可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『だれもが愛しいチャンピオン』

映画『だれもが愛しいチャンピオン』を鑑賞しての備忘録
2018年のスペイン映画。
監督は、ハビエル・フェセル(Javier Fesser)。
脚本は、ダビド・マルケス(David Marqués)とハビエル・フェセル(Javier Fesser)。
原題は、"Campeones"。

マルコ・モンテス(Javier Gutiérrez)は、背丈の低さというハンデを克服してプロのバスケットボール選手になり、現在は、ナショナル・リーグ加盟のバスケットボールチーム「CBエストゥディアンテス」でサブ・コーチを務めている。元女優の妻ソニア(Athenea Mata)とは子供を持つことをめぐって意見が対立し、別居中。自らは母(Luisa Gavasa)の住む実家に戻っていた。ある日の試合中、不利な戦況でヘッド・コーチのカラスコサ(Daniel Freire)と作戦をめぐり衝突、暴力を振るったことで退場となる。やけ酒をあおって帰宅途中、車をパトカーのサイドミラーに接触させ、警官から停止を求められてパトカーに突っ込み、警官にも暴行を働いてしまう。留置所に入れられたマルコは、出廷の際、国選弁護人(Yiyo Alonso)から温情ある判決を得るため唯々諾々の対応を求められるが、法廷で判事(Laura Barba)の指摘にいちいち食ってかかってしまう。それでも罰金と免許停止に加え、90日間の奉仕活動を行うことで服役を免れることになった。判事に指定された障害福祉団体「ロスアミーゴス」は国立のカルチャーセンターに拠点を持っていた。事務所を訪れると、フリオ・モンテロ・ルイス(Juan Margallo)がマルコの来訪を待ち侘びていた。知的障害者で構成されるバスケットボールチームがあり、全国大会に参加することになっていたのだが、前任のコーチが突然辞めてしまったために出場資格を失ってしまったのだという。マルコは、チームの指導を任されるが、バスケットボールのルールをよく知らず、与える指示をまともに理解できないメンバーを前に途方に暮れる。その上マルコはCBエストゥディアンテスの会長(Pedro Civera)に呼び出され、解雇を通告されてしまうのだった。


(以下で、作品後半の展開に触れる部分がある)


バスケットボールチーム「ロスアミーゴス」の個性豊かなメンバーの自由な行動が愉快、痛快。

マルコが「ロスアミーゴス」の面々と意志を通じ合わせていった後の段階で、子供を欲しがるソニアに対してマルコがそれをためらう理由が、子供が障害を持って生まれてくる「危険性」であることが明かされる。マルコ同様観客も知的障害を持つ人たちの才能に気付かされた後、一般論として障害に対して否定的な見解を抱かなくなったとしても、「我が子」の問題として引き受けることができるかどうかが突きつけられる。この展開には唸らされる。

2000年代初頭、不祥事を起こしたミュージシャンが再起をかけてつくった、大手事務所に媚びを売ったような曲がある。未来永劫トップの権威の前にひれ伏しておけ(ナンバーワンなど目指すな)という虫唾が走る内容の歌だ。ゆえにナンバー・ワンよりもオンリー・ワンの類いの言葉には極めて懐疑的だが、この映画のラストは、そのような内容を含意する言葉を浄化し、イメージを多少なりとも更新する作用があった。

映画『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』

映画『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』を鑑賞しての備忘録
2018年のフランス映画。
監督は、ニルス・タベルニエ(Nils Tavernier)。
脚本は、ファニー・デマール(Fanny Desmarès)、ニルス・タベルニエ(Nils Tavernier)、ロラン・ベルトーニ(Laurent Bertoni)。
原題は、"L'Incroyable Histoire du facteur Cheval"。

ジョゼフ・フェルディナン・シュヴァル(Jacques Gamblin)は郵便配達員。毎日数十キロの道のりを歩いて手紙を届けて回っている。人付き合いが極度に苦手なために変人扱いして遠ざける人もいるが、郵便局長のオーギュスト(Bernard Le Coq)は彼の誠実な人柄を評価し、宛先不明の絵葉書などがあると彼に取っておいてやるなどしている。孤独な配達業務の最中、絵葉書や新聞に掲載された風景写真を眺め、想像を膨らませながら歩くのがジョゼフの楽しみだった。フランスの勢力下にあったインドシナ半島アンコール・ワットの壮麗な寺院建築はとりわけジョゼフの心に強い印象を残していた。ジョゼフの妻ロザリー(Melanie Baxter-Jones)が亡くなると、仕事で10時間も家を空けるジョゼフに子育ては無理だろうと、息子シリル(Milo Mazé)が親戚に預けられることになる。失意のジョゼフだったが、配達地域が変更になって、農家の未亡人フィロメーヌ(Laetitia Casta)と知り合うことになった。村人たちの人間関係にうんざりしていたフィロメーヌは、口数は少なく生真面目なジョゼフに惹かれ、二人は結婚することになった。娘アリスが生まれると、ジョゼフはどう接していいか分からず戸惑う。フィロメーヌはジョゼフに娘と接する機会をつくってやり、次第にジョゼフは娘に対する愛情を示すようになる。配達中、山道で石に躓いて斜面を転がり落ちたジョゼフは大怪我を負ってしまう。転倒の原因となった石の不思議な形に興味をそそられたジョゼフはそれを掘り出し、家に持ち帰る。フィロメーヌは呆れるが、ジョゼフの中にはその石をきっかけに実現すべき目標が生まれる。ジョゼフはアリス(Lilly-Rose Debos)に宮殿をつくると宣言するのだった。

