可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 川邊真生個展『Umwelt』

展覧会『川邊真生個展「Umwelt」』を鑑賞しての備忘録
OGU MAGにて、2020年7月21日~26日。

川邊真生の絵画展。

"Umwelt"とは、一般に「環境」を意味するドイツ語だが、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルによれば、ある主体が、そのまわりに存在する環境(Umgebung)の中の諸物に意味を当てて構築している世界のこと。"Umwelt"をその意味で用いる際には「環世界」ないし「環境世界」などの訳語が当てられている(ユクスキュル〔日高敏隆・羽田節子〕『生物から見た世界』岩波書店岩波文庫〕/2005年/p.163-165〔訳者あとがき〕)。本展に"Umwelt"を冠した作品は出展されていないが、ユクスキュルがシャボン玉に譬えた、視空間では貫通できない壁を意味する《最遠平面》(ユクスキュル・前掲書p.45-52)や、主観的な産物であるがゆえにユクスキュルが環世界の問題として扱った「故郷」を意味するドイツ語《Heimat》(ユクスキュル・前掲書p.107-114)と題された作品が展示されている。

《都合と腋窩介助》や《Veil》などの作品に見られる連子のような等間隔に描かれた(あるいは描き残された)縦の線や、《Tours.17052020》や《Framework》などの作品に挿入された角材の列が目を引く。作者は、コロナ禍の最中に外出を控えた最近の経験によって、虚無感や焦燥感に襲われて自室で過ごした幼少期の記憶が思い出されたという。実家の前にあった高校のグラウンドの巨大なフェンスのイメージが二つの経験を重ね合わせているらしく、それが作品に繰り返し現れる連子を、すなわちおそらくは檻ないし柵といった「とらわれ」のモティーフを、描き込ませあるいは挿入させているようだ。

この「とらわれ」のイメージは、環世界を連想させる。例えば、音波研究者の環世界で波として現れる客体が、音楽研究者の環世界では音として現れるように、「環世界全体は、人間主体の能力に応じて切りとられた、自然のほんの小さな一こまにすぎ」ず(ユクスキュル・前掲書p.155-158)、人間はその能力にとらわれた世界を生きているにすぎないからだ。同様に、キャンバスと木枠とが複雑に組み合わさっていたり、あるいはキャンバスがたわめられている作品は、環世界が一様でなく多様であることを象徴するのだろう。

もっとも、人間は、学習その他を通じて、今とらわれている環世界から別の環世界へと移動することが可能である。

 さて、環境への適応、本能の変化は、当然ながら環世界の移動を伴うだろう。それは長い生存競争を経て果たされる変化である。容易ではない。だが、すこしも不可能ではない。こうしてみると、あらゆる生物には環世界の間を移動する能力があるというべきなのだろう。
 人間にも環世界を移動する能力がある。その点ではその他の動物(さらには生物全般)と変わらない。ただし、人間の場合には他の動物とすこし事情が異なっている。どういうことかと言うと、人間は他の動物とは比較にならないほど容易に環世界の間を移動するのである。つまり環世界の間を移動する能力が相当に発達しているのだ。
 たとえば宇宙物理学について何も知らない高校生でも、大学で4年間それを勉強すれば、高校のときとはまったく違う夜空を眺めることになろう。作曲の勉強をすれば、それまで聞いていたポピュラーミュージックはまったく別様に聞こえるだろう。鉱物学の勉強をすれば、単なる石ころ一つ一つが目につくようになる。
 それだけではない。人間は複数の環世界を往復したり、巡回したりしながら生きている。たとえば会社員はオフィスでは人間関係に気を配り、書類や数字に敏感に反応しながら生きている。しかし、自宅に戻ればそのよう注意力は働かない。子どもは遊びながら空想の世界を駆け巡る。彼らの目には人形が生き物のように見えるし、いかなる場所も遊び場になる。しかし学校に行ったら教師の言うことに注意し、友人の顔色に反応しながら、勉強に集中せねばならない。人間のおうに環世界を往復したり巡回したりしながら生きている生物を他に見つけることはおそらく難しいだろう。(國分功一郎『暇と退屈の倫理学〔増補新版〕』太田出版/2015年/p.295-296)

