のみに頼れない状況が生まれたこともあってか、キャラクターが退場する際に間を付けて、そのポーズに語らせる試みが見られた。
"The last night"と"last night"の違いは綾に正されて知ることになる。夜莉が英語があまり得意でないことは、"feature"と"future"とを取り違えるのを早田に指摘されることからも強調されている。
タイトルを"supper"ではなく"recipe"としたのは、"recipe"が「もたらすもの」という意味があるからか。最後の夜をもたらすもの。「青天の霹靂」としての災難。

映画『オン・ザ・ロック』

2020年製作のアメリカ映画。97分。
監督・脚本は、ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)。
撮影は、フィリップ・ル・スール(Philippe Le Sourd)。
編集は、サラ・フラック(Sarah Flack)。
原題は、"On the Rocks"。

 

結婚披露宴。新婦のローラ(Rashida Jones)を新郎のディーン(Marlon Wayans)が会場から連れ出す。螺旋階段を上ってディーンが向かったのは誰もいないプール。ディーンが先にプールに入ってローラを待っている。ドレスを脱ぎ捨て、ベールを被ったままローラはプールへと飛び込む。
ニューヨークのアパルトマン。ローラは2人の娘マヤ(Liyanna Muscat)とテオ(Alexandra Mary Reimer/Anna Chanel Reimer)の身支度をしながら、出勤前のディーンに確認を取る。別荘の使用料の支払いが必要なんだけど。店の予約は木曜日それとも金曜日? もう質問はおしまいかいと冗談交じりに尋ねてディーンが出ていく。テオに口をゆすがせたローラは、テオをベビーカーに乗せるとマヤを小学校に慌てて連れて行く。課題図書は読んだの? うん。わたしもよんだとテオが口を挟む。小学校の入口でにビーカーを停める。知り合いの母親に出会うたび交わされる挨拶とちょっとした会話。教室までマヤを送り届け帰ろうとしたところでヴァネッサ(Jenny Slate)に会う。彼にテキストメッセージを送っちゃうの。逆効果だって分かってるの、だけど…。そろそろ行かなきゃとローラはテオと立ち去る。家に戻ると書斎へ。資料の整理。PCに向かっても書ける気がしない。そうこうしているうちにテオに呼ばれる。生活に追われ、執筆が進まない。ローラはそんな毎日を繰り返している。一方、ディーンの仕事は順調らしく出張も頻繁だ。ローラも顔を出したディーンの会社のパーティーは、50万人のフォロワーを獲得できたことを祝うものだった。ローラのまぶたに焼き付いたのは、ディーンと意気投合するフィオナ(Jessica Henwick)という若い女性の姿だった。
ある晩遅くディーンが出張先から帰宅する。酔っているディーンはベッドに潜り込むとローラにキスを始めた。ローラがディーンに声をかけると、突然ディーンはそこから先へ進むことなく、隣で眠りに就いてしまう。ローラは自分の声を聞いたディーンが妻だと気が付いて中断したと、別の女性の存在を疑う。その疑いに囚われてしまったローラは友人に電話で相談し、父フェリックス(Bill Murray)にも電話をかける。成功したギャラリストである父は数々の浮名を流し、母やローラを苦しませた過去がある。それだけに男女の問題に精通していることは間違いなかった。父はパリにいた。彼には女性がいるだろうな。まあ戻ったらランチでも取りながら話そう。
フェリックスがアパルトマンの前でローラを拾って高級レストランへランチに向かう。父は入口で見かけた妊娠中の女性(Nadia Dajani)に美しいと声をかけ、ウェイトレス(Natia Dune)にバレエをしていたのではと尋ねる。フェリックスに言わせれば、男性が女性に惹かれるのは生物学的な問題で、男性という者は全ての女性を妊娠させたいと望んでいるんだと断言する。ローラは自分がつまらない女性になったから興味を失わせてしまったのかもしれないと卑下するが、フェリックスは今が一番輝いている、ディーンはローラを崇拝すべきだと言う。そして、ディーンの素行調査を始めようとローラに提案するのだった。

 

