展覧会『ボテロ展 ふくよかな魔法』を鑑賞しての備忘録
Bunkamura ザ・ミュージアムにて、2022年4月29日~7月3日。
対象をふくよかに表現するスタイルで著名なフェルナンド・ボテロ(1932-)の個展。「第1章:初期作品」(4点)、「第2章:静物」(10点)、「第3章:信仰の世界」(9点)、「第4章:ラテンアメリカの世界」(17点)、「第4章-2:ドローイングと水彩」(9点)「第5章:サーカス」(8点)、「第6章:変容する名画」(13点)の7章70点で構成される。
【第1章:初期作品】(4点)
初期の水彩画《泣く女》(1949)[01]は左腕で左脚を抱え、左膝に右腕を突き、右手で顔を覆う、蹲る女性の肖像。画面左下の右足から画面右上の右手(右腕)への対角線が軸となっている。とりわけ左脚を抱える左手と顔を覆う右手が大きく表わされているのが印象的。パブロ・ピカソの影響(おそらく1920年代の新古典主義期の作品)が指摘されている。大きな手で防御するボテロ作品に対し、手によって苛まれる、鶴岡政男《重い手》(1949)が同年の制作というのも興味深い(因みに、ロベール・ドアノーが撮影した「大きな手」のピカソの肖像写真《ピカソのパン》は1952年)。
ディエゴ・ベラスケスの《バリェーカスの少年》(1635-1645)に取材した《バリェーカスの少年(ベラスケスにならって)》(1959)[02]は、ベラスケス作品の像主を横方向に引き延ばすとともに、衣服を緑から赤へと色を反転させている。デフォルメについてはオルメカの彫像などを参考にした可能性があるという。作家が目にしているどうかは分からないが、インカのミイラを連想させる作品。
《庭で迷う少女》(1959)[03]と《馬に乗る少女》(1961)[04]も展示。
【第2章:静物】(10点)
《パイナップル》(1970)[05]はテーブルの上に置かれた、皮を剝かれて切られたパイナップルとオレンジとを描く。右奥のパイナップルの切断面の円に刺さったフォークからオレンジの皮が描く"S"を経由し、ピンクのナプキンの角の先の僅かに開いた抽斗から覗く絡まった糸へ、という右上から左下方向への軸と、左側のパイナップルの芯からピンクのナプキンがテーブルの下へと垂下がる、左上から右下方向への軸とが交差する構図。画面の左右の端に引き寄せられたカーテンは、テーブルを舞台とした劇場のよう。演者は8匹の蝿である。縦横それぞれ2メートル近くある大画面の「ボデゴン」だが、蝿の五月蠅さが感じられず、静謐さが保たれている。《パイナップル》[05]の隣に並べられている《果物とビンのある静物》(2005)[09]の壁は格子のそれぞれに棘のような模様がデザインされ、恰もパイナップルのよう。壺中の天ならぬ、パイナップル中の天か。
テーブルの上に置かれた、パンパンに張った真ん丸のオレンジを数個描く《オレンジ》(2008)[14]、ゆったりとした胴の花瓶に多様な花々を丸く飾り付けた3点組の作品《黄色の花》・《青の花》・《赤の花》(2006)[11-13]は、「芸術家の様式というものは、最も単純な形の中にさえ、はっきり認識できるものであるべきだ」という作家の詞を裏付ける。
巨大な画面(2410mm×1960mm)いっぱいに洋梨を描いた《洋梨》(1976)[06]は、果梗から(見えない底の)萼に向かって3つの微妙な膨らみが明暗で表わされ、でっぷりとした印象が増幅されている。1つ目の膨らみの右端には囓られたような跡があり、3つ目の膨らみには右側に小さな穴を開けたシンクイムシ(?)が左側の穴から飛び出している。とりわけシンクイムシ(?)は巨大な梨に比して極端に小さく、その顔は愛嬌のあるキャラクターとして表わされている(赤い口をしている)。それらによって、少々のダメージを物ともしない偉大なる洋梨の存在が強調されることになる。
《果物のある静物》(2000)[08]、《楽器》(1998)[07]、《室内》(2005)[10]も展示。
【第3章:信仰の世界】(9点)
《ヴァチカンのバスルーム》(2006)[19]は、白いタイル張りの浴室で、湯を張った白いバスタブ(猫足付き)に、赤い祭服を纏って横たわる教皇を描いた作品。バスタブの手前には、バスタブより小さい、緋色のカロッタを被った枢機卿が正面向きでストールを持って待ち構えている。主役を引き立てるために他のキャラクターを小さく描くのは、作家のスタイルらしい。冷水と温水の蛇口がともに開かれ、教皇はぬるま湯に浸かっているのだろうか。タイルの形が意図的に歪められているのも不穏な雰囲気を生むのに一役買っている。作家が好んで描き込む鏡の代わりであろう、教皇と相似をなすピンクの石鹸を壁に埋め込まれた石鹸置きに配している。