会場の隅に「DEMENTIA」との紙が貼られた板の上の人物の頭部のペインティングが立てかけられいる。それは、痴呆症の人物にとっての環世界とはどのようなものなのかという、痴呆症者を理解したいという作者の意思の表れではないか。そして、《最遠平面》に表されたウルトラマンの影。他の星からやって来て地球人と一体化したウルトラマンは、他者理解すなわち環世界移動の成功を象徴するのだろう。

展覧会 アイムヒア プロジェクト|渡辺篤個展『修復のモニュメント』

展覧会『アイムヒア プロジェクト|渡辺篤「修復のモニュメント」』を鑑賞しての備忘録
BankART SILKにて、2020年2月21日~7月26日。※当初会期は3月15日まで。3月1日~5月31日は休止。

渡辺篤が当事者とともに孤立者の存在や声を発信する「アイムヒア プロジェクト」(2018年~)から生まれた作品を紹介。孤立者ないし孤立経験者が作家と対話しながら、コンクリートで桎梏の象徴を造型し、一旦ハンマーで叩いた後、「金継ぎ」による修復を施した《修復のモニュメント》の実物をドキュメント映像などとともに紹介する空間と、鑑賞者が作品を見て回る際に床に敷かれたコンクリート製のタイルが割れてしまう状況自体を作品とした《被害者と加害者の振り分けを越えて》を展示する空間を中心に構成される。

《修復のモニュメント》の展示空間は大桟橋通り側壁面がガラス張りのため、外から会場を見ることができる。その壁面には《Recovery》と題した白十字のネオンサインが設置されている。
会場に入って最初に目にすることになるのは、渡辺自身のひきこもり経験を題材とした《修復のモニュメント「ドア」》で、その傍には、渡辺がコンクリートの箱の中に一週間密閉されたパフォーマンスを紹介する《七日間の死》の映像が流されている。
1つ目の空間には、《修復のモニュメント「脳と心臓」》(壁の隙間に「心臓」のモニュメントが設置されているのを見逃してしまった)、《修復のモニュメント「01」》、《修復のモニュメント「卒業アルバム」》、《修復のモニュメント「病院」》が展示されている。
《修復のモニュメント「01」》は、最高学府で数学を学んだ共同制作者が、幼い頃から「白黒思考」のために孤立していたことから、バイナリを構成する1=ONと0=OFFからだろう、「白黒思考」を象徴する数字の0と1とを、自らの身長と同じ171cmの高さのコンクリートで表した。その共同制作者が作品の出来に満足しながら、ハンマーを入れる段になって、1という数字の「首」(上の曲がった部分)に執着したと言うのを聞いた渡辺が、モニュメントに身体性や自己を見ていることを指摘していた。また、その共同制作者は、数学は解けない問題ばかりで、そのような問題にどうアプローチするかだと言うのに対し、渡辺は「金継ぎ」もまた、完全には元に戻せない作品に対するアプローチだとコメントしていた。
《修復のモニュメント「病院」》は、理学療法士を目指しての実習中、報告書を書く余裕が無かったことからパワハラを受けて引き籠もるに至った共同制作者が、病院の建物をコンクリートで表現した。渡辺が、社会復帰を支援する理学療法士を要請する過程で社会から撤退していく者を生み出すとは、と感懐を述べていた。共同制作者が、モニュメントを壊すことで、パワハラを行った人物らに対する気持ちを汲む余裕が生まれたと述べていたのが印象的。
受付脇には《GAZE》と題されたひきこもり当事者が撮影した写真作品がコンクリートの額(?)に収められて展示されている。
《被害者と加害者の振り分けを越えて》は、「人を傷つけたことがある人」のみに入場を許可する空間。壁面には額装された金継ぎを施されたコンクリートの板が展示されているが、鑑賞するには、床に敷き詰められたコンクリート製のタイルをひび割れさせながら進むしかない。聖書には「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(ヨハネによる福音書第8章第7節)とあるが、鑑賞者に罪の自覚を迫る企てとなっている。

