可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『誰もがそれを知っている』

映画『誰もがそれを知っている』を鑑賞しての備忘録
2018年のスペイン・フランス・イタリア合作映画。
監督・脚本は、アスガー・ファルハディ。
原題は、"Todos lo saben"。

ラウラ(Penélope Cruz)は、妹のアナ(Inma Cuesta)の結婚式のために、娘のイレーネ(Carla Campra)と息子のディエゴ(Iván Chavero)とともにマドリード州トレラグーナの実家を3年ぶりに訪れる。空港から実家へ向かう車中では、ブエノスアイレスの自宅で愛犬とともに留守を預かる夫のアレハンドロ(Ricardo Darín)に電話でスペインへの到着を報告した。姉のマリアナ(Elvira Mínguez) は夫のフェルナンド(Eduard Fernández)と娘のロシオ(Sara Sálamo)とともに小さな宿屋を経営しており、ラウラらは歓待される。収益はなかなか改善しない様子だが、元気にやっているようだ。足を悪くしている父のアントニオ(Ramón Barea)はこの3年でますます老いさらばえたように感じられる。ラウラは、幼馴染みでブドウ農園を経営しているパコ(Javier Bardem)とも早速再会することができた。イレーネは地元の青年フェリペ(Sergio Castellanos)のバイクで付近を暴走して、旅先の開放的な気分を味わっていた。アナとホアン(Roger Casamajor)の結婚式が教会で執り行われ、披露宴も大勢で賑わった。夜が更けてもバンドの演奏で盛り上がる招待客たちだったが、突然停電が起き、蝋燭の明かりでパーティーは続けられることになった。ケーキカットを終えたところで明かりが灯り、一堂は大喝采。パコたちが気を利かせて発電機を持ち込み電気を復旧させたのだった。途中、体調を崩して退出していたイレーネを心配したラウラが部屋を訪れると、イレーネの姿が見当たらない。トイレの鍵がかかっていたので呼んでみたが何の返事もない。不安に駆られたラウラはパコにトイレのドアをこじ開けてもらったが、そこには誰もいなかった。改めてイレーネのベッドを確認すると、そこにはカルメンという少女が失踪した数年前の誘拐事件の新聞記事の切り抜きが多数置かれており、イレーネが何らかの事件に巻き込まれたことが明らかになった。

帰省とは言えアルゼンチンからスペインへの旅行に開放的な気分に浸る家族たち、故郷で再会する人たちとの交歓、結婚の祝宴での晴れやかな気分。冒頭から随所に不吉な兆候が現れているのだが、それらは軽く打ち消されていく。ところが、パーティーの途中での停電が起こり、雨が降り出し強まっていき、イレーネの行方が分からなくなることで物語がどんどん暗転していく。これまでは蔭に隠されていた人間関係の負の側面が次第に明らかになっていく。かつて農園を所有していたアントニオとそこで働いていた人々との間にある階級意識、農園に働きに来ている外国人労働者への疑念、更正施設の少年たちへの不信、教会への寄付で知られるアレハンドロに対する羨望、農園主として成功しているパコへの嫉妬。時を遡ることはできないが、事件が過去の記憶を蘇らせ、安定していたかに見えた日常に細波を立て始める。冒頭から教会の鐘楼(=時計)が画面に象徴的に表され、結婚式で不意に鳴らされる鐘が底に淀んでいた感情が浮上する合図となっている。そして、事件の発生と解決の重要な鍵となるのは、町の誰もが知っているある事情なのだ。観客は、地方の閉鎖的な人間関係の機微を、謎解きを期待しながら追いかけさせられることになる。

展覧会 飯嶋桃代個展『〈疾患〉と〈治癒〉 通過儀礼としてのイナバノシロウサギ説話』

展覧会『飯嶋桃代展「〈疾患〉と〈治癒〉 通過儀礼としてのイナバノシロウサギ説話」』を鑑賞しての備忘録
ギャルリー東京ユマニテにて、2019年6月1日~15日。

飯嶋桃代による「因幡の白兎」をテーマとしたインスタレーションを紹介する企画。

洪水で小島に漂着したウサギは、サメたちを言いくるめて舟橋のように並べさせたが、遂に対岸に到達するという段になって所期の目的をばらしてしまったがために、騙されたと悟ったサメたちに毛皮を剥ぎ取られてしまう。通りすがりの兄弟神は苦悶するウサギに海水で禊を行わせるが、ウサギの苦痛の度合いは増すばかり。ところが、少し遅れてやって来た末弟のオオクニヌシの指示通り、河口の水で洗ったうえで蒲の花粉をまぶすと、ウサギの傷は癒えた。ウサギは神に変じて、兄弟神が狙っていた因幡ヤガミヒメと結ばれるのはオオクニヌシであることを予言する。この「因幡の白兎」の物語におけるウサギが神へと変じる点を捉え、疾患と治癒により回復(=リハビリテーション)する物語ではなく、疾患を機に以前とは別の高い次元へと到達(=リカバリー)する物語と解釈したという。

