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芸術鑑賞の備忘録

映画『青いカフタンの仕立て屋』

映画『青いカフタンの仕立て屋』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のフランス・モロッコ・ベルギー・デンマーク合作映画。
122分。
監督は、マリヤム・トゥザニ(مريم التوزاني/Maryam Touzani)。
脚本は、マリヤム・トゥザニ(مريم التوزاني/Maryam Touzani)とナビール・アユーシュ(نبيل عيوش/Nabil Ayouch)。
撮影は、ビルジニー・スルデー(فيرجيني سورديج/Virginie Surdej)。
美術は、エマニュエル・ドムルメーステル(Emmanuel De Meulemeester)とラシッド・ユーセフ(Rachid El Yousf)。
衣装は、ラフィカ・ベンマイモン(Rafika Benmaimoun)。
編集は、ニコラ・ランプル(نيكولا رومبل/Nicolas Rumpl)。
音楽は、クリスチャン・エイドネス・アンデルセン(كريستيان إيدنيس أندرسين/Kristian Eidnes Andersen)。
原題は、"القفطان الأزرق"。フランス語題は、"Le bleu du caftan"。

 

ロッコのサレ。旧市街にある仕立屋。ミシンを使わず手縫いによって伝統を守るハリム(صالح بكري/Saleh Bakri)が上等な青い絹織物の手触りを味わう。刺繍に用いる金色の糸を選ぶと、布をトルソに架け、イメージを膨らませる。ハリム! 妻のミナ(لبنى أزابال/Lubna Azabal)が夫を呼ぶ。ミナから腕前を試された新入りののユセフ(أيوب ميسيوي في/Ayoub Missioui)が縁飾りを手で器用に作っていた。ランダもできる? できます。組紐は? できます。早くできる? 早くもできます。見て下さい。
通りに出て糸を撚るユセフを工房からハリムが煙草を吸いながら眺める。
売り場ではミナが母娘を相手に接客している。ピンクのサテンも美しいですよ。軽いですし。モダンなデザインも可能です。母親(مونية لمكيمل/Mounia Lamkimel)は娘に気に入ったか尋ねるが、若い娘はピンとこないらしい。柔らかな色味で滑らかですよ。お似合いですけどね。ミナが娘の体に布地を当てて言う。バシール(Zakaria Atifi)が新しい布を取扱っていますから、見繕って持ち込んで頂ければ、仕立てて差し上げますよ。なら行って見るわ。ところでハリムは私のカフタンを作り始めたかしら? まだです。とても忙しいので。でももう取り掛かります。あなたは大丈夫なの? ええ、ありがとう。また来るわ。母娘が立ち去ると、ミナはしんどそうな表情を浮かべる。
ミナが店の裏手の工房に顔を出す。家に戻るわ。一緒に帰ろう。駄目、仕事して。仕事が溜まってるでしょ、お客さんに急かされてるの。ユセフ、布を片付けておいて。皺にならないように畳んでね。分かりました。じゃあ。ミナが帰宅する。ユセフは糸を編む作業をしながら、ハリムに尋ねる。金糸の在庫が少ないんですが、近くで売っていますか? ああ、近くにあるよ。必要なら明日買って来ます。そうしてくれ。誰から技を受け継いだんですか? 父だよ。この店は父のものだった。あなたのことを誇らしく思っていたでしょうね。
ハリムが帰宅する。ジャケットを壁に掛けたところで、床にみかんを入れたビニール袋が落ちているのに気が付く。ミナ? 不安になったハリムが妻を呼ぶ。ここよ。妻は洗面台で首筋を冷やしていた。大丈夫か? 楽になったわ。休んだら? 大丈夫。
寝室のベッドで座って服を着替える妻。ハミルが妻に背を向けて坐っている。
朝。市場。ミナがみかんを手に取って吟味し、1キロ分を袋に詰めてもらう。6ディルハム。明日払うわ。美味しければね。ミナがみかんを口にしながらハリムとともに店に向かう。表の扉を開け、シャッターを上げる。ハリムが裏手に廻ってシャッターを上げると、ユセフが待っていた。ずっとそこに? 1時間ほど。気にしないで下さい。ここで着替えてもいいですか? 構わない。シャツを脱ぐユセフ。その背中に目を奪われるハリム。ミナが顔を出す。この布に合う糸をお願い、お客さんが選びに立ち寄るの。夫に糸を頼んだミナは、今度は家で着替えてから来るのよと、ユセフに注文を付ける。時間がないの。
ハリム! ミナが夫を呼ぶ。ファトナ(Fouzia Ejjawi)が金糸の見事な刺繍を施した服を持ち込んでいた。この服みたいな飾りが欲しいの。済まない、この手業はもう廃れてしまった。どういうこと? これを手に入れたのはかなり昔のことでは? 50年前よ、最初の子が生まれたときだから。この技術をユダヤ人から修得した職人がいた。彼だった分かっただろう。でも彼はもう亡くなってしまった。技を受け継いだ人がいるんじゃないの? 残念ながら。明日まで預からせてもらえませんか? 意味が無いでしょう。アイロンをかけてお返しします。縁も手直ししておきます、これ以上傷まないように。分かったわ。
工房でハリムがファトナの持ち込んだ服を手に隣のユセフに見せている。無花果の形をしたボタンですね。もうこの技法を知る者はない。この丁寧な縫い方を見てご覧。完璧な弓形だ。50年経って全く古びてない。変わらずに美しい。見事ですね。手に取っても? ユセフがハリムから布を受け取る。
ハリムは1人、公衆浴場に向かう。