会場には、作家本人がいて、来場者に作品の解説をするなど懇切丁寧に対応していた。展示作品そのものよりもプロジェクトの進行こそが大事だという作家は、言葉の選択にも神経を尖らせている(見習いたい)。《被害者と加害者の振り分けを越えて》では、コンクリート製のブロックの上を慎重に歩いたつもりだったが、作家と話すことで、自分の発する何気ない言葉が固定観念に雁字搦めになっていることに気付かされた。現実には、言葉で他人の気持ちをガシガシと踏み抜いているのだと身につまされることとなった。

ネオンサインを除き、全てがコンクリート(concrete)を用いた作品で統一されている。そして、具体的な(concrete)出来事を伝える作品となっている。

展覧会 佐藤T個展『いつかまた会えると思っていた』

展覧会『佐藤T個展「いつかまた会えると思っていた」』を鑑賞しての備忘録
みうらじろうギャラリーにて、2020年7月18日~8月2日。

様々なシチュエーションの単身の女性を描いた作品のみで構成される、佐藤Tの絵画展。

「いつかまた会えると思っていた」という言葉は、再会への期待が叶わず仕舞いだったことへの嘆きとも、期待通り再会できた喜びとも解されるが、作者の作品から浮かび上がるのは、後者の解釈だ。
《平穏な日々にさよなら Ⅱ》は、穴が開いて綿が飛び出したクッションが散らばる床に女性が片膝を立てて座っているのをライトが照らし出している様子を描いている。女性が握る角材と女性の背後のタイルで覆われた壁には、同じ液体の飛沫がこびりついている。何か凄惨な事件が起きた現場であろうか。だがその液体は血のイメージを喚起しながらも血液であることを避けた赤紫色だ。役者にスポットライトを当てた舞台ではなかろうか。右手で緑色の玩具の拳銃を餅、左手で赤紫色の飛沫がべっとりと付着したカーテンを引き出してみせる《あなたが見る夢 Ⅲ》や、暗闇の中、ロープを手にした女性が照らし出される《ヘッドライト》にも同様に芝居の印象を受ける。《秘密Ⅱ》は、蕗などが蔓延る、人が足を踏み入れることのない建物と塀との隙間に、一人横たわっていた女性が起き上がろうとしている様を描く。腹ばいにでもなっていたのだろうか、胸から腹の辺りは泥で汚れている。雑草の緑と、手をかけた建物の赤い壁面との対比が鮮烈だが、それ以上に見上げる女性のまなざしが鑑賞者を射るようだ。もっとも、その目から禍々しさは感じられない。都会の片隅で一人自然(?)と戯れていた姿を見られてしまった恥ずかしさを睨むことで隠蔽する、一種のカモフラージュではなかろうか。そして、ひとり遊びは露見してしまって、既に秘密は秘密ではなくなってしまったのである。《出口のない部屋》は小さな窓のある狭い空間で膝を抱え蹲る女性を描くが、壁面の水色やエメラルドグリーン、あるいは明るくて人物とはかけ離れた形の影に現実からの浮遊感を感じる。「出口はないが、入口ならある」というメッセージさえ読み取れなくもない。
描かれるのは全て単身の女性であり、髪型などは違えど似た印象を受けることもあって、鑑賞者はひとり芝居を見ている感覚に襲われるだろう。画面という舞台の上で展開される不穏な世界の物語は、繰り返し上演されていくのだから、「いつかまた会える」と思って間違いないのだ。