冒頭には、ウサギやワニや海を捉えた映像が流され、そのモニターの傍には毛皮、モニターから少し離れた所に小島をイメージした石と、その石の上に「因幡の白兎」の縮緬本(明治期に制作された、日本の説話を外国語で紹介する冊子)が置かれている。続いて、海岸の位置を表示したiPadなどが置かれたベビーバス、さらには皮膚模型や蒲黄などが並ぶ。アジアにおける「因幡の白兎」型の説話がウサギだけでなくキツネやネズミを主人公にして語られてきたことを示した地球儀も展示されている。最後にベビーベッドから変化・上昇していくウサギらしき姿のオブジェが設置されている。また、会場内には、ウサギの眼をイメージした赤く光るボールが、床面を転がっている。


展示の冒頭、石の上に縮緬本が無造作に置かれているのは、このインスタレーションを象徴する。縮緬本は、日本の説話に海を越えさせる手段であるのみならず、外国語への翻訳という変容を伴う。

会場内を転がる赤い光のボールは、ウサギが蒲の花粉を地面に撒いて転がった場面の再現であろう。つまり変容をもたらす治癒の過程にあるのだ。

河口は汽水域であり、その水は生理食塩水に近いという指摘が興味深かった。

外部からやって来る者(神)がもたらすものは、禍福いずれをも含む。それらとの交渉を経て、以前よりも高い次元へと到達することが可能となる。移民問題に通じるか。

自然災害からの復旧ではなく、復興というテーマにも通じる。

展覧会 トム・サックス個展『ティーセレモニー』

展覧会『トム・サックス「ティーセレモニー」』を鑑賞しての備忘録
東京オペラシティ アートギャラリーにて、2019年4月20日~6月23日。

茶の湯と宇宙とをテーマにしたトム・サックスの個展。アメリカ国内で開催された展覧会の日本巡回展。

会場は、トム・サックス本人が自らの作品(おそらくニューヨークのノグチ美術館で開催された「ティーセレモニー」展)で実演した茶会の模様を映像で紹介する「THEATER」、鯉の泳ぐ池や待合を設置した「OUTER GARDEN」、蹲踞や茶室のある「INNER GARDEN」、茶箪笥などを展示する「HISTORICAL TEA ROOM」、掛軸などを展示する「CORRIDOR」から構成されている。NASAのロゴと白い宇宙服とをイメージした赤と白を基調にデザインされた茶道具や設えなど約40点が展示されている。

 

白い肌に赤のNASAのロゴが入り金継ぎまで施した茶碗、電動工具を仕込んだ茶筅マクドナルドのロゴの掛軸、ヘルメットでできた兜、綿棒と歯ブラシの松など、茶道を茶化したような作品が並ぶ。もっとも、茶道と宇宙との組み合わせは、極小の茶室という身体空間と無辺の宇宙とを接続する仕組み・仕掛けとして構想されているようだ。INNER GARDENの茶室の床の間の設えを3台のカメラで捉え、リアルタイムでOUTER GARDENの壁面に投影しているのは、身体(ミクロコスモス)と宇宙《マクロコスモス)とを接続するためだろう。待合や掛軸には円相(宇宙)が描かれ、木材の随所には丸い穴が開けられているのも、自己と宇宙との調和を目指す、トム・サックス流の茶道精神の象徴ではないか。INNER GARDENとOUTER GARDENとの境界にある中門の傍にはコンスタンティンブランクーシの《The Kiss》を模した作品が設置されているが、それ自体男女和合の象徴であり、接続がイメージされているが、ブランクーシの原作よりも男女がつくる円が強調され、数々穿たれた捻子の頭は星々を表すかのようだ。段ボールで制作された《Narrow Gate》はイサム・ノグチ玄武岩で制作した同名の彫刻作品を模したものだ。「ティーセレモニー」の冒頭に設置された「狭き門」は躙り口の謂であろう。自らの存在を極小化することで、広大な宇宙が展覧会場に開けることになる。