娘二人の子育てに追われるローラ(Rashida Jones)が不在がちな夫ディーン(Marlon Wayans)の浮気を疑っているところに、父フェリックス(Bill Murray)が浮気調査を買って出ることで起こる一騒動を描く。
Bill Murrayが常に美を追い求めて文字通り「暴走」するプレイボーイを茶目っ気たっぷりに演じて説得力がある。
フェリックスは自らが浮気性なので男が皆浮気性なのだと思ってしまう。
相手を求めて床に脱ぎ捨てられた衣服が子供たちの散らかした玩具へと変わることで、女性の立場の変化を視覚的に表している。とりわけフェリックスが娘に思わず漏らす「昔は面白い子だったのに(used to be fun)」という感慨がグサッと来る。
テオ(Alexandra Mary Reimer/Anna Chanel Reimer)の無邪気さが自然で微笑ましい。まさか一つの役を二人で演じていたとは(鑑賞中は全く気付かず終い)。

映画『キーパー ある兵士の奇跡』

映画『キーパー ある兵士の奇跡』を鑑賞しての備忘録
2018年製作のイギリス・ドイツ合作映画。119分。
監督は、マルクス・H・ローゼンミュラー(Marcus H. Rosenmüller)。
脚本は、マルクス・H・ローゼンミュラー(Marcus H. Rosenmüller)、
ニコラス・J・スコフィールド(Nicholas J. Schofield)、ロバート・マルチニャク(Robert Marciniak)
撮影は、ダニエル・ゴットシャルク(Daniel Gottschalk)。
編集は、アレクサンダー・バーナー(Alexander Berner)。
英語題は、"The Keeper"。独語題は、"Trautmann"。

 

第二次世界大戦中のイギリス。セントへレンズにあるミュージックホールでは、マーガレット(Freya Mavor)とベッツィ(Chloe Harris)が、スウィングジャズに合わせてチャールストンを夢中で踊っている。突然、近隣で爆発音がする。司会者が落ち着くようアナウンスするが、ミュージックホールにも爆撃が及び、天井が一部崩落すると、人々は大慌てで逃げ出す。転倒したマーガレットは取り残される。
1944年、ドイツのクレーヴェ近郊の森。ドイツ軍の落下傘兵ベルンハルト・トラウトマン(David Kross)は連合軍と交戦し、被弾した戦友とともに飛ばされて倒れていたところを捕らえらた。彼はイギリスのアシュトン=イン=メイカーフィールドにある捕虜収容所に移送される。ブレッドソップ大佐(Ian T. Dickinson)が新たに送られてきたドイツ兵捕虜たちを前に宣告する。ここでは諸君は人道的に扱われる。諸君の国が与えた戦災を償うよう割り当てられた労働に精励し給え。ヤヴォール! 違う。ここではイエッサーだ。イエッサー! ベルンハルトはスマイス軍曹(Harry Melling)から尋問を受ける。やむを得ず兵士になったのか、それとも志願したのか。答えようとしないベルンハルトに苛立つ軍曹。私に権限があれば全員処刑してもいいんだ。貴様らはツいてるよ。何がおかしい。俺がツいているからだ。ベルンハルトは便所の清掃を割り当てられる。作業中、中庭でサッカーに興じている捕虜を見てベルンハルトは思い立つ。タバコを賭けてPKで勝負しよう。