展覧会 サンドラ・シント個展『コズミック・ガーデン』

展覧会『サンドラ・シント展「コズミック・ガーデン」』を鑑賞しての備忘録
銀座メゾンエルメス フォーラムにて、2020年2月11日~7月31日。

サンパウロを拠点に活動するサンドラ・シントのインスタレーション

会場のある銀座メゾンエルメスレンゾ・ピアノの設計で、壁面をガラスブロックが覆う印象的な外観をしている。とりわけ、ソニービルが取り壊された跡地は、期間限定のGinza Sony Parkとなり、見慣れない植物が立ち並ぶ「アヲ GINZA TOKYO」が開設されているため、ソニー通り側の広い壁面もよく見える。会場である8階のLe Forumには、ガラスブロック(その外の地上には植栽=庭が広がる)に向かい合う壁面が、晴海通り側から順に淡い空色から濃紺へと段階的に塗り分けられ、白いマーカーで波、岩、橋、ブランコ、シャンデリア、光といったイメージが描かれている。海を表したと思しき、形・大きさの異なる厚みのあるカンバスがいくつかリズミカルに配され、それぞれには壁面のイメージと連なるような描き込みがされている。うねる波やしぶきによる水滴は、光の波と粒子の性質の相似となっている。ブランコの往復は波に、宙づりはシャンデリアに、シャンデリアは光に。宙づりのイメージは吊り橋に、吊り橋は鉄橋や線路に。連関するイメージ自体が「連なり」を強く印象づけるが、中でも雨のイメージは、波の存在と相俟って、水循環を象徴する。宇宙の円環構造を表すのだろう。

 『人間の庭』(横山正訳、思索社、1985)の著者J.ブノア=メシャンは、「庭はひとが心に思い描く至福の姿を表現せんがために造られたもの」とする。失われた天井の楽園のかわりに、人工の楽園を地上に造ろうとしたとも言う。その事情により、中国では「逃避と夢の庭」が、ペルシアでは「郷愁と欲望の庭」が、アラブでは「快楽の庭」が、修道院では「瞑想と祈りの庭」が造られた。そして日本では「空想の世界への跳躍台として、また平安への逃避の場」として、庭はくつろぎと平安、神経を落ち着かせる働きをもったと指摘する。
 おそらく昔から災害、戦乱が続くなかで、人々は「安全」と「心の平安」を願い、その具体的表現として「庭園」を営んだのだろう。戦乱の続く時代の平安の形は「秩序」であった。混乱ではなく、秩序をつくらなくてはならない。
 人間同士では競いあい、秩序ができないなら、絶対的な力――神仏を登場させればいい。古代エジプトの造園の始まりは、神殿への並木道だといわれる。神殿の荘厳を演出するには、神殿に向かって一直線に続く並木道がふさわしい。(略)
 砂漠のなかに緑濃き並木道をつくり、維持するには、灌水をはじめぼうだいな奴隷労働を必要としただろう。神殿への並木道は、王の権威を高め、秩序を形にして社会に示した。西洋庭園の形式原理である「シンメトリー」(左右対称、直線構成、軸線)の登場である。
 日本での秩序は、大きく見れば自然の山河――いわゆる山水をモデルにしたといってよいだろう。しかし、少し細かく見れば、山水――宇宙モデルを描いた仏教世界の秩序を下敷きにして、これをミニ山水、すなわち石や水や土や木で小宇宙を庭内に再現するという方法がとられたといってよい。(進士五十八『日本の庭園 造景の技とこころ』中央公論新社中公新書)/2005/p.11-12)

「コズミック・ガーデン」は、直線ではなく曲線が用いられ、シンメトリーではない。「大きく見れば自然の山河」を描いている宇宙の(=コズミック)庭(=ガーデン)だ。「仏教世界の秩序」かどうかはさておき、山水的と言えよう。水を用いることなく水を表す枯山水である。また、山水に持ち込まれたシャンデリアは、宇宙を室内空間へとひねって接続する装置、あるいは圧縮して入れ込んでしまう装置として機能している。