建築物のイメージと、パン屋で修行をした経験をもとに、拾ってきた石とモルタルで壮大な宮殿を一人で造り上げていった郵便配達員シュヴァルの物語。毎日数十キロの道のりを歩き続けるシュヴァルのひたむきさと娘に対する愛情とが、思い描いた理想の宮殿の実現へと邁進させる。妻フィロメーヌの理解と献身とがあってこそ希有なプロジェクトが実現することになる。
人付き合いが下手で生きづらさを感じ、周囲に広がる自然と星空と空想とに思いをはせるジョゼフをJacques Gamblinが真に迫る姿に表している。そして、その偏屈なジョゼフの真価を見出し、暖かく見守るフィロメーヌをLaetitia Castaが好演している。ジョゼフとフィロメーヌ、ジョゼフとアリス(Zélie Rixhon)とのシーンはいずれも心に残るシーンになっている。

映画『THE UPSIDE 最強のふたり』

映画『THE UPSIDE 最強のふたり』を鑑賞しての備忘録
2019年のアメリカ映画。
監督は、ニール・バーガー(Neil Burger)。
原作は、フランス映画『最強のふたり(Intouchables)』。
脚本は、ジョン・ハートメア(Jon Hartmere)。
原題は、"The Upside"。

デル・スコット(Kevin Hart)は、銃器所持の罪で収監され、仮釈放中。再収監されない条件は、就職先を見つけるか、採用面接を受けた事業者からの署名を3つもらうかのいずれかだった。飲食と事務の仕事で署名を手にしたデルは高級アパートメントの「用務員」の仕事に目をとめ、面接に向かう。面接会場は最上階のペントハウス。多数の美術品が飾られた美術館のような空間に、ネクタイを締めたような身なりの整った応募者たちが静かに面接を待っており、清掃作業と思っていたデルは面食らう。離婚した妻ラトリス(Aja Naomi King)との間で約束しているアンソニー(Jahi Di'Allo Winston)の迎えの時間に間に合わないと、しびれを切らしたデルは面接の行われている部屋に勝手に入って、秘書のイヴォンヌ(Nicole Kidman)の制止も聞かず、書類へのサインを求める。雇い主は、事故で首から上以外自分で動かすことのできないフィリップ・ラカッセ(Bryan Cranston)で、そのあらゆる挙措を支えることだった。フィリップはなぜか面接中の求職者を退出させ、デルを採用すると言い出す。デルは署名させもらえればいいと断り、イヴォンヌも当惑するが、フィリップは1日考えて答えを出して欲しいと伝え、それでも応諾しないなら署名しようとデルに伝える。結局、アンソニーの迎えの時間には間に合わず、デルはラトリスのアパートに向かう。アンソニーもラトリスも約束を守らないデルに愛想を尽かし、デルが面接の待ち時間に本棚からくすねた『ハックルベリー・フィンの冒険』をアンソニーに誕生日プレゼントとして渡すが、家を追い出されてしまった。居場所のなくなったデルは翌朝フィリップの住まいを訪れ、イヴォンヌに仕事を引き受けると伝える。生きる気力を失っているフィリップが敢えて粗暴なデルを採用しようとしたことを見抜いているイヴォンヌには不安しかない。デルはイヴォンヌから契約書面を提示され、高給に驚きつつも地下鉄のパスを要求すると、四六時中フィリップのそばに控えていなくてはならないと、清潔で居心地の良い部屋を宛がわれる。デルの初仕事はフィリップの朝食の介助だった。まずはベッドから起こさなくてはならないが、車椅子に乗せるのも一苦労。食事を食べさせるというより口に押し込むような介助にフィリップも辟易する。少しずつ仕事を覚えていくデルの前に、セクシーなフィリップ専属の理学療法士マギー(Golshifteh Farahani)が現れ、大いに興奮するが、排泄の介助をしなくてはならないことを知って尻込みするのだった。

 

