映画『負け犬の美学』を鑑賞しての備忘録
スティーブは40歳を超えてなお、レストランで働きながらボクサーを続けている。負傷者が出ると組まれる試合などにときおり出場するが、最後の勝利から既に数年が過ぎ去っている。試合後に一服するために外に出たら、選手であるにもかかわらず入口で入場を拒否されてしまうようなボクサーだ。
そんな彼がチャンプのタレクのスパーリング・パートナーになることを決心する。スパーリング・パートナーは、チャンプの練習相手として、再起不能に陥ってしまうかもしれない苛酷な仕事なのだが、家族の保険料や娘のピアノのために、その決意を固める。
スパーリングパートナーになるといっても、練習中に他の選手がスカウトされているのを知って、ジムを去るトレーナーを追って、売り込むことから始めなくてはならない。年齢や戦績を理由に断られても、くらいつく。何とか話をつけることができたスティーブだったが、実際に1回スパーリングをしただけで、すぐにお払い箱となる。それでも、スティーブは諦めない。早朝のランニングで合流しようと、投宿先のホテルでタレクのはりこみをする。無理矢理タレクについてジョギングをして、タレクに「サンドバッグは足りている」と言い放たれる。スティーブは、サンドバッグじゃない、人間だと言い返し、一度KOされた人間は変わってしまう。KOの恐怖を克服しなければ勝てないと、さらに売り込みをかける。
スティーブの強みは打たれ強いことだ。慥かに打たれ強いだけではボクシングで勝つことは叶わない。打たれても破れても再びリングに立ち続けるスティーブに、激しくはない、暖かくて静かな凄みがある。だからこそタレクも、その凄みを感じて、スパーリング・パートナーに再度起用する決心をしたのだろう。
スティーブが何よりも大切にしているのが家族であり、気持ちが行き違い、感情がぶつかる事態が生じても、家族もスティーブのことを愛してやまない。そのことがスティーブは何度でも立ち上がらせる力となっている。とりわけ娘とのやり取りは、本当のラストシーンまで魅力的だ。