 (略)動物学者のD.モリスによれば、エデンの園の樹木に実る果物、池の水、池中の魚や鳥は、人間が生きるために必要な食べ物や飲み物の象徴だという。それに柵は、いうまでもなく敵から身を守る設備である。だから、動物学的には生命保全が可能な環境が理想環境ということになる。現代の景観論では、これを「生きられる景観」といっている。
 J.アップルトンは『景観の体験』という本で、われわれ人間がある風景を見て、美しいとか、好ましいとか感じる場合、それはその風景に描かれている環境が、人間にとって生存しやすい条件を整えていることを見抜いてのことだという。
 その好例が、中国の山水図の構図である。なかに描かれた人物は、絵を鑑賞する者の代理自我である。したがって、自分の代理である画中の人物が生きられる条件に置かれているかどうかが、好ましい風景かどうかの決め手になる。
 多くの山水画は、山あいの里を描いている。代理自我は、たいてい下から眺めても見えない崖の上の庵にいる。庵を一歩出て崖下を見下ろすと、川が流れ、外部からここに入るには橋を渡って入ってこなければならない。崖上からはその姿を一望でき、何者が入ってくるかただちに見える。しかし、自分の姿はもちろん、その庵さえ橋を渡ってくる者からは見えない。そういう構図になっている。守りやすく、攻めにくい場所に、代理自我の居場所が描かれているのが、風景画の構図になっているということである。(進士五十八『日本の庭園 造景の技とこころ』中央公論新社中公新書)/2005/p.8-9)

山水画と異なり人物こそ描かれていないが、誰も乗っていないブランコの存在は、鑑賞者をブランコへ、すなわち画中へと誘う。「空想の世界へ」と「跳躍」するのではなくブランコを漕ぎ出すことで、鑑賞者は時の流れの中で揺蕩うのだ。

展覧会 Chim↑Pom個展『May, 2020, Tokyo / A Drunk Pandemic』

展覧会『Chim↑Pom個展「May, 2020, Tokyo / A Drunk Pandemic」』
ANOMALYにて、2020年6月27日~7月22日。

緊急事態宣言下の東京に設置した、サイアノタイプの感光液を塗布して「TOKYO 2020」や「新しい生活様式」と記した看板(実物と設置状況を撮影した写真)を紹介する「May, 2020, Tokyo」と、マンチェスターで行われたビール製造プロジェクト「A Drunk Pandemic」の記録映像を中心としたインスタレーションとの2つの柱から成るChim↑Pomの個展。

マンチェスター・インターナショナル・フェスティバル(MIF)のコミッション・ワークとして制作された「A Drunk Pandemic」では、コレラで亡くなった人々が埋葬されたマンチェスターの地下の廃墟でビール醸造、「A Drop of Pandemic」レーベルの瓶ビールを製造して、トレーラー型の公衆便所を「Pub Pandemic」と名付けたバーにして提供した。さらにバーのトイレから回収した尿をもとにセメントのブロックを製造する「Piss Building」を設置して、生産されたブロックをマンチェスターの通りや壁の修復材に利用した。第1会場は、ビール醸造所を設置したヴィクトリア駅地下の廃墟をイメージさせる、暗い空間。床には"C↑P"のロゴのブロックが積まれ、コレラで亡くなった女性の肖像画や、「A Drop of Pandemic」のビール瓶などが置かれている。会場奥の壁面には、ビール醸造所で行われたガイド・ツアーの模様のダイジェストが投映される。また、マンホールを都市の肛門に見立てた《Asshole of Tokyo》の展示もある。第2会場は、ラウンジのように仕立てられた空間になっていて、「Pub Pandemic」の来店者が乾杯する模様を紹介する映像や「Piss Building」で製造されたブロックが街に設置された様子を紹介。

「A Drunk Pandemic」第1会場の壁面に掲げられ、映像作品でも紹介されるコレラに感染したヴェネツィアの女性の肖像画。「顔の皮膚は縮み、目はくぼみ、唇は濃い青色」(スティーヴン・ジョンソン〔矢野真千子〕『感染地図 歴史を変えた未知の病原体』河出書房新社河出文庫〕/2017/p.56)になるという典型的なコレラの症例が示されている。