俺がゴールを防いだらタバコをいただく。ゴールを決めたら倍の本数にしよう。ベルンハルトは次々と挑戦を受けてことごとくボールを弾き出す。捕虜収容所に出入りしている食料雑貨店主ジャック・フライヤー(John Henshaw)がベルンハルトを見かけてキーパーのセンスに惚れ込む。ジャックは地元セントヘレンズのサッカークラブのオーナー兼監督をしていた。手伝いに付いて来ていたジャックの娘マーガレットは、私にも挑戦させてとベルンハルトに勝負を挑む。PK合戦で盛り上がっている捕虜たちをスマイス軍曹が見咎めて解散させる。ジャックも捕虜たちと関わって問題を起こされたら上客との関係が途切れてしまうとマーガレットを注意する。マーガレットを車でミュージックホールに送った。そこへ羊肉を背負ったクライヴ・ソーントン(Angus Barnett)が通りかかる。明日の試合で勝ったら20ポンドでこの肉を売ってやろう。でも負けたら40ポンド支払えよ。リーグ降格のかかる試合でもあり負けられないジャックは賭けに応じる。ジャックはミュージックホールに入っていき、バンドに演奏を中止させる。マーガレットと交際しているキャプテンのビル・トゥイスト(Michael Socha)に声をかけ、試合に備えて帰宅させるよう指示する。ビルは皆に明日のために帰ろうと選手たちに声をかける。もっとも、トランペットを吹いているキーパーのアルフ・マイヤーズ(Mikey Collins)だけはジャックがどんなに説得しても従おうとしなかった。サッカーと音楽は別物だと。翌日、ジャックは捕虜収容所に車を飛ばす。高級タバコを手土産に上層部を口説き落とし、ベルンハルトを連れ出すことに成功する。ジャックはベルンハルトを「バート」とイギリス式に呼び、首に白い布を巻くよう言う。サッカーの試合に出ろ。ノーだ。ノーだと? ドイツではこういうときにノーと言うのか。イギリスでもドイツでも同じノーだ。お前は便所くさいぞ。便所で働くのとサッカーをプレイするのとどっちを選ぶんだ。バートは白い布を巻く。バートを選手の控え室に連れて行ったジャックは、選手たちに戦争で声を失ったんだとバートを紹介する。風邪を引いてね、と早速しゃべり出すバート。何だ、ドイツ人か。選手たちは監督が「敵国」の人間を連れてきたことに不満だ。それでも最近勝ち星がなく、今日勝たないとリーグから外れてしまうことを訴えて、何とかバートを試合に参加させることに成功する。キーパーを外されたアルフは憤然として恋人のベッツィを連れて立ち去ってしまう。突如現れた謎のキーパーはゴールネットを揺らさせることは無かった。結局、3-0でセントへレンズFCが快勝する。捕虜収容所に連れ帰る際、バートはジャックに告げる。俺を使いたければもっと連れ出せ。バートはダッシュボードのタバコをくすねて車を降りる。ジャックは圧倒的な勝利を収めて上機嫌。だが帰宅すると、妻のクラリス(Dervla Kirwan)も母のサラ(Barbara Young)、そして娘のマーガレットやバーバラ(Olivia-Rose Minnis)に至るまで相談もなくドイツ人を連れてくるなんてと不満たらたらだった。だがジャックは自分の店でバートを働かせることに決めていた。翌日、早速働きに来たバートに対し、マーガレットは興味を持ちつつも警戒して寄せ付けない。一方バートは妹のバーバラと仲良くなってゆくのだった。

