可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ブルックリンでオペラを』

映画『ブルックリンでオペラを』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のアメリカ映画。
102分。
監督・脚本は、レベッカ・ミラー(Rebecca Miller)。
撮影は、サム・レビ(Sam Levy)。
美術は、キム・ジェニングス(Kim Jennings)。
衣装は、マリナ・ドラジッチ(Marina Draghici)。
編集は、サビーヌ・ホフマン(Sabine Hoffman)。
音楽は、ブライス・デスナー(Bryce Dessner)。

 

オペラハウスで行われているパーティーカウンターテナーのオペラ歌手(Anthony Roth Costanzo)がビゼーの「ハバネラ」を歌う中、黒いコートを着たスティーヴン・ローデム(Peter Dinklage)が参加者を避けながら出口へ向かう。オペラの作曲家であるスティーヴンの資金調達が目的であるにも拘わらず、両手をポケットに突っ込み下を見たまま歩き、声を掛けられても反応しない。夫を探しに来た妻のパトリシア・ジェサップ=ローデム(Anne Hathaway)が観葉植物の影にいるスティーヴンを目敏く見つけ出す。またこんなこと。落ち着くんだ。財団の理事長ダフティン・ハヴァフォード(Gregg Edelman)が見えてるの。挨拶した方がいいわ。できないよ。作業が進捗してるとだけ伝えて。帰りたい。仕事を続けたくないの? パトリシアがハヴァフォードを呼ぶ。初めまして、パトリシア・ジェサップ=ローデムです。夫を紹介させて下さい。スティーヴン・ローデムです。遂に念願が叶い、お目にかかることができました。長年あなたの作品を愛好してきました。どうも。こちらはフランク・ホール(Bryan Terrell Clark)。最近加わった理事です。よろしく。新作の進捗状況はいかがです? 大丈夫。2週間後に初稿を拝見したいと話してましてね。
ティーヴンとの会話を終えたダフティンがフランクに説明する。5年前、スティーヴは精神を病んでしまってね。失踪したんだ。曲が書けなくなりひどい鬱になった。それにしても、彼女がセラピストなら私も是非結婚したいね。
ジュリアン・ジェサップ(Evan Ellison)は年下の恋人テレザ・ジスコウスキー(Harlow Jane)と自室で朝を迎えた。ベッドの上でキスを交わし、見つめ合う。私たち変わったかな? ジュリアンがインスタントカメラを取り出し、ベッドに横になって2人の姿を撮影する。
南北戦争の再現劇に参加したトレイ・ラファ(Brian d'Arcy James)が帰宅する。裏庭ではテレザがトランポリンで、ターニャ(Tamya Taylor)とミランダ(Grace Slear)がボールで遊んでいた。エプロンを着けたトレイが勝手口から出て、大音量で流れる音楽を止める。ラファさん、こんにちは。戦いはどうでした? 上手くいったよ。気にかけてくれるなんてありがたい。マグダレーナ・ジスコウスキー(Joanna Kulig)が食材を運んで来て、トレイがバーベキューコンロで調理を開始する。誰が勝ったの? 面白いことを言うな。君たちも参加したらいい。歴史を学ぶべきだ。ボンネットを被ったりして。パイ食べ放題だよね? マスケット銃をくれるなら行ってもいい。そういや今日はマスケット銃の銃身が汚れてたな。当時は毎晩掃除されていたんだがな。
皆が食卓を囲む。トレイがパンは右回りで回してくれとテレザに言う。いいけど、何で? いつも右側に回すだろ。戸惑わずに済む。そんな格好で寒くないのか? 別に。上着を着なさい。見てる方が寒い。明日は早朝に法廷に行く。6時45分に出る。君も仕事か? トレイがマグダレーナに尋ねる。テレザの弁当は今晩用意しておくわ。大きな事件なの? 親による誘拐事件だよ。親権のない母親が息子をアーカンソーに連れ去ったんだ。父親が訴えたんだ。どうして見つかったの? この手の訴えなら驚くほど早く道路が封鎖されるんだ。
ティーヴがピアノに向かって曲を捻り出そうと弾いてみるが上手くいかない。できない。またですか! 隣で台本作家のアントン・ガトナー(Aalok Mehta)が叫ぶ。この案を気に入ってたじゃないですか。気に入っていたよ。もう我慢の限界だ。スティーヴ、伝えなければならないことがある。何だ? オファーがありました。誰から? レイフ・ガンドル(Samuel H. Levine)。レイフ・ガンドルだと? 私を嫌っているのか?