 コレラコレラ菌によって引き起こされる病気だ。この細菌を電子顕微鏡で見ると、水に浮かんでいるピーナッツのように見える。湾曲した楕円形の本体に鞭毛というしっぽのようなものがついていて、この鞭毛がモーターボートの船外機のように動いて菌を移動させる。コレラ菌はそれ単体では人間に害をおよぼさない。100万個から1億個のコレラ菌が体内に入ってきて、さらに胃液の酸性度が弱くてコレラ菌を殺してきれなかった場合に、「感染」する。(略)
 コレラ菌に触れても、それだけでは病気にはならない。口から摂取してはじめて脅威となる。コレラ菌の目的地は私たちの小腸だ。そこで二方面の攻撃をはじめる。まず、TCP線毛というタンパクがコレラ菌の増殖速度を急激に高める。コレラ菌はどんどん増殖して緻密に織ったマットのように固まり、そのマットが何百層も重なって小腸の壁を覆う。菌は爆発的に増殖しながら小腸細胞に毒素を注入する。このコレラ毒は、体内の水分バランスを保つという小腸の重要な代謝機能を壊す。小腸壁には二種類の細胞が並んでいる。ひとつは水を吸収してそれを体内に手渡す細胞で、もうひとつは余分な水分を排出する細胞だ。健康な状態だと小腸での水分吸収量は排出量より多いが、コレラ菌の攻撃にあうとそのバランスが逆転する。コレラ毒が細胞に作用して、大量の水を吐き出すように仕向けるのだ。最悪の場合、数時間のうちに体重の30パーセントもの水分が出てしまう。一説には、コレラという名称はギリシャ語の「雨どい」が語源だとされている。おそらく豪雨のときの雨どいを流れる水のようすがコレラになったときの下痢の症状と似ているからだろう。排出される液体の中には小腸の上皮細胞の薄片が混じっている。〔引用者補記:19世紀の医師が名付けた〕「米とぎ汁様便」という表現は、この薄片が白い粒子に見えるところからきているのだ。そしてこの液体の中には大量のコレラ菌も含まれている。コレラに感染すると最悪20リットルもの水分が出ていくが、そこには1ミリリットルあたりおよそ1億個のコレラ菌がいる。
 つまり、たまたま100万個のコレラ菌を飲みこんでしまったら、3~4日のうちに1兆個の新しいコレラ菌を作り出すことになる。この微生物は人間の体を工場に変えて、自分たちを100万倍に増殖させているのだ。その工場が数日で機能しなくなっても気にしない。そのころにはたいてい近くの別の工場で増産している。(スティーヴン・ジョンソン〔矢野真千子〕『感染地図 歴史を変えた未知の病原体』河出書房新社河出文庫〕/2017/p.58-60)

ロンドンではテムズ川での「大悪臭」の発生(1858年)を機に、ジョセフ・バザルジェットによる大規模な下水道建設が行われた(1865年からほぼ全面的に運用開始。ジョンソン・前掲書p.264-267)。だが、麻酔医として知られ、1840年代からコレラの発生原因の究明に取り組んだ医師ジョン・スノーは、ロンドンで1854年9月に発生したコレラ禍について、下水により汚染された井戸水が原因であるとの研究結果を発表していた。スノーがコレラの発生原因について飲料水媒介説を打ち立てる土台となったのは、コレラが猖獗を極める街を歩き回って聞き取った人々の声と、戸籍本署のウィリアム・ファーが毎週発表していた死亡週報であった。