最強のふたり(Intouchables)』をニューヨークを舞台にリメイクした作品。デルの家族との交流や、フィリップと文通相手との交流、美術やオペラなどを積極的にストーリーに絡めさせている点などで相違点が見られる。逆に原作と同じ展開の導入シーンは、緊張感・スピード感・高揚感において、出来過ぎであった原作に比べてどうしても見劣りがしてしまい、よくまとめられた佳作ではありながら、今ひとつインパクトを弱める効果を生んでしまった。
今作のNicole Kidmanは好印象。Golshifteh Farahaniはセクシー過ぎて、体を壊しそう(ジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』でアダム・ドライバーが変な食事をとらされても耐えられるのも頷ける)。

映画『テッド・バンディ』

映画『テッド・バンディ』を鑑賞しての備忘録
2019年のアメリカ映画。
監督は、ジョー・バーリンジャー(Joe Berlinger)。
原作は、エリザベス・クレプファー(Elizabeth Kloepfer)"The Phantom Prince: My Life with Ted Bundy" 。
脚本は、マイケル・ワーウィー(Michael Werwie)。
原題は、"Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile"。

1969年のシアトル。エリザベス・クレプファー(Lily Collins)は秘書として働きながら幼い娘モリーを育てるシングル・マザー。ある日友人のジョアンナ(Angela Sarafyan)に誘われて学生街の酒場に出かける。エリザベスは法律を学ぶ大学生テッド・バンディ(Zac Efron)に声をかけられ、意気投合する。テッドはエリザベスを家まで送り、玄関でモリーのベビー・シッター(Sydney Vollmer)と鉢合わせるが、テッドはエリザベスが子持ちであることを気にする様子はない。翌朝、エリザベスが目を覚ますと、テッドはモリーの世話をしながら、朝食の準備をしていた。エリザベスとモリーはテッドと暮らしをともにするようになる。月日は流れ、1975年のある日、ユタ州で未明にビートルを運転していたテッドは、信号無視を繰り返したとして警官に逮捕される。当時サマミッシュ湖(ワシントン州)でビートルに乗る男性に声をかけられて失踪した二人をはじめ、複数の若い女性の殺人事件が話題となっていて、テッドと似た男性の人相書きが公開されていたのだ。キャロル・ダロンチ(Grace Victoria Cox)が警察の面通しで自らを誘拐しようとした犯人としてテッドを選び、法廷でテッドが犯人であると証言した。テッドの弁護人であるジョン・オコンネル(Jeffrey Donovan)は事前に捜査官から写真を見せられたのではないかとキャロルの予断の可能性を突くが、加重誘拐の有罪判決が下る。テッドは何者かが自分を陥れようとしているとエリザベスに釈明し、希望を持つよう訴える。だが収監されたテッドに対し、今度はコロラド州の捜査当局が殺人事件の被疑者として移送を求めるのだった。

 

甘いマスクの好青年テッド・バンディが若い女性をレイプし殺害することを繰り返していたというショッキングな事件をテーマとするが、主にテッドの恋人であるエリザベス・クレプファーの視点から描くことで、テッドの犯行など残虐な面が見えないまま話が展開する。愛情深いテッドと報道される鬼畜の所業との落差に、エリザベスがテッドの冤罪の主張をとても否定することはできないという事情が理解される。犯行をほとんど描かず、なおかつ「結末」も分かっているにも拘わらず、緊張感を保ったまま展開させる手腕は見事だ。
死刑執行を控えたテッドを悲愴の覚悟で面会に訪れたエリザベスが真実を語るよう懇願した後、彼が最終的にとった行動が、その行為そのものは本来何ら問題のあるものではないが、伝えられるある単語(!)と彼の表情とが相俟ってもたらされるおぞましさは、それまでの流れを一気に覆す、クライマックスにふさわしい衝撃をもたらす。それまでのプロットはこの場面のためを描くためにこそあったのだ。

展覧会『フィジカルボディ・コンプレックス』

展覧会『フィジカルボディ・コンプレックス』を鑑賞しての備忘録
新宿眼科画廊〔スペースO〕にて、2019年12月13日~25日。

藤城嘘、ハムスターの息子に産まれて良かった、都築拓磨、髙木ちゃー、杉本憲相、飯島モトハルの6名による、肉体を持たないキャラクターと肉体を持つ人間との関係性をテーマにしたグループ展。

髙木ちゃー《Naked Graces》について
三美神(The Three Graces)やパリスの審判(Judgement of Paris)を描いた絵画に登場する三美神のとるポーズを、アニメーションのキャラクターに置き換え、次々と見せていくアニメーション作品。キャラクターには光の三原色のそれぞれが割り当てられ、三者の重なり合いが光の重なり合いとして示される。絵画において身体がとる姿勢や、それらの組み合わせ方の妙を取り出して提示して興味深い。三美神が次々とポーズを変えていく様子は、美を競うファッション写真における撮影現場をイメージさせるスピーディーな展開。なおかつ、あえて「プリクラ」のカウントダウンとシャッター音とに合わせることで、三美神を庶民的な舞台へと引き下ろすコミカルな演出も見事。