可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『夜を走る』

映画『夜を走る』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の日本映画。
125分。
監督・脚本は、佐向大
撮影は、渡邉寿岳。
照明は、水瀬貴寛。
音響は、弥栄裕樹。
衣装は、今野亜季。
メイクは、今野亜季。
編集は、脇本一美。
音楽は、のびたけお。

 

洗車機のブラシが回転し始める。ブラシがフロントガラスに迫る様は、車がブラシに近付いているようにも見える。
秋本太一(足立智充)がハンドルを握り郊外の道を走っている。カー・ラジオからは気象通報が流れ、各地の風向、風力、天気、気圧、気温が淡々と報じられている。窓外の風景は、農地の中に点在する屋敷森からロードサイドの店に。車を停めた秋本が電話をかける。武蔵野金属の秋本と申します。鉄屑を買い取らせて頂けないかと…。
秋本の車が農地や耕作放棄地の只中にある会社に戻る。社長の三宅紀夫(信太昌之)が丁度白いゴルフバッグを車に積むところだった。得意先に呼ばれちゃってさ。接待でやむを得ずという体を装い社長が出て行く。スクラップ工場は、トラックの荷台から下ろされる鉄屑がたてる音、油圧式マグネット重機により鉄屑が回収される音、バーナーが鉄屑を切断する音など、様々な轟音で満たされている。建物の脇では後輩の谷口渉(玉置玲央)が吸殻入れのバケツの前でスマートフォンを眺めながら煙草を吸っていた。本郷さんは? さあ、その辺にいるんじゃないですか。またアメリカで銃の乱射あったみたいですよ。35人死んだとか。そういや、俺、あのラーメン屋行ってみたけど、やっぱり豚骨は合わないみたい。戻ってるならすぐに報告しろよ! 本郷真一(高橋努)が秋本を見付けてどやす。どうだったんだ? いくつか当たってみたんですけど…。明日は何とか。飛び込みの成果の無かった秋本を本郷が叱咤する。反省会やるぞと誘われるが、秋本は予定があると断る。本郷が立ち去ると、谷口が自分でとってくりゃいいんだと悪態をつく。2人のもとに年配の同僚の富田勝(あらい汎)が錠剤の入ったビニール袋を手に現れる。どこで手に入れたものか、勃起薬を谷口に売りつけようとするが、必要ないと断られる。真面目そうだからと富田は秋本には売り込まない。
同僚の松田伸也(潟山セイキ)に連れられて、秋本はフィリピン・パブにいた。松田はホステスに自転車に乗るかと尋ねる。乗らなくなった自転車から金属を取り出して、新しい自転車にするんだ。俺たちは地球のための仕事をしてるんだよ…。何を飲みますか? 隣に座ったジーナ(山本ロザ)から尋ねられた秋本は、容姿端麗な彼女に顔を向けることもなく、烏龍茶を頼む。地震! ジーナが揺れていると訴えるが、秋本には分からない。話題もないのでジーナは踊らないかと誘うが秋本は頑なに断る。そのうちにジーナに指名が入り、彼女は立ち去ってしまう。
谷口は矢口加奈(坂巻有紗)の部屋でベッドをともにしていた。揺れてない? 矢口が地震だと言う。ここで死んだらどうだろうね。ちょっとトイレ。谷口が起き上がる。またそのまま帰るつもりでしょ。図星を指される谷口。矢口は冷蔵庫からビールを取り出し、テーブルで1人飲み始める。トイレから派手な音が立つ。ちょっと、座って使ってくれる!
武蔵野金属の事務所で、石塚裕子(澤純子)が軽量業務に当たっている。中村俊一(杉山ひこひこ)が電話を受ける。申し訳ありません、たった今外出してしまいまして…。三宅社長は今日も早々に会社を後にしていた。中村が本郷を呼び止める。お客さんが来てるんだけど、対応してもらえない? 何で俺が? 会議室に待たされている若い女性が目に入って、本郷は俄然やる気になる。仕方ないな…。本郷は、産廃業者の営業担当・橋本理沙(玉井らん)から業務内容について辿々しい説明を受ける。新人さん? …ええ。案内するから仕事場見てってよ。橋本に職場を案内していた本郷が秋本に出くわす。この人はね、何にもしないで毎日ドライブしてる人。馬鹿そうでしょう? 橋本はどう反応していいか戸惑う。秋本は愛想笑いを浮かべる他ない。
秋本は谷口と酒場にいた。娘さん可愛い? 可愛いですよ。子供はね、義務みたいなもんですよ。このままだとどんどん日本人いなくなっちゃうじゃないですか。子供いない奴は年金なしでいいですよ。じゃ、俺、年金無しだな。あ、そうか。ところで秋本さん、休日何やってるんですか? 興味ないだろ。教えて下さいよ。家でネット見たり、カフェ行ったり…。カフェ? カフェで何するんですか? 本読んだり…まあ、何もしないか。秋本さん、生きてて何が楽しいんですか? …別に。別にって。じゃ、谷口は? 別に。
2人が居酒屋を出て歩いていると、橋本の姿があった。本郷に契約の件で話があると飲みに連れて行かれた帰りなのだという。谷口は秋本にチャンスを作りますと言って、橋本を飲みに誘った。