 スノーはファーのリストからもうひとつ出ていないものを見つけた。ブロード・ストリート50番地のライオン醸造所にいる70人の従業員だ。この番地からはひとりの死者も出ていない。もっとも従業員が自宅で死んでいれば50番地の死者としては計上されないだろうから、ファーのリストだけでは判断ができない。スノーはライオンの経営者、エドワード・ハギンズとジョン・ハギンズを訪ねた。二人とも疫病が自分たちの敷地内に入ってこないことをいぶかりながらも、従業員二人が軽い下痢を起こした以外に病人は出ていないと答えた。飲料水の水源については救貧院とおなじく、民間水道会社と敷地内の井戸を利用しているという。でも、と二人は絶対禁酒主義の医者に向かって照れ笑いをしながら語った。ここの連中は水なんか飲まない、連中はビールで喉の渇きをいやしているのさ、と。(スティーヴン・ジョンソン〔矢野真千子〕『感染地図 歴史を変えた未知の病原体』河出書房新社河出文庫〕/2017/p.189)

ビール醸造所の労働者たちがコレラを発症しなかった原因は、汚染された水を飲まなかったこととアルコールの効能である。

 汚染されていない飲料水を探すという課題は、文明の誕生と同時に発生した。人類が定住生活をするようになると、赤痢のような飲料水媒介型の病気が人びとの健康を脅かすようになった。だが人類は歴史の長きにわたって、水源を浄化して健康を守ろうという解決策をとってこなかった。かわりにアルコールを飲んだ。清潔な水源が確保されていない地域では、水を消毒するのにいちばん身近なものはアルコールだった。原始農耕社会でビールを飲むことによる健康への害がどんなものであれ、アルコール消毒の効果はそれを相殺しただろう。四十代で肝硬変になって死のうがどうしようが、二十代で赤痢にかかって死ぬのに比べたらずっとましだったのだから。(略)
 皮肉なことに、ビールその他の発酵酒にそなわる抗菌特性は発酵、すなわち別の微生物のはたらきに由来する。ビールを醸造するときに使う酵母菌などの発酵性の有機体は、糖と炭水化物をATPとう生物のエネルギー通貨にあたるものに変換しながら生きている。だが、このプロセスとて代謝に変わりはない。酵母細胞は分子を分解するときに二酸化炭素エタノールという二種類の廃棄物を出す。前者は泡に、後者は酔いになる。定住生活で汚れた水が再利用されるようになって現れた健康危機と闘う中で、原始農民はそうと知らないまま発酵体のミクロ廃棄物を飲むという方法に出会ったのだ。人間は酵母菌が出す廃棄物を飲むことで、人間の廃棄物が混ざった水を飲んでも死なずにすんだというわけだ。(スティーヴン・ジョンソン〔矢野真千子〕『感染地図 歴史を変えた未知の病原体』河出書房新社河出文庫〕/2017/p.140-142)

Chim↑Pomが「A Drunk Pandemic」を展開したのはマンチェスターであるが、マンチェスターのかつてのコレラ禍についてロンドンのそれと同様に捉えて良いだろう。コレラ犠牲者が溢れていた墓穴で醸造されるビール「A Drop of Pandemic」は、彼ら/彼女らに捧げられる慰霊の酒であり、アルコールの抗菌特性による清めの酒でもある。また、Chim↑Pomから放たれた「A Drop of Pandemic」は人々の腎臓で濾過され尿になり、ブロックに変じる。コレラ菌が腸壁で緻密に織ったマット状に固まるように、ブロックはマンチェスターの通りや壁に固着するだろう。"C"holeraの"P"andemicの記憶を↑(地上)に召喚するのだ("C↑P")。コレラの発生原因は瘴気であるとか罹患率は人格によるとかいった謬見が蔓延った歴史を掘り起こすことで、原因不明の疫病に対する社会の接し方についても一考を促すだろう。会田誠が力尽きて這いつくばる人物を図案化した《TOKYO 2020》が国際的スポーツイヴェントの行く末を2015年段階で捉えてしまっていたように、2019年に実施されたChim↑Pomのプロジェクトは、コロナ禍に見舞われた世界を映し出す。優れたアーティストには神の依代のような性格(と言って語弊があるなら飛び抜けて優れた嗅覚)が認められる。