 

オペラの作曲家スティーヴン・ローデム(Peter Dinklage)は5年前に鬱病に罹り作曲から遠ざかった。治療を担当した精神科医パトリシア・ジェサップ=ローデム(Anne Hathaway)と結婚し、パトリシアの連れ子ジュリアン・ジェサップ(Evan Ellison)と3人で暮らし、再起を図っている。パーティーで新作に資金を提供する財団の理事長ダフティン・ハヴァフォード(Gregg Edelman)から2週間後に初稿を見せてもらいたいと要求されるが、アントン・ガトナー(Aalok Mehta)の台本に興味を失い新作は頓挫。愛想を尽かしたアントンにレイフ・ガンドル(Samuel H. Levine)のもとに去られてしまった。パトリシアから羽目を外して見知らぬ人と交流するよう背中を押されたスティーヴンは、飼い犬リーヴァイとともに散歩に出かける。スティーヴンは立ち寄ったバーで朝から飲んでいたカトリーナトレント(Marisa Tomei)に声をかけられる。彼女は親の曳船を引き継いだ船長で、スティーヴンは船に招かれる。寝室に通されたスティーヴンはパトリシアから恋愛依存症であると告白された。
テレザ・ジスコウスキー(Harlow Jane)は2歳年上のジュリアンと交際していた。テレザの母マグダレーナ・ジスコウスキー(Joanna Kulig)は妊娠のために学業を遣り果せなかったことを悔いて娘の恋愛に気を揉んでいたが、清掃婦として働くパトリシアの家で娘に恋人がいることを知る。マグダレーナの同棲相手でテレザの義父であるトレイ・ラファ(Brian d'Arcy James)はテレザから紹介されたジュリアンを快く思わなかった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

スランプに陥ったオペラ作曲家スティーヴンはバーで出会った曳船の船長カトリーナとの情事を題材に新作オペラ――船に男性を誘い込み、拒まれたために斧でその首を切断する魔女の物語――の創作に成功する。頭部の切断という行為に着目すれば、ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach)やグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)が描いたユディトを、愛を拒まれた相手の首を手に入れる点ではオスカー・ワイルド(Oscar Wilde)のサロメを連想させる。
カトリーナはスティーヴンを曳航する曳船そのものである(スティーヴンの飼い犬リーヴァイもまたリードを手にする主人を引っ張る、曳船のメタファーである)。スティーヴンは目的の場所までカトリーナに導かれることになる。。
トレイ・ラファは法廷速記者で、弁護士並に法律に精通し、高卒ながら大卒者よりも高給取りだと自負する。義理の娘テレザは間違いを認めない人物だと評価している。彼の速記や歴史知識はどれほど正確なものかは定かではない。彼は枠組みに囚われて生きている。家と裁判所や南北戦争の再現劇との間を自動車で行き来する。対照的なのがカトリーナである。カトリーナ号が融通無碍に海を渡るように、カトリーナもまた自由に世を渡る。
ティーヴはトレイと同じく、思考の型に囚われていた。魔女役のクロエ(Isabel Leonard)にカトリーナのイメージを再現させようと必死になるあまり、クロエの演技を否定してしまい、演出家のスーザン(Judy Gold)によってリハーサルから退場させられることになる。スティーヴはカトリーナと交流するうちに呪縛から解放される。無重力スペースオペラを生み出すのがその象徴である。