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芸術鑑賞の備忘録

映画『アイスクリームフィーバー』

映画『アイスクリームフィーバー』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
103分。
監督は、千原徹也。
原案は、川上未映子の短編小説「アイスクリーム熱」。
脚本は、清水匡。
撮影は、今城純。
スタイリストは、飯嶋久美子。
ヘアメイクは、奈良裕也
照明は、古久保亮介。
録音は、久保琢也。
音響効果は、田中俊。
整音は、久保田貫幹。
美術は、内藤愛。
助監督・編集は、奥田啓太。
音楽は、田中知之

 

山梨・富士吉田。住宅街にある民家。高嶋美和(南琴奈)が家を出で路地を歩いていると、道の先に母・高嶋愛(安達祐実)の後ろ姿を認めた。ママ。美和が声をかける。愛が振り返り、微笑む。
橋本佐保(モトーラ世理奈)がシャワーを浴びると、黒い服に身を包み暑い盛りの街に出て行く。
東京・渋谷。中谷清也(はっとり)が部屋で段ボール箱から本を取り出して棚に並べながら電話している。…まさか君もこっちに来てるとはね…。…本屋とか、洋食屋とか…。…入口にあるABCのオブジェがいいんだ…。…新作出たよね。もう読んだの? 通話したままベランダに出ると、ピンク色の傘を差した女が通りに立って中谷の部屋を見上げていた。会釈する女。何となく中谷も頭を下げる。…ああ、また落ち着いたら顔見せるね。中谷が電話を切り上げる。
アイスクリーム店「SHIBUYA MILLION ICE CREAM」。常田菜摘(吉岡里帆)が床にモップを掛ける。作業を終えた菜摘が裏口を出て、モップとバケツを置く。ピンクのチョークを手にした菜摘は、裏口の扉の前でジャンプして壁に印を付ける。
アイスクリームのケースを前に菜摘が同僚の桑島貴子(詩羽)と並んで座っている。貴子は店内に流れる音楽の音量を上げる。また店長に怒られるよ。来たらすぐ下げますって。じゃあ今来たら。貴子はうまく音量を下げられない。2人が巫山戯ているところに、黒い衣装の女性客が現れる。いらっしゃいませ。菜摘は彼女に目を奪われる。
入口にABCのオブジェがあるアパルトマン。ビニール袋を提げてラフな格好の高嶋優(松本まりか)がふらりと出て行く。
壁に富士山の絵が描かれた小杉湯の浴場。早いんだよね。マリ(藤原麻里菜)と清掃している店主の小杉晴恵(片桐はいり)が零す。何か手伝いますよ。今日の私があるのは小杉湯の一番風呂のおかげですから。何もしなくていいと言う晴恵に構わず、コーヒー牛乳の補充を行う優。たまにはドリンク買ってよ。バレてました? 喉渇いても我慢しちゃうんですよ、富士山の絵を見るとアイスクリームを食べたくなって。
クレージーマーブルは、イチゴとバナナとマンゴーを1度に楽しめます。菜摘が黒い服の女性客にアイスクリームの説明をしている。菜摘は女性客を意識して固くなっている。イタリアンミルクとペパーミントスプラッシュ、コーンで。菜摘が注文を受ける。黒い衣装の女性を菜摘と貴子が見送る。やや間を置いて、菜摘は何も言わずに突然店を飛び出すと、駆け出す。
菜摘は黒い服の女性を探して、彼女に追い付くことができた。スタンプカードを渡す。全部たまるとシングルのアイスか記念品を差し上げます。記念品は牛の人形です。
菜摘が店に戻ると、店長(MEGUMI)がいた。何処行ってたの? バイト長なんだから、勝手に店空けない。
アパルトマンの入口のAのオブジェにスケートボードを立て掛けて、女性(吉澤嘉代子)が花を描き込んでいる。佐保がアパルトマンに戻って来る。
優が「SHIBUYA MILLION ICE CREAM」の袋を提げて部屋に戻ると、入口で本を読む美和がいた。姪の美和です。覚えてますか? もちろん。優の脳裡に美和と並んでアイスを食べた記憶が蘇る。家出? こっちに来たいって言ったら、叔母さんちに泊まるならいいって。今説明されても。連絡されてるって思ってました。
ママもおんなじバッグ持ってましたよ。さすが姉妹。美和が優の部屋を興味深く眺める。優は冷凍庫にアイスをそそくさと仕舞う。2、3日でしょ。ホテルとったげる。何とかするよ。もっとかかるかもしれない。何でよ? お父さん捜しに来たんで。なんで今更! 今、世界に核兵器が何個あるか知ってますか? 1万3千個もあるんです。それが飛んだら全部終り。突然その日はやって来るんです。