 

ハリム(صالح بكري/Saleh Bakri)は手縫いの伝統を守る仕立屋をモロッコのサレの旧市街で営んでいる。妻のミナ(لبنى أزابال/Lubna Azabal)は職人である夫ハリムを尊敬し、彼の優れた職人芸の価値を認めない客は容赦なく断っている。ミナは癌を患い、手術により一旦は持ち直したものの、再び病状が悪化し、1日店に立つことが難しくなっていた。2人はユセフ(أيوب ميسيوي في/Ayoub Missioui)という美しい若者を店で雇い入れる。ユセフは手先が器用で、ハリムの手業を受け継ぐ素質が十分に見込まれた。だがミナはハリムに対して厳しく当たってしまう。地元の有力者である区長の妻(مونية لمكيمل/Mounia Lamkimel)がカフタンに仕立てるよう青い布を持ち込んだ。それは近年稀に見る逸品だった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

物語も映像も、出色の作品。
ハリムは父親から受け継いだ手業を大切にする仕立て職人で、ミナはハリムに敬意を払い、その価値が分かる客だけを相手にする。また、ハリムが同性愛者であることを受け容れている。
2人の間に子はなく、仕立ての職人芸を受け継ごうとする若者はいない。そんな中、奇跡的にユセフという逸材が現れる。だがユセフはあまりに美し過ぎた。
ハリムはユセフの姿を窺う。ユセフに注がれる眼差しに、弟子に注ぐものとは異質の愛情が籠められていることは容易に知れた。ユセフも師の気持ちに気が付いている。ミナは夫に対する強い愛情と尊敬の念から、家(≒店)の外での夫の同性愛を許容してきたが、それがミナの眼前で繰り広げられようとすると、耐え難くなる。嫉妬がユセフに対する見方を歪めてしまう。
ミナは乳癌を患い手術によって寛解したが、再び病状が悪化しつつあった。ハリムはユセフの魅力に惹かれながらも、愛するミナを傷つけたくないと思い悩む。随所に差し挟まれる、ハリムがユセフに見蕩れる姿が印象的である。
手先だけ、顔だけなど部分を切り取った映像により全体を想像させる映像が効果的に用いられている。それはセックスをエロティックに描くのにも高い効果を上げていた。また、被写界深度を浅くして焦点以外を暈かした映像は、とりわけ、ミナ、ハリム、ユセフの表情を浮かび上がらせて心裡を鮮明に映し出した。
ハメド(Hassan Boudour)が大音響で流す音楽に、近隣の住民(Ilham Chakib)は苦情を言う。だが、ミナはその音楽に合わせて踊り出す。そして、ハリム、そしてユセフに、肩を動かして一緒に踊るよう誘う。音楽=振動と、身体の振動。3人が感情(vibes)を同じくする。そこには、一般的には受け容れられないものを受け容れるミナの姿勢が表現されている。ミナはあくまでも敬虔なムスリムである(礼拝する姿が繰り返し描かれる)が、常識・慣習・宗教を超えて、同性愛、さらにはある種のポリアモリーを実現する。そして、全てを受け容れたミナは、波(=振動)となり、全てを受け容れる海(la mer)へと還るだろう(ハリムが師父(le père)なら、ミナがユセフの母(la mère)となったとも言える)。冒頭、青い布が波打つ様子をカメラが指先を這わせるように捉えていたが、それはラストの海へと流れるシーン(それまでの仄暗い室内を中心とした映像が、一転して明るくなる)へと連なるものであった。
みかんのオレンジは、青を引き立てる差し色だ。
年を重ねた男性の色気を湛えるハリム役のصالح بكري/Saleh Bakri、若い男の魅力を発散するユセフ役のأيوب ميسيوي في/Ayoub Missiouiが魅力的。だが、それに輪を掛けて、ミナを演じたلبنى أزابال/Lubna Azabalが素晴らしい。ミナの衰弱する過程が着替え(背中)の動作の変化を通して描かれるのだが、彼女の身体もまた同一人物なのかと思わせられるほど変貌していた。