展覧会 井上嗣也個展『Beginnings』

展覧会『井上嗣也展「Beginnings」』を鑑賞しての備忘録
ギンザ・グラフィック・ギャラリーにて、2019年5月14日~6月26日。

グラフィックデザイナー・井上嗣也の作品を紹介する企画展。新作のポスター「The Burning Heaven」シリーズなど近作を中心に紹介する1階と、過去の代表作も織り交ぜた地下の展示から構成。

 

1階では、叫ぶようなカラス(?)の顔を大写しにしたポスター《COMME des GARÇONS SEIGEN ONO》(2019年)が目をひいた。文字の情報を最低限度に抑えた白い背景に、カラス(?)の頭部が3分の2くらいを占める。そのモノクロームの世界で、雄叫びを上げるカラス(?)の口内の赤が生々しい。叫ぶこととは裂けることに通じるか、という印象で、その深淵をのぞき込もうという欲求に駆られる。

地下では、サントリーのウィスキーのポスター(1987年)が素晴らしかった。サントリー・オールドの瓶のイメージを、ポスターに転生させることに成功したかのような印象の、ロゴ・デザインと顔写真で構成されている。また、「野生展 “LANDSCAPE_”」のポスター(1987年)の、島(凸)とクレーター(凹)とを違和感なく接合させた写真も見事。

展覧会『平砂アートムーヴメント展示企画2019 ここにおいて みせる/みる』

展覧会『平砂アートムーヴメント展示企画2019 ここにおいて みせる/みる』を鑑賞しての備忘録
筑波大学平砂学生宿舎9号棟にて、2019年5月20日~6月2日。

元学生宿舎だった建物を会場に利用した、筑波大学の学生による自主企画の美術展。原則として作家ごとに部屋が割り当てられ、各作家が独自の世界を構築すべく工夫を凝らしている。それと同時に、鑑賞者にとっては、ドアを開けるまで何が飛び出すか分からないどきどき感が与えられる。

 

諸川もろみ《脈》について(127号室・128号室に展示)
両室とも、机やベッドといった什器は一切置かれていない。備え付けの洗面台と鏡、ヒーター、そして窓があるのみである。床が丁寧に磨き上げられるなど、丹念な清掃が行われているのが分かる。
127号室に設置されたのは、レースのカーテンのみ。窓の大きさに対し縦が長く、横幅は短い。そのレースのカーテンは、作家が数週間にわたってクレンジング・オイルを染み込ませ、化粧を落とすのに用いられたものである。長年の生活が作り上げた室内空間の重みに対抗して自らの展示空間へと変容させるために、作家は丹念な清掃で居住者の痕跡を消しつつ、間尺の合わないカーテンで闖入者の「法」の施行を宣言し(カーテンは外部空間から窓越しに見ることが出来る)、自らの生活の痕跡を残すことで支配を目論んだのだ。絵画が建物の窓の代わりとしても機能していたことを考慮すれば、ファンデーションを絵の具とした絵画作品とも言いうる。
128号室には、木材が壁に3本立てかけられ、床に4本が並べられている。木材にはカッターで細い線が密に切り込まれ、それを蝋で埋めた上で平滑に磨かれている。この部屋では、経年劣化という歴史によるカービングに、木材への彫刻で対抗している。木材は壁やヒーターを支える役割を担わない。釘を打ち込んだり縄で縛られている訳でもない。ただ立てかけられ、ただ並べられることで、木材は有用性を排除され、その形、空間との関係だけを純粋に表す。その結果、この部屋もまた闖入者である作家によって美術作品(インスタレーションの空間)に変容されたのだ。しかも「もの派」を思わせる手練れの空間構成であった。
なお、両室ともに、天井の隅の同種の蜘蛛により実効支配されておる。

 

薄紫の毛糸による装飾が空間を我が物にしていた玉木希未《My Foolish Heart》(347号室)、箱が与えてくれる触覚体験に意表を突かれる小貫智弥《アニマの消失》(344号室)、モランディの瓶の絵に着想した木のネックレスなど、絵画に着想したアクセサリーを制作した夢野愛莉《fabla》(230号室)などが印象に残る。そして、金成翔《Catalyst Lab.》を見て、確かに触媒は不思議で面白いと思った。仕組みは全く分からないが(だいたい水素と電子でどうにかなる?)。