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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 久保寛子個展『ハイヌウェレの彫像』

展覧会『久保寛子「ハイヌウェレの彫像」』を鑑賞しての備忘録
象の鼻テラスにて、2024年4月13日~29日。

久保寛子による、切断され、仰向けに横たわるインドネシアの女神「ハイヌウェレ」の像を、海に面した公園「象の鼻パーク」で展観。

《ハイヌウェレの彫像》は、錆止めを施した鉄で造型した人形(ひとがた)の骨格をワイヤーメッシュで覆い、藁を混ぜた土を被せた作品。身体は両手を開き、仰向けで、13の部位に分割されている。それはこの人形(ひとがた)が模したハイヌウェレ(ハイヌヴェレ/Hainuwele)の神話に基づく。
ハイヌヴェレはインドネシア東部セラム島のヴェマーレ族に伝わる神話で、アドルフ・イェンゼン(Adolf Jensen)がフロベニウス研究所の調査で採取した。狩りに出たアメタは1匹の猪に出会し、逃げようとして池で溺れた猪の牙にココヤシを発見した。夢で命じられた通りココヤシを植えると3日でココヤシが生え、3日で花が咲いた。花を切り取って飲み物を作ろうとして指を切り、滴った血が花にかかると、9日後花に女の子を見付ける。ヤシの葉に包んだ女の子は3日で年頃の娘になり、「ココヤシの枝」を意味する「ハイヌヴェレ」と名付けた。祭りの晩、踊りの最中にハイヌヴェレは地面に掘られた穴に落とされて死んでしまう。アメタが死体を掘り出し、切断して別々に埋めたところ、胃は大きな鉢、肺・目・恥部・尻はそれぞれ異なる種類の芋となったという(大林太良『神話学入門』筑摩書房ちくま学芸文庫〕/2019/p.159-160参照)。
《ハイヌウェレの彫像》はハイヌヴェレとともに縄文土偶を題材としている。もともと「I can Speak 想像の窓辺から、岬に立つことへ」展(「さいたま国際芸術祭2020」の関連企画)に出展された作品で、同展は氷川神社参道脇の建物(旧大宮図書館)で催されたことから、作家は付近に祀られたアラハバキを介し「ハイヌウェレ型」食物起源神話に通じる縄文土偶をモティーフに選んだのである。
ところで、『古事記』におけるオホケツヒメ(オホゲツヒメ)、あるいは『日本書紀』におけるウケモチは、「ハイヌウェレ型」食物起源神話である。オホケツヒメは体内にある食物を鼻・口・尻から食べ物を出してスサノヲに食べさせようとしたところ排泄したものを食べさせようとしたとしてスサノヲに殺されてしまう。オホケツヒメの頭から蚕、目から稲、耳から粟、鼻から小豆、陰部から無具、尻から大豆がそれぞれ発生した。ウケモチツクヨミをもてなそうとご飯、魚、鳥や獣を口から吐き出してご馳走を作るが、吐き出したものを食べさせようとしたと怒ったツクヨミに斬り殺される。ウケモチの死体の頭頂部からは牛と馬、額に粟、繭に蚕、目には稗、腹に稲、陰部に大豆と小豆が生じた(吉田敦彦「地母神信仰と縄文人」『ユリイカ』第49巻第6号/2017/p.253-254参照)。

 (略)記紀神話のこの女神には明らかに、縄文時代の人々が土偶に表して崇めていた女神と、びっくりするほどよく似たところがある。オホゲツヒメとウケモチは、無惨と思われるやり方で殺害されることで、体のいろいろな部分から、食物など人間の生活にとって必要なものを、生じさせてくれたことを物語られているが、縄文時代の人々が土偶の形で崇めていた女神も、破壊されることで断片になったその体が、人間のために有り難い働きをしてくれると信じられていたことが、土偶の出土する状態から見て、明らかだと思われるからだ。吉田敦彦「地母神信仰と縄文人」『ユリイカ』第49巻第6号/2017/p.254)。

女神が切断されたり破壊されたりする背景には、作物の栽培によって人々が大地に手を加えるようになったことがあるとミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade)が指摘している(吉田敦彦「地母神信仰と縄文人」『ユリイカ』第49巻第6号/2017/p.257-258参照)。

 作物の栽培を、それを開始した人々は、エリアーデが人類に共通のものであることを強調したこのような感情に従ってごく自然に、母神である大地を傷つけたり殺してその体から作物を生じさせる仕業だと感じた。だから作物の栽培が始まると、地母神は人間によって殺されては、体を切り刻まれる。そしてそのような取り扱いを受けることで、破片にされた体から、人間のために作物などの始原を、惜しみなく生じさせてくれるという信仰が生まれた。それで、その信仰に基づいて縄文時代の人々は、彼らが土偶の形で表わして崇めていた大地母神を、その土偶を破壊することで殺害した。そしてその破壊された土偶の断片を、そうなっても自分たちに貴重なものを与え続けている、有り難い母神の体として、丁重に祭る儀礼を繰り返すようになったと思われるわけだ。(吉田敦彦「地母神信仰と縄文人」『ユリイカ』第49巻第6号/2017/p.258)

《ハイヌウェレの彫像》に被せられた土は風雨によって失われていくのは土壌侵蝕のメタファーである。近代化を象徴する横浜の埠頭に設置された《ハイヌウェレの彫像》の土の剥落が埼玉の水神の祭祀の場のときよりも侵蝕速度が上がっているなら、信仰を喪失し、土を無尽蔵ではなくしてしまった人新世の表現ともなり得るだろう。