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芸術鑑賞の備忘録

映画『未来を乗り換えた男』

映画『未来を乗り換えた男』を鑑賞しての備忘録
2018年のドイツ・フランス合作映画。
Christian Petzold監督・脚本。
原作はAnna Seghersの『トランジット』。
原題は"Transit"。

ファシスト国家ドイツを逃れパリで活動していたゲオルク(Franz Rogowski)は、ドイツ軍がフランスへ侵攻する中、同士ポール (Sebastian Hülk)の依頼をこなすことでパリから脱出しようとしていた。依頼とは作家ヴァイデルに手紙を渡すことだったが、滞在先のホテルに赴くと既にヴァイデルは血の海に沈んでいた。ホテルのオーナー(Emilie de Preissac)から手紙や原稿、パスポートなどの遺品を押しつけられたゲオルクは、ポールに落ち合おうとするが、ポールは当局に拘束される最中で、慌てて同士の集う部屋へと逃げ込む。ゲオルクは行き掛かり上、重傷を負う同志ハインツ(Ronald Kukulies)をその妻子が住むマルセイユへと連れて行くことになり、貨物列車に忍び込む。手元にあったヴァイデルの遺稿"Die Entronnenen"(『落ち延びし者ども』か?)に目を通すと、そこには奇妙な連中が描かれ、自らがその主人公に重ね合わされた。

ようやくマルセイユに到着すると既にハインツの息はなく、捜索の手を免れたゲオルクは、ハインツの妻メリッサ(Maryam Zaree)と息子のドリス(Lilien Batman)に訃報を知らせに行く。ゲオルクはヴァイデルの遺品を作家が亡命先としていたメキシコ領事に引き渡そうとするが、そこでゲオルクは作家本人と勘違いされてしまう。ゲオルクはヴァイデルとして作家とその妻のビザを手に入れることになり、そして、パリで作家を置き去りにした妻マリーがマルセイユでヴァイデルとの再会を心待ちにしていることを知る。父を失ったドリスを案じるゲオルクは少年のもとを訪れ、遊び相手となってやりながら、マルセイユで過ごすうち、頻繁に見かける美しい女性(Paula Beer)がヴァイデルの妻マリーであると悟る。マリーはメキシコ領事からヴァイデルの来訪を知り、ヴァイデルとの再会を果たそうと必死にマルセイユの町を歩き回っていたのだ。そして、ドリスが喘息の発作を起こしたとき、ゲオルクが探し当てたドイツ人医師リチャー(Godehard Giese)がマリーの恋人であることを知る。リチャードは愛するマリーを伴って出国するつもりだったが、「ヴァイデル」の登場によって心が引き裂かれていた。その間にも
ドイツ軍の侵攻は進み、メキシコ行きの最後の客船モンレアル号の出港が迫る。

 

1940年の物語を、1940年代を復元することなく、現在のパリやマルセイユを舞台に描いているのが本作の最大の特徴。スマートフォンやPCなどの電子機器こそ除かれているが、自動車や建物、そして衣装や道具は現在使われているものがそのまま用いられている。物語自体を浮き彫りにするのと同時に、現在との接続や対照が鮮やかになった。現在のパトカーのサイレンの音が非常に効果的に用いられ、銃撃シーンなどはないのにも拘わらず、追われる者たちの緊張感がよく表現されていた。

一度だけマルセイユに佇むゲオルクを捉える監視カメラの映像が用いられているが、群衆に孤立しつつ、なおかつ監視される存在を印象的に描き出していた。

 

壊れたドリスのラジオをゲオルクが修理する。ゲオルクがドリスとともに外れてしまった線をハンダで付け直す。チューニングして流れてくるのはドイツ語の童謡(アリやゾウやタラが家に帰るという歌詞)。そこへメリッサが仕事から戻り、ラジオに合わせてゲオルクが歌うのを見る。そしてメリッサはゲオルクにもう1度歌って欲しいとせがむ。寡婦メリッサは不法滞在者であり聾啞者でもある。「父」と「音」とがメリッサとドリスのもとに再びもたらされる幸福な場面。そして、この幸福感を味わったからこそ、ドリスは立ち去るゲオルクを受け容れることができないことになる。

 

ゲオルクのマルセイユでの行きつけの店Mont Ventouxのバーテンダー(Matthias Brandt)を物語の語り手としても登場させることでこの作品が小説であることを、そして、ゲオルクがヴァイデルの小説の主人公であることを明らかにする。

 

貨物鉄道での移動のシーンにおける線路の分岐。ゲオルクからヴァイデルへ、小説の登場人物への分岐。

 

マルセイユで亡命のためにビザの申請をする女性(Barbara Auer)は、いち早くアメリカに亡命したユダヤ人が置き去りにした2匹の犬を連れている。建築家で 、橋に関心を持っている彼女の最期は、Ferdinand Arnodinが建設したPont transbordeur de Marseilleの行く末(ドイツ軍により1944年に破壊される)を象徴していたのだろうか。


ゲオルクとアメリカ領事との対話。学校で行事があるたびに作文を書かされた経験。出来事は文章を書くためにあるかのように。

 

メキシコ領事へのマリーの問い。忘れられるのは捨てた者か捨てられた者か。

 

ゲオルクが依頼を果たすためにヴァイデルの滞在するホテルに侵入するシーン。突然現われたゲオルクが、ドイツ語訛のフランス語で丁寧に繰り返し尋ねると、ホテルの女主人がドイツ軍だと思って怯えて対応する。丁寧さや微笑みは状況によっては恐ろしさを倍加させる。