 

三宅紀夫(信太昌之)の経営する金属リサイクル会社・武蔵野金属に勤める秋本太一(足立智充)は、鉄屑の買取の飛び込みをしている。本郷真一(高橋努)からは解体されそうな建物に注意を払っておけと言われるが、どこも他社と成約済みで、飛び込みで買い取れる現場はない。産廃業者の新人営業担当の橋本理沙(玉井らん)に社内を案内していた上司の本郷からは「何にもしないで毎日ドライブしてる人」と紹介される始末。秋本の後輩の谷口渉(玉置玲央)は、妻の美咲(菜葉菜)との間に幼い娘・絢乃(磯村アメリ)がいるが、時折、矢口加奈(坂巻有紗)の部屋にしけ込んでいた。冴えないが人はいい秋本と飲みに行った谷口は、生きてて何が楽しいのかと秋本に尋ねるが、鬱屈しているのは谷口も同じだった。居酒屋を出た2人は偶然、本郷と飲みに付き合わされた橋本に遭遇する。谷口は秋本にチャンスを作ってやると橋本を飲みに誘う。帰りの足もなかった橋本は営業先の社員であることもあり付き合うことにする。谷口はどんなタイプが好みかなどと尋ねてくる。やさしい人だと適当に答えたところ、谷口が秋本はやさしいと推すので、こんな人がもったいないと話を合わせた。ところが谷口が席を外した隙に秋本が連絡先を尋ねてきた。橋本はスマートフォンを取り出すがバッテリーが切れていると訴えた。ひどく酔った橋本を送る必要があると谷口から社用車を回すよう頼まれた秋本が断り切れずに車に乗って戻ると、2人は険悪な雰囲気になっていた。ふらふらする橋本を支えてやったところ、秋本は触るな変態と怒鳴られる。後部座席に乗ったとたんに橋本がスマートフォンを使い出したのを見た秋本は、咄嗟に橋本の頭を激しく殴りつけた。

スクラップ工場で鉄屑が重機で解体されたり、バーナーで切断されて火を上げる作業に見応え・聞き応えがある。工場が人家のない地域にぽつんと立つのは、秋本の孤独な姿を、工場内での解体作業は、秋本が心の中で何とか憤懣を抑え込む姿を、表わすのだろう。
秋本だけ常にマスクをしている。マスクは感情を押し殺していることの象徴だ。マスクが外されるとき、秋本はそれまでとは異なった姿を見せる。秋本は自分は変らないのに周囲が変っていくと溢す。秋本の心には同じ感情が渦巻いていたのであり、単にそれが他者にとって可視化されたに過ぎないのだ。
秋本も谷口も気づかない地震ジーナと矢口は気が付く)は、同時刻における2人の生活の違いを対照的に示すとともに、2人の日常が崩れ落ちる前兆でもある。
秋本は、谷口から橋本と親しくなるきっかけをつくると飲みに付き合わされる。橋本は営業先の社員であることから断り切れずに付き合う。谷口は秋本を好人物だと薦めるが橋本には交際歴のない中年になど興味はない。雰囲気を壊さないよう話を合わせるほかない。スマートフォンのバッテリーが切れていると連絡先の交換を断るのも至極当然だ。そして、そんなことは秋本も当然分かっている。それでも、彼女を送るために会社にまで歩いて戻り、ルール違反を犯して社用車を回し、酔ってフラフラとしている彼女を支えようとして変態呼ばわりされたところへ、バッテリーが切れていたはずの彼女のスマートフォンの電源が入ったとき、何をされても反応の無かった秋本の感情のスイッチが作動したのだ。殴られた橋本が落として割れたスマートフォンは秋本そのものであり、だからこそ秋本は橋本のスマートフォンを手放せなくなる。
少なくとも主要な登場人物については、分かりやすさのために善人や悪人といったキャラクターに切り分けることをせず、多面的な性格が綯い交ぜに描かれているのが良い。例えば、本郷は秋本をいびる上司として現れるが、彼が実は本郷に期待を寄せていることが分かる。そして、ある事件に対する彼の反応から、周囲の異常さも相俟って、彼の普通さが浮かび上がってくる。登場人物の多面的性格は、何が起こり、話がどう転がっていくのかを予想することを難しくし、それが鑑賞者を惹き付けることに繋がっている。
秋本はドッペルゲンガーを見る。それは、それまでの秋本の死を象徴する。そして、言わばニュー秋本の展開には啞然とする他ない。