 

ドイツ軍兵士としての過去を持つバート・トラウトマン(David Kross)がイギリスでサッカー選手として活躍する実話を元にした作品。
赦しとともに、「加害者」をモンスターとして袋だたきにする群集こそモンスターであることを描き出す。
"Bert"と音でかけているわけでもなかろうが"bird"が重要なモティーフとなっている。バートが身につけているネックレス、ジャックの食料雑貨店で売られている鳥。
たとえサッカーについて知らなくても、キーパーは後ろにあるネットにボールを入れられないようにしなくてはならないということが分かれば問題ない。
一種の戦争映画ではあるが、極めて穏当な描写のみで構成されているため、あらゆる人に開かれた作品となっている。

展覧会『Exploring』

展覧会『Exploring』を鑑賞しての備忘録
銀座蔦屋書店のGINZA ATRIUMにて、2020年10月20日~31日。

児玉麻緒、須永有、髙畠依子、仲田智、松井えり菜が出展するグループ展。

松井えり菜の《かぼちゃホリック》は、画面いっぱいに描かれた南瓜の図。南瓜と言えば、南瓜と玉葱を描いて「君は君 我は我 されど仲良き」と記した武者小路実篤の《野菜図》、あるいは岸田劉生《冬瓜葡萄図》や劉生に師事した椿貞雄《冬瓜南瓜図》などの蔬菜の絵を連想させる。南瓜の煮汁で染めたような背景と南瓜の硬い皮には、南瓜に対する強い愛着が表明されているようだ。南瓜の12分の1ほどが切り出され、そこから麗子像の一部に連なるような「デロリ」とした作者の顔がのぞいているのは、「我は我」と強く訴えながらも、周囲の様子を気にする気弱さが表れているようで微笑ましい。
同じく松井えり菜の《テラ(地球)に一つだけの花》は、おそらくヤン・ブリューゲル(父)(Jan Brueghel de Oude)の《青い花瓶の中の花束》の名で知られるウィーン美術史美術館所蔵の絵画《Blumenstrauss mit Traueriris in einer chinesischen Vase》(フラマン語では"Boeket bloemen met zwarte iris in een Chinese vaas"?)をもとに描かれた自画像。青花磁器(ブリューゲルの作品の青磁?と異なる)に活けられた複数の花から作者の顔がのぞき、あるいは描き込まれている。作者を象徴でもあるウーパールーパーの色の花以外は色味が抑えられモノクロームに近い配色になっている。分人的なあり方を呈示しているのかもしれない。花瓶が置かれているのは室内ではなく森か洞窟か屋外であるのは、タイトルからも窺える通り、グローバリゼーションの中で自己を位置づけようとの意思の表れだろう。ブリューゲル博物学的関心の継承を示すものか、鹿や熊や梟などが描かれているが、生き物としてではなくキャラクターとして登場している。貼り付けられたイミテーションパールと相俟ってキッチュな世界が強調される。
松井えり菜によるヤン・ブリューゲル(父)のパロディに向かい合うのは、須永有による雪舟《慧可断臂図》へのオマージュ。慧可が左腕を切り落として面壁座禅中の達磨に決意を示したというエピソードを描いた作品から人物を排除し、洞窟内に現れる絵筆とそれを握りしめる右の拳へとモティーフを絞り込んでいる。社会主義プロパガンダのポスターのようでもあるが、モノクロームを基調に筆先の黄色い絵具だけが灯火のように輝く様子が表現されている。《絵筆で照らす 3》と《絵筆で照らす 4》とが、黄色い背景に塗り残した部分でほぼ十字で表される白鳥を描いた《光と影》を挟んで三幅対のように掛けられている。白鳥が、絵画の火を絶やさぬよう飛び回っているように見える。白鳥は作者の姿であろうか。

展覧会『ポーラ ミュージアム アネックス展2020―透過と抵抗―』

展覧会『ポーラ ミュージアム アネックス展2020―透過と抵抗―』を鑑賞しての備忘録
ポーラ ミュージアム アネックスにて、2020年10月15日~11月15日。

「ポーラ ミュージアム アネックス展」は、公益財団法人ポーラ美術振興財団の「若手芸術家の在外研修に対する助成」を受けた作家による在外研修の成果発表のための展覧会。「透過と抵抗」と銘打った2020年後期展では、いずれもガラスを扱う青木美歌(アイスランド)・林恵理(ドイツ)・中村愛子(フランス)の3名の作家を紹介。

冒頭には、緑や紫を帯びた大理石のような表面を持つガラス製の球体が4つ並ぶ。林恵理の《O.T.》("Ohne Titel(無題)"の略か)である。中央の割れ目から上下の半球が組み合わされており、中が空洞であることが窺える。クロード・ニコラ・ルドゥー(Claude Nicolas Ledoux)の《耕作の番人のための家のプラン(Projet de maison des gardes agricoles)》や、エティエンヌ・ルイ・ブーレー(Etienne Louis Boullée)の《ニュートン記念堂のプラン(Projet de cénotaphe à Newton)》などの球体建築をイメージさせる。

 (略)〔引用者註:ミシュレがシャン=ド=マルスに言及する文を紹介して〕フランス革命のモニュメントのみが「空虚」なる空間かを形成しているのではなく、近代国家のすべてのモニュメントは「空虚なる中心」でなければならない。なぜなら「空虚なる空間」であるがゆえに、あらゆる「意味」をそこに充填することができるし、「空虚なる中心」であるがゆえに、あらゆる「周縁」をそこに引き寄せることができるのである。
(松宮秀治『芸術崇拝の思想 政教分離とヨーロッパの新しい神』白水社/2008年/p.201-202)

林は「ユートピアを考えることは現実を考えることである」として「ユートピア」をテーマに制作を行っているという。冒頭に球体を置いたのは、理想の空間の象徴としてだろう。また、色味の異なる4つの球体を併置したのは、個人の差異に基づくユートピアの複数性を訴えるためだろう。なお、作家のテーマとするユートピアは狭義のもの(西欧のユートピア)ではなく広義のもの(一種の理想郷)と考えられる。