《聖バルバラ》(2014)[20]は、市松模様の床の暗い空間に幽閉された聖バルバラを描く。右手に抱えられた書物がアトリビュートであり、左胸の疵は刺殺を表わす。画面右上から飛んでくる赤い蛇が意図する内容は不明。3世紀のローマ時代の聖女に現代の衣装を纏わせてアナクロニズムで表現している(並べて展示されている、13世紀の聖女を描いた《聖ゲルトルード》(2014)[21]、10~11世紀の聖女を描いた《聖カシルダ》(2014)[22]も現代の衣装で表わされている)。それは近代的なネーションの概念に縛られていないことを主張するものか、聖者を普遍的な存在として表わしたいという欲求であろうか。
(略)初期ルネサンスやフランドル派の絵画で、受胎告知、イエスの誕生、ピエタ(キリストの遺体(を前にして嘆く聖母)等がどのように描かれていたか。今日のわれわれがこれらを見たときに覚える最初の違和感は、「時代考証」がまったくなされていない、ということである。聖母にせよ、東方の三博士にせよ、マグダラのマリアにせよ、イエスと使徒たちにせよ、一般に、絵画が描かれた地方の同時代の容姿をもち、同時代の衣装を着ている。ヤン・ファン・エイクの「受胎告知」を例にとってみよう。この絵の中の天使ガブリエルの豪華なマントもマリアの青いローブも、どう見ても1世紀のセム族のものではなく、画家が当時仕えていた宮廷があるブルゴーニュ地方の貴族の装いだろう。2人がいる神殿は、ゴシック様式だということがわかる。当時、絵画には、しばしば、その制作を依頼したパトロンの関係者が一登場人物として描かれているのだが、「受胎告知」であは、マリアが、ブルゴーニュ公フィリップ3世の妃イザベルだと推定されている。
こうした事実からわかるだろう。ネーション以前の「聖なる共同体」は、自分たちの起源をできるだけ古い物に見せようなどという意欲を微塵ももってはいないのだ。起源が古いことに何か誇らしいものがあるという意識が、ここにはまったくない。そのため、ネーションの場合とは正反対の不一致が生ずる。客観的に見れば、受胎告知やイエスの磔刑などは、絵が描かれた時点からは千何百年も遡る、それなりに古い出来事だが、主観的な観点のもとでは、この時間的な乖離は無視され、出来事は同時代的に描かれる。述べてきたように、ネーションの場合には、これとは反対方向の逆立が生じている。前者(聖なる共同体)の不一致が起きる理由はかんたんに説明できるが、後者(ネーション)における不一致は、不可解である。聖なる共同体では、起源と現在との生活様式の差異は――現在の方に引き寄せられるかたちで――無視される傾向がある。逆に、ネーションでは、現在の自分たちと禍根お自分たち(祖先)の間の差異が、ことさらに強調されていることになる。(大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近代篇2 資本主義の父殺し』講談社/2021年/p.335-336)
《守護天使》(2015)は、寝室のベッドで眠る作家のやや上方に、翼を持った豊満な裸婦が浮いている場面を描いた作品。重そうな肉体を飛翔させることで、かえって守護天使の聖なる力の強さを示す。ベッドの手前の椅子にはパレットが置かれ、緑の絨毯の上には2本の筆が転がり、何かを書き付けた紙が落ちている。鏡には翼と天井から吊された裸電球が映り込むが、部屋の明るさに比してかなり暗い。天使の光輪の代わりに部屋を明るくすることで、その聖性を表わしているのかもしれない。
《枢機卿》(1998)[16]、《キリスト》(2000)[17]、《神学校》(2004)[18]、《コロンビアの聖母》(1992)[15]も展示。
【第4章:ラテンアメリカの世界】(17点)
《バーレッスン中のバレリーナ》(2001)[31]は左手でバーを持って左脚の爪先で立ち、右足を高々と掲げている、白いチュチュを纏ったバレリーナを描く作品。肉付きのよい腕、とりわけパンパンに張った脚は、女性の涼しい表情と相俟って、安定感を生んでいる。背後の大きな鏡に映った後ろ姿もまた、彼女の身体能力の高さを裏書きするようだ。
《結婚したて》(2010)[37]は腕を組む新郎新婦の立像。新婦は長いベールを頭から垂らし、左手には白い花のブーケを持ち、左手首のブレスレットと薬指の指輪、両耳のイヤリング、白い靴以外には何も身に付けていない(何故?)。とりわけ張った腰、肉付きの良い健康的な太腿と下腿の下半身は見事で縋りたくなるだろう。それに比して上半身は引き締まり、小ぶりな乳房と相俟って、土偶を連想させる神々しさがある。