 

常田菜摘(吉岡里帆)は、美大を卒業後、憧れのデザイン会社に就職したが、過酷な勤務に疲弊して、退職に追い込まれた。だが菜摘の能力を買う先輩の薫(コムアイ)でさえ不倫が原因で職場を去ったと思っていた。現在、渋谷にあるアイスクリーム店「SHIBUYA MILLION ICE CREAM」でアルバイトをする菜摘は、ポップを制作するなど特技のイラストを活かそうと細やかな試みをする。店の雰囲気にそぐわないとの理由で店長の荒川直子(MEGUMI)から却下されるが、アルバイト仲間の奔放な高校生・桑島貴子(詩羽)は応援してくれる。このまま夢を諦めていいのかと悶々とする菜摘の前に黒い服に身を固めた理想的な女性が現れ、瞬時に恋に落ちる。
橋本佐保(モトーラ世理奈)はデビュー作『最終愛』で芥川賞を受賞したが、ルックスが評価されたなどの激しいバッシングに遭いスランプに陥り、筆が止まっていた。
仕事で多忙な高嶋優(松本まりか)の生き甲斐は、小杉晴恵(片桐はいり)の切り盛りする銭湯に行くことと、その帰りに「SHIBUYA MILLION ICE CREAM」でアイスを買って食べること。ある日銭湯から帰宅すると、姪の美和(南琴奈)の姿があった。恋人だった古川イズミ(後藤淳平)と彼を奪った姉・高嶋愛(安達祐実)との間の娘だった。前年の愛の葬儀で顔を合わせたくらい疎遠だったが、美和は父を探し出して会おうと富士吉田から東京に出で来たのだった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

冒頭から、北欧的、そしてロシア的なピンク色の文字が画面を飾る。北欧とは縁もゆかりも無いアメリカのアイスクリーム・ブランド「ハーゲンダッツ(Häagen-Dazs)」(の発想)を参考にすることで、アイスクリームの世界観を引き寄せる。それと同時にモノクロームのアレ、ブレ、ボケの映像(否、アレは無かった)をぶつける。アーティスティックな作品世界にすぐさま「きゃっち・みー」される。だが、映像美だけではない。脚本も抜かりなく、1人1人の出演者を――美貌と個々の才能とで――しっかりと輝かせる演出も素晴らしい。
作家の佐保は白い紙に黒い文字で鮮やかな世界を描き出せると訴える。彼女のインテリアは白と黒とで統一され、黒い衣装を身につける。黒い揚羽蝶は彼女の化身・象徴だ。
対するイラストレーターでありデザイナーの菜摘は、ピンクと青、そしてアイスクリーム屋のユニフォームの黄のポロシャツで、佐保との色彩の対照が鮮やかだ。また、高く舞う佐保が黒揚羽なら、彼女を追いかけようと跳躍する佐保は鈍牛である(アイスクリーム店のキャラクターが牛で、菜摘はポップに牛を描き出す)。牛の肌は白と黒とで覆われている。墨に五彩あり。佐保=黒揚羽は白と黒とがあれば何だって表現できるのだと、菜摘=牛の無限の可能性を指摘するのだ。心憎い演出だ。
優は姉の愛に恋人のイズミを奪われる。なぜ男性なのにイズミなのか。泉は"spring"、温泉なら"hot spring"。つまり、銭湯≒温泉はイズミのメタファーである。優が一番風呂に入りたい(浴場を独り占めしたい)のは、イズミに対する独占欲の代償機制だったのだ。
ところが晴恵(ハル=春=spring)が銭湯を突然廃業してしまう。生き甲斐が失われると嘆くうち、優は突然ひらめく。反転させよ、と(思えば、冒頭からRはЯ(キリル文字風であるがあくまでRの鏡文字である)として表記されていた。そもそも冷たい「アイスクリーム」に熱(フィーバー)をぶつけるタイトルであった)。喪失にばかりに囚われていことに気が付き、優は目の前に転がり込んできたものに目を向けるだろう。それでも「私は私」だ。
銭湯の浴場の壁の富士山のペンキ絵に対して、本物の富士山はイデアに比せられる。富士は不二であり、不死=永遠である。冠雪は「アイス」クリームを連想させる。100万年、君を、愛ス。
アパルトマンのベランダの天井に作られる花のイメージは、時間の流れ(借主の変遷)をも表現している。