 西欧のユートピアとはなによりも無為〔引用者註:陶淵明の描く無為徒食と快適充実の生活が保証される「桃源郷」のイメージ〕とは対極にある概念で、それは人間の理想の追究という究極目標のために、細部から全体にわたって綿密に計算され、全体がひとつの機械のように作動するように組織された人間共同体で、その組織員はそれぞれの構成役割によって、全体の目標と方途に合わせてみずからの任務を果たしていく義務を負う。構成員は単に自分の役割だけを歯車のように果たしさえすればよいというのではない。厳密には、ユートピアとは「理想郷」ではなく、それをめざしての絶えざる活動体のことである。いうなれば啓蒙主義の最も忠実な継承者たる共産主義が、私的財産所有の放棄をめざし、革命精神の永久持続を謳ったようなものである。ユートピアとは東洋的な所与の世界としての理想郷ではなく、絶えず理念世界を追求するための目標として想定される理想像であると同時に、実践活動としては現状に満足することなく、常によりよき状態へと目標をグレードアップさせていく思想である。いいかえれば「進歩」の思想が提供する非宗教的な、「人間のために人間みずからが創り出すべき」理想社会のモデルが西欧のユートピアなのである。
 ユートピアの住人たちは、自分の義務を果たしていく限りにおいて、多大の権利と生活の保証と自由が与えられる。ユートピアとはまさしく近代市民社会と民主主義社会のモデルである。だがユートピアとは近代西欧社会がモデルとするような一種の「楽園」であるというよりは、むしろ徹底した管理社会と官僚主義的な全体主義社会のモデルとされやすい性格を有している。西欧の政治的伝統を見ると、啓蒙主義フランス革命以後の近代民主主義の流れのなかにさえも、集合的な代議政治よりも「指導者」「リーダー」待望と崇拝が色濃くあらわれ、個人的な自由や私権の主張よりも集団的決議や公共権の優勢が目立つのは、西欧思想の伝統のなかにユートピア思想がかなり根強く生き残っているということを教えてくれる。
(松宮秀治『芸術崇拝の思想 政教分離とヨーロッパの新しい神』白水社/2008年/p.110-111)

トマス・モア(Thomas More)の『ユートピア(Utopia)』ではユートピアは島であり円環をなしている。またそこに広がるのは直線か円のような幾何学的な構造を持った都市だという(巖谷國士シュルレアリスムとは何か』筑摩書房ちくま学芸文庫〕/2002年/p.206-210)。《A kind of Φ》のシリーズ(全12点)には透明なガラスに焼き入れた円(一部作品には直線も)が幾何学的に配置されている。タイトルの「Φ」は「ファイ」のことで「黄金比」を意味するものと考えられる。《A kind of Φ》の飾られた壁面には、1.5メートルほどの高さにグラファイトによる線が引かれ、《Der ebene Horizont》と題されている。「平坦な水平線」。水平線が平坦なのは当然である。だが、グラファイトの線は所々で凹凸を描いているのである。禅問答のような作品であるが、ここにも直線という一つの理想型に対し、「ブレ」という差異への注目が作家から促されている。床には59個のガラスの立体作品《Glastopia》が置かれている(なお、トマス・モアのユートピアには54の都市がある(巖谷國士シュルレアリスムとは何か』筑摩書房ちくま学芸文庫〕/2002年/p.207))。理想都市を黄金比で象徴するためか、Φが象られている。あるいは、《O.T.》の空の球体と響き合う∅(空集合)を示すのかもしれない。

中村愛子は、ステンドグラス8点と鉛筆画4点を出展している。ステンドグラスはスマートフォンやPC、電信柱などのモティーフが描き込まれるとともに、バンド・デシネのようにキャラクターの動きが導入されているのが特徴的。鉛筆画には、石造の橋や建物が密集する島を描いた《島/L'île》や、カーテンがかかった書割のような絵画を中心にピアノやテーブル旅行鞄などのモティーフを鏤めた《Elysion_楽園》(夜空の星が透かして見えているような光の点在も興味深い)などユートピアを連想させる作品がある。

青木美歌は、《Her favorite necklace》(18個の不均一のガラスの球体から成る)など、アイスランド(島!)の巨人のトロールの女の子が身につけている装飾品をイメージした作品を展示。

三者の作品は、ガラスという共通点以外でも、球、島などのイメージでも緩やかに繋がっている。