《寡婦》(1997)[26]は洗濯ロープに洗濯物がかけられた室内に、右手を繋いだ男の子、アイロン台に向かう男の子、人形を抱いて床に座る女の子に囲まれ、ネコを抱いた母親が立っている姿を描いた作品。黒い衣装を身に付けた母親の頬には涙が伝う。3人の子供を1人でどうやって育てればよいのかと思い悩むのだろう。作者は「偉大な絵画は人生に対し肯定的な態度を示している」と言う。人間のような面構えの猫は作家自身であり、寡になった女性にエールを送っているのではないか。
住居の前で墜落する女を大きく表わした《バルコニーから落ちる女》(1994)[25]の解説によれば、南米では(?)不審な転落死が珍しくないらしい(!)。
《泣く女》(1998)[27]はパブロ・ピカソの《泣く女》を、《ヌーディスト・ビーチ》(2009)[36]はパブロ・ピカソの《海辺の家族》を踏まえた作品だろうか。
《カーニヴァル》(2016)[39]、《カーニヴァル》(2016)[40]、《踊る人たち》(2002)[34]、《楽士たち》(2001)[33]、《通り》(2000)[29]、《大統領と閣僚たち》(2011)[38]、《大統領》(1987)[24]、《ピクニック》(2001)[32]、《パーティーの終わり》(2006)[35]、《夜》(1998)[30]、《横顔の女》(1999)[28]も展示。
【第4章-2:ドローイングと水彩】(9点)
青鉛筆の下書きに重ねられたドローイングに部分的に水彩絵の具で着彩した作品9点(2019)。
【第5章:サーカス】(8点)
《空中ブランコ乗り》(2007)[51]は、赤と黄のストライプのテント、円弧の列の客席、星の模様の入った方形のステージといった幾何学的な図形を配した背景に、膝窩で空中ブランコのバーを挟んでぶら下がり、逆様で両腕を垂らしている女性を大きく描き出した作品。下で見上げる人物を極端に小さく描くことで、ブランコ乗りという主題が強調される。《象》(2007)[55]においても、調教師やブランコ乗りを極端に小さく描くことで、ステージの六角形の台に乗る象の大きさが強調される。
《サーカスの女と子ども》(2008)[57]は、横向きの馬を前に幼い子どもを抱えた女性の後ろ姿を描いた作品。赤い短パンの房飾りが臀部を強調する。
《高足のピエロ》(2007)[52]、《軽業師》(2006)[50]、《赤ちゃんライオンと調教師》(2006)[53]、《サーカス》(2007)[54]、《楽士たち》(2008)[56]も展示。
【第6章:変容する名画】(13点)
《ベラスケスにならって》(1981)[58]は、ディエゴ・ベラスケスの《ラス・メニーナス》(1656)のマリア・バルボラだけを画面いっぱいに描いた作品。衣装は明るく淡い青に、髪の毛は赤みを帯びた色に変更されている。原作ではもっと厳しい表情をしていると勝手に思い込んでいたが、原作とそれほど差異は無かった。ボテロ作品を通して、マリア・バルボラが鑑賞者に向かって優しい眼差しを送っていたことに気づかされた。
《ピエロ・デラ・フランチェスカにならって》(1998)[59-60]は、ピエロ・デラ・フランチェスカの《ウルビーノ公爵フェデリコ・ダ・モンテフェルトロとバッティスタ・スフォルツァ公爵夫人の肖像》(1473-75頃)をもとにした作品。縦横の比率を変えて像主を縦に圧縮した形で描くとともに人物の周囲の面積を狭めている。また、地平線の位置をぐっと押し下げている。これらの操作に加え、原作(各470mm×330mm)よりも遙かに大きいサイズ(2040mm×1770mm)によってモデルに肉薄させる感覚を鑑賞者に与えて圧倒する。
《ベラスケスにならって》(2006)[65]、《クラーナハにならって》(2016)[68]、《ゴヤにならって》(2006)[64]、《マリー=アントワネット(ヴィジェ・ルブランにならって)》(2005)[62]、《ホルバインにならって》(2016)[69]、《アングルによるモワテシエ夫人にならって》(2010)[67]、《モナ・リザの横顔》(2020)[70]、《フォルナリーナ(ラファエロにならって)》(2008)[66]、《ルーベンスと妻》(2005)[61]、《アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)》(2006